「今日は楽しかったな、トレーナー君」
「ああ、そうだな」
太陽が地平に身を隠す時間帯。
鰯雲が鮮やかな夕焼けに照らされて、黄金色に染まりながら流されている。歩道に長く影を伸ばしながら、私とルドルフはゆっくりと帰路に着いていた。
街から屋敷までは、少しばかり距離がある。ウマ娘の脚では負担にもならない程度とはいえ、交通機関を使っても良かったのだが、なによりルドルフが歩きたがった。数ヶ月ぶりの帰省ということもあって、多少なりともはしゃいでいるのかもしれない。
それなりに歩き回ったにも関わらず、坂を上っていく彼女の足取りは軽い。その腕には、ついさっきゲームセンターで獲得したばかりのぱかプチが抱きかかかえられていた。
あれも息の長いと言うか、リリースからもう結構な時間が経つというのに、定期的に更新を続けることで売上は右肩上がりなんだとか。特にここ最近のレース競技の盛り上がりは凄まじいから、数ある機種の中でも飛ぶ鳥を落とす勢いなのだと、最初期における出資者の一人でもあるルドルフの父親経由で耳にしたことがある。
そして今ルドルフが抱いているのは、数年前からずっと看板商品を張り続けている彼女を模したぬいぐるみ。それも両腕で抱えられるタイプの、一際大きなサイズのものだった。
実はこれと同じものを、私は既にトレーナー室に置いている。
それもクレーン台で手に入れたものではない。数年前の更新の折、いよいよ皇帝シンボリルドルフが実装と相成った時に、メーカーから協力の返礼にと送り届けられたプロトタイプ。貴重といえば貴重かもしれないが、実際の中身は市場に出回っているものとなにも変わらない。
まぁ、売りに出そうなどというつもりはさらさらないので、付加価値など別にどうだっていいのだが。
「ぱかプチか。たしか君の部屋にもあったね。あれももう、今では手に入らない絶版だったか」
「うん。私の記憶が正しければ、ちょうど私の菊花賞が終わった次の更新でなくなってしまったな。初代機種から長くぱかプチを支えてきた老雄だったのだが」
「流行りものだから仕方ないさ。ここは彼女の時代からの代替わりを成し遂げられた隆盛を喜ぶべきだろう」
その昔、声高に叫ばれていたあのキャッチコピーも、もう聞かれなくなって久しい。
クラシック三冠という称号が、決して夢物語ではないと皆が思い始めたのはいつ頃だろうか。私が学園に足を踏み入れて以来、既に三人ものウマ娘がそれを戴いている。
記録としても、体感としても、ここ数年間で大きなうねりが起きていることは明らかだった。秋川理事長の旗振りのもと、数々の改革と共にスターウマ娘が誕生し、加速度的に時代が変わりつつある。その始点となったのは、あくまで私個人の見解として言わせてもらうなら……やはりシービーだろうか。
「おや、私と話をしている最中だというのに。他のウマ娘のことを考えるのは感心しないな」
「一応、君にも関係する話なんだけど」
「当ててみせようか。それはついさっきの映画館で、熱烈にこちらへアピールをくれた彼女のことだろう?」
「い、いや……」
「おや、違ったかい?」
「違わ……ないです」
あれはアピールと言うのはもっての他で、威嚇と呼ぶのも甘い、さながらハンマーの落とされた銃口を向けられているかのごとき緊迫感だった。
ウマ娘として、感覚が開いている部分もあるのだろうが、たぶんあれは……ルドルフだけでなく、私にも向けられていたのだろう。なんと言うか、こう、凄まじい怨念のようなものを感じた。五年前、推薦移籍を蹴った際に先生から向けられたものとそっくりな。
それにルドルフも挑発で返すものだから、それはそれは地獄のような120分だった。『運命に噛みついたウマ娘』そのものは素晴らしい作品だったので実に惜しい。今度、カフェと母を誘ってもう一度観に行くとしよう。
それにしても、ウマ娘には視線でコミュニケーションをこなすスキルがデフォルトで搭載されているのだろうか。ひょっとしたら、あれは三冠ウマ娘の特権なのかもしれないなどと思いながら、無邪気な笑みを浮かべるぱかプチルドルフをそっと撫でる。
「いい肌触りだな。それでいて丈夫なのも素晴らしい。ルドルフの部屋にあるのも多少くたびれている程度だもんな。君の扱いが丁寧という部分も大きいんだろうけど」
「昔、友人に貰った大切な宝物でね。ふふ、この歳で人形遊びが止められないとは、流石に幻滅されてしまうかな」
