『快適な空の旅を、お楽しみください』
飛行機内にCAのアナウンスが響く。窓をみれば、一面を青い空が包み込んでいた。
あの試合を終えた後、勢いそのままに三回戦はベアーズ打線が爆発し、2勝1敗でパンサーズとの三連戦を終えた。それで今は、ホームでタイタンズを迎え撃つべく飛行機に乗っているというわけだ。
隣に座る千石は空港で買った土産を美味しそうに食べている。確か名前は…何ていうんだっけ。名前がおしゃれだったこと以外思い出せない。どうせなら俺も何かしら買っておけばよかった。
「ほれ、一個やるよ」
「いいのか?」
「まあ横で食べるの見るだけってのも辛いだろ。いやー、オレってば優しい!」
「その一言さえなけりゃ感動してたわ」
「どうだか。それにしても、タイタンズ戦、お前としちゃ気合入るんじゃねーの」
「?何でだ?」
「何でって…もといたチームだろ?あるだろ、因縁とか」
「いや、特にねーよ。もともとずっと二軍生活だったしな。一軍の選手とはあまり面識なかったし」
「はぁ、な~んだ。がっかり」
千石はわかりやすく肩を落として見せた。昔からの因縁なんてベタなものが好きなコイツとしてはあまりウケが良くないらしい。
「あ~でも、そういえば一人だけいたな。俺に結構かまってくれた先輩が」
「えっ誰それ!気になるんですけど!」
「ほら、いるだろ?『十年に一人の天才』って呼ばれた広瀬って選手。あの人だよ」
ある年の春キャンプでシート打撃に登板した時、渾身の直球を簡単にフェンスの外へと放り込まれた。この人のバッティングは天性のものだと悟ったのはその時だ。しかし私生活においてはノリのいい兄貴分といった感じで、よく飲みに誘ってくれた。俺が二軍でくすぶっている間も「いずれお前の力が必要になる時が来る」と励ましてくれたものだ。トレードとなった時も、一番悲しんでくれたのが広瀬だった。
「『十年に一人の天才』ねぇ…お前もそう呼ばれてなかったか?」
「俺の場合は『十年に一人の逸材』だよ。つっても俺と広瀬さんの実力には雲泥の差があったけどな」
「違いが全然分かんねーけど。で、具体的に広瀬選手の何がそこまですごいんだ?」
「何がって言われると難しいな…あの人守備でも打撃でもすごかったから。どんな球にも軽く対応してくるし、決め球を余裕で見逃してくるし、バットに当たった時の飛距離すごいし…」
「お、おお、随分恨みがこもってるな」
「まぁでも一番すごかったのは、どの方向にも飛ばせることかな」
「というと?」
「とにかく相手の投球によって打ち分けるのがうまいんだよ。センター方向はもちろん、ライト方向にもレフト方向にも軽々と飛ばす技術を持ってる」
「はーん、なるほど。つまりどのコースに対しても簡単に対応してくるわけか」
「まぁそんな感じ。でも強いて欠点を挙げるとするなら、あの人ちょっと馬鹿なんだよ。要は野球の出来るゴリラってイメージ」
「ゴリラって…大分失礼だし(いっつもバナナ食ってる)お前が言うか」
「何か?」
「いや、ナンデモナイ。とりま、寝るわ。着いたら起こしてくれ」
そう言うやいなや、千石はアイマスクを被って寝息を立て始めた。聞くだけ聞いて寝やがった。全くもって勝手なやつだ。少しすると、飛行機の心地よい揺れが睡魔を掻き立てる。…着いたら起こしてと言われたけど、まぁ先に起きれば何の問題もないか。そんなことを考えながら、俺は体が望むままに睡魔に身を委ねた。
◇
北海道ドームに到着したころには、一足先に着いていた東京タイタンズの選手たちが汗を流していた。バッティングケージでは丁度広瀬が快音を飛ばしている。相変わらずバットで捉えた時の飛距離がものすごい。
「うひゃー、飛ばすなぁ」
感嘆の声を上げたのは隣にいた二葉だ。長距離砲とは程遠い彼にとって、広瀬はさぞ雲の上のような存在なのだろう。
「お!カズじゃねーか!元気してたかぁおい!」
「カズ?」
「タイタンズの時のあだ名です。数人のところから、カズ」
「あー、なるほど」
練習を終えた広瀬がこちらに気づき駆け寄ってきた。遠慮なく肩に腕をかけてくる。
「おかげさまで何とか上手くやれてます。広瀬さんこそ絶好調のようで」
昨日までの試合で、広瀬は本塁打12、打点35を記録している。本塁打はリーグ3位、打点はリーグトップの数字だ。ここまで若手ながら他の選手を圧倒する成績を残している。昨年は確か21本塁打だったので、このままケガなく出場し続けられればキャリアハイの数字を残せるだろう。
「世辞はいいっての!まぁ絶好調なのには変わりないけどな!!」
