"ただより高いものはない"なんて戒めが昔からあるように、手っ取り早くモノにした力には後々高いツケを支払わされるのが道理というもの。
世の中そうそう、都合良くは出来ていないのだから。ただ、今回の場合ルドルフが理事長に激しくアピールを繰り返した時点で察しておくべくだったかもしれない。それでなにがどう変わったかは分からないけども。
「まぁ、身体で払うと言っても、別に特別なことをしてもらうわけではないよ。ただ単に、私と付き合ってもらうだけだ」
「そうか。ところで、その付き合うってのはどちらの意味でかな?」
「君の好きなように解釈してくれれば良い」
それは選択権を与えているようで、実際には察しろとの命令を下しているに他ならない。
彼女は自らが優位に立ったとき、昔からこういう婉曲な言い回しを好んで使っていた。この辺り、ひねくれているようでわりと素直に感情を表現するシリウスとの違いでもある。
膝を抱きかかえ、太陽を背に向かい合ってしゃがみ込んだルドルフは、なんとも品の無い笑みを披露してくれる。それはまるで、逃げ惑う蜥蜴を捕まえて喜ぶ子供のような。
いつの間にか、タイヤの縁から飛び降りて私達の隣に来ていたカストルが、それを目にして呆れたような懐かしむような溜め息を溢していた。
「なにかな、カストル。危言危行は君の美点だが、このぐらいの我が儘は大目に見て欲しいものだな」
「いえ、なにも咎めているわけでは……ただ、警備の方にも少し人手が欲しかったので」
「ふむ。ここはそんなに治安が悪かっただろうか。君達の手を煩わせる程に」
「平和そのものですよ。お蔭で営繕やらの仕事も順次こちらに回されてきていまして。外部を雇ってもその管理の方が手間がかかりますから、結局自力でどうにかしています」
「そんなところにトレーナー君を放り込んだところで、人が増えたぶんかえって雑務を増やされるだけだぞ」
「でしょうね。ええ、分かっていますとも。それでも遊び相手の一人はいてくれないと」
不貞腐れたように竹刀の剣先でダートをほじくながら、そう愚痴るカストル。
彼女ら警備ウマ娘が暇なのは大変喜ばしいことであり、年がら年中気の抜けないトレセンの警備部門にとっては羨ましい限りだろう。
しかし彼女にとっては、どうにも張り合いがなくて退屈らしい。先程から指導に熱が入っていたのも、久し振りにそれらしいことが出来て嬉しかったからだろうか。
前から薄々感じてはいたが……やはりこのウマ娘、根っこからして気が荒いというか、かなりの戦闘民族な匂いがする。これで落ち着いたというのだから、昔はどれ程のものだったのか少し気になる。
カストルのぼやきに、ルドルフはただ黙って頭を横に振るのみ。
そのまま私の脇に手を差し込んで立たせてくれる。疲労で指一本すら動かせそうにない私に変わって、四肢と腰に結ばれた縄も解放してくれた。
数時間ぶりに自由を取り戻して軽くなった肩を回していると、ルドルフが汗と砂で汚れた体操着にホースで水を浴びせてくれる。内に籠った熱もあっという間に霧散し、心地好い解放感に堪らず目を細めた。
「さて、一旦は休憩としようか。あまり無理しすぎるのも良くないからね。折角の良い天気だから、気分転換がてら外にでも行こう」
「あっお嬢様。なら私も一緒に……」
「駄目だ。君にはまだ他にも仕事が残っているだろうに」
「で、でも、それならこの子だって一応は業務中ではないですか……」
「担当ウマ娘たる私の我が儘に付き合うのも、トレーナーとしての仕事の内さ。後でお出かけの申請だけは済ませておいてくれ」
「あ、ああ………」
カストルを片手であしらいつつ、あっという間に話を進めていくルドルフに流されるまま首肯する。こうまでスケジュール管理の主導権を握られてしまうと、どちらがトレーナーなのかも分からなくなってしまう。
本来のお互いの立場を考えると、このような役割の逆転はあまり喜ばしいことではないのだが。とは言え、現時点における育成の進行状況に照らしてみれば、ここでお出かけを挟むこと自体はなんの不都合もないので、その提案を拒むことはしない。
恐らくその辺りも見越した上での要求というか、命令なのだろう。競技ウマ娘としてのみならず、トレーナーの視点からも育成プランの検討が出来るという点で、ルドルフはかなり扱い辛いウマ娘である。
手のかからない反面、図抜けた賢さ故に主導権を握り続けるのが難しいと言うか、確固とした根拠がなければこちらの主張を押し通すのが困難であり、大人が子供に対して使いたがる騙しや誤魔化しがまるで通用しない。
それどころか、こちらの方が強引な意思決定を突き通されることにすらなりかねないため、全く気を緩められないのだ。
上手く手綱を握れているように見えるのは、その実ルドルフの模範的振る舞いや自制心に依存するところが大きく、仮に彼女が幼い頃のままの暴君であった場合、激しく手を焼いたであろうことは想像に難くない。
正直言って、新人の私に扱いきれたかは極めて怪しいところだ。
