ルドルフの両肩に手を置いたところで、さてどうしたものかと一瞬思案する。
勢いに流されてここまで来てしまったが、しかしどこから手をつければよいのだろうか。思えば人の背中を流すという行為自体、実際に行うのはこれが初めてのことだった。
「どうしたトレーナー君?早く洗ってくれないと体が冷えてしまうよ」
「あ……ああ、分かった」
あれこれ悩んでいたところで仕方がない。どのみちただでここから出られる筈もないのだ。ここは一つ腹を括って、彼女を満足させられるよう奉仕するほかないだろう。
彼女の体越しに鏡の横へ手を伸ばし、ホルダーからシャワーヘッドを取り上げる。栓を開き、手の平に当てながらお湯の勢いと温度を予め調整しておく。
十分具合が整ったところで、私はルドルフに頭を下げさせた。
「それじゃあ、失礼するよルドルフ」
「ああ、よろしく頼む……わぷっ!?」
頭頂部から水流をぶっかけ、最初はお湯だけで髪全体を慣らしていく。水の跳ねた瞬間ルドルフのミミがペタンと伏せられてしまうが、それも指で摘まんで引っ張りあげると縁の部分を優しくくにくにと解してやった。
そうしている内に、彼女の肩がだんだんと震え出してくるのが分かる。白々しいと自覚しながらも、手を止めずに労りの言葉をかけてやった。
「大丈夫かなルドルフ?痛かったり痒い所があったらちゃんと手を挙げて言うんだよ」
「い……痛くはない。痛くはないんだ。だが、くすぐったいと言うかなんと言うか……決して大丈夫というわけでは」
「はい大丈夫だね。続けるから」
「ああっ」
手を挙げないということは問題ないのだろう。
先程から必死に私の指を押し退けて顔を伏せてしまいそうになるウマミミをなんとか自立させる。人間より遥かにパワーが上回るウマ娘相手といえど、流石にミミ相手に力負けしてやるつもりはない。
ウマミミはその構造上、走っている最中に飛んできた砂や埃が中に溜まってしまいがちになる。それを防止するためにメンコをつけてトレーニングするウマ娘も多いが、生憎ルドルフはそうではない。だからこそ、入浴の際はこうして隅々までしっかりと洗わないといけないのだ。
放っておけば周囲の音が拾い辛くなったり、中で炎症を起こしてしまう危険もあるほか、ヒトのそれよりも脳に近いため最悪菌が頭にいってしまう可能性もあるため、ウマミミの洗浄は極めて重要なことである。決して私にそういう趣味があるだとか、ルドルフを虐めたいだとかいうわけではないのだ。
「……ん。ちゃんと中までしっかり綺麗にしているね。感心感心」
「あんまりルドルフのミミは洗いごたえないでしょ。いつもこれでもかというぐらい、念には念には入れて手入れしているみたいだからね」
「なんだ、同室だからって風呂まで一緒に行動してるんだな君達は……。それはそうとシービー、君のミミはどうなんだろうな?」
「さぁ?自分では綺麗にしてるつもりだけど、一人じゃ上手くできてるかよく分からないからね。後でトレーナーが直々に確かめてくれればいいよ」
「はいはい……」
やはりというかなんというか、シービーも体を洗ってもらうことが前提になっているらしい。少しは恥じらいがないのかと言いたくもなるが、目の前で堂々と湯船に浸かっているあたり今更だろう。
「さて、まだ終わりじゃないよ」
「はいぃ……」
気を取り直して再びミミに取りかかる。
中までしっかりと洗浄する必要があるが、かといって直接奥まで水をかけるわけにもいかない。指を十分濡らした上で、丁寧に中の汚れを掻き出していく。といっても目立つようなものも殆どなく、せいぜい今日のトレーニングの中で潜り込んだのであろう細かい砂ぼこりがほんの僅かに見つかるだけであったが。
あらかたミミを手入れし終えると、今度はシャンプーで髪を洗い流していく。量が量だけに、一通り汚れを落としていくだけでもかなりの重労働だ。水をたっぷりと含んでいるぶん、手で掬って乗っけるだけでもずっしりとした重みが手首にかかる。
「相変わらず綺麗な鹿毛だね。軽く指で鋤くだけでもあっという間に下まで抜けていくよ。かなり手を込めて育てているんだろう?」
