シンボリルドルフに逆らえないトレーナー君の話   作:くまも

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最終章
夢だけが救いだった


 

『皇帝』とはなんだろう。

 

レースにおける絶対的な強さ。そしてそれだけに満足せず、常に全てのウマ娘の幸福を願って走り続ける覇道。シンボリルドルフというウマ娘の在り方を、極限まで圧縮して言語化したのがそれなのだと、かつてエアグルーヴが言っていた気がする。

もっとも、幼い頃の私はこの異名を自ら名乗っていたものだったが。それが今では一つの象徴として扱われるようになったのは、やはり彼女の言っていた通り、この五年間で私が積み上げてきた実績と、追い続けてきた理想によるところが大きいと思う。

 

『全てのウマ娘が幸せになる世界』なんて、あの頃の私が聞いたらなんと言うだろうか。悪い意味で大人びていたというか、擦れていた私のことだから、世間知らずの夢物語と一笑に付していたに違いない。強者の傲りだと、かつて多くの者がそうしたように。

それでも、トレーナー君だけは見限らずについてきてくれたし、私にとってはただそれだけで十分だった。皇帝の杖はお飾りなどと、口さがない者達は揶揄するが、私の道は彼なくして成立し得ない。

 

 

そんな彼でも、私の理想の原点は、あの一週間のことは知らない。記憶していない、と言った方が正しいか。

あまりにも数奇な成り行きの結果、彼がウマ娘へと成ってから早いもので五ヶ月と少し。季節が夏を飛び越え、秋を迎えたこのレース当日になっても、あの記憶は戻らなかった。

 

 

口惜しく思う反面、それで良かったのかもしれない、とも考えている。『皇帝』たる私の根源に立ち返ってみれば、ほんの戯れに名付けた『彼女』の喪失が根幹にある。であるなら、青天霹靂とそのウマ娘が戻ってきた以上、私が私の理想を掲げる動機づけ、目的意識は一体どこにあるのだろうか。

 

誰に強いられたわけでもなく、他ならぬ自分自身の意思でやってきたことではあるが、しかし決して楽な道のりではなかった。それは恐らく、この先も変わらないだろう。『彼女』との約束という、唯一にして最大の理由が覆ることで、心が折れてしまわない自信がなかった。

仮にそうなったところで、きっと誰も私を責めないだろう。シリウスに至っては、むしろ歓迎するかもしれない。でも、道半ばで投げ出してしまえば、これまで私と歩いてくれたトレーナー君と、なによりターフで戦ってきたライバル達にどう申し開きをするというのか。自縄自縛と言ってしまえばそれまでだが、今さら後に退けるわけがないのに。

 

一生そのままで、なんてあまりに身勝手な頼みは、とっくの昔に彼本人の口から拒絶されている。

だから私はもういい加減、『彼女』への未練を断ち切るべきなのだ。なんにせよ、宙ぶらりんのままでいるのが一番良くない。もっともオカルトはカフェの領分なので、私に出来ることなどたかが知れてるのだが。

 

 

そう物思いに耽っていると、いきなり隣から脛を蹴っ飛ばされる。

 

「痛っ」

 

「ゲートで悠長に考え事か。皇帝サマにとっちゃこんな非公式試合、上の空でも余裕ってわけだ。恐れ入ったぜ」

 

「……レース直前の暴力行為は永久追放処分に値するぞシリウス。そう言えば君は以前、パドックでも騒ぎを起こしていたな」

 

「はぁ?何年前の話してんだよ。そういや最近、昔の話ばっかするようになったなお前。まさかもう頭にガタが来たのか」

 

つま先でアスファルトを小突きながら、しきりにゼッケンの位置を気にしているシリウス。私も彼女も、今日は勝負服ではなく体操服姿となっている。

G1でもないので当たり前の話なのだけども。

 

「どうした。今日の君はいつにも増して饒舌じゃないか。考えるより先に舌が動くのか、そもそも考えてすらいないのかな」

 

「ハッ。普段の自分を棚に上げてそれか。こりゃやっぱりアタマに難があるな。頭でっかちの癖してそれじゃあ、生徒会の連中も泣くんじゃねぇか。なぁ、ブライアン」

 

「さぁな」

 

シリウスは私の頭越しに、反対側で腕を組みながら佇むブライアンにも絡んでいくが、つれない返事でやり過ごされる。私達だけで勝手にやってろと、知らぬ存ぜぬの淡白な態度。いつも通りと言えばいつも通りだろうか。

 

なんにせよ、矛先が私から逸れたのは幸いだった。

視線を真下に落とし、アスファルトに引かれた、白いラインで区切られた"ゲート"を見る。今回は運営面でのテストと改善点抽出を目的とした試走でもあるので、こぢんまりとするのは仕方ない。いざ本格的に開催するとなって、路上に発バ機を展開出来るか怪しいという点については、ひとまず脇に置いておくとしよう。

 

それでも出走する面子が面子だからか、沿道には数多のカメラマンや近隣住民の方々が詰め掛けており、第一走者の発走を今か今かと待ち構えている。

リハーサルのために学園の外周を貸し切れたのは、流石の理事長の神通力といったところだろうが、そのためにこうして世間からは盛大に注目を浴びてしまっていた。

 

今朝のウマッターで、『ポスト・レース』がトレンド入りしていたことはまだ良いとしても、その出走表までもが流出していたものだから、生徒会長としては正直かなり頭が痛い。

