「はい、じゃあチームの勝利を祝して、かんぱーい!!」
野木の音頭のもと、4つのグラスが音を立てて重なった。祝勝会に集まったのは俺に野木、九重、そして四谷。俺と四谷は試合後そのまま帰ろうとしていたが、野木の『祝勝会なのにヒーローがいなきゃ話にならないだろ』との一声で強制連行された。もっとも、四谷は焼き肉だと聞いた途端素直についてきたが。
「よし、何から頼む?今日は俺のおごりだからジャンジャン食えよ!」
「じゃあ俺は牛タンとハラミ、あとご飯で」
「俺は野菜セットでお願いします」
「おいおい、最初から野菜かよ一原。遠慮しなくていいんだぞ」
「いや、野菜が好きなんです」
「あ、そう。で、四谷は?」
「…今はまだ考えてるところなんで後で頼みます」
天才とは孤高にして孤独である。それは焼肉においても同様だった。話すようになって分かったことだがこの男、三十にしてピーマンを食べられないくらいには幼稚である。その証拠にさっきから肉のページしか開いていない。あまりの様子に見かねた俺は、助け舟を出してやることにした。
「ほら、四谷さん。この肉詰め合わせセットとかどうですか。食べられない分は俺たちがもらいますんで。だから俺が食えない野菜の分も食べるの手伝ってくださいよ」
「…なるほど。考えたな」
何格好つけてんだこいつ、そんな決め顔したってアンタが野菜を食えないのはダサいままだぞ。この人はこれが素なのだ。野球を除けば純度100%の天然、それが四谷将大という人間である。
「それほどでも」
そんな俺たちの光景を見て何を思ったのか、野木の頬には一筋の涙が伝っていた。突然の涙に目を丸くする。
「えっ何ですか、何かしましたか俺ら」
「泣いてない、これは煙が目に沁みただけだ」
「大丈夫ですか」
「いやぁ、冗談冗談。何だか感慨深くてな」
「………?」
「
「…そんなことはないですよ」
当事者は黙ってろ。とはいえ、なぜか簡単に想像できてしまう自分が嫌だ。四谷のことだ、コミュニケーションエラーを起こすのは日常茶飯事だったのだろう。と、想像していると頼んでいたものがちらほらと届き始めた。九重がそれを素早く鉄網の上に乗せ始める。
「何だかお前ら二人が仲良くしてるの見て安心したわ。一原、お前を四谷係に任命しよう」
「何ですかそれ、聞く前から既に嫌なんですけど」
「四谷の意図を訳して他の人との衝突を避ける係。ちなみに前任は俺な」
「普通に嫌です」
「そんな事言わずにさぁ~」
「ほらほら二人とも、焼けてきましたよ」
二人の会話に割り込んで九重がバランスよく焼けた肉や野菜をそれぞれに分けていく。雛に餌をあげる親鳥、という表現がふと頭に思い浮かんだ。
「さっすが九重、肉を焼くのは一流だな」
九重が鼻高々に笑みを浮かべながらトングをカシャカシャと動かす。
「まぁ周りを見る能力はキャッチャーで培ったんで?このくらい余裕ですぜ」
揃って肉に食らいつく。勝利の後で食べる肉は、やはり格別だった。
「ほら、四谷さん皿出して。野菜あげますよ」
「いらん」
「さっき食べるっていったでしょう」
「考えたな、とは言ったが食べるなんて一言も言ってない」
「子供ですかアンタ!いや子供でもまだまともな屁理屈こねるわ!」
鉄の箸での熱いつばぜり合いが始まる。やっぱりこの人の世話は無理だ、というか絶対にしたくない。
「はは、やっぱお前らお似合いだよ」
「「うるせぇ!!」」
「えぇ…まさか四谷にまで大声でののしられるとは。俺一応お前の元世話係だぞ」
久しぶりに大声出す場面がこんなのでいいのか四谷。さっき打った時の感動返せよ。
◇
中途半端に残ったコークハイはすでに炭酸が抜けかけていた。九重の見事な焼き加減とトング捌きっぷりにプロ野球選手4人の食欲も重なって、あっという間に空になった皿が山のように重なっていく。全員かなりの量を食べたため、箸はほとんど動かない。ほとんど喋るだけの席に移行していく中、トウモロコシを鉄網に乗せながら九重がいきなり爆弾を投下した。