「あ、あぁ………髪は、女の命とも言うぐらいだからね。それに私達は芸能の世界で活躍しているわけだから、尚更おざなりにするわけにはいかないだろう」
「それもそうだろうが……具体的にはどんなことをしているんだ?」
「それは………」
ルドルフが次々とシャンプーやリンス等々の名前を挙げていく。それらを聞きながら部屋の備品を頭で探ってみるが、生憎ここに用意されているようなものはなかった。
そもそも私と彼女では髪の事情も異なるわけだから、使用する薬液の種類に差違が生じるのも当然の話だろう。思えば化粧水や保湿クリームについても、あるにはあるが数や品質はだいぶ差が出てしまうように感じる。彼女達も部屋から持ってきているわけではないようだし、今日のところは私の乏しい備品で我慢してもらうことにしよう。
「あ、ルドルフ。髪は終わったからちょっと持ち上げといてくれない?背中洗うのに邪魔だから」
「構わないが、先程綺麗と褒めたその口で邪魔と言うとはね」
ぼやきつつも両腕を上げて髪を保持してくれる。おかげで二の腕から肩のライン、左右の腋から脇腹までの部分と背中全体が一気に露になる。
いつ見ても思わず惚れ惚れとしてしまう程美しい肉体美だ。全体的に引き締まっているが、つくべき所に筋肉がつき、それでいて余分な場所には一切見当たらない。取捨選択を突き詰めた上で、ただひたすら速さだけを追求し設計された極限の機能美がそこにはあった。
背中から尻尾の付け根まで指を這わせると、筋肉の上に薄く脂肪が乗っかっているのが分かる。ちょっとだけ力を込めて押し込んだぶん、確かな弾力をこちらに返してくれた。
「ふふ、どうだろうトレーナー君。私の体は……感動のあまり声も出せないかな?」
「あぁ、全くもって素晴らしい筋肉のつき方だ。徹底したトレーニングは言わずもがな、生まれもっての配置が整っていなければこうはならない。眼福という他ないよ」
「それは男としてかい?それともトレーナーとしてかい?」
「どっちもかな」
タオルを再度ごしごしと泡立てて、筋肉の流れに沿って丁寧に洗い流していく。冷静に考えてみれば、裸の若い女性の体を流しているという状況なわけだが、不思議と変な気分はしなかった。どちらかといえば、美術品を磨いているような緊張感が心を占めている。
もっとも、彼女達においては体が資本という言葉がそのままそっくり当てはまるわけで。万が一にもこれに傷をつけてしまったらという事態を考えると、そういった緊迫感を抱かないという方がおかしい話かもしれない。
肌は全体的には白磁のように白く透けて滑らかだが、そのぶん所々に残っている傷痕が目立つ。とはいえ、そこを指でなぞったところで少しも反応しないあたり、もうとっくの昔に癒えた傷なのだろう。
「トレーナー君は中々洗うのが上手だな。もしかすればの話だが、他の誰かとこういったことをした経験でもあるのかな?」
「実際の経験そのものは無い。ただ、ウマ娘の洗身はトレーナーにとっては必修分野だからね。知識として知っていただけだ」
「ほう」
レース内外における負傷によって、ウマ娘が一人では満足に入浴が行えなくなるケースがある。そういった場合でも、他の生徒や保険医、サポーターの力を借りることになるのだが、合宿中や遠征先等そういった介助の難しい状況に備えてトレーナーにも対応力が求められるのだ。
もっともそのような事例など実際には殆どないし、まず前提としてウマ娘とトレーナー間における強固な信頼の構築が求められるため、この仕事をしていて役立つ場面はおよそ皆無なテキスト上の知識である。私自身、必修だからととりあえず適当に受け流しただけに過ぎない。
それがまさか、こういった場面で役立つ日が来るとは思わなかった。……別に来て欲しくもなかったのだが。
「はいルドルフ、終わり。言われた通り背中は流したから、前はちゃんと自分でやっておいてよ」
「ああ。ありがとうトレーナー君。といってもそっちは問題ないよ。元々君が来る前に体を洗うのは済ませておいたのだからね」
「おい」
じゃあ何か。一度終わらせた筈の作業をもう一度私にやらせたということか、この娘は。しかもわざわざズボンとシャツまで脱がせていくなんて。
