ブラックコーヒーを飲みながら投稿、です。
夏休み。それは、子供ならば誰しもが楽しむ長期休暇。ある者は夏祭りに出かけ、ある者はプールでの水泳や海水浴を楽しみ、ある者は花火を愛でる。虫捕りや釣りに精を出したり、普段はできないような趣味に没頭する者もいるだろう。
———しかし、俺と千景は。
「……また負けた」
「これで5連勝。また私の言う事を何でも聞いてね、翼君」
冷房の掛かった部屋で、格闘ゲームをしていた。
夏休み最初の5日間は顔を合わせなかった俺と千景だが、『流石にまずいな』と感じた俺は、千景の自宅へと赴き——土下座して謝った。幸いと言うべきか、千景も俺の謝罪を受け入れ(むしろ千景の方からも謝られた)、これまでと同様の交際を続けている。
ずっと楽しみにしていた夏休み。なるほど確かに悪くない。千景が村八分にされている以上、流石に村で行われている夏祭り等には参加できないが、部屋でもできる事はある。ゲームとかゲームとか、ゲームとか。
しかし、いざ千景と対戦してみると全く勝てない。特に格闘ゲーム。キャラクターがどんな動きをして、どのタイミングで攻撃や防御をすべきか分からないのだ。おかげでテンパってしまい、大抵の場合は一方的にやられて負ける。それに……
(なんかむっちゃ良い匂いがするんですけど)
普段よりも距離が近いからか、彼女の方から良い匂いが漂ってくるのだ。そのせいであまり集中できない。使っているシャンプーやらボディソープの香りか、はたまた女性の甘い香りの源泉とも言われるラクトンなる物質のせいか。もしも後者なら、俺は千景から分泌された成分を多量に摂取している事になる。こんな幸せがあって良いのだろうか、なんか興奮してきた。
しかしそんな俺の内心を悟ったのかそうでないのか。千景は俺に、こんな残酷な指令を出した。
「これに着替えて」
彼女が取り出したのは一枚の女子用のスク水。よく見ると胸元には『つばさ』と書かれている。
「ん?」
「これに着替えて」
なんという事でしょう。どうやら聞き間違いではないらしい。一応は男である俺に対し、なんて事を言うのだこの子は。
「……ここで?」
「そう、今私の目の前で」
まさかの処刑宣言である。好きな子の目の前で、スク水に着替えろという命令。単純な女装ではなく、スク水。つまり千景神は、見られながらパンツまで脱げと仰せなのか。
落ち着け俺。そう、何も恥ずかしい事なんてない。小学生にはまだ早いだろうが、世の恋人達は裸を見せ合い、さらにもっと恥ずかしい事も平気でしているという。だから別に問題ないのだ。親もいないし。
顔を真っ赤にしながら、しぶしぶとTシャツを脱ぎ始める俺。途中で「翼君かわいい」と言いながら、千景がスマホで写真を撮る。まじか、まさか撮影もするのか。
「……ごめんなさい。調子に乗りすぎたわ」
パンツに手を掛けたところで、顔を赤くしながら千景は背を向けた。どうやら異性の大事なところを目にする勇気はまだなかったらしい。顔を赤くする千景に愛おしさを感じつつ、これ幸いにと俺は手早く着替えた。
———悔しいことに、違和感がまるでない。突っ張るとかキツイ部分があるという事もなかった。まるで自分の性別を否定されている気分だ。
「…着替え終わったよ」
俺がそう言うや否や、パッと振りかえる千景。頬を赤くし、何やらうっとりした表情でこう言った。
「やっぱりかわいい……」
「ちかちゃんの方が可愛いのですがそれは」
しかし悲しいかな、俺の言葉は届かない。千景は一心不乱にスマホのカメラをパシャパシャ言わせている。やがて様々な角度を撮り終えて満足したのか、彼女は「ふぅ」と溜息を吐き……唐突に俺に抱きついた。