「それにしても、一原がいきなりヒットを打つとはねぇ。こりゃあ野木さんも焦るんじゃないですか?」
その言葉で空気に亀裂が走った。平然としているのは四谷だけで、彼は肉を食べることに没頭している。こんな時でもマイペースでいられるところは尊敬するが、そうなりたいとは流石に思わない。九重は「俺、なんかまずいことでも言っちゃいました?」という顔をしている。いや本当にその通りだよ。祝いの席で急に変なことを言うんじゃないよ。重苦しい空気が辺りを漂う中、野木が口を開いた。
「そりゃあ驚きはするけど、俺は負担が減るなら願ったり叶ったりだよ。戦力が増えるっていうのはチームとして嬉しい悩みだし」
そんな事より、と今度は野木が反撃に出た。
「お前こそ危ういんじゃないか。第三捕手で力を付けてきてる安藤に、打撃が今好調な五島だっている。守備力だけでポジションを守れるほど、キャッチャーってポジションは甘くないだろ」
「はは、参りましたね。それを言われちゃこっちは言い返せないですわ」
九重が照れたように頭を掻く。確かに、九重の打率は2割台前半で、五島は2割8分台を記録している。本塁打の数を取っても二人には大きな差があった。それでも九重の余裕は崩れていない様に見える。慢心とは違う、確信めいているような何かがあるのだろう。裏に何かを隠したような胡散臭いその笑みに、どこか漆原と重なるものを感じた。
「ま、でも俺もぼちぼち死ぬ気でやっていかないとまずいかもなぁ」
誰に向けたわけでもない九重の言葉に答える者はだれもおらず、鉄網から立ち込める煙の中に溶けていった。
◇
一原と四谷が一軍に帯同するようになってから、徐々にだがチーム状況は良くなりつつあった。チームは首位を快走するホワイトソックスと8ゲーム差で離れた4位。それでも3位の千葉マリナーズとは2.5ゲーム差まで詰めている。
四谷は代打の切り札から一気に首脳陣の信頼を勝ち取り、ファーストや指名打者での出場を増やしていった。ここまでの打撃成績は打率.316、本塁打1本、打点16。クリーンアップにしては本塁打が少ないが、得点圏での打率はチームでも屈指の高さなので最近は4番に据えることが多い。
一原は代打での出場が基本的に多いが、野木が休みの時の二番手としての地位を確立している。ここまでの打率は.272、本塁打2本、打点7。野手転向一年目ということを鑑みても成績は順調だ。これからはスタメンでの出場も増やしていく予定で、野木と正三塁手の座を奪い合うことになるだろう。
打撃陣が順調に成績を伸ばしているベアーズだったが、一方で漆原を悩ませる大きな問題があった。絶対的な抑え投手、つまりは守護神の不在である。シーズンが始まってからというものの、ベアーズにはクローザーというものがいなかった。
抑え候補だった新外国人投手のフレッチャーは開幕3戦目で打球が足に直撃して以来、登録を抹消されている。守護神はチームの勝利を決定づけるとともにその勝敗の責任を一身に背負う立場である。それだけにかかるプレッシャーは多大なものだ。現状は日替わりでクローザーを決めているが、やはりというべきか救援失敗のケースも多い。
(どうするべきか…十文字やハンドはセットアッパーとして定着しているし動かしたくない。となれば他の投手だが、五十村はコントロールも良くないし被弾も多い。何より本人は先発希望だ。細田は左打者相手だと極端に弱い。…はぁ、どこかにコントロールがあって決め球も持っている投手がいないものか)
そう考えたところで、漆原は一つの結論に思い至った。その条件に思い当たる投手が、二軍に一人だけいる。経験で言えばまだ浅いし、ムラも大きい。だが彼が守護神に定着することができればチームにとってこれ以上ないカンフル剤となるに違いない。