ルドルフは椅子から立ち上がり、のっそりとした様子で浴槽の中に入っていく。そして、それと入れ違いになる形でこちらに寄ってくるシービー。ルドルフもそうだが少しは隠す努力というものをして欲しい。
浴槽から出た瞬間、ぶるぶるっと濡れた犬のように体を振ってあたり一面に水滴をばらまく。私がそれに目を瞑った一瞬の隙を突いて、目の前の椅子の上にすっぽりと収まった。
ルドルフと同じように、そのたっぷり水を含んだ尻尾でべしべしと足を叩いてくる。
「さ、トレーナー。次はアタシの番だよ。ちゃんと全身隅から隅まで丁寧に洗って欲しいな」
「どうせ君だって、ルドルフと同じで既に体を洗うのは済ませてあるんだろう」
「それは当然。お湯に浸かる前に体を綺麗にしておくのは誰かとお風呂に入る時のマナーでしょ?」
「そうだね。それから浴室内にウマホを持ち込まないのも立派なマナーだと思うよ。たとえ防水加工がしっかりなされているものであってもだ」
浴槽の方を見ると、湯に肩まで浸かっているルドルフの脇の縁にシービーのウマホが立て掛けられているのが目に入る。たったワンコールで応答したあたり、最初から私が電話をかけてくるのを見越した上での企みだったのだろう。
「でもそのお陰でトレーナーはこうして私達の入浴に乱入できたんだからいいじゃない。男からすれば天国みたいな状況なんじゃないのかな?ほら早くキミも素っ裸になっちゃいなよ」
「脱がない。それにそういうことは自分で言うようなものでもないし、せめてタオルで隠すぐらいはして欲しい」
「別に見られて恥ずかしい体してないし。それに、浴室内にタオル持ち込むのもマナー違反だよね……なんでもいいけど。ほら、早く洗って頂戴よトレーナー」
「はいはい」
これはなにをどう言ったところで無駄だろうな。彼女を口でのやり取りでどうこうできる気もしない。
ルドルフにやったように頭頂部からお湯をぶっかけ、髪の毛を鋤きながら流していく。こちらも腰まで伸びる長髪なだけあって、やはり全体を処理するのは一苦労だ。
先程彼女に言われた通り、ウマミミの中も直接洗っていく。綺麗にしているという本人の言葉に間違いはないようで、あれだけ土埃を巻き上げていたにも関わらず汚れは殆ど見当たらなかった。
「シービー」
「は~い。これでいい?」
髪を終えると次は背中だ。ルドルフと同じような格好をとらせて、露出した背中と腕、腋の部分を綺麗にしていく。もっとも、既に洗身を済ませていただけあってやることは殆どないのだけれど。洗いすぎもかえって肌には良くないわけだし。
肌といえば、シービーの肌は剥き身の卵のようにつるりとしていて傷一つ見つからなかった。ウマ娘の健康状態は肌にも顕著に表れるから、肌荒れの兆候が微塵もないこの艶は嬉しい限りである。
筋肉のつき方もルドルフとはだいぶ違う気がする。こちらは初見では華奢というか、細っこい印象を受ける類いのものだろう。筋肉の肥大を目指すのではなく、むしろギリギリまで絞られている。ルドルフの肉体がライオンのように屈強な一方で、シービーのそれはまるで豹のようにしなやかだった。細くても貧相からはかけ離れており、節々からは力強いバネが感じられる。
「ほら、シービー。背中まで洗ったからもう終わり。私ももう出るからね」
「待ってよトレーナー。まだこっちが終わってないでしょ……アタシは隅々まで洗ってって言ったんだから、背中だけで満足するわけないでしょ」
そう言いながら、くるりとその場で半回転し、私に体の前面を向けてくるシービー。
未だに両腕は髪の毛を保持しており……つまり隠すべき場所がなにひとつ隠されていない。その顔はあたかも素晴らしいことを言っているかのように自信に満ち満ちている。それがなんとなく癪に触ったので、顔面にシャワーをぶっかけてやった。
「わぶっ!!?」
額からお湯を流し、その顔をごしごしと洗ってやる。シービーは最初こそ悲鳴を上げていたが、やがて慣れたのか舌をペロペロさせて流れるお湯を掬っている。
全く懲りていなさそうだったので、早々に切り上げて椅子ごと再び半回転させてやった。諦めたのか、彼女は元通りの格好に戻る。気のせいか否か、こちらに体を向けたルドルフが若干非難がましい目でシービーのことを見つめている。
