「あっはっはっは!そんなことがあったとはなぁ!!」
俺と監督の漆原の二人だけが残された監督室に笑い声が響く。目じりに涙をためるほどに爆笑している漆原を前に、一つ大きなため息をついた。
「笑いどころじゃないですよ。こちとら大変だったんですから」
「ひ―腹痛い。あー笑った笑った」
「まさかとは思いますけど、こうなることを見越して俺と四谷さんを接触させたわけじゃないですよね」
俺の言葉に漆原はわざとらしく目をぱちくりさせる。何だかそれは、とても白々しく感じた。
「まさか。そりゃあ四谷の尻にそろそろ火をつけてやらないとまずいと思ってたのは確かだし、お前なら教えてもらいながら発破をかけてやる事もできるとは思ってたよ。だけど…ハハッ、そこまでやるなんてなぁ」
相変わらず食えない人だ。そう思ったところで漆原が両腕を組む。さてと、じゃあそろそろ本題に入ろうかとまた話し始めた。いつしかその顔は、真剣なものに変わっていた。
「お前には代打からスタートしてもらう。レギュラーになってもらうためには、まずはそこで結果をだしてからの話になる」
「やっぱりいきなりスタメンで使うっていうのは難しいですよね」
「まぁお前の打力も捨てがたいが、総合力で言えば野木の方がまだ上という評価だ。評価を覆すには、それだけの結果がいる」
そりゃあそうか。分かってはいたはずだったけど、頭の片隅ではちょっと期待していただけに、残念だ。
「あと最後にもう一つ」
漆原が自分に向かって人差し指を突き出す。その表情には笑みが浮かんでいた。
「PV撮影、しよっか!」
◇
今年のチームスローガンは「常勝気流」。何度使い古されたかも分からないその言葉は、一周回って逆に新しいと言えなくもないものだった。何でも紹介する選手が雲に乗って現れるシーンは相当に気合が入っているものらしい。二葉なんかはバットを如意棒に見立てて孫悟空の真似をしたとかなんとか。
「はーい、もう少し肩の力を抜いてくださいね~。あ、まだちょっとにこやかに出来ないかなー」
写真撮影は思いのほか時間がかかった。自分は普通の表情を保っているつもりでも、表情が硬いと何度も指摘され、結局は折れたカメラマンが妥協したというような形だった。シーンは大きく分けて三つ。全選手共通で、雲に乗って現れるシーンと拳を上に高く掲げるシーン。そして最後にバットを構えるシーンへと繋がっていく。合わない事をしたせいなのか、何だかどっと疲れが肩にのしかかってくる。やはり慣れない事は滅多にするものじゃない。
撮影を済ませたあとは、球場での練習だ。ベアーズのホームは北海道ドームという大きな建物だ。日本にあるほかの球場と比べても1、2番を争うほどに広く、その上フェンスも高いときた。この球場でホームランを打つのは、なかなかに厳しいだろう。
「おーい、一原ー」
そんな事を考えていると、先客がこちらへとやってきた。
「どうも、二葉さん」
「一軍上がったなら俺らにも報告しろよな~。つっても俺たちは知ってたけどな」
「…まぁ、向こうで色々あったんでバタバタしてて」
「あ!それ知ってるぞ。お前四谷さんと喧嘩したんだってな。度胸あるなぁ、何てったってあの四谷さんだぞ」
最悪だ。考えてみれば当然の事だが、噂は一軍の選手たちの耳に入るほど広がっていたらしい。思わず頭を抱えたくなったが、二葉の手前だ。和解しましたけどと最初に念置きしておいて、冷静を装って話を続ける。
「喧嘩なんて人聞きの悪い。ちょっとソリが合わなかっただけのことですよ」
「でもその喧嘩してた二人が仲良く一軍に上がるなんてな~…何かあった?」
勝負した後に特訓をしていた事をどうやら二葉は知らないらしい。ただその色々を一々説明するのも面倒だったので、適当な言葉で濁しておいた。
◇
試合前の最後の練習を終えて、ベアーズの選手たちは円陣を組んでいた。チームはここまで引き分けを挟んで3連敗中。順位は5位で、一昨日から始まった大阪オリオールズとの3連戦でもすでに負け越しが決定している。
「今のチームに必要なのは全員が100%の力で戦うことだ。今日スタメンで出る選手も、ベンチスタートの選手も、今日は自分がヒーローになるぐらいの気持ちで臨め!」
監督の漆原の言葉に選手たちは大きな返事で答える。電光掲示板に今日のスタメンの名前が映し出される。
スターティングラインナップ
大阪オリオールズ
1番 センター 中原