飄々としつつも根本は頑固なシービーと同じで、一見手のかからなそうに見えつつも、上手く付き合うには相応の手腕が求められる。
同じ三冠ウマ娘の中でも取っ付きにくいと評判なブライアンの方が、むしろ易しいのではないかと思うことが度々ある。もっとも、彼女は彼女で別の難しい点を抱えているのだろうが。
ただ、そういった元々の気質を差し置いてもなお、ここ数日のルドルフはやや掛かり気味だと私は感じていた。
暴走しているとまでは言わないが、明らかに私の制御を外れかけているというか、自分で画を描いているような気がしてならない。
トレーニングでもそれ以外でも、正すべき所はしっかりと意見してくれていたものの、基本的にこちらを立てる姿勢は崩さなかった彼女のこと。そんな関係を五年以上も続けてきたからこそ、私はどこか違和感を拭えずにいた。
今だって、やむを得ずルドルフに全てを頼っていることを考えると……言い換えるなら、生殺与奪を完全に彼女に握られていることを考えると、真綿で首を絞められるような息苦しさを感じてしまう。
そもそも不信感を抱くこと自体、あまりにも不誠実なことではあるのだが。なにを言ってもルドルフは、私のために動いてくれているわけなのだから。
「なぁルドルフ。私も正直、涼しい部屋の中にいたいんだけど。それに、そっちの方が人目もなくて安全じゃないかな」
「部屋に閉じ籠っていては、なにも前に進まないよトレーナー君。なにかを変えたいのなら、まずは外に目を向けないと」
「うぅ……」
「とはいえ、こんな姿になってしまったばっかりだからね。戦戦兢兢となるのも当然の話だろう。だからこそ、私が一緒にいようと言っているんだ。分かるよね、パーフェクト」
あぁ、本当に、ウマ娘の表情筋というのはここまで爽やかな笑顔を作り出せるものなのか。雲一つ無い、抜けるような青空をバッグにして眩しい限り。
昔から活発だった彼女のことだから、そのメンタリティも徹底して外向的なのだろう。生徒会長としてデスクワークもこなすといえど、部屋に籠るという経験自体が無く、その在り方に理解が及ばないとしても不思議ではない。
担当トレーナーの癖してなにを今更と笑われてしまうかもしれないが、いくら人バ一体と言えども担当の内面を隅々まで把握することなど不可能だ。それがこなせるなら、トレーナーではない別の仕事に就いているに違いない。
一応、メンタルヘルスのために臨床心理の資格は取得しているし、学園においても定期的にテストは行われていた。ただ、ルドルフの場合、己を取り繕うのが非常に巧く、仮面を被りたがる性質があるために、鑑定の効果もかなり疑わしい。
シンボリルドルフは真性の嘘つきだ。私にも、エアグルーヴにも、他の誰に対しても求められる役割を演じたがって……それは時として、彼女自身すら欺き通す。
「……さて、こんなものかな」
私をウマ耳のてっぺんから尻尾の先っぽまでずぶ濡れにさせて満足したのか、ルドルフはようやくホースの水を引っ込める。
タオルは持っておらず、きっとこのまま屋敷の更衣室まで歩かされるのだろうが、それが不快にならないのがまた新鮮だった。
ホースをまとめつつ、ついてこいと指示をジェスチャーを送る彼女の背を追いながら、私は地獄のようなターフを後にする。
最後に一度だけ振り返れば、取り残されたカストルがやる気の無い様子で縄を片手にタイヤを一気に片付けていた。前傾にもならない、背筋の伸びきった体勢で苦もなく引き摺っていく様は流石と言うほかない。
私の進路を逆方向に辿りつつ、だんだんと小さくなっていくその背中を見送っていたところ、ふとルドルフに手首を掴まれた。
「余所見はいけないよ。つまづきでもしたらどうする」
「ああ、すまない。確かに不注意だった」
「彼女がそんなに気になるかい?焦らなくても、顔を会わせる機会はまだまだあるだろう。君がこの屋敷にいる限りは、ね」
「そうか。そうだね」
「うん。そうだとも」
こちらを振り向かないまま、ルドルフは一つ頷く。斜め後ろから辛うじて見えた口の端は引き上がっていたものの、それが本心から現れたものか否かについては、残念ながら私には判断がつかなかった。
前を向き直り、もういいよと腕を引いてみるものの、私を捕まえるルドルフの手はまるで力が緩まない。それどころか、逆に強くなってすらいるようで、ほんの少し痛みすら覚えてしまう。
道中、脇に抱えたホースを水場へと元通りに戻した後も、やはり私を放すつもりは毛頭無いらしい。
「そう言えば、私はまだ私服がなかった気がするんだけど。府中ならともかく、この辺りを制服でぶらつくのは目立ち過ぎないか」
「大丈夫だ。それについても、ここに来る道すがら私が用意してきたからね。なにも問題はないよ」
「そうか」
「ああ、そうだよ」
淡々と落ち着いた声で、ルドルフは穏やかにそう告げる。まるで言い聞かせるように、少しだけゆっくりとしたペースを保ちながら。
そこからは無言のまま、広大な敷地を本館目指して横断する私達二人。
結局、更衣室に放り込まれるまで、ルドルフはただの一度も私と目を合わさず……その表情について、窺うことは叶わなかった。