「じゃあね……実はこの後まだやることがあるから、あまり付き合ってもいられないんだ。ここは好きなだけ使ってくれていいけど、ちゃんと門限までには寮に戻るように。あと自分達の荷物はしっかり持ち帰っておいてよ」
「やることってなんなの?」
「もう一度トレーナー同士での緊急会議だよ。あくまで美浦に席を置くウマ娘の担当トレーナーだけが集まるものだけど。万が一にも生徒間、ないしは生徒とトレーナーの間で事件やトラブルが起こらないようにね」
嘘だ。本当はそんな会議の予定などない。
とはいえ、こういった大人の事情さえ引き合いに出してしまえば生徒である彼女達はもうなにも言い返せなくなるので楽なものである。暫くは付き合ってあげたんだから二人とも満足しているだろうし、この程度の嘘は許されるだろう。
そんな私の思いが通じたのか、彼女達の間にさして不機嫌そうな雰囲気はない。上手く行けば、このまま見逃してもらえそうな予感さえする。
「トラブルならたった今ここで起きてる所だけどね」
「君が……というより私達がそれを言うのか、シービー。ところでトレーナー君、その後にはもう何も用件は入っていないのかな?誰かと会う予定などは?」
「入っていない。後はここに帰ってきて寝るだけだよ」
たづなさんとの約束についても勿論明かさないでおく。そんなことがバレてしまえば、意地でもここから出してもらえないのは目に見えてるわけだし。
どうも彼女達は前々から、私がたづなさんと度々お出かけしていることに厳しい視線を向けているらしかった。あえてその虎の尾を踏みにいくこともないだろう。
浴室の扉に指をかける。両開きのそれを押し開けようとした瞬間、不意にルドルフから声をかけられた。
「……ところでトレーナー君、一つ頼みがあるのだが。後でたづなさんに会った時、予算案の提出は明後日になると伝えておいてくれないか?」
「分かった。飲みに行くついでに伝えておくよ…………あっ」
………己の過ちに、気付いたときにはもう手遅れだった。後ろから伸びてきた腕にあっという間に床へと引き倒され、仰向けに転がされる。慌てて立ち上がろうとした瞬間、腕が動かせなくなってしまう。
そして私の目の前には、固く腕を組んだ全裸のシービーがこちらの逃走を阻むかのように扉の前で立ち塞がっていた。……ついさっき、これと同じような光景を目にしたばかりのような。
「やはり・・・たづなさんか。君は隠しているつもりだったのかもしれないが、先程の視線や指の動きから妙に焦りが感じられたよ」
声の方向を見ると、浴槽から身を乗り出したルドルフが私の両腕をがっしりと掴んで床に縫い付けている。これにもやはり見覚えがある。
「だいたいそういう時ってたづなさん絡みだもんね。トレーナーそんなにあの人のことが怖いのかな」
「なんにしても、愛バを放って他所の女と遊びにいくのは感心しないな。……延長を希望するよトレーナー君。それからやはり君も脱ぐといい」
「やっぱりチームの絆っていうなら裸の付き合いをしてこそだよね。アタシも延長を希望するよトレーナー。だけどやってもらってばかりじゃ悪いから、今度はアタシ達がキミを洗ってあげる」
「や、やめ――――」
こちらへ覆い被さり、残された二枚の良心すら剥ぎ取りにかかるシービー。彼女一人相手ですら敵う筈もなく、ましてやルドルフに抑えられたこの状況では話にもならない。
結局、このバスルームに引きずり込まれた時点で完全に詰んでいたのだ。そのことを改めて理解して、私は諦感と共に目を閉じた。
願わくはたづなさん以外の誰かが、この状況を察して助けに来てくれますように……。
「……………こんなところで裸の男女三人、一体なにをされておられるのでしょうか?ご説明願えませんか。シービーさん、ルドルフさん、それから……………トレーナーさん?」
「…………やっば」
「こんばんは、たづなさん。私も丁度貴女とお話したいことがあったんですよ………『トレーナーと学園事務員との間にあるべき関係性について』ね」
「奇遇ですね。私も貴女達とお話したいことがあります。『トレーナーとその担当ウマ娘との間にあるべき関係性について』………………ねぇ、トレーナーさん?」
………………はい。