2番 ライト 藤井文
3番 ショート 藤井敏
4番 ファースト 上地
5番 指名打者 オールビー
6番 レフト ガルシア
7番 キャッチャー 岡村
8番 セカンド 土屋
9番 サード 田山
投手 馬越
北海道ベアーズ
1番 ライト 二葉
2番 セカンド 万丈一郎
3番 指名打者 万丈三郎
4番 ファースト ヘンダーソン
5番 レフト 五島
6番 ショート 加藤
7番 センター 七海
8番 サード 野木
9番 キャッチャー 九重
投手 十九川
十九川と馬越の投げ合いで幕を開けたオリオールズとベアーズの9回戦。試合は早速初回から動きを見せた。1回表、ヒットで出塁した中原を置いて、3番藤井敏が右中間を破るタイムリーツーベースヒットでいきなり得点。さらに2死3塁から5番オールビーが打球をセンターへ運び再びタイムリー。立ち上がりから十九川を攻め立ていきなり2得点を先制する。
しかし連敗中のベアーズも負けていない。1番二葉から連続四球で無死一二塁のチャンスを作ると、三番万丈三郎がレフトへのヒット。この間に二塁ランナー二葉が一気に生還し、1-2。さらに4番ヘンダーソンが進塁打でランナーを進め、5番五島がライトへ犠牲フライをきっちりと上げ同点に追いつく事に成功する。
試合は乱打戦になるかと思われたが、二回からは両先発が踏ん張りを見せる。特に十九川は得意球の右打者に食い込むシュートがさえわたり、2回からは3塁を踏ませないピッチングで5回までを2失点でまとめてみせた。一方の馬越も打者の手元で大きく落ちるフォークで相手打者を翻弄し、こちらも得点を許さない。
試合が再び動いたのは6回の表。疲れが出始めた十九川がオリオールズ打線に捕まり始める。先頭打者の藤井敏が放った二遊間への鋭い打球を二塁手の万丈一郎が滑り込みながらバックハンドでキャッチ。すかさず一塁へと送球して1死となるも、続く上地にはセンターの頭をゆうに超えるツーベースを浴びる。次の打者であるオールビーに四球を与えたところでたまらず投手コーチが飛び出した。
「十九川、今日はよくやった。交代だ」
オリオールズ打線はこれからガルシア・岡村と十九川が苦手とする左打者が続く。それを考慮したベアーズの首脳陣は早々に十九川の降板を決断した。
変わって登板したのは左のオーバースロー・
しかし今日の四万十はスライダーの曲がりが早かった。ガルシアにスライダーを見極められ、カウントを取りに行った直球に狙いを定めて振りぬいてきた。打球はセンターとショートの丁度間にポトリと落ちて、その隙に二塁ランナー上地が一気にホームを狙う。センター七海が送球するも間に合わず、勝ち越し点を献上した。
後続は絶ったものの、中盤にして重い重い一点がチーム全体にのしかかる。それでもなお、監督は冷静さを失ってはいなかった。
「…そろそろか。一原、四谷。いつでも代打で出られるように準備しておけ」
「あ、ハイッ!」
「分かりました」
四谷と共に一原はベンチの裏に入る。練習場にはモニターがあるので、試合の状況を逐一確認することができた。二人は鏡に映る自分の姿を確認しながら素振りをする。…よし、今日も問題なく体は動いてくれている。それに、教わっていることをちゃんと意識できている。後はどう打席に入るか。そんな事を考えていると、珍しく四谷の方から声をかけてきた。
「…俺は、お前に伝えないといけない事がある」
また何か始まるのか、と一原は本日何度目かも分からない深いため息をついた。
「何ですか、藪から棒に」
「言葉にして言ってしまうのは簡単だ。だがそれをしてしまうのは、あまりに軽いような気がする」
「まどろっこしいですね。つまり何が言いたいんですか」
「野球人として、結果で示す。かつてお前がそうしてくれたように、今日ヒーローになって伝えたい」
そう語る四谷の目には、確かに闘志が宿っていた。
「…へぇ、そりゃまた大きく出ましたね」
「当然だ、それくらいでなくては意味がない」
「おーい、一原ー。準備しろだってよ~」
二人の会話を遮ったのは、二葉の間の抜けた声だった。一原はベンチへと引き返しながら、呟くように言葉を吐き出した。
「ま、楽しみにしてますよ。ヒーローになりたいのは俺も同じですけどね」
◇