「まさか。同じ競技ウマ娘なら親近感があって当然。そもそもぱかプチは私だって追ってる」
レースから派生した二次産業ではあるものの、ぱかプチのバリエーションというのは、実はトレーナーとしてかなり参考になる。なんならURAの企画課ですら、その売上を調査しているとまことしやかに囁かれるほど。
私達は競技の中枢に携わり、誰よりも近くでウマ娘を支える立場であることから、良くも悪くもレースに関する知識に恵まれている。より正しく、専門的な判断を下せる一方で、世間一般からの認識とズレを引き起こすことも往々にあった。
そういうことから、利益を追求する企業が調査と分析を重ねて弾き出したバリエーション……すなわち"大衆受けの素晴らしいウマ娘一覧"と言うのは、その辺りのギャップの擦り合わせにおいて中々役に立つ。それは専門的な知見ではなく、素直な感性を下地にした、所謂アイドル性のあらわれだった。
例を挙げれば、それこそオグリキャップがトゥインクルでのラストランを終えた時期なんかは、他のぱかプチを軒並み圧倒する勢いだったのを覚えている。他にもシービーやハイセイコー、最近だとスマートファルコンなんかも一大旋風を巻き起こしていたような。
ちなみに、そのあたりルドルフがどうかと言えば、とにかく安定の一言に尽きる。
なにぶん築き上げた功績が圧倒的であり、人気も常に高い位置を保っているので、決して第一線を外されることはない。しかしその一方で、売り上げを大きく跳ね上げるといったことも殆どなく、かのオグリキャップ全盛期においては一時期かなり圧されていたように思う。
とりたてて大きなブレもなく、常に高い成績を残し続ける優等生という面でも本物そっくりだなと、私は密かにこのぱかプチに感心していた。当のルドルフはどうかと言えば、『つまらない』との謗りを受けた自らのレースに重なる部分があるのか、少々納得のいってない様子ではあるが。
二人仲良く肩を並べて、坂を上る。
ちょっとした台地のようになっているのか、頂上までくると暫くは平坦な道が続いていた。地盤もしっかりしているのか、ドーム型のスタジアムまで置かれている。
ガードレースに沿って、歩道を真っ直ぐ進んでいると、ちょうど道の真ん中に入り口を示す案内が置かれていた。
「レース場か。中央の管轄じゃないよな。かといってここは船橋でもないし」
「私設の施設だよ。私の幼い頃に建てられたものでね。実は私の実家も一枚噛ませてもらっているんだ」
「またスケールの大きい話だな。それにしては、今日まで来たこともなかったじゃないか」
「……昔、色々とあってね。それまではよく通っていたものだよ。それに君と会ってからは、そちらの教室にお邪魔させてもらっていたから」
「ああ、そうだったね」
あの時もあの時で、中々大変だったような気もする。ルドルフがどうとか言うより、主に万年首位から陥落したカフェについて。まぁ、色々あったものだ。
こんな姿になってしまっても、やはりトレーナーとしての性というか、習慣は抜けきらないもので。
恐らく私設では全国最大規模であろうここを一度見学してみたい気持ちもあったが、あえてそれをぐっと堪える。私はともかく、変装らしい変装もしていないルドルフが迂闊に姿を晒してしまえば、面倒な事態になるのは明らかだった。そもそも好奇心以外、ここになにかしら用事があるわけでもない。
受付に足を向けることもなく、そのまま入り口ゲートの前を通り過ぎようとした時……不意に、斜め後ろから袖を引き留められた。
「ルドルフ?君はここに用でも」
「いや、そういうわけではないのだが……。いや、そうだな。折角だから、君のためにも顔を出した方が良いのかな、と」
「必要ないだろう。仮に秋までここにいるとしても、必要なものは全て屋敷に揃っている。第一ヒトに戻ることが目的である私が、わざわざここで交流を深めてもね」
「そのことなんだが」
煮え切らない態度のまま、なおもルドルフは私を引き留め続ける。
彼女の本気からはかけ離れた、少し力を籠めれば引きはがせる弱い力で。
「戻りたいかい?戻らなければならないかな?たとえこの先、そうなったままだとしても……ここならパーフェクトの全てを保証出来る。トレーナーとして君がシンボリにもたらした利益と貢献を鑑みれば、誰も駄目とは言えないだろう。いくら祖母であっても」
「……本気で言ってるのか」
「君は、ついさっき言ってくれたじゃないか。どこまでも私についてきてくれると。あれは嘘だったのか?」
