……休みは今日までなので、また投稿ペースが遅くなります。
時が過ぎるのは早いもの。俺も千景も、6年生に進級した。
もっとも、昨年の秋以降、特に大きく変わった事はない。俺も千景も、互いに依存しながらこれまでの時を乗り越えてきた。
2015年、4月。ちょうど俺が転校してきてから一年が経過した。そして今日は、今年度初登校日。すなわち、クラス替えの発表の日である。
正直、この小さな村の学校ではクラス替えなどないだろうと思っていたのだが、嬉しい事にあるらしい。それはすなわち、千景と同じクラスになる可能性が僅かなりともあるという事である。
俺にしては珍しく、少しだけ期待に胸を膨らませつつ登校し———落胆した。
(別のクラス、か……。いや、予想はしてたけど)
千景と俺が恋仲だというのは周知の事実だ。この学校の教師なら、なるべく俺と千景を引き離しておきたいと考えるだろう。何せ、ある意味問題児2人だ。俺と千景が顔見知りですらない赤の他人であれば問題はなかったかもしれないが、不純異性交遊やいじめに対する激発などを考えると、クラスを分けようとするのは当然とも言えた。———そこでいじめ問題の解決のために手を尽くそうとしないのも、実にこの村の教師らしい。
とはいえ、俺のやる事は変わらない。彼女を守る。そのために俺はこの学校に通うのだ。
表向きは、変わらない日常を過ごしている。私はいじめられていて、翼君もいじめられている。教師達は見て見ぬふり。それは去年からずっと続いていて、だからきっと、周囲の目には『ずっと変わらない風景』に見えているのだろう。
———冗談じゃない。
ずっと変わらないように見えているなら、きっとそれは現実を直視していないからだ。あるいはそもそも、視界にすら入っていないのか。
———だって、去年と比べて明らかにエスカレートしている。
私は翼君をずっと見てきた。だから、彼が今までどんな怪我をしていたのかを知っている。覚えている。体のどこに打撲をして、どこに擦り傷を負ったのか。一日にどれだけの暴力を受けたのか。それを全て、把握している。だからきっと、私だけが気づいている。翼君は去年よりも明らかに、多くの傷を負っている事に。数ヶ月前に骨折したのも、きっとその前兆だった。
(本人は気にしていないと言うけど……私が、気にする)
私に対するいじめはあまり変わっていない。———当然だ。だって、翼君が守ってくれるから。
防犯ブザーは未だに使っていない。使うまでもなく、翼君が助けに来てくれる。私はいつも守られてばかりで、ただの役立たずだ。
(翼君はきっと、分かってない。私は私がいじめられるより、翼君が酷い目に遭う方が辛いのに……)
『そうよね。だってあなたは、好きで好きで堪らない翼君に、もっと見てほしいのだもの』
いつの間にか目の前に、悪辣な笑みを浮かべる『私』がいた。
『私』は嫌な笑みを浮かべたまま、私の胸を抉る言葉を紡いでいく。
『身勝手よね。悲劇のヒロインぶりたくないから怪我を隠すくせに、その隠した怪我で気を引こうとしているのだもの』
「…………」
私は『私』の言葉に反論できない。
いつからだろうか。私がこの幻覚を見るようになったのは。1人になると時折こうしてもう1人の『私』が現れて、今の私を責めてくる。
『怪我を隠す癖があれば、翼君はあなたを常に気に掛けなければならなくなる。あなたはそれが心地良くて堪らないのよ。そうよね?心配を掛けたくないから怪我を隠す、なんて方便は自分を騙すにしても拙いもの』
「うるさいっ‼︎」
私はとても耐えられなくて、つい目の前の幻覚に怒鳴り散らす。いつの間にかもう1人の『私』はいなくなっていた。
(翼君の家に、行かないと……)
忘れる所だった。
そうだ、私は翼君と遊ぶゲームソフトを取りに家に帰ってきたのだ。自室の中で幻覚に怒鳴っている場合ではない。
せっかくの放課後だ。こんな所で時間を潰すなんてもったいない。早く翼君の家に行って、一緒に楽しくゲームをしたい。そうすればきっと大丈夫。私はまだ、正気でいられる。