漆原光彦にとって、挑戦とギャンブルはほぼほぼ同義といってもよい。前進することとはすなわち賭けに出ることであり、挑戦した先にこそ結果がついてくるということを信じてやまなかった。そうと決まれば善は急げだ。漆原は急いで投手コーチへと電話をかけた。
◇
今日から始まる交流戦に向け、選手達は甲子園で練習に励んでいた。相手は兵庫パンサーズ。昔から人気のある古豪で、今でもその人気は12球団の中でも熱心なファンが多いことで有名である。
そして俺にとって甲子園は、高校時代に出場してからめっきり訪れていない球場だった。久しぶりに訪れる高校球児の聖地に有り余る興奮を抑えきれず、あたりをぐるぐると見渡す。ほかの球場では見られない黒土に、綺麗に整えられた芝はまさしく野球の聖地といったところだろう。
「よっ、一原」
興奮冷めやらぬうちに、次の衝撃がやってきた。
「
千石は顎に整えられたひげをたくわえている。きっちり整えられた眉に大きな瞳をした彼は確かにイケメンの類に入るだろうけど、腹が立つからそれは絶対に言わない。面識があるのは高校以来だから、その後何があったのかは知らない。けれども中身が変わってないことは顔を見ればすぐに分かった。
「どう?やっぱ似合ってる?いや~色男は何やってイケメンだからな~」
「うっぜぇ…」
「おいおい、知り合いか一原?」
驚きで固まっていると、横から二葉が話に割り込んできた。
「こいつは
「ども~♪」
千石が軽く頭を下げる。軽薄なのは相変わらずだ。
「高校時代は右の一原・左の千石なんて言われましたけど、俺からすればこんなナルシストと一緒くたにされるのは心外ですよ」
「酷いこと言うなよ。俺たちマブダチだろ~?」
「そんな事は言った覚えがない。しかしまたこいつと野球をすることになるとは…先が思いやられる」
「本当は嬉しいんだろぉ~?」
「ええい、寄るな気持ち悪い!」
絡んできた千石を両手で払いのける。俺はこいつのこういう所が昔っから嫌いだ。飄々としながらパーソナルスペースにずかずかと入り込んでくる。遠慮というものがこいつの辞書には存在していないらしい。ほら、二葉をみろ。お前のペースに追い付けず呆然としているじゃないか。
「あ、そうだ。何なら投球練習見て行けよ」
千石は思いつくままに話をころころと転換していく。頼むからもう少し脈絡のある会話をしてくれ。
「やだよ面倒くさい」
「そんな事言っちゃって。お前、投手辞めたんだってな。俺の投球見たら投手復帰のヒントになるかもよ?」
やっぱりこいつは嫌いだ。何の気なしに急に核心を突いてくる。
「…いい。俺は野手一本でやるって決めたんだ」
「へぇー、そっか。でもまぁ見に来てくれよ。どうせ暇だろうからさ」
「余計なお世話だ」
吐き捨てるように言ったその言葉を聞いたのか聞いていないのか、千石はじゃあまた後で、と言って去っていった。
「…なんというか、嵐みたいなやつだったな」
「昔からあんな感じですよ。まったく人の気持ちも知らないで」
「で、見に行くのか?」
「さぁ、どうでしょう」
二葉にははぐらかしたまま会話を終えたが、その後どうするかで頭を抱えさせられた。あいつの事を見に行くのは癪に障るが、この後の時間は空いている。誠に面倒くさいが、見に行かなかったらそれはそれで千石がいじけて後々厄介な事になるのが察せられるので、仕方なく千石の投球練習を見に行くことにした。流石に俺の方がオトナだからな、今回は譲ってやるよ。…はぁ、本当、誰に言い訳してんだろ俺。
◇
時計の針が3時をさす頃、バナナを片手に装備した俺は、ブルペンから少し離れて投球練習を眺めていた。今投げているのは今日先発予定の京極に、リリーフの五十村。そして自分から一番近いところにお目当ての人物がいた。
「次、ストレート行きまーす」
相変わらず間の伸びた話し方で千石が球種を予告する。両手を大きく上に掲げ、投球モーションに入る。胸を大きく張って、溜めた力を爆発させるように腕をしならせる。そうして投じられたボールは、キャッチャーミットへ気持ちの良い音を立てて突き刺さった。188㎝というプロでもそれなりにある身長から投げ降ろされたボールには角度があって打ちずらそうだ。
