昭和のある年、横須賀にある砲兵隊へ入隊した軍隊への憧れの希望に満ちた初年兵が軍隊生活の過程で成長していく記録。

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本書は筆者が蒐集した日記帳を基に現代の言葉で記載したものである。
日記帳の日記覧には一切の年号が記されていないものの、
他のページには履歴書の練習をした形跡がありその中に
「昭和14年1月10日入隊」との記載があった。
そのため、この日記は
昭和14年1月10日から2月20日までの1か月と10日と窺える。
尚、当日記に出てくる登場人物については頭文字のみ記載することとした。
文章については極力原本の意図を共有できるように努めたが、
一部不明瞭な部分については筆者の意図により編集している。
(兵隊用語、兵器に関する記述は原文のものを踏襲した)



第1話

1月10日

 

兄貴と二人で一つの布団に寝るのも、今夜限りという感傷も朝と共に横須賀の空へ溶けてゆく。

俺は今日から初年兵、陛下の赤子として、日本の男子として今日から意気高らかに自分の全力をあげて務め励もう・俺の入隊を見て兄貴喜んで帰ってゆく。

身体状は自分の体験からして絶対健康でなければならぬ。

H君にも報告してやろう。

 

1月11日

入隊式

連隊長殿の御訓示、我らの使命まさに重要かつ大なり、大いに頑張っていこう。

入隊式後、脳貧血をおこし班長殿に引率されて医務室に行き初めて軍隊の病院の香りを嗅ぐ、まさに体の健康たる必要を確信する。

 

1月12日

昼食後、代用衣袴を配給される。いよいよ初年兵、二年兵殿、三年兵殿の判別がし難くなってくる。我らは初年兵大いにガンバレ

連隊長殿のお達し通り陛下の御玉体の一部と我らはなったのだ。

男子の光栄これにすぐる物なしだ。対ソ聯作戦あるのみ。

何をソ聯唯一揉み(ひとつもみ)だ

 

1月13日

O見習士官殿の指導にて各個教練、速足、行進、左、右、左向け、右向けの教練をする

足が痛くなる程の踏みしめ等、学校時代においても あんなにハリキってやった事はなかった。しかし全力を画してやる気持ちよさは煌々と味わった。これが入営した楽しみの一つだ

午後右腕に注射する。二ヶ所なり

 

1月14日

三中隊の初年兵にて鬼遊び(鬼ごっことみられる)営靴が大きいので脱げそうで駆けられず困ってしまった。遊戯終わって競争をする。

自分はついに倒れてしまった。

実際足が上がらないのだから癪に障る

ついに当班は最後だ。午後予防接種をし、一時より就身する。

S(人名)に熱があり苦しそうだ

 

1月15日

今日は日曜だ。二年兵殿、三年兵殿は外出だ。

午後1時になり、ようやく床より起き上がる。

舎前にて軍歌をやる。

露営の歌の時には茂原駅における感激がまざまざと浮かび上がり

故郷の人の顔が一つ一つ浮かび上がり、もっともっとガンバらねばならぬと想った

銃の名称を全部忘れてしまった事には自分ながら驚いた。

 

1月16日 月曜日

T准尉殿指導の下、入山叶連兵場にて三八式野砲、四五式二十四榴を見学する。

それより田戸演習要塞上で二十八榴を見学する。

二年兵の操法には実際感心するほど、動作が敏凄だ

午後より故M上等兵の聯隊葬を執行して自分ら初年兵も会葬。

営内にて遺骨を見送る。

 

1月17日 火曜日

本日初めて力作をする。力のない自分なのだ。

どうなることかと想ったが大したこともない

ただ、全力を画すのみ。

午後より二十八榴の閉鎖準転把の操法には肩が痛くなってしまった。

 

1月18日

午前中、学校教練習得者、同青年学校等の兵隊の検定査関があった。

これより二十四榴の閉鎖機の開閉等であるが内務より連兵の方がよほど面白い。

二三年兵殿は夜間演習だ。

 

1月19日

午前中昨日に引き続き査関誠心誠意の前には何事か難事あらん

遺憾ながら失敗した。しかし自分は誠心誠意物事にぶつかろう。

中隊一の初年兵になるぞ、よい能力

 