試合は7回の裏、オリオールズは左のセットアッパー・泉を投入する。しかしその先頭打者の加藤がいきなりヒットで出塁すると、代走の万丈二郎が一塁ベース上に立つ。そして続く七海に対する初球。二郎は勢いよくスタートを切った。キャッチャー岡村は捕球した体勢のまま動けない。ほとんど労せずして二郎は二塁を陥れた。
七海はフルカウントから投げられたカットボールに詰まらされ、ボテボテの打球はセカンドへと転がる。その間に二郎は三塁へと到達し、これで1死3塁。ヒット、もしくは犠牲フライでも点が入る状況となった。
そして次の打者である野木のところで、監督の漆原は決断した。
『選手交代のお知らせをします。バッター、野木に代わりまして、一原。背番号31、一原数人』
湧き上がる歓声の中で、心臓が脈打つ音がやけにうるさく響く。電光掲示板に映る自分の姿を見ながら、頭の中では思考がぐるぐると回っていた。やっぱりもうちょっと格好つけるべきだったかな。いや、そんな事よりもこれが一軍の、日本最高峰の野球の景色か。思わずバットを握る手が熱くなるような思いだった。
いつも通り素振りをして、土を払い、左のバッターボックスに立つ。普段の動きをトレースして、はやる気持ちを抑え込む。相手の内野陣はいつもより前進している。バックホーム体制なので内野ゴロで得点を取るのは難しそうだ。狙うなら外野の深いところ。息を大きく吸い込んで構えをとった。
初球はインコースからストライクゾーンに入ってくるカットボールを見逃してストライク。そうだ、投手の泉にはこれがある。左打者から逃げるように大きく曲がるカットボールと、インコースを突くような小さく変化するツーシームを軸に打者をきりきり舞いにするのだ。しかし基本的な球種は直球が半速球かの二択しかないので、目が慣れてしまえばそこまで怖い投手ではない。自分のスイングが崩されなければ、打てるはずだ。
二球目、投じられた球は打つ手前でワンバウンドする。またカットボールだ。どうやらカットボールを中心に攻める心づもりらしい。確かにこの球は厄介そうだ。
三球目、今度はストライクゾーン高めのストレートを何とかバットに当ててファールにする。電光掲示板に計測された球速が表示される。158キロ。先ほどのようにカットボールばかりに意識を向けていては直球に詰まらされる。
そして四球目、低めに来たカットボールをライトへと打ち上げた。タイミングを外され、不格好なスイングでカットボールを下から叩いた打球は途中で勢いを失っていく。それほど強い打球ではないが、それなりに飛距離はある。犠牲フライには十分な距離だ。ライトの藤井文が捕球すると同時に二郎がスタートを切る。送球がセカンドへと中継される間に生還した。
「ナイス犠牲フライ、これで同点だ!」
完全に力負けした。ベンチに戻るとランナーの万丈二郎が背中を叩いて祝福してくれたが、どうにも納得がいかない。自分が打ったのはしょせん最低限の当たりで、状況が状況だったから得点が入ったものの、こんなものじゃダメだ。教えてもらったことを生かせていない。
「ほら、プロ初打点だぞ初打点!もっと喜べよ!」
「…いえ、そうもいきません。次こそ必ず打ちます」
不思議そうにしている二郎を差し置いて、頭の中で反省とシミュレーションを重ねる。次に打席に立つときは、もっといい結果を残せるように。
◇
8回の表からそのまま守備に入ったが、打球が飛んでくることはなかった。強いて言うなら、ファールボールが飛んできたくらいだ。9回になってもボールが飛んでくることはなく、俺に守備をさせないつもりなのかと疑ったほどだ。
8回表はセットアッパーの
9回の裏。オリオールズベンチは直球と鋭く曲がるカーブのコンビネーションがウリの若手リリーバー・福田を投入した。万丈二郎と七海はカーブにバットが回り、二者連続三振であっさりと2死まで追い込まれた。
そして次の打席には俺。その初球、わずかに高く浮いたカーブを叩いた。打球はポール際へと吸い込まれて消えた。審判が両手を横に広げる。ファール、ファールだ。甘く入った球だっただけに、今のは仕留めたかった。
二球目は力んだのかボールがワンバウンドしてボールとなる。これでカウントは1-1のイーブンだ。三球目、今度は完全な失投。高く浮いたストレートをフルスイングする。打球は伸びて伸びて…ライトフェンス上部へと直撃した。その間に一塁ベースを蹴って一気に二塁まで到達する。
(今の、ここじゃなけりゃ入ってたな)
