シンボリルドルフに逆らえないトレーナー君の話   作:くまも

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芦毛の怪物

競技ウマ娘にとって、走ることは存在意義そのものだと言っても過言ではない。

故に、どんなレースであっても手抜かりなく走る……というのが理想であるが、しかし現実とはままならないもので、どうしても注ぐ力の配分が必要となる。

 

例えば私もトレーナーとして、自分の担当するウマ娘を他チームとの並走や模擬レース、エキシビションマッチなんかに送り出すこともあるが、そこでは当然、全力を出させるようなことはさせない。

競技ウマ娘が本気で走れる機会というのは、実のところかなり限られていて、何ヵ月にも渡る綿密な調整とそれに沿ったトレーニングの果てに、万全に身体を仕上げてようやく望めるものなのだ。そんな貴重な機会を、非公式試合などにむざむざ費やさせるトレーナーなどいまい。

レースについては誰よりも真摯なルドルフですら、それに不服を示さず従ってきた通り、これは決して手抜きではなく合理的な取捨選択の結果である。

 

 

その事実は、今日このレースにおいても変わることはなかった。

いくら世間からの注目を浴び、観客やマスメディアが集まったところで、所詮非公式のレースに過ぎないのだから。各チームの主力級はさておき、さほど認知を得られていないウマ娘にとっては、これに乗じてファンを稼ぐ絶好のチャンスといった程度か。

良くも悪くもパフォーマンスの意味合いが強いという要素は、幸いにも今の私にとっては有利となる。

恐らくこの試合、それなりに作戦を立てて、言うならば本腰を入れて挑んでいるトレーナーは私ぐらいではなかろうか。それだけで勝敗が決まるわけでもないが、その意気込みの違いは付け入る隙にはなるだろう。

 

「―――などというのが、恐らく君の見通しだろうねぇ。無理もない。だってそうでもなければ……仮に私達が本気を出した場合、君では土台勝負になり得ないのだから」

 

「その"私達"とは、君のチームのことか。それとも、このレースに参加しているG1ウマ娘の総称か……どっちなんだ、タキオン」

 

「ご想像にお任せするよ。どちらでも、君にとって心地よい方を選びたまえ。さっきの見通しが的確なのか、それともただの楽観視に過ぎないのかについても、同様にね」

 

私のすぐ隣に並び、風に栗毛をたなびかせながら。タキオンはどこまでも飄々と、唄うようにそう囁きかけてくる。

お互い襷を肩にかけ、最終区間の四分の三あたりを終えたところ。学園まで続くなだらかな上り坂を、ペースを一定に保ちながら駆け上がっていく。

次々と先回りしているのか、沿道に顔を並べる観客の姿は一向に途切れる兆しが見えない。誰も彼もが口々に私の名を呼び、こちらにカメラのシャッターを切っていた。それを横目にしながら、タキオンはにたりと揶揄うように唇の両端を引き上げる。

 

「ほら、見たまえよトレーナー君。あの観客達のはしゃぎっぷりを。無名もいいところな君が、この私と競り合っているのが余程おかしいらしい」

 

「………ふん」

 

なにが競り合っている、だ。私と君は勝負すらしていないと言うのに。

『前半で極力距離を稼ぐ』のが私のチームの作戦方針である以上、最終区間の序盤から彼女に追い付かれた時点でそれは既に破綻していた。にも関わらずこうして横に並べているのは、そもそも最初から彼女に追い抜くつもりがないからだ。

 

こうして悠長に会話を投げ掛けてくるあたりからも、タキオンが全く本気を出していないことは明らかである。

勿論、ただ無駄話をしたがっているわけではない。追い付かれて以来ずっと、彼女の視線はしつこく私の全身……特に脚へと纏わりついてきて、それと同時に手首に嵌めたリストバンドをしきりに弄っている。おおかた、そこに計測機械の類いでも収納しているに違いない。

彼女がらしくもなく、このレースに積極的な参加の意思を示した理由。それはこうして限界まで距離を詰めながら、パーフェクトというウマ娘の『実戦データ』を採取することにあった。なんの記録も残せなかった例の薬のリベンジを、ここで果たすつもりらしい。

 

「カフェ相手なら、こうはならなかっただろうな。どんな手を使ったのか知らないが、この区間で君が相手なのは、運が良かったと言うべきか」

 

「そうとも。私がカフェを利き紅茶で下さなければ、トレーナー君にはとっくに勝ち目なんて無かっただろう。感謝したまえよ」

 

「カフェは怒ってただろうね」

 

「それはもうカンカンさ。見ておくれよこれ、襷を渡される時に引っ掛かれた痕だ」

 