いつものように、ゲームソフトのパッケージを鞄に入れて家を出る。コソコソと辺りを警戒しつつ、周囲の住民に見つからないように彼の家へ。鍵の空いている玄関から「お邪魔します」の一言と共に家へと上がり、彼の部屋に向かう。
「……?」
そこで、違和感。いつもなら私が家に来たのに気づいて出迎えてくれるのに、今日はそれがない。玄関の鍵は空いていたから、家にはいるはずなのに。
「……翼君?」
彼の部屋の中を覗くと、そこには。
「いや、だから本当に彼氏じゃなくて彼女ができたんだってっ」
———楽しそうに電話をする、翼君がいた。
久方ぶりに、以前の小学校の友人から電話が来た。そいつは昔、俺を女子と間違えて告白してきたやつで、当時は『なんだこいつ』と思ったりもしたし、なんなら不快に思って遠ざけたりもしたものだ。それが今では一番仲の良い男友達になっていたりするのだから、人間関係というものは不思議なものだ。散々遠ざけられながらも俺に近づいてきたアイツが図太いのか、それとも遠ざけたにも関わらず平然と友人関係を構築した俺が図々しいのかは分からないが。……おそらく、そのどちらでもあるのだろう。
『元気してたか?もう一年経つんだし、友達はできたかな?』
「友達はできてないけど、彼女ならできた」
『嘘だぁ。その可愛さで「彼女できた」は無理があるでしょ。まだ男子に告られたりしてんじゃないの?』
ヤツは俺を一体なんだと思っているのか。そもそも、「可愛い」は千景以外に言われたところで嬉しくともなんともない。だいたい、こっちに転校してからというもの、男子は俺に告白してくるどころか暴力を振るう筆頭になっているというのに。
———だがまあ、それを言ってしまってはヤツに心配を掛けてしまう。貴重な友人だ。わざわざ遠くから連絡までしてくれたのだ。楽しい話題だけで相手になるとしよう。
「告られてないし、俺の彼女は俺より可愛いぞ」
『嘘つけ。……ん?友達ができてないとしたら、まさか彼氏ってオチじゃ…』
「いや、だから本当に彼氏じゃなくて彼女ができたんだってっ」
ヤツはなぜ信じないのか。まさか自分の認識が全て正しいとでも思っているのだろうか?
———ふと、視線を感じた。そういえば電話に夢中になって忘れていたが、そろそろ千景が家に来る頃合いだ。どうやら既に俺の背後にいるらしい。まだ少ししか話していないので名残惜しいが、俺にとっては千景が優先だ。そういうわけで。
「ごめん、彼女遊びに来たから切る。また夜連絡するね⭐︎」
『あ、せめてその彼女を紹か——』
何やらヤツの戯言が聞こえた気がしたが、構わず電話を切った。
「お待たせ、そしていらっしゃい、ちかちゃ…ん?」
振り向くと、そこには千景がいた———のだが、なにやら様子がおかしい。前髪で表情が隠れるくらいに俯いている。
「…どうした?」
声を掛けると、俯いたまま千景が駆け寄ってきた。いつもと違う、全力ダッシュ。そのまま俺に突撃したかと思うと、そのままベッドに2人で倒れ込んだ。
腹部への衝撃が割と洒落にならなかったが、気合いで堪える。それよりも彼女の身体の感触を少しでも堪能するのが優先だ。……というか、なんか千景の身体が震えている。さてどうするべきかと考えたところで、千景のか細い声が聞こえた。
「……翼君、今の電話、誰?」
「……翼君、今の電話、誰?」
———なんでこんな事を聞いているのだろう、と千景は思った。
別に誰と電話しようと翼の自由、そのはずだ。そう頭でわかってても、心に不安が残る。あんな楽しそうに話す翼を、千景は見たことがなかった。あの笑顔を千景以外に見せたことなど、今まで一度もなかったはずなのに。
千景の問いに、翼は平然と答える。
「前の小学校の友達。俺を女子と勘違いしたまま告白してきてさ、なんやかんやで今は友人という関係に落ち着いてる」
「…前の、小学校……」
———千景はいつの間にか、勘違いしていたのかもしれない。翼が、自分と全く同じ境遇だと。転校してくる前の翼の事など、何も知らないのに。