1月20日

初めて給与を頂く、2円〇3銭也、金銭は少ない。しかし多冥をいうべき筋合いのものでもなし、自然と名誉心が胸中に浮いてくる。2円貯金

午前中、力作にて器台組めを、午後は二十四榴の閉鎖器の開閉を演習する。

 

1月21日

午前中三八式野砲の装填を

午後 接種 就寝

 

1月22日

天皇親卒の軍隊であるが故、軍に籍残有する我にはまさに東及残自覚して勤勉しょうならん

 

1月23日

中隊長の精神訓活がある。これが幹候の問題になろうものかと思うと一生懸命聞く

 

1月24日

力作作業にて「脚柱組め」をする。

その時、輪厘を軌鉄の上に落とし指を怪我してしまった。

 

1月25日

午前中二十八榴の閉鎖機の活出注入と掲弾の錬兵をする。

 

1月26日

時々家を想い出さないでもないが、いずれも瞬時にして吹っ飛んでしまう。班長殿の居室当番もAと二人でやりつつ見当も分かってきたし、仕事が面白い

 

1月27日

誰からも手紙が来ないとなるとちょっと寂しいが今日はR、Tより封書を頂く

内容といっても慰問文という程でもないが貰えればうれしい物だ。

今日は腹が痛くて診断を受け、練兵休をしてしまった残念な事、甚だしい

 

1月28日

練兵休をするのが癪だから診断を投げ出して練兵に行く。

S上等兵殿が途中で呼びに来てくれたので診断に帰る。

軍医殿に叱られてしまう。

明日は引率外出の為、初年兵張り切る。

 

1月29日

今日は午前中就寝、接種した後が痛い

午後より引率外出2時15分さいか屋(横須賀の百貨店のこと)前にて解散。

初めての外出

肩の一ツ星がキラキラと目に光る。

早速壽楽に生き御汁粥を一杯に餅菓子を十分に胃袋を満喫させる

 

1月30日

午前中聯隊長殿の訓話。

優秀なる時計の如く我々も入営当初の気持ちを除隊まで持続させよう。

愛の力に誓約をする。

誓約は軍紀、風紀および軍人精神を故意に反則せざることと火災予防および命令の伝達についての訓話あり。適切として胸に感ずるものあり。

 

1月31日

二十八榴の操法にてT准尉殿およびW曹長殿の指導により前に増して技術の進歩を己ながら感ずる。されど練兵休をした時の操法で装鎮管が全然変わらず甚だ心配だ。O見習士官殿、少尉に任官して舞鶴砲兵聯隊に転任する。

 

2月1日

午前中T准尉殿およびT班長殿S班長どのの指揮にて田戸要塞にて前段執銃放練五段二十八榴の操法をやる。束環の検査を新しく実施、昼食1時相当に腹が減る。午後内務実施

 

2月2日

午前中特榴および士官候補生殿の指揮により執銃教練、T見習士官殿の話題も印象に残る。2月いっぱいにて東科に帰るとか

 

2月3日

今日もまた二十八榴だ。しばらく今日操テンカンの操砲を自らのものにする。

何と言われても練兵休をするのは辛いという事を汝に感じた。

これで1日分の練兵休を取り返したし、

力作の「脚組め」を飲み込めば一に前になるわけだ。

 

2月4日

野砲を今日はやる。四番と二番との連絡一番と三番との連絡および一番、二番、三番、四番の連絡と漸次(ぜんじ)基本動作より●●● (文字が消えていて判読不可) 放練に移りつつある午後接種 就寝

 

2月5日

酒保は何といっても楽しい。6銭の汁物に満足して朗らかに談笑している戦友、

今日は日曜日なので面会人も多い。

自分にも誰か面会に来ないかな、実際友人の顔、

家人の顔が想い浮かんでくる。松戸の主人より手紙来る。

 

2月6日

午前中特榴および三十屯起重機の名称を教育される。

特榴は弾丸装鎮の動作、しかし今日は猛烈に寒い。風はあるし震えてしまった。

教官殿の話では昨晩、東京は雪が降ったそうだ。

横須賀は雨で済んだが寒い事には間違いない。

午後は不入斗にて野砲の操砲をT上等兵殿の助教にてやる。

自分ながら練兵はあまり上手だとは想えないが大いに熱をもって下手は下手なりにやろう。

 