「次ー、チェンジアップ」
間を置かずに次の球を宣告する。今度も同じように大きく両手を掲げるフォームから放たれたボールは打者の手元で沈むように変化してミットに収まった。ほとんど変わらないフォームからブレーキの利いたタイミングをずらす良い球だ。元投手としては感嘆せずにはいられず思わずおぉ、と声を上げる。それに気づいた千石がこちらに視線を向けると、もの凄い速度でこちらに近づいてきた。
「よぉ相棒、オレのピッチングはどうだい」
「誰が相棒にまで昇格したよ。…まぁ、悪くないんじゃねーの」
「一原ならそう言ってくれると思ってたぜー」
「でもお前、あの球はまだ一球も投げてないだろ」
そう言うと千石は少し考えるようにボールを見たが、すぐ向き直った。
「見たいってんなら一球だけ投げてやるよ」
千石はそう残してマウンドへと戻っていく。そうして戻った彼は、次の球種を告げた。
「次、フォーク」
そう言って投げられた球は不規則に大きく横揺れしながらキャッチャーの目の前で急速に落ちてワンバウンドする。ボールはキャッチャーミットには収まらず、捕手の股を抜いて後ろへと転がっていった。投手だった頃の俺と千石の間にあった絶対的な違い。それは
「ほら、な?」
彼が何を言いたいのかは分からなかったが、このボールにどこか納得していないような感じである事だけは分かった。
◇
大きな鳴り物の音が球場全体を大きく包み込んでいる。試合は一点差の九回裏の守備を迎えていた。俺は代打として出場し、今日の役目をすでに終えてベンチで応援に徹していた。漆原が審判に選手交代を告げる。最近流行りの音楽に合わせてリリーフカーに乗りながら登場したのは千石だ。リリーフカーを降りて、マウンドで土をならしながら五島の構えるキャッチャーミットへ淡々と球を投じていく。
『九番・野見山に変わりまして代打、熊本。背番号、66』
投手に変わって打席に入ったのは俊足巧打で絶賛売り出し中の若手、熊本だ。投球練習を終えた千石をにらむようにして左のバッターボックスに入った。初球・二球目はまっすぐを投じて連続ファール、これで一気に追い込んだ。球速は152キロを記録している。どうやら調子は良いらしい。そして三球目、長い間をとって投げられた球は熊本のバットから大きく離れて空振りを取った。
しかし、ここからが問題だった。五島がボールを大きく後ろに逸らしたのである。振り逃げだ。五島が急いでボールを取りに行くも、取ったころにはすでに一塁に到達していた。
『一番・センター、遠野。背番号5』
続けざまに一番打者の遠野が左打席に入る。その初球、鋭く落ちたフォークはまたも捕手の股下を掠めて転がっていく。五島が握りなおした時にはランナーが俊足を飛ばして二塁に進んでいた。大きく沸く歓声の中で、たまらず五島と千石を中心とした輪が作られる。千石はグラブで口元を隠しながらも、何度も首を縦に振るそぶりをみせた。
しかし、この一球以降千石がフォークのサインに応じる事はなく―――。直球とチェンジアップだけで何とか2アウトまでこぎつけたものの、フォアボールとヒットから満塁のピンチを招く。そして五番打者の小森にストレートを捉えられ、打球は右中間を真っ二つに破る。一人目、そして二人目のランナーが生還した。
球場内に響く歓声と太鼓の音。打球が飛んで行った先を一点に見つめる千石。その背中は、いつもよりずっと小さく見えた。
選手名鑑⑤ 五島遙太
高いバッティング能力が武器の若手捕手。右投げ左打ち。
高校時代にはその甘いルックスで「甲子園の貴公子」と呼ばれ一時期話題になったが、本人はその二つ名を気に入っていない様子。
昨季はプロ初の二桁本塁打を達成し、今シーズンの飛躍に期待がかかる。好物はドライフルーツ。