半袖を捲り上げて、隠れた左上腕を見せつけられる。そこには、引っ掛かれたという表現からは余りにも外れた、赤黒く鬱血した手の痕が浮かんでいた。

 

「うわ……」

 

襷の受け渡しにおける接触など、ほんの数秒にも満たない。単なる肉体的な接触で、ここまでの傷を負わせることなど不可能である。

お友達がいなくなっても尚、カフェの行使する異能は衰える兆しがないと言うか……むしろより強化されているような。そもそもこのレースに参加した動機も、私の中にいるお友達への意趣返しだったと記憶している。

 

いくらデビュー前のテイオーが相手だったにせよ、前半にルドルフとシービーが稼いでくれた距離を一人で詰めきっただけはある。それでもなんとか、先頭だけは死守したテイオーをここは褒めるべきだろう。

トレーナーにやる気はなくとも、カフェ本人は……ともすれば私以上にやる気に満ちていた。そしてそんな彼女のプレッシャーに屈して、リギルの三番手が沈んだあたり、それすらもちゃっかりと私達の利益になっている。

そのツキの良さを、今さらここで発揮されても正直納得いかないのだが。

 

それに、そんな幸運の恩恵もまた、いつまでも永持するわけではない。

 

タキオンの腕を確認する際、横に向けた視野の右端に、こちらに徐々に迫ってくるエアグルーヴの姿が映った。

流石女帝と言うべきか、前区間の凡走により一度は開いた差を、再度着実に追い上げてきたというわけだ。

 

「チッ……」

 

軽く舌打ちと共に、また一段とペースを上げる。

この最終区間だけは特別で、最後のコーナーと直線はトレセンの模擬レース場が舞台となる。すなわち、この坂を上りきった先は学園の門へと繋がっていて、そのまま敷地内を抜けて最後はアスファルトからターフへと突入するわけだ。

極力直線のルートを選んでいるとはいえ、それでも門から模擬レース場の入り口までは、何回か急角度で曲がる場面がある。そこではどうしてもスピードを落とす他なく、追い抜かしもままならないだろう。

 

つまり、残された勝負所はこの上り坂およそ百メートルと、最終コーナー並びに最後の直線のみ。

特にこの坂道でエアグルーヴに捕まらなければ、ターフまではこの順位を保つことが出来るが、逆に抜かされてしまった場合……恐らく、形勢逆転の機会はもう二度と訪れない。

 

はっきり言って、もう余力は殆どない。たとえ本気でないにしても、かのアグネスタキオンにここまで食い下がれただけでも十分だ。自分で言うのもなんだが、私には才能があったのだろう。

本来生かす機会も……そもそも目覚めることすら無かったであろう才能。それを実感し、久々に地を駆ける感触に、胸が高鳴らないと言えば嘘になる。だが、あの女帝を前にして、そのような感慨に浸るなど自殺行為に他ならない。

 

腕を振るリズムを組み換え、一気にスピードを速くしていく。

周囲の観客が沸き立ち、それすらもみるみる後ろに流れていくなか……視界の隅っこで、タキオンが失速していくのを捉えた。

 

「……タキオン?」

 

「ああ、お陰さまで実のあるデータは回収できた。これ以上脚を使うのは御免だからね。なにより、彼女(・・)の末脚に付き合うつもりは今はない」

 

「彼女?」

 

ちらりと後ろに流された、タキオンの視線を追う。エアグルーヴの肩を飛び越えて、さらに後方に抜けた先。初めは僅かな点に過ぎなかったそれは、あっという間に輪郭を形成していき……坂道を悠然と駆け上がってくるのは、長い芦毛を靡かせる怪物。

 

「オグリ……」

 

「長きに渡る実験への協力、感謝するよトレーナー君。そして頑張ってくれたまえ。精々、健闘を祈っているよ」

 

気楽にそう言い残して、タキオンはあっという間に後ろへと落ちていった。すぐに横に並んだエアグルーヴが、一瞬なにか言いたげな目で彼女を見ていたが、結局無視してこちらに焦点を合わせてくる。

タキオンの硝子の脚は学園でも有名な話だし、ましてやアスファルトの坂道で無茶はさせられないという判断だろう。なんにせよ、これでエアグルーヴの敵となるのは、単身先頭を行く私のみ。さらに後方、オグリキャップの射程にも収まりつつある。

 

 

タキオンのことを気にしている余裕はない。

私は辛うじてエアグルーヴを振り切ったまま上り坂を終えると、さらにもう一段ギアを入れて学園の門へと飛び込む。

 

蹄鉄を叩きつける感触が、アスファルトから石畳へと移り変わり、そこでもさらに気が散ってしまう。レース経験のない私ですらこうなのだから、百戦錬磨の二人にとっては尚更だろう。