2月7日

二十八榴の操法をする。今日は射角板の読み方ついての操砲をする。

昨日と異なって田戸は仲に暖かい。

大いに張り切ってやるがやはり細部のことはチョコチョコと間違う。

操砲を確実にせねばならない。

 

2月8日

明日、師団長閣下の随時検閲に3・4班は力作をやることになり

午前中力作演習をする。

以前、練兵休の脚柱起こせを今日取り戻す。明日こそ間違わずにやろう。

午後衛生講和、止血方などの事をきくと体がゾクゾクしとして緊張してくる。

満州へ行きたい。大いに戦地で先輩の様に戦闘してみたい。

 

2月9日

師団長閣下の随時検閲に我々初年兵は11時20分より10分間

力作および野砲を御覧に入れる。

閲兵について中隊長殿の奥歯をかみしめという言葉は

たしかに俺にピッタリときた。

自分のアゴが出る出るといわれるのも奥歯を噛みしめていなかったからだ。

夜間行軍を約6kmに捗ってやる。

行軍には戦備行軍旅次行軍とありて、

また夜間、行軍、急行軍、強行軍の3つに別れる。

また行軍の注意、単独行動は絶対にダメだ。即行軍軍紀を確守すること。

 

2月10日

午前中野砲を引いて安浦海岸にて海岸における実物に対する射撃照準動作を施行する。微かに霞ゆく房総半島を見たちょっと懐かしいものを感じた。

海岸は実際気持ちがいい。

午後二十四榴200kgの破甲榴弾を4人で担ついでも肩がモリモリとする。

とにかく重いのだ。

 

2月11日

健国祭聯隊長殿誠心庭前にて、われらの我らの覚悟を御訓しになる。

大きな忠節を尽くす前に毎日毎日小さな忠節を尽くし

一生涯を通じて大きなものにする心がけであらねばならぬ。

また、われらが教練が精到になるにつき国力が増加するのであるから

大いに演習勤務に勉励するもの

午後より引率外出、塚山風致区および安針塚にて軍港を望み、

さいかや付近にて30分間の解散。

 

2月12日

午前中洗濯にて大多忙11時ころまでかかってやっと仕上げる

今日1日は忙しくて勉強も何も出来やしない。

2月13日

朝8時半より第二講堂において大隊長殿の精神訓話

軍紀と服従について1時間ほどわがまま放従をいましめて

帝国軍人としての任務をよく尽くすよう

 

2月14日

このころ、だれよりも手紙の束なかったところに松戸の主人より葉書を頂き流石に嬉しかった。今日は14日市日で店も多忙の事だろう。

 

2月15日

一面の雪 横須賀にてこれほど降るのなら千葉や東京はいかほどばかりだろう。

15時半呼集にて逗子葉山あたりを戦備行軍にて行軍する。

雪の一本道、突出る山芋

満州を想わせる。就寝前の小夜食の甘かったことも忘れられない想い出の1つとなろう。

 

2月16日

昨夜の演習の為起床1時間半延長にて8時

軍隊に来て8時に起きられるとは夢にも思わなかった。

疲れた関係で夢もみずにグッすりと8時まで寝てしまう。

 

2月17日

雪解けの不入斗練兵場はすごい。編上靴につく泥、実際嫌になるくらいだ。

しかしまた、田戸は暖くて練兵にはもってこいだ。午前中不入斗にて二十四榴の装業および高低照準、午後米が浜にて昨日に引続く各砲戸の連撃動作

 

2月19日

今日、酒保に単独で行けることになり皆出かける。

しかし、銃の手入れで忙しくついに行きはぐってしまった。

午後内務班の清潔整頓および食堂を水拭きをする。

日曜はやはりどんなにいそがしくても、のどかとする。

 

2月18日 (日程が逆転しているが原文のまま)

今日珍しく2日前に俸給が頂ける1円85銭で50銭預金して酒保に行き10銭払う

あぁ!!大福のうまさよ。胃袋が許すならもっと食いたいな!?

 

2月19日(記述なし)

 

2月20日

特業教育が今日より始まる。原画を描くのも中々難しい。

片方あがれば片方さがり、手が痛くなってしまった。

午後よりは雨が降って来たのでラッパ山より帰営をするのかと思ったら

大竹町を通って約30町ばかしの駆足でフラフラになってしまった。

 

 

(日記はここで終っている。)

 



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