「お前ら、恥ずかしくないのかよッ!」
俺は、痛む体に鞭打って叫んだ。相手は5人、こちらは1人。常に女の子に間違えられるほどに華奢な俺の体では、流石に5人相手では真っ向からの喧嘩では勝ち目は薄い。しかし、たとえ勝機がなくとも、戦わねばならない時というのは存在する。
「寄ってたかって女の子1人をいじめるのがそんなに楽しいか⁉︎それでも男か卑怯者ッ!」
何度言ったか分からないセリフ。それに対する答えはいつも同じ。
「うるさいカス」
「いいんだよ、『あばずれの子』なんだから」
「先生だって止めないし」
「1人だけ正義ズラして楽しいですかぁ?」
笑いながら、彼らは暴力を振るう。———正直に言えば、怖いし痛い。一方的に殴られ、蹴られ、嬲られる。惨めさと悔しさで涙が滲み、どうにもできない現状に頭がどうにかなってしまいそうだった。
———でも、それは彼女も同じだ。
だって、郡千景は女の子だ。味方はおらず、ずっと虐げられてきた女の子。その子が耐えているというのに、一応は男である俺が耐えられなくてどうするのか。
俺にできるのは、訴えることだけだ。たとえ誰にも聞いてもらえなくとも、いじめの矛先を誘導する事くらいはできるはず。『うるさくてムカつくし、こいつを先に潰しちまうか』くらいに思ってもらえれば上出来だ。
そうでなくとも、リソースが俺に向く分、彼女に向かういじめは多少は減るはずだ。
———その様子を、郡千景は震えながら陰から見ていた。
(どうして、そこまで……)
一体どうして、翼はそこまでしてくれるのか。
転校してきたという話は聞いた。だから、2ヶ月前の時点では千景の置かれている状況を理解していなかったのだと。
でも今は知っているはずだ。この村では郡家は虐げられる対象で、庇う者などいない事を。こうして陰で守ってくれようとしたところで、味方が増えるわけでもない。ただ、翼が辛い思いをするだけだ。
———だから、やめさせないといけない。そう思っても、千景は身動きができない。
怖かった。暴力を受けている翼を庇う為に飛び出す事が。
怖かった。『もうこんな事はやめて』と、翼に言う事が。
怖くて勇気が出なくて、千景はただ立ち尽くすだけ。
いつもそうだ。翼に初めてお礼を言ったのが3週間前。それから少しずつ翼と話すようになり、時々一緒に下校するようになっても……肝心な事は何も話せない。
どうしてそこまで千景の為に尽くしてくれるのか。どうして集団のいじめっ子達相手に、臆する事なく立ち向かえるのか。
『こんな事はやめてほしい』と、心のどこかでは思っている。でも、それで本当にやめてしまったら?……また千景は一人ぼっちになって、誰も味方のいない生活に戻ってしまうのではないか?そんな恐怖が、千景の心を支配している。
———たとえいじめられている事に変わりがないのだとしても、確かに翼の行いは千景を支えていて。
千景は自分でも自覚のないままに、少しずつ翼に依存し始めていた。
7月になった。先月下旬にプール開きが行われ、今日が初めての水泳の授業。
しかし残念ながら、俺は見学だ。持ってきた水着を燃やされてしまったのである。もっとも、プールに入ったら怪我が痛むので、好都合ではあった。
隣のクラスと合同の授業なので、いつもより人数が多い。そして隣には見知った顔もあった。
「そっか、隣のクラスだったんだ。話相手がいるのは嬉しいよ」
「……そうね」
隣には郡千景。3ヶ月前と比べて、随分と心を開いてくれるようになった少女。彼女もまた、水着を隠すか燃やされるかしたのだろうか?……正直なところ、この『萌え』の体現者たる郡千景神の水着姿を拝みたいという下心がないわけでもなかったが、口には出さない。ドン引きされるのが関の山だ。何より、異性からそんな事を言われるなど、気持ち悪くて仕方がないだろう。
水泳の授業が始まる。準備体操をした後に、全員並んでシャワーを浴び、そのまま消毒槽へ。その様子を眺めながら、『なんかの食品の加工過程みたいだな』なんて思った。なんとなくの想像だけど。
しかし、どうにもつまらない。『見学』なんて言うが、水泳の授業を遠くから見て何を学べと言うのか。かつて水泳のクラブに入って学んでいた身としては、『水泳は見るより実際に身体を動かした方が良い』という感想を抱いてしまう。遠目から眺めていても、せいぜい『あいつフォーム雑だな』くらいの感想しか抱けない。
なので、暇つぶしにでもと思い、隣を見る。……こちらを見ていた彼女と、目があった。
「………」
「………」
どうにも、気まずい。
思えば、『話相手がいるのは嬉しい』なんて言っておきながら、何一つ会話していなかった。そりゃどうすればいいか分からずに見つめるしかないだろう。彼女は自分から話を切り出すような性格ではないだろうから、俺が話題を提供しなければ。
とはいえ、何を話せば良いのだろう。
よくよく考えれば、彼女———郡千景との接点は『いじめ』しかない。なんともネガティブな関係だろうとも思うが、事実だ。『昨日はどんな嫌がらせに遭ったか』なんて話題にしても、不幸自慢にしかならない。最悪、地雷を踏んで終わりだ。
下校時に一緒に帰る時も、話題にするのは精々が『こんな嫌がらせをされたらこうやって対処すれば良いよ』なんて役に立つかどうかも分からないアドバイスじみた事ばかりで、世間話はあまりしなかった……ように思う。
そんな、勉強以外には大して役に立った事のない頭を必死に回していると、意外な事に彼女の方から声を掛けられた。