私の後方十二バ身のあたりで、二人ぶんの足音が激しく駆け引きを繰り広げているのを背中で感じる。

これまでにない長距離、慣れない足元、至近距離の観客、規格外のコース。これだけ例外が積み重なれば、勝負において平常心を保つことすら難しく、ましてや競り合いに持ち込まれれば、心が挫けて進路を譲ってしまっても不思議ではない。にも関わらず、あれだけの削り合いを展開できるのは、彼女達が競技ウマ娘として最高峰の実力を備えるがためだろう。

本当に、坂道で先頭を維持できたのは僥倖だった。あのぶつかり合いに巻き込まれでもしたら、私はいの一番に脱落していたに違いない。

 

門を潜り、学園の大通りを抜けて、テープの張られた遊歩道を駆け抜けていく。

静かに走るべし、なんて学則も今この瞬間は通用しない。けたたましく足音を響かせながら、石ころ一つない整えられた石畳を一目散に駆け抜けていく。

ここまでは作戦通りだ。作戦通り、無理やり追い抜かそうと試みる気配はない。

 

「っ……!!」

 

しかし、余りにも重厚な、押し潰されそうな程苛烈なプレッシャーが、どす黒くとぐろを巻いて背後からのし掛かってくる。

重くベタついた、乾留液を彷彿とさせる圧。首筋に纏わりつき、背筋を流れ、足首を容赦なく絡めとってくる。脚を引かれる一方、心臓は狂ったように早鐘を打ち鳴らし、まるで思うように進めない夢の中、恐ろしい何かに追われている時のような。

 

これは……どっち(・・・)だ?

 

 

遊歩道を走りきり、勢いを殺さず模擬レース場へと飛び込んだ。

地面が石畳からアスファルトへ、そして芝へと目まぐるしく変わる。その変化に呑まれないよう、注意の幾ばくかを下方へと裂きつつも、視線はあくまで真正面を向いたまま。

 

脇目も振らず最終コーナーに突入し、それをちょうど半分曲がったところで、正面に映るのはターフを望む観客席の石階段。

ひしめく観客の押し退けるように、最前列の落下防止柵に取りついているのはルドルフとシービー。

たぶん、こうなるよう計算して位置取っていたのだろう。目があった瞬間、素早くサインを送ってくれる。与えられた情報は、私の真後ろにつけたウマ娘の枠番と、その間の距離。

 

この瞬間において、残された距離は七馬身。

そして二番手につけているのは、この尋常じゃないプレッシャーの元凶は……

 

……"芦毛の怪物"オグリキャップ。

 

エアグルーヴとの競り合いを制したか。

ならば、このコーナーを曲がり切った最後の直線は、私と彼女との末脚勝負になる。

 

タキオンは既に戦線から離脱し、エアグルーヴも態勢を整え、再加速するまでにはまだ時間がかかる。オグリの差し込みを妨害する者はいない。つまり私に与えられたハンデは、ルドルフとシービー、そしてテイオーが残してくれたこの七バ身のみ。

余りに心もとないそれすらも、スパートに移行する手前、このコーナーの時点でじわじわと詰められつつある。

 

濃厚な気配が輪郭を纏い、ゆっくりとその本体がせり上がってくる感触。

たぶん、振り向けばもう、呼吸の音すら聞こえる距離にあの怪物が迫っているだろう。そうだ、なにも勝負は最終直線でつけなければならないというルールはない。オグリは末脚さえ使わないまま、このコーナーで決着をつけるつもりなのか。

 

 

それを悟った瞬間、諦めが心を蝕んでいく。

後ろに落ちていくタキオンの姿が脳裏をよぎり、私もまた望まないまま、それに引き摺られかけて―――

 

「―――!!?」

 

―――ふと、自然に足が動いた。

 

後ろ向きな心とは正反対に、前へと、そして内側へと。姿勢は前傾に、走法も変わる。ラチに切り込むようにして、速度が上がると共に、進路から無駄を削るがごとく。

自分で走っていて惚れ惚れするような、完成されたコーナーリング。前方の観客席から爆発が轟いた。

 

後方で、オグリの勢いが僅かに衰えたのが分かった。内側から抜け出そうとしたところ、進路を塞がれたのか。これで、彼女の最初の仕掛けは潰せたこととなる。

距離も僅かに稼げただろうか。次の攻勢まで少しでもその差を広げようと、私はがむしゃらに速度を上げながらコーナーを曲がりきった。

 

そして、最後の直線へと。

遠心力で傾いていた上体を建て直し、ゴール板を直線上に捉える。重心を落とし、スパートを見据えて一歩二歩進んだ瞬間。

 

 

「逃がさん!!!」

 

―――――背後で、地面が爆発した。

 

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