詰るような言葉とは対照的に、ルドルフの声は淡々と落ち着いている。
いや、きっと……責めるような言い草になってしまっていること自体、彼女は自覚していないのだろう。
私はただ、それにきっぱりと首を振るだけ。
「嘘じゃない。ただ、言葉が足りていなかったかもしれない。あれは、あくまでもトレーナーとしての心意気だ」
「……そうか。そう、だろうな。急におかしなことを言ってしまってすまなかった。今の話は忘れてくれ、トレーナー君」
どこまでも感情の読み取れない、なだらかな声色のまま。
曖昧な微笑みを湛えたルドルフは、そっと私の袖口から手を離した。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「お帰り、トレーナー……………あとルドルフ」
「ああ、ただいま。シービー」
屋敷の居間に戻ってきた私達を出迎えたのは、学園で待機中の筈だった残りの担当二人とシリウス。それから何故かここにいるカフェとタキオン。
一体どこから引っ張り出してきたのやら、ローテーブルにモノポリーを展開して遊んでいる。ゲームについては一家言あるテイオーと遊び慣れしたシリウスが上位で、それにタキオンが食らいついているといったところか。
一応、映画館の時点で存在そのものについては把握していたが、勝手知ったる人の家とばかりに寛いでいる様子を目の当たりにすると呆れてしまう。たぶん、関係者であるシリウスから許可は下りているのだろうが。
「まぁ、シービーとテイオーも揃っているなら丁度いい。ポスト・レースの方針について話そうか」
「あれ、もう出てるの。参加チームとか、出走者とかそのあたり」
「ああ。あくまで未確定情報で、トレーナーの間でのみ出回っている段階だけど」
「へぇ、いいね。そういう……横のつながりって言うのかな」
感心したようにしきりに頷いているシービー。ボードゲームにも飽きたのか、一足先に離脱してちょこちょこと近付いてくる。
一応チームということもあって、テイオーもその後に続く。私とルドルフ、それから彼女たち二人で固まる形となり、他の三人は我関せずとばかりに今度はビリヤードに取りかかっているようだ。
横のつながりという表現は言い得て妙で、理事会に報告が上がるよりも先に、私達トレーナーの間で周知がなされることも多々あった。如何せん村社会的というか、職場の関係が一つにまとまっている以上、情報の伝播速度は尋常じゃない。
当然それにも良い面悪い面の両方があるのだが、どちらにしてもトレーナーとしての活動全般に大きく影響してくるものなので、軽く扱うのは禁物だ。
「少なくとも私の知っている限りでは、今回のレースに参加するチームは限られている。どうも優勝の特典を狙いに行くより、堅実に新人の育成に力を注ぎたいと考えるトレーナーが多いらしい」
なにぶん一年目はウマ娘の特性を把握し、基礎を整えると同時に信頼を育む重要な時期である。ここを疎かにしてしまえば、重賞勝ちなど夢のまた夢と言ってしまっても過言ではない。
先生のチームのように、メンバーの入れ替わりが激しい所帯は勿論のこと、たとえ新人が一人でもそこに注力したいと考えるのも一つの方針である。
「理事長にとっては、意気阻喪を免れない展開ということだろうか」
「今回に限ってはね。元々、これもテストプレイというか……たぶん、今年の経過を踏まえた上で、改善を繰り返した後に本格的な駅伝レースの実施となるんだろう」
「成る程。いくら思いつきだとしても、些か準備が足りていないと感じていたが、今回のレースそのものが準備の一つだというわけだな。あくまで本命は来年以降と」
「そうそう」
秋川理事長の描いた画からは外れてしまうだろうが、それも致し方ないこと。
結局私達が最も優先すべきは、担当ウマ娘の成長と勝利を置いて他にないのだから。
「んじゃ、ウチはどうするのトレーナー?まぁ、出ないって選択肢はそもそも無いんだろうけど」
「それもあるし、折角だからここでテイオーに経験を積ませておこうとも思ってる。非公式戦といえども、一年目からG1クラスとやりあえるのは貴重な機会だから」
「あ、やっぱりボクも走るんだ」
「ああ。とりあえず経験目的だから、勝敗についてはそこまで気負う必要もない。私以外にも、似たようなこと考えているトレーナーはそれなりにいるな」
中でも割り切ったトレーナーの場合、エース級は一人も出さず、全てデビュー前のウマ娘で揃えようと筋道を立てている者までいる。
