お待たせしました。
まず、前提として。
現時点で、この作品は(とりあえず?)ハッピーエンドを目指しています。……何をハッピーエンドと定義するのかは別として。
なので、どんな展開があっても、乗り越えられる前提なのです。
………なのです。
では、時系列としては前回の直後から始まり、……途中から一気に飛びます。
———予定していたゲームは、やらない事にした。
別に、楽しみでなかったわけではない。ただ、抱きついている少女が愛おしくて堪らなくて、彼女を愛でる事の方が優先になってしまっただけの話だ。
「…ん、ふふ」
先ほどの様子とは一変して、気持ち良さそうに黙って俺に頭を撫で続けられる千景。どうやらだいぶ落ち着いたらしい。……少し悪戯しても問題はなさそうだ。
「じゃあちかちゃん。お仕置きね」
「え……ひゃっ⁉︎」
千景を抱きしめたまま、俺は彼女の服の中に手を突っ込んだ。まあ、仕方がない。「見捨てないで」と言われた時、実を言うと少し悲しかったのだ。いくら不安に思っていたとしても、まるで信用されていないような言い方は辛い。だからこのお仕置きで相殺するとしよう。だいたい、付き合い始めてもうそれなりに時間が経つのだ。小学生とはいえ、少しくらい次の段階に進んでも良いのではなかろうか。
「まあ、そもそも去年ちかちゃんの方から手を突っ込まさせたわけだし。問題ないよね?」
「その事、まだ引きずって…ひゃ、あはははひっ」
服の中から脇腹を探りあて、そのままくすぐる。密着しているのと、服の中に手が入っているので逃げる術はない。
———密着状態で彼女の香りを感じつつ、脇腹をくすぐるという行い。何かに目覚めそうだ、というかまたヤバそうな衝動が湧いて出てきてる。
まあ、こんな機会滅多にない。なので仕方がないのだ。
「も、もうやめて…あひっ」
過呼吸になりながら、涙目で訴える千景。くすぐりで笑いが止まらない彼女は、普段の様子と比べると実に斬新だった。これは是非とも脳内に焼き付けなければと思いつつ、じっくりと観察する。
熱を帯びて赤くなった顔、汗ばんだ首筋。ジタバタと彼女が暴れる度に病みつきになりそうな香りが漂い、頭がくらくらする。……笑い過ぎて死んだ人の話を唐突に思い出し、くすぐるのをやめた。いや、もしかしたら俺の理性が飛んでしまう事を心のどこかで拒否したのかもしれないが。
もっとも、はぁはぁ息を荒げている千景をそのまま解放するつもりはない。彼女の服の中に手を入れたまま、その細い胴を抱き締める。すべすべした肌を実感しつつ、そのまま彼女の耳元で囁いた。
「恥ずかしいから一度しか言わないよ。だからよく聞いてね」
「見捨てないで」などと二度と言わせないように。僅かでも不信や不安を抱かせないように。俺は彼女に自分の心を打ち明けた。
「正直に言うとさ。見捨てるどころか、ずっと離したくないんだよ。うちに遊びに来たとき、『帰したくないな』って毎日俺が思ってるの、知らないだろ」
———恥ずかしい、どころか気持ち悪いと思われるのが怖い。
「毎日だ。正直、帰したくないどころか四六時中ずっと一緒にいたい。朝起きてから夜寝るまで。食事どころか、風呂とかトイレだって離れたくないくらい」
———俺は彼女の時間を独占したい。だから、学校なんて本当は行きたくないし、行かせたくない。誰が好き好んで、いじめられる場所に行くために時間を割きたいと思うのか。
「だからまあ、うん。さらに言うと、結婚したい」
ああ、またやってしまった。告白といいプロポーズといい、なぜ時と場合を考えないのか。学習能力がないにも程がある。
とはいえ本心だ。その言葉にも心にも、決して嘘はなかった。
「だからさ、不安に思う事なんてないんだ。ちかちゃんが嫌だって言わない限り、俺はずっと側にいるんだから」
千景は俺の話を黙って聞いている。その顔は真っ赤に染まっているが、少なくとも嫌悪している様子はない。
「……私も」
やがてポツリと。今度は千景が、俺の耳元で静かに囁く。
「ずっと、翼君の隣にいたい。私だって、毎日……毎日、帰りたくないって思ってる」
「翼君がいるから、私は毎日を楽しみにできる。翼君が転校してくるまで、私はずっと苦しいだけだった」
「いつも、ありがとう」
そう言って、千景は俺に口付けた。
この時、俺は再び誓った。何があっても、この愛おしい存在をずっと守り抜くのだと。もう不安にさせない。悲しい思いなんてさせない。
学校が嫌なら、それに代わる学習手段を考えよう。いじめが辛いなら、母と千景の親を説得してこの村から共に引っ越そう。どんな手段を用いても彼女を泣かせないのだと、俺は心に決めた。
———決めたんだけど、なぁ……。
視界には、大泣きして俺の名を叫ぶ千景。その身体は傷だらけで、ズタズタにされた下着しか纏っていない。ほとんど全裸の状態だが、それに構わず彼女は俺に縋り付く。
———どうして、こうなったのか。
———あのプロポーズから、どれくらいの時間が経ったんだっけ?