「やっぱり、安心する……」
そう言いながら、俺の胸に耳を当てる千景。その様子は、昔の姉にそっくりだった。
『翼さんの心臓の音は、安心しますね』
そう言って、姉はいつも寝起きの俺の胸元に顔を預けていた。その様子を思い出してしまったせいか、千景とこのまま密着していたいという欲求に駆られる。……そうしないと、彼女までもが居なくなってしまう気がして。
「…ふふっ」
千景を抱き締めると、彼女は嬉しそうに笑った。ただ、よく見ると足が震えている。俺と千景の身長はだいたい同じなので、俺の胸元に頭を預けるには膝を少し曲げるしかない。彼女に負担をかけるのは本意ではないので、抱き合ったままベッドに倒れ込む。万が一にでも怪我をさせないよう、俺が下敷きになった。
「…あたたかい」
「確かに」
冷房が少し効き過ぎたのか、暑かったはずの部屋は今は少し肌寒い。しかしこうして密着していると、人肌の温もりがとても心地よかった。
そして何より、柔らかい。小学生なので発育はあまりしていないが、確かに女の子だとその体が主張している。この柔らかい身体を痛めつけようとする馬鹿共の考えが、俺には理解できない。
守らなければ、と思う。この庇護欲をそそる女の子は、報われなければならない。
「…ねえ、翼君。髪結んで」
「はい」
だから、俺はこの守るべき女の子の望みを叶えるべく、渡されたヘアゴムで自分の長い髪を纏めた。髪型はいわゆるポニーテール。撮影したい千景のために、俺は立ち上がってポーズをとる。
「これを持って」
浮き輪、ビート板、ビーチボール。次々と渡されるグッズを持ち、大人しく撮影される。実を言うと、俺は俺なりに自分の容姿に自信を持っている。だから写真を撮られることに抵抗はない。
「じゃあ、今度はこっちにきて」
今度は何をするのだろうか。言われるままに手を引かれ、そのままぽすんとベッドに倒れ込む。奇しくも先ほどとは真逆。俺が千景を押し倒しているような形になった。小学生にしては大人っぽい、千景の妖艶な笑み。なんだかいけない事をしているような気分になるが、口には出さない。
「ふふ」
楽しそうに千景が笑う。なるほど、俺を好き勝手にいじくり回したいようだ。……良いだろう、いくらでもおもちゃになってやるとも。
彼女の両手が俺の両頬に添えられる。慈しむような優しい手つき。そのまま彼女は俺の頭を抱え込み、そのまま抱き締めるようにして千景の胸に押し当てた。
「…んっ」
微かに漏れる、千景の艶かしい吐息。俺の左耳は彼女の左胸に押し当てられ、薄くとも確かに存在する膨らみの柔らかい感触を実感する。よほど恥ずかしいのだろう。ドクンドクンと忙しく働く心臓の鼓動が左耳から聞こえてきた。
———そして俺も余裕がない。頬が熱くなっていくのが分かる。彼女の心臓に負けないくらい俺の心拍数は上昇する。
恥ずかしさとよく分からないむず痒さ、そして多幸感で心が満たされていくのが分かる。彼女もそうであれば良いなと思いつつ、千景のサラサラとした髪を撫でた。
———よく考えたら、スク水でこんな事をしている俺は客観的に見てただの変態だが、千景が楽しそうなので良しとした。親いないし。
千景はとても幸せだった。生まれてから一番の幸せだと言っても良い。
朝から晩まで好きな相手の家で共に過ごす生活。夏休みなので学校でいじめられる心配もしなくて良い。去年のように、自宅で父親の聞きたくもない愚痴を聞く必要もない。どこにも逃げ場所がなかった去年が地獄なら、いつでも翼の元で過ごす事のできる現在はまるで天国だ。