広瀬が豪快に笑う。あっけらかんというか、表裏がないというか。そういう意味では、この人が好きだ。尊敬する者が多いのも、彼の人徳あってのことだろう。まぁ時々うっかり失言することも多いわけなんだけれども。それから他愛のない身の上話で談笑した後、ふと何かを思い出したように呟いた。
「そういや、五島はいねーの?」
「ここにいるよ」
横から五島がぬっと姿を現す。え、いつからいたんだ?ひょっとしてスタンバってたの?そんな疑問が頭から噴出する。
「おー五島!去年の交流戦ぶりだな!」
「はは、そうだね…あれから一年もしないうちに君は遠くへ行ってしまった」
広瀬が一瞬だけ表情を歪めたのを、俺は見逃さなかった。何かが彼の琴線に触れたらしい。ただすぐに表情を変えて五島の背中を叩いた。
「そんなことねーよ!今だってお前は俺のライバルだ!」
「広瀬君はすごいよ…僕なんて君には到底追いつけない」
「…なんだそりゃ」
「僕はキャッチャーとしても、打者としても全然君に追いつけないから」
長い沈黙が漂う。広瀬の顔は隠れて見えないが、その手は小刻みに揺れていた。
「昔っからお前はネガティブな奴だったけどよぉ…今回ばかりは見損なったぜ五島」
「え?」
「もうお前はライバルでも何でもない。ただの敵だ」
「…」
その言葉に五島はただうつむくだけで、何も返さなかった。
「じゃーなカズ!また、試合でな!」
「え、あ、はい!」
突然回ってきた会話に、たどたどしい返事で応対する。広瀬はこちらに手を振りながら練習場へと帰っていった。
「あの、五島さん。いいんですか」
「まぁこんなもんだよ。僕より上なんてたくさんいるからさ。…じゃ、軽くキャッチボールでもしようか」
「そりゃあいいですけど…謙遜と自虐は別の話ですよ」
「あはは、痛いところをつくなぁ」
五島は苦笑いをしてみせる。しかし、心の中に引っかかるような違和感はずっと残ったままだった。
◇
北海道ベアーズ
1番 サード 一原
2番 ライト 二葉
3番 キャッチャー五島
4番 ファースト 四谷
5番 指名打者 ヘンダーソン
6番 ショート 六笠
7番 センター 七海
8番 セカンド 万丈一
9番 レフト 木下
ピッチャー 十九川
東京タイタンズ
1番 セカンド 吉山
2番 センター 三角
3番 ライト 広瀬
4番 サード 岡木
5番 ショート 榊
6番 ファースト 下田
7番 指名打者 フランコ
8番 レフト カーター
9番 キャッチャー大林
ピッチャー 菅
北海道ドームでのベアーズ対タイタンズの一回戦。試合は初回から動きを見せる。
『3番、ライト、広瀬』
吉山、三角を凡退に打ち取り、ツーアウトランナーなしで迎えるは今日3番に入っている広瀬。ボールを待つときに軽く右足を上げるフォームが特徴的だ。その初球、外角高めに浮いた甘いストレートをとらえた。その当たりで確信したか、ピッチャーの十九川は崩れるように体を屈めた。レフト方向に打球は伸びていってレフトがフェンスの向こうへと視線を移した。打球は減速することなくそのままレフトスタンドへと吸い込まれていった。
「っしゃあ!!」
広瀬が三塁コーチャーとガッツポーズを交わしながら雄たけびをあげる。これでリーグ二位タイに並ぶ13号だ。その後、この回はランナーを出しながらも京極が粘りを見せて1失点にとどめた。
そして、その回の裏。今までのキャリアで初めて1番に入った一原が打席に立つ。相手投手はタイタンズの絶対的エース、菅だ。カウント1-2から迎えた五球目、低めに入ってきたスライダーを掬い上げた打球は、すんでのところでセンターの頭を超えた。三角がボールを処理している間に一原はスライディングすることなく二塁へと到達した。
これで無死二塁のチャンス。続く二葉は2球目をきっちり送りバントでつなぎ1死3塁となる。そして打席に入ったのは今日3番を務める五島だ。しかし彼の表情には違和感を感じた。何というか、どこか気合が抜けているように一原には見て取れた。
注目の初球、ワンバウンドするフォークにバットが回り1ストライク。2球目、アウトコースいっぱいのボールに手が出ず2ストライク。3球目、今度はインコース、ボールゾーンに来たストレートにバットが止まり、1ボール2ストライク。手を出さなかったというよりかは、手が出なかったという表現の方が正しいだろう。それを理解してのことか、キャッチャーの大林が選択したのはまたしてもストレートだった。真ん中高めの吊り球に対して慌てて五島がバットを出すも、完全に振り遅れてボールはキャッチャーミットへと突き刺さった。球速は155キロ。守備側としては最高の、攻撃側としては最悪の展開だ。内野は前進していない。せめて内野ゴロでも打っていれば一点を返すことができたかもしれないのに。