目先の勝利に拘らず、今後の飛躍に焦点を当てるというのもまた一つの方針だった。個人的には、先生もそういうスタイルで挑めば良いと思うのだが、彼女には彼女の育成計画があるのだろう。
「ちなみにサンデーサイレンスもその一人だ。とりあえずシリウスは出しておくとして、残りは実戦経験の乏しい順に埋めるらしい。ちなみに……その中には、今年入ったばかりのマックイーンも含まれる」
「へぇ……」
その名前を告げた瞬間、にわかにテイオーの表情が引き締まる。
彼女達は学年こそ同じであるが、私と母の育成計画が必ずしも一致するものではない以上、デビューにはズレが生じ得る。それぞれの調整具合にもよるが、テイオーの脚部不安を考えると、同じクラシック戦線ではぶつからない可能性も大きい。
いつぶつかるか分からない以上、この機会に競り合わせておくのもアリだと私は考えている。どこかのタイミングで、向こうのチームと出走順の擦り合わせでもしておこう。
前置きはこのぐらいにして、私はいよいよ本題を切り出すことにした。
「さて、そんな具合に出走予定チームの情報収集が一段落ついたところで。やはりというか、厄介な面子がそこそこいるな」
「ほう、私達でも手を焼く程だと。今こうして呼び集めたのも、それを共有するためか」
「あとは簡単な作戦の見通しとか、私含め出走者の育成方針も固めておきたい。ただその前提として、ライバルの見当はつけておくべきだと判断した」
そもそも特殊なレース形態なので、番狂わせも当然にありえるが。
ただ、大穴の出現なんて普段のレースにおいても常に起こり得ること。ならば、ここは普段通り、強豪の洗い出しから進めていくべきだろう。
「いいよ、言ってみて」
「まずは生徒会の役員二人。特に君達を除けば唯一の三冠ウマ娘……ナリタブライアン。先輩のところからはマルゼンスキーを中心に、カフェやタキオンも出走することになるだろう……」
「ねぇ、トレーナー。張本人達がまさに同じ部屋にいるんだけど。いいの?あれ」
テイオーに遮られて、ローテーブルの方に顔を向ける。
いかにもこちらに興味ないといった様子でキューを構えるシリウスと、それを見守るタキオンにカフェ。だがそのウマ耳は抜け目なく、揃ってこちらを向いていた。
「……いいさ。誰がマークされるなんて、別に言われなくても分かることだ」
「ならいいけど」
「あと他に注目するべきは……オグリキャップとタマモクロス、かな。この二人は元々別のチームだが、今回は連合を組んだらしい」
"芦毛は走らない"などという、かつて知れ渡っていた俗説を覆した二人。一つの時代を築いたその走りは、ルドルフやシービーを以てしてもまるで油断ならない。
しかし彼女達がそれぞれ籍を置くチームは、その他に有力なウマ娘はあまり見られない。どちらもベテランが率いているものの、先生と同様に大規模な人員再編の波に直撃している最中らしい。ただし彼等は出走辞退するのではなく、お互い手を組むことを選んだようだ。
「……まぁ、あえて挙げるとするならこんなところかな。誤解を恐れずに言えば、私も正直このレースには全力を注ぐつもりはない。あと数ヶ月あるとはいえ、やることはいつも通りだ。テイオーはともかく、二人にとっては退屈かもしれないが、我慢してくれ」
「はーい。別にいいよアタシは。ドリームトロフィーの調整の方が優先だし。これでミーティング終わりなら、行こっかテイオー」
話が終わったと見て、テイオーを引き連れながら再びシリウス達の元へ帰っていくシービー。いつの間にか、あの二人もだいぶ仲良くなったらしい。
ルドルフとテイオーのべったり具合は言うまでもないが、それに比べるとあの組み合わせにはやや距離を感じていたので、縮まったのは良いことだろう。私もソファから立ち上がり、その背中に続こうとしたところ……ふと、手首を掴まれた。
振り返れば、ルドルフが尻尾を揺らしながら私を見つめている。目があった瞬間、僅かに首を反らして居間の扉を示した。着いてこいということだろう。
その耳や表情から、特にそれらしい感情は読み取れないが、さて。
なんだかんだ、この屋敷では彼女の力が強い。いや、学園でも基本的に向こうが優勢だった気がするけれども。
結局、トレーナーであってもチームメイトであってもそう変わらないなどと。そんな己の立場を今さらながらに自覚しつつ、私は素直にそれに従った。