別に守秘義務が課されているわけでも、緘口令が敷かれているわけでもないのだが、それにしたって発表から三十分足らずで世に出回るのは、いくらなんでも節操が無さすぎるだろう。朝から理事長秘書がその出所を探っているが、万が一にも突き止められたらさてどうなることやら。

 

と、また思考に没頭している自分に気付いて、私はおもむろに頭を上げる。

 

「ん………」

 

シリウスの言葉に同意するわけじゃないが、それでも気が散っていることは否めない。

あくまで非公式試合の、それも調整段階だからレースに気が向いていない……というわけではないだろう。自分で言うのもなんだが、私はどういう事情があるにしても、ことレースにおいて手を抜くつもりは一切ない。

むしろ一つのレースの成立過程に携われるというのだから、やりがいの方が大きい。ならば私は一体、なにに心を乱されているのだろう。自己追及をどれだけ繰り返したところで、不毛な堂々巡りが続くばかり。

 

「どうした会長。やっぱりアンタは、G1でもないとやる気が出ないのか」

 

「まさか……皇帝たる者、どんなレースであろうと全身全霊で挑むまで。君こそ、熱を失ってはいないか」

 

「いいや。いつも通りさ」

 

「そう……だな」

 

そう、ブライアンはいつも通りだ。軽く腕組みし、目を伏せた姿はやる気が無さそうに見えなくもないが、彼女の場合これが自然体だ。シリウスについては、これは言うまでもないだろう。

結局、おかしいのは私だけだということか。ブライアンに限らず、他の選手達の態度に不満を抱いているわけでもない。

 

ざっと、横一列に広がったウマ娘の顔を確かめてみる。昨夜、事務局から上がってきた一覧から変更はない。やはり最初から勝ちは捨てて、少しでも経験を積ませようと割りきったトレーナーが多いのだろう。重賞入着ラインが大半を占める中、一人だけ目立つ顔があった。

偶然まとまった私達三人から何人か挟んだ向こうで野次に反応しているのは、芦毛を腰まで伸ばしたウマ娘……"白い稲妻"タマモクロス。

 

今回のレース、駅伝という団体戦の形式をとる以上、『順番』という新たな焦点が作戦に浮上する。どの区間を走っても際立った不平等が生じないよう、コースそのものに調整は図られているものの、『誰が相手になるか』という点は運営によるコントロールの範疇ではない。

他のチームの出方を予測して、極力不利にならないように、あるいは有利をとれるように順番を考えるのも、トレーナーとしての手腕の見せ所。トレーナー君が以前、参加予定のチームから要警戒ウマ娘を抽出していたのもその一環である。そしてタマモクロスは、そこで名前の挙げられていた内の一人。

 

「タマちゃ~ん!こっち見てぇ!」

 

「じゃかあしい!なぁにがタマちゃんじゃコラァ!ちょっ、やめぇや、指ぃないなっても知らんど!」

 

「かわいい~!」

 

「~~~~ッ!!!」

 

道を塞ぐように横一列に並ぶ中、ちょうど沿道手前の一番端っこにいるためか、ガードレールの向こう側でたまたま固まっていた女性陣から強烈なラブコールを浴びている。

人当たりが良く、小柄な彼女はよくこうして絡まれている。それに一々反応してやるあたり、なんともまあ律儀なものだと感心する。それと同時に、トレーナー君の読みがある程度当たったことも悟る。

 

彼は先日、仮に他のトレーナーが勝ちを狙いにいくとしたら、きっと最高戦力を前半に配置したがるだろうと言っていた。そして自分も同じく、私とシービーをそれぞれ一走と二走に固めて配置しておくつもりだとも。

理由は単純で、序盤は選手間における差の開きが少ないぶん、普段のレースと近い感覚で走れるから。いわば最高のパフォーマンスを発揮できるポジションであり、そこにエースを置かない手はないのだと。

 

それに加えて、我がチームは実力のムラが極めて激しいという弱点もあった。

二人の三冠ウマ娘を主力としていながら、残りはG1すら未経験であり、しかもそのうち片方はそもそも正規の入学手続きすら踏んでいない。ようするに中堅がいないのだ。このあたり、同じく三冠ウマ娘を抱えるブライアンのチームとの違いでもある。

トレーナー君と今のテイオーが、それこそブライアンやタマモクロスのような強豪とかち合った場合、致命的なロスをつけられる可能性が非常に高い。ましてやそれが序盤に起こると、チームそのものの士気にまで影響する。それは見過ごすには、あまりにも大きすぎるリスクだった。

 

本気で勝ちに行くつもりなら、の話だが。

どうやらあのスタジアムでの並走以降、彼の心境に多少の変化があったらしい。詳しいところは分からないものの、なんであれやる気が出たなら喜ばしいことだ。

まぁ、そう誘導したのは私なのだけれども。

 

私の余所見が気に入らないのか、今度は無言で踝を小突いてくるシリウス。

それを軽くいなしていたところ、前方の信号に動きがあった。ようやく全ての区間で準備が整ったらしい。肩を回し、軽く跳ねて膝の案配を確認してから、前傾姿勢に構えをとる。

トゥインクルシリーズを退き、ここ半年近くドリームトロフィーリーグに向けて身体を作ってきた。調整は完璧。心身ともに、絶好のレース日和。

唯一の懸念は、マルゼンスキーとオグリキャップの姿がないことだが。それでも前者はともかく、後者の配置には多少の心当たりがある。今年の春、初めてレースの趣旨を聞いた時から、ずっと。

 

 

信号が青に変わる。

ほんの一瞬、勢いよく開放されるゲートを幻視して。私は弾かれたように、全力でアスファルトを蹴り抜いた。

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