心の中で愚痴をこぼす。今のが入っていたら、ヒーローは確実だったのに。ともあれ、ヒットはヒット。それもプロ初安打だ。ベンチが打ったボールを回収しているのがかすかに見えた。何となくだが、ようやくプロの舞台に立てたような、そんな気がした。
二塁ベースから次の打者を確認する。打順で言えば次は九重の打席だが…ネクストバッターサークルで準備をしているのは四谷だ。そう気づいたときに、丁度アナウンスが流れ始めた。
『選手交代のお知らせをします。九重に代わってバッターは四谷、背番号4、四谷将大』
ワッと球場内に歓声と拍手が響く。それで気づいた。ファンの人々も彼が戻ってくるのをずっと心待ちにしていたのだ。その熱気は肌にピリピリと伝わるほどだった。一打が出ればサヨナラという場面で、オリオールズの外野陣は前進している。浅い当たりなら帰さない構えだ。
四谷が放っている雰囲気は二軍で見たものとは全く別のものだった。張り詰めた空気の中で、一人だけ別の空間にいるような、そんな感じ。その初球、低めに制球されたスライダーを捉えた。打球はショートの頭を超えて、レフト、センターの間に落ちる。
打球には目もくれず、打った瞬間にスタートを切っていた俺は三塁コーチャーの指示を仰ぐ。回した、回した!三塁ベースを踏みぬいてさらに加速していく。足を前へ、手を前へ。呼吸をするのも忘れて一目散にホームへと駆け抜ける。間に合え、間に合え。ここで間に合わなきゃ何より男じゃねぇ!!
世界がスローモーションで回っていく。キャッチャーがホームベースの位置から少しずれているのが確認できた。ボールが頭の上をかすめるような感覚。それと同時にホームベースへと手を伸ばす。審判が両手を広げた。
「セーフ!セ――フ!」
そして世界はいつも通りの速さを取り戻した。ベース上で寝転ぶようにして、ようやく深呼吸をする。一塁ベースを見れば、四谷がチームメイトから手荒い祝福を受けていた。とっさに一塁へと駆け寄ると、四谷はもみくちゃにされながらも拳を伸ばした。
呼応するようにこちらも拳を突き合わせる。何か熱い抱擁があるわけでも、激しいハイタッチを交わすわけでもない。けれども二人の間には、もうそれだけで十分だった。
◇
『放送席、放送席。ヒーローインタビューの時間です!!本日のヒーローは二人!プロ初安打初打点の一原選手と、サヨナラタイムリーを放った四谷選手です!』
そう来たか、と思いながらグラウンドへと走り出す。てっきりサヨナラタイムリーを打った四谷と投手の誰かが選ばれるものだと思っていたが、まさか自分が選ばれるとは。照明と記者のたくフラッシュが重なって眩しい。
『まずは一原選手。8回の犠牲フライ、どんな気持ちで打席に入りましたか?』
「ええ、まぁとにかくランナーを返す事を一番に考えていました。内野は前進守備でしたし、とにかく外野へ飛ばそうと」
『次に9回のツーベース。打った時どんな感触でしたか?』
「とにかく一本をと思っていたのでいい感触でした。欲を言えば、ホームランになってほしかったですけどね」
球場内に笑いが巻き起こる。初めてのヒーローインタビューにしては中々上出来なのではないだろうか。
『そして四谷選手。さすがの一打でした』
「初球から積極的にいこうという気持ちで打席に入ったので。いい結果に繋がってよかったです」
『ありがとうございます。それでは最後に四谷選手、一言お願いします』
「はい。一時期怪我の影響で苦しい時期もありましたが、ここまで戻ってこれたのはファンの皆様、そして自分をここまで押し上げてくれた人達のおかげです。本当にありがとうございます」
そういって四谷は深く頭を下げた。盛大な拍手が球場を包み込んでいく。自惚れでなければ、押し上げた人達という中に、自分も入ってるのかもしれない。
「これからもチームが勝てるよう努力していきますので、応援よろしくお願いします」
『ありがとうございました。以上、ヒーローインタビューでした!』
ファンに向けて頭を下げて振り返ると、そこにはバケツを持った二葉がいた。気づくと同時に水を頭からぶっかけられる。四谷も同じように、九重から洗礼を食らっていた。俺たちは二人、びしょびしょになったお互いの姿を見て、笑みをこぼした。
選手名鑑④
四谷 将大
勝負強いバッティングでチームを救うベテラン内野手。
昨シーズンはキャリアワーストの出場数にとどまったが、ここから再起を図る。
好物は焼肉。