幸いと言うべきか、帰りが遅くなろうとも父親は何も言わない。家族よりも自分の都合を優先するような父親なので、千景の心配などしていないのだ。文句を言われるのは面白くないので、掃除や洗濯などの家事だけはしている。しかしそれ以外の時間は翼の家にいるのが当たり前になっていた。
今日もまた1日が終わる。夕飯は翼の家で済ませた。朝のうちにやらなければならない家事は済ませているので、帰ったら風呂を沸かして入るだけだ。そして早めに眠りにつき、明日もまた家事を済ませてから翼の家に向かう。奇しくも千景は、夏休みの方が健康的な生活習慣になっていた。
(今日の翼君は可愛かった)
自宅へと帰りながら、千景は今日1日を思い出す。……村の人間に見つかったら何をされるか分からないので、周囲の警戒は怠らない。ゲームによって鍛えられた千景の頭脳は、周囲の警戒を最大限にしつつ、幸せな時間を脳内で再生するというマルチタスクを可能としていた。
『翼にスク水を着せる』という発想に至ったのは、翼とプールへ出かける妄想をしていた時だ。夏休み直前にいじめられっ子につけられた傷のせいで、千景はしばらくの間プールに入れない。風呂に入る時でさえ、湯船には脚までしか浸かれない。傷口を決して濡らさないよう、医者に厳しく言われているからだ。
だから千景は、想像の世界に没頭した。……そして唐突に気づく。『翼君、女子の水着しか似合わないのでは?』と。
思えば、千景も翼も水泳の授業は決まって見学だった。だから彼が男子用の水着を穿いているのを見ていないし、想像もできない。何より、公衆の面前で翼の上半身が晒されているのを想像しただけで、言いようのない不快感を覚えた。
———そして、妄想の中で翼に女性用の水着を着せて、どうしようもなくそれを現実にしてみたくなった。だからわざわざ、家にあった自分の予備の水着まで持ち出したのだ。そして着せてみた結果はどうか。
———似合う、なんてものではない。もはや完全に女の子だった。
背の高さがほとんど一致するのは分かっていたが、まさか水着のサイズまでピッタリとは思いもしなかった。好きな人がそうとも知らず自分の水着を着ている事に言葉にし難いほどの快感と背徳感を覚え、少し調子に乗りすぎてしまったのはご愛嬌だ。
「…ふふふっ」
千景は笑う。———今日は付き合い始めて、一番彼と密着できた一日だった、と。
恥ずかしかったが、勇気を出した。流石にまだ
———そして何より、翼が可愛かった。いつも頼もしい彼が見せた隙。おそらくは自分しか知らないであろう、恥ずかしがる可愛い顔。
(…もっと頑張れば。もっと距離を詰めたら、もっと色々な顔を私に見せてくれる?)
……自分の身体は貧相だと、千景は思っていた。栄養状態は悪く、体重は標準よりも軽い。そのせいか、発育も良くない。
それでも、翼はあんなに恥ずかしがってくれた。それなら、大人になったら?もっと女性らしく成長して、もっと大胆な事をしたら———彼はどんな反応をしてくれるのだろうか?
将来が楽しみだと、千景は思った。———昔は未来のことなんて考えたくもなかったのに。翼がいるだけで、毎日が楽しみになる。
これからも、毎日こんな日々が続いていくのだろう。———夏休みが終わる、その日まで。
(今度は、一泊くらいしてみようかしら?)
おそらく父親は黙認するだろう。家事さえ済ませてしまえば、文句も言われない。今度は一緒に寝て、一晩中翼を揶揄うのも面白いかもしれない。——千景は浮かれながら、そんな想像をする。
さらにその先、夏休みが終わった後の事は考えない。新学期が始まったらまたいじめられるという現実から、千景は敢えて目を逸らした。
ドロドロに、ドロドロに。
砂糖が発酵するくらいにドロドロに。グラスの底のドロドロは、匙で掬って口の中。