「どうして、そんなに優しくしてくれるの?」
水泳の授業の見学。それは千景にとって、毎年恒例の事だった。
水着を盗まれる、という嫌がらせは毎年のようにあった。しかし、見学の常連となった決定打は、授業中に同級生にプールで溺れさせられた事だった。
おそらくは、いつものようないじめの延長線にあるものだったのだろう。複数の女子が、泳いでいる途中で千景の手足を掴み、身動きを取れなくしたのだ。当然の事ながら千景はうまく浮く事が出来ずに溺れ、救急車がやってくる騒ぎになった。
———息が出来ずに水を飲み、死が迫ってくる恐怖。それはきっと、あの女子達には理解できないだろう。
教師も流石にまずいと思ったのか、千景だけは水泳の授業を見学する事を認めてくれた。もっとも、溺れる原因となった女子達には大して罰は与えられず、「郡さんは危ないから見学でもしていなさい」と叱られるだけだったのだが。
その事件以降、水泳の授業は千景にとって退屈な時間となった。見学者は基本的にはおらず、いたとしても教師にバレないようにこっそりと嫌がらせをしてくるだけだ。
———だから、最近仲の良い翼が見学で、千景は救われた。
翼は『話相手がいるのは嬉しい』と言った。だから何か話しかけてくるのだと思っていたのだが——当の翼は、ぼんやりと授業を眺めるのみ。しかしその横顔に、千景は見惚れた。
(……よく見たら、すごい美人なのね)
青みがかった、紫にも見える髪。傷付いてはいるが、きめ細かい白い肌。睫毛は長く、琥珀色の瞳はまるで宝石のようだ。
———うまく立ち回れば何もかもうまく言っていたでしょうに。
そんな感想を、千景は抱いた。
できたはずだ。千景のいじめを見逃して、うまく男子達に取り入り、クラスや学校で居場所を作るくらい。それほどの魅力を、翼は持っている。男子達を虜にして、派閥まがいのグループを作る事だってできたかもしれない。
———その美貌に傷を作ってまで、どうして助けてくれるのか。
そんな疑問が心の中ではっきりと形を得た瞬間、翼の琥珀色の瞳と目が合い——心臓が一瞬、不自然な高鳴りをした。
それに意識を払う事なく、千景の口は疑問を紡ぐ。
「どうして、そんなに優しくしてくれるの?」
———どうして、か。
それは俺も気になっていた。『どうして俺は、この女の子にここまで入れ込むのだろう』、と。
いじめを許せない、という理由も確かにある。しかし、だったらもっと穏便に済ませる方法もあったはずだ。例えば、仲の良い友達を先に作って、ある程度頼みを聞いてくれる仲間を作ってからいじめをやめさせる風潮を作っていく、とか。時間は掛かるかもしれないが、長期的に見れば、その方がリスクも少なくて済むだろう。なのにいじめを見逃せず、俺は直情的な行動に出た。———それはなぜか。
自問しながら、俺は千景の瞳を見る。———俺よりも色の濃い、透き通った瞳。初めて見た時の昏さは既にない。
ふと、彼女の顔を見ていると、心臓がいつもと違う鼓動をしている事に気づく。思えば、なんだか頰も熱くなっていた。
(…ああ、そうか)
そこで、気づいてしまった。出会った時の、雷に打たれたかのような衝撃。そして、彼女に対するいじめを見逃していた自分に対する憤りの、本当の理由を。
———俺は彼女に一目惚れをしていた。
どうにかして彼女を笑顔にしたくて、その瞳の曇りを晴らしたくて、俺はあんな行動に出ていたのかもしれない。だから俺は、自分の痛みも顧みずに頑張る事ができたのだ。
だったら、それを伝えないと。せっかく心を開き始めているのに、ここで変に誤魔化して疑念を抱かれたらたまったものではない。
———愚かにも俺は、この時は本心を伝える事こそが誠実さなのだと思っていた。
だから後先考えず、こんな言葉を吐いてしまったのだ。
「君が好きだから。だから俺は、頑張る事ができるんだ」
後の事など考えない、ムードもへったくれもないさりげない告白。よりにもよって、水泳の授業中の、プールサイドで。周囲にその告白を聞いた者がいない事だけが、唯一の救いか。
だが、翼のそれは愚行だった。
(…好き?誰が誰を?神崎さんが、私を?)
千景は混乱した。そして、自分の心臓が不自然な程に高鳴っている事に気づく。顔は火照り、思考はまるで熱に浮かされたようだった。
今までの情景が目に浮かぶ。暴力を受けながらも何かを必死に訴える翼。千景を囲む女子達に割って入り、逃がしてくれるその姿。それを思い返す度に、千景の胸に切ない痛みが走る———。
少女の思考は、暴走する。
(こんな無価値な私に、好きだって言ってくれる……)
(こんな私のために、傷だらけになっても頑張ってくれる……)
翼が転校してくる前の情景がフラッシュバックする。
鋏を持って迫る女子。髪と共に切られた耳。階段から突き落とされた時の浮遊感とその恐怖。転がり落ちた後の身体中の痛み。
———ふと、ここで「告白を断ったらどうなるのだろう」と考え……絶望する。
(神崎さんが、いなくなる?そしたら私はまた一人ぼっち……)
(……それは嫌。絶対に嫌)
(何がなんでも、離さない……)
(私も好き。神崎さんが一番大好き)
(そうすればきっと大丈夫。私はずっと、ずっと一緒に……)
千景は告白の返事をした。『付き合って下さい』とは、一言も言われていないのに。相手の性別すらも勘違いしたまま、自分の感情が恋心なのだと錯覚したままに。
「はい、私も…好き。よろしくお願いします」
完全に依存心に支配されたまま、翼と千景の関係は一変した。