「すみません。後、よろしくお願いします」
「…ああ、任せておけ」
ベンチへと引き返す五島と入れ替わるようにして四谷が打席に入る。四谷はフルカウントまで粘った末に最後はワンバウンドしたスライダーを毅然として見送り四球を選ぶ。ピッチャーが苦い顔をしながら土を蹴るのを意にも介せず一塁ベースへと歩いていく。チャンスは2死一三塁にまで拡大した。
次に打席に入ったのはヘンダーソン。ここまで打率.232、本塁打4本と突出した成績は残せていないが、本来のバッティングができればフェンス外へ飛ばす能力は持っている。初球はアウトコースへのスライダーを空振り、そして2球目はこれまたアウトコースへのストレートを見逃しこれもストライク。タイタンズは外への配球を徹底して、たった二球にしてバッテリーが追い込んだ。そして3球目、アウトコースのストレートにバットが反応した。ボール球、それもバットの先で詰まったあたりではあるが、そこは持ち前のパワーでセカンドとライトの間まで持っていきポテンヒット。その間にランナーの一原が生還し、同店へと追いついた。
試合は両投手の調子が悪いのか、乱打戦の様相を呈していた。表にタイタンズが2点を奪ったかと思えば、その回の裏にすぐさまベアーズが驚異的な追い上げで2点を返す。引き離しては追いつくの繰り返しで、両者ともに譲らない展開が続く。
そして五回の表、5-5となった展開からまたしても試合が動く。投手は十九川からスイッチした五十村。一原のエラーとヒットで1死一三塁のピンチを招く。ここで打席に立つのは広瀬だ。先ほどの打席はショートゴロに倒れ、これが三打席目。その初球、スプリットで空振りを奪うも、そのあとのストライクが入らない。結局カウントが3-1となった5球目、インコースへの直球を広瀬が捉えた。広瀬は確信したか、バットを投げ捨て悠々と歩きながら打球を見送る。打球はライトポール際へぐんぐんと伸びていき、ライトスタンドへと突き刺さった。本日二本目のホームランにして、リーグ単独2位となる3ランホームラン。
広瀬がゆっくりとベースを踏みしめながら三塁ベースへと向かってくる。そして三塁ベースに差し掛かったころ、一原に向かってへったくそなウインクを返してきた。一原は最初の一瞬何かの宣戦布告か思ったが、彼に限ってそういう事はしないだろうと考え直した。あのウインクの意味はさっぱり分からないが何かしらの激励なんだろう。そう思うことにした。
その回の裏、ヘンダーソンに一発が飛び出したが、そこから先が続かない。タイタンズの継投策を前に、あと一本が出ない。特に五島は、3度得点圏で打席を迎えながらヒットはおろか、打点も0。打線のストッパーになってしまった。とどめと言わんばかりに投手陣も軒並み安打を浴び、結局合計11失点。大敗を喫した。
◇
試合後、ベンチにてタオルを被っていると、横から怒鳴り声が飛んできた。その方向を見てみるとバッテリーコーチが五島を叱っているところだった。今日ずっと投手陣をリードしていたのは五島だ。この失点数に加えて無安打。もちろん責任がすべて五島にあるというわけではないが、ひしひしとキャッチャーというポジションの難しさが伝わってくる。しばらく説教が続いて、ようやく気が済んだのかバッテリーコーチが舌打ちをしてベンチ裏へと帰っていった。残されたのは、俺と五島の二人だけだ。
「…言い返さなくてよかったんですか」
ぽつり、とつぶやくように言う。そう言われた五島は顔をタオルで拭きながら困ったような笑みを見せた。
「まぁ事実だから。今日の敗戦は半分くらい僕の責任だし」
「打てなかったのはやっぱり、広瀬さんとの口論が?」
「そんな事はないよ。今日はただ調子が悪かった。それだけの話だよ」
それが嘘であることは五島の顔を見れば簡単に分かった。メンタルはどのスポーツにしても重要とされる部分だ。試合前の喧嘩がよっぽど効いていたらしい。無意識にしろ、広瀬が五島に与えた影響はチームとしても功を奏したらしい。もっとも、広瀬本人がこれを知れば憤慨するだろうが。
「…それならいいですけど」
本人がそう言う以上自分で解決するだろう。一人物思いにふけている五島を置いてベンチを後にした。
今回の選手名鑑はお休みです。