———なぜ俺は倒れているのか?
分からない。身体中が痛くて、意識が朦朧とする。自分が今まで何をしていたのか、どうして今の状況に至るのかが思い出せない。
———救急車のサイレンの音が聞こえる。
どうやら事態は深刻らしい。もしかしたら、千景が何か大怪我をしているのかもしれない。
「……け、がは?」
彼女の怪我の様子を聞こうとしても、掠れた声しか出ない。体も重く、思うように動けなかった。
———しかし誰だ。千景をこんな下着姿にしたのは。
許せない。彼女の尊厳を踏み躙る行為も、彼女の心を傷つける悪意も。俺以外に千景の素肌を目にするなど、許してはならない事だ。
それに、また怪我をしている。暴力を振るった奴も許さない。その肌に傷が残ったらどうするのか。
「翼君…死んじゃ、嫌……」
———死ぬ?俺が?何を馬鹿な。
千景を残して死ぬわけがない。だって俺がいなくなったら、一体誰が彼女をいじめっ子から守るというのか。
約束したんだ。ずっと側にいる、と。だから、俺は何があっても死なないのだ。
———ああでも、なんか眠いな。
縋り付いている千景の体の感触が心地よいせいか、とても抗えない眠気に襲われる。困った。ここで眠ってしまっては、千景に死んだと誤解されてしまう。とりあえず、何か伝えなくては。
「……ごめん、眠い…。少し、寝る……」
なんとか声を絞り出し、俺は瞼を閉じた。
———その日は、1学期の終業式の日だった。
腹痛でトイレに行っている翼を待っている間、千景は女子に呼び出された。……どうせいつものいじめだろう。そう思いつつも、千景は大人しく従う。どんな嫌がらせであっても、大人しく従った方が最終的な被害は少なくなるという事を彼女は知っていた。
どうせ明日からは夏休み。大した事にはならないだろうと、千景は楽観的に考えていた。
———呼び出されたのは校舎裏。そこにいたのは、複数人の小学生や、ここにいるのが不自然な女子中学生達。その時点で、これまで培われてきた千景の危険察知能力が警鐘を鳴らしていた。
「あんたさあ、最近調子乗ってんじゃない?」
「その歳で不純異性交遊?さすが淫乱」
「この間のテスト満点だって?アバズレの子のくせに」
「カンニングでもしてんじゃないの?」
「ちょっと制裁してやるからさぁ」
悪意に満ちた視線。しかも普段とは異なり、明らかに自身よりも年上の中学生までいる。逃げなきゃと思いつつも、足が震えて思うように動けない。竦む脚をなんとか動かし、振り返って逃げようとしたところで後ろから肩を掴まれた。
「逃げんなって」
いつの間にか、囲まれていた。そのまま仰向けに押し倒され、ハサミで上着を切られる。———少し離れた所から、スマホで自分の事を撮影する小中学生の様子が千景の視界に入った。
「……い、嫌ぁああぁっ⁉︎」
根源的な恐怖を感じて泣き叫ぶ千景。ジタバタと暴れようとするが、複数の手が千景の四肢を押さえつけて動けない。そのまま靴やソックスを取られ、衣服は切り刻まれていく。その様子を笑いながら撮影する小中学生達。やがて下着姿になるまで服が剥ぎ取られると、まるで千景に聞かせるようにパシャパシャとシャッターの音が増える。
———千景の自尊心が、音を立ててぐちゃぐちゃに壊されていく。
「淫乱娘だし、慣れてるでしょ?」
「カレシとはもうやった?」
訳の分からない言葉を吐きながら、中学生が千景の下着に手を掛けた。
(嫌……それだけは)
涙を浮かべながら、千景は下着を剥ぎ取ろうとする手に必死に抵抗する。それをされてしまったら、何かを決定的に失ってしまうという恐怖があった。
中学生は、下着を離さない千景を蹴り、ハサミでブラジャーを切り裂こうとする。刃先が肌に当たって傷ができ、蹴られた箇所が汚れて擦り傷になっても千景は手を離さない。
(助けて、翼君)
千景は、すぐに防犯ブザーを使わなかった事を後悔した。あれだけすぐに使うように言われていたにも関わらず、結局使わなかったそれ。今は衣服と共に遠くに放られてしまっており、手が届かない。これでは、翼は千景が助けを求めていることも、その居場所さえも知りようがない。