(そうよ。翼君は、私なんかと違ってちゃんと友達がいる……。私なんかのために、今の環境に堕とされただけなのに)
最初から、分かっていたつもりだった。両親のせいで小さい頃から孤立していた千景と違って、翼にはちゃんと友達がいる。千景と違って友人関係の構築を妨げるものなんて本当はなくて、だから千景さえいなければきっとうまくいっていたはずだった。
『
もう1人の自分の声が頭に響く。きっとそれは正しくて、でもだからといって、翼から離れるなんて事は千景にはできない。そしてそれは『翼はいつか自分を置いてどこかに行ってしまうのではないか』という不安に置き換わっていく。
「お願い、翼君。……私を、見捨てないで……」
だから、千景にはこうやって縋る事しかできない。『いつ突き放されてしまうか分からない』というどうしようもない不安は自分の力では払拭できないから、みっともないと思いながらも彼女は翼に縋る。
「見捨てないよ」
そして翼の返答はただその一言。その言葉には一切の迷いがない。彼はベッドに倒れたまま、縋る千景を優しく抱きしめ、そのまま千景の頭を撫で始めた。
(……やっぱり、私には翼君しかいない……)
撫でられた頭から、温もりが千景に浸透する。それは先程まで不安で押し潰されそうになっていた千景の心を癒し、精神を安定させていく。
(……ようやくこれで、落ち着いた。我ながら、なんて現金な……)
先ほどまでどうして不安に思っていたのかが分からない、と思う程に千景は回復した。———これまでの行動で、千景は翼がどれだけ自分を好きでいてくれているかを知っているのに。
だから千景は、遠慮なく翼に甘えた。精神が安定していても、この状態から抜け出してしまうのはあまりにも惜しかった。
———いつにも増して不安定だな、と思った。
のし掛かる千景の身体からは、先程まであった震えと強張りが既になくなっている。それでも俺は、彼女の頭を撫で続けた。彼女は気持ち良さそうにしながら、時折俺に頰を擦り付けてくる。
一年前に比べて、確かに女性らしくなった身体。以前にのし掛かられた時よりも重みが増している気がするが、それでも軽い体重。全体的に華奢で細い身体は、扱い方を間違えれば簡単に壊れてしまいそうなほどに儚い。だから俺は、きっと彼女に対して異常なまでの庇護欲を抱いてしまうのだ。
———その身体と同じように、きっと彼女の心も繊細で壊れやすい。
粘り強さはあるだろう。きっと、こと耐えるという一点に関しては、俺なんかの数倍はメンタルが強い。でなければ、こんな劣悪な環境で生き延びられるわけがない。
でもその精神力の強さの一方で、情緒は酷く不安定に感じる。決定的に砕けたりはしないが、どこかで少しずつ歪んで、狂っていってしまうような印象。きっとそれは、彼女が本来持つ優しさと繊細さ故なのだろう。もしかしたら、俺が暴力を受ける事すらも彼女の心に負荷を掛けているのかもしれない。
人間の心というのは、生まれ育った環境に依存するのだと言う。だったらきっと、彼女の不安定さは今まで育ってきたこの環境が原因だ。
———普通、こうやって不安な時に慰めるのは親の役割だ。
『身捨てないで』と彼女は言った。今にも泣きそうな声音で、瞳に涙を浮かべながら。小学生の女の子が、打算ではなく本心で、親ではなく俺に縋り付いてきた。明らかに、親からの愛情が足りていない。だから、愛情を実感できる数少ない———もしかしたら唯一の———俺だけに頼ってしまうし、まるで幼子のように甘えてしまう。俺は役得だが、彼女はそれで良いのだろうか?
でも、きっと彼女の親を何とかするのは難しい。否、ここまで追い込まれて親が動かない以上、きっともう不可能なのだろう。
だったらもう、彼女の親に期待はしない。恋愛の相手から親に対する愛情のようなものを向けられる事に思う事が無いわけではないが、千景が壊れてしまうよりはずっと良い。
甘えてくる千景を、俺はずっと撫で続けた。……きっと俺も、そうする事で満たされていた。
暗闇の中。運命の日まで、あとわずか。