下着を取ろうとする手と、それに抵抗する千景の攻防が数分もの間続いた。
苛立ちを隠さない女子中学生は、舌打ちをしながら彼女のパンツに手を掛ける。嫌な笑みを浮かべたそのいじめっ子は、そのまま手を掛けた布地をずり下げようとして、
———突然飛んできた石に文字通り倒された。
完全なる不意打ちに、千景を拘束している小中学生も、スマホで撮影しているギャラリーも、千景さえもフリーズする。
「殺してやるぅぅぅっ‼︎」
やがて足音と共にそんな罵声が飛んできて、今度は走ってきた人影に、千景の手足を抑えていた数人が木の枝で殴り倒された。
混沌とする校舎裏。戸惑いと恐怖がいじめっ子達に伝播する中、千景の胸は安堵に満ちていた。
(……やっぱり助けに来てくれた。翼君…)
この場に駆けつけたのは翼だった。今まで聞いた事のないような声音とその必死の形相が、彼の怒りがかつてない程のものである事を物語っている。
翼はいつでも、いつだって自分を助けに来てくれる。——千景はそんな、盲信めいた確信を抱く。彼女にとって神崎翼は、助けに来てほしい時に助けてくれる、ヒーローのような存在になっていた。
千景からほんの少しだけ離れた場所で、翼といじめっ子達の乱闘が始まっていた。とは言っても、もはや喧嘩の体を成していない。怒りのままに枝を振り回す翼と、逃げ惑う小学生。そしてなんとか石でやり返そうと躍起になる中学生。一見翼が優勢に見えるが、数人の小中学生に対し、翼はたった一人だけ。不利なのは翼だった。
千景の目の前で、状況が変化する。最初は怯んでいた相手も落ち着きを取り戻し、翼の持つ枝から離れたところから石を投げる。翼は我を忘れているのか、それとも眼中にすらないのか。石を避けようともせず、がむしゃらに枝を振り回しながら相手を追いかけ、殴りつけようとしていた。
———そして、決定的な瞬間が訪れる。
中学生が投げた石が、大きな音を立てて翼の頭に当たった。……見方次第では、岩と形容できるくらいの大きな石が。
翼はそのまま倒れ、沈黙する。動く気配が、ない。
「……翼君?」
呆然と呟く千景をよそに、周囲の小中学生は逃げ始めた。
「やばい、やり過ぎた」
「頭から血出てる」
「すぐ逃げよう」
「私知らない」
その場に残るのは、呆然とする千景と、ピクリとも動かない翼。
「翼君っ⁉︎」
倒れている翼の元へ、千景が駆け寄る。そのまま翼の様子を見て、赤い血がついた石が転がっているのに気付いた。
「〜〜っ⁉︎」
言葉にならない呻き声を上げながら、千景は震える手で翼のポケットを探り、スマホを取り出す。———遠くに放られている自分のスマホを取りに行く気力も時間もなかった。
そのままパスコード画面から緊急連絡用のキーを表示させ、119番通報をする。千景は無我夢中で、応答した相手に状況を伝えた。
……そこから先の事は、千景もよく覚えていない。
一度だけ翼は目を覚ましたが、すぐに気を失ってしまった。到着した救急車には千景も同乗したものの、何もできずにただ翼の側にいるだけだった。
幸い翼の母親とはすぐに連絡がつき、搬送先の病院で合流した。……翼の母と何を話したのかは、後になってもよく思い出せない。ただ、衣服を着せてくれたことだけは覚えている。
医師の診断を待つ間、千景はまるで処刑を待つ死刑囚のような気分だった。そして、医師の診断結果を翼の母親から聞いたものの、内容はあまり理解できなかった。正確には、断片的な単語しか頭に入ってこなかった。
『———CTで撮っても——』
『———検査のための入院———』
『——長期になると目を覚ます可能性が——』
「……あははは、は、……」
———ただ、自分のいじめに巻き込まれて翼がこうなってしまったのは明らかな事実で。
それは、千景の弱った心を壊してしまった。
高嶋さん、誕生日おめでとうございます。千景さんを助けてください。