シンボリルドルフに逆らえないトレーナー君の話   作:くまも

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とある半人前の顛末

ゲートの隙間からそよぐ風に、私はそっと顔を上げた。

心地よい感覚とは、残念ながら言い難いか。それに乗って流れてきた人いきれの匂いが私の鼻をくすぐり、歓声が耳を貫く。

 

そのいずれもがこの私の、皇帝の走りを今か今かと待ち望んでいるのだと、理屈ではなく本能で理解出来た。

隣のゲートで構えるシリウスが知れば、なんとも傲慢なものだと鼻で笑われるかもしれないが、しかしそれこそが事実である。

いつだって私には絶対があった。それはトレセンに足を踏み入れてからに限らず、遠い昔、初めて芝の大地を踏んだ瞬間から。

 

勝敗なんて些細なことで、頑張った誰もが一等賞……なんて、甘ったるいお為ごかしを口にする気はさらさらない。私は勝ち続ける。これまでも、そしてこれから先も。

 

 

だから、ようやくこの日、あの敗北を雪ぐ機会を与えられたのは、やはり私にとっては僥倖だった。

 

パーフェクトには悪いが、私は勝ち逃げを許せない性格だ。トゥインクルを共に駆け抜け、記憶を取り戻した今の彼なら、そのことも理解出来るだろう。

ああ、きっと、君にとってはあくまで体の良い誤魔化しか、口先だけの約束事だったに違いない。『私とレースをする』だなんて、檻で尻尾を巻いた子獅子を誘い出す甘言に過ぎなかったんだろうな。

だけど、そんな言い訳を私は絶対に認めない。共に走るという誓い、そしてあの日から私が預けっぱなしの勝利……今日この時この場所で、総て過不足なく精算させて貰う。

 

「よぉ。今日の調子は万全かい、ルドルフ」

 

係員が全ての工程を完了させ、着々と退避に移る姿を見届けながら、私だけに聞こえる小声がそう挑発してくる。

 

そう言う君はどうなんだ、と問い返そうとして止めておく。

このエキシビションレースにおいて、私が見定める敵はただ一人だけだから。

 

そしてシリウスにとっては、そんな私の態度が尚更気に食わないのだろう。

思えば全ての始まりとなったあの日、私達の勝負に混ぜろと絡んできたのだから、仲間外れは嫌ということか。

もっとも、それはシリウスの方から勝手に言い出したことであって、私はそれに許しを出したつもりはない。私と『彼女』の勝負に水を差そうというのなら、容赦なく叩き潰すまで。

 

「聞けば昔、随分不甲斐ない走りをしたらしいじゃねぇか。そん時、この国にいなかったのが心底悔やまれるぜ」

 

「君としては、今日もそうであって欲しかったのかな?だとしたら、残念至極だと言うほかないな」

 

「そうやって調子にのって、足元を掬われないよう精々気を付けるんだな皇帝サマ。二度目の敗北は言い訳が利かないからな」

 

「私は君がこの足を掬う時を、今か今かと楽しみに待っていたんだがねシリウス。首を長くし続けて、はや数年も経ってしまったが」

 

蹄鉄の裏で、軽く芝を掻いて見せる。

 

「……なにはともあれ、私と『彼女』の邪魔だけはしてくれるなよ」

 

「フン」

 

挑発にも飽きたのか、一つ鼻を鳴らすと、シリウスはそれっきり口を閉ざした。

逆隣からひっそりと視線を送ってきていたウマ娘もまた、良くないものを見たと言わんばかりに顔を逸らしてしまう。

 

とりあえず、ゲートでの駆け引きはここで切り上げと言うことか。せめて、逆隣にいたのがこのウマ娘ではなくトレーナー君であったなら、もう少し楽しいお話が出来たのかもしれないが。

残念ながら、その姿は私からだいぶ離れた内枠にある。さしもの私でも、いくら非公式のエキシビションレースとはいえ枠番に介入することなど出来る筈もないので、ここはついてなかったと諦めるほかない。

 

『各ウマ娘準備が整いました。これより第四十九回、トレセン学園秋のファン大感謝祭エキシビションレースを―――』

 

係員の退避が完了し、いよいよアナウンスも出走を見据えたものへと切り替わる。

実況を努めるのは、今年学園に就職したばかりの事務員だ。初めてだというのに、よく噛まずに言えるものだと、そんな場違いな感心を抱く。

 

スタートに備えてフォームを整えながら、顎だけを心もち上にもたげた。

闘争の予感に鼓動が高なり、全身の血液が熱く煮えたぎっていく最中、いやに澄んだ視界がいつもより世界を鮮明に記録していく。

前を見据えていながら、隣で直線を睨むシリウスの顔も、観客席に波打つ人々の表情も一つ余さず補足出来た。その気になれば、風の流れすら目で追えそうな気さえする。

模擬レース場に詰めかけたファン達の息遣い、視線、大小様々なコール。

G1には及ばないながらも熱の籠ったそれらを一身に浴びながら、それでも私は冷たい思考からは手を離さなかった。

 

最高の仕上がりだ。決して短くない私の競技ウマ娘としてのキャリアにおいても、恐らく三指には入るだろう。

三年前のこの日のような、不甲斐ない走りは見せない。これまでのどんなレースにも劣らない、ただただ燃え上がるような熱を脚に注ぎ込んで、私は緩やかに腰を落とす。

騒々しい歓声がふと一斉に静まり返り……違う、私の耳がそれを弾いたのか。見据えるのは直線から最初のコーナーに至る境目。

 

 

がしゃんと、ゲートが開いた。

 

 

 

 

 

『さぁ、各ウマ娘一斉にゲートから出ました!!どのウマ娘もスタートは順調、一番先頭を行くのは―――』

 

いの一番に飛び出していったのは、普段から逃げで鳴らしている二人。ファンサービスも兼ねてか、今日もまたその十八番で挑むつもりらしいが、逃げウマ娘でない私はそこには乗らない。

 

今回、私はあえて差しの選択を外している。代わりにつけた位置は先行。そちらもまた私の得意とする戦法ではあったので、予想を裏切る方針転換ということにはならないだろうし、そのつもりもない。これは奇襲や攪乱を狙ったものではない。ただ一人のウマ娘を標的とした作戦。

 

いつも通り先行につけたシリウスの、その内側にぴったりと張りつく。それは我ながら、余りにも露骨なマークだった。

 

私達の少し後方、差しの位置から前を見据えるトレーナー君が、やや動揺する気配を悟る。

予想通り、ポスト・レースと同様に、経験の乏しさを私のレーススタイルを忠実になぞることで補おうと考えていたらしき彼女は、序盤から私との競り合いになることを念頭に置いていたのだろう。

それもあながち間違いではない。私にとって、最大の標的はトレーナー君だが、そのためにまずは邪魔な彼女に消えてもらう。

 

トレーナー君と同じく、彼女にとっても想定外の展開だったのだろう。

鋭くこちらを睨み付けながら、シリウスは短く息を吐いた。

 

「ルドルフッ……!!」

 

「言っただろう。邪魔をするなと」

 

そうだ、君に邪魔はさせない。

思う存分『彼女』と競り合うためにも、まずは君から退場願おう、シリウス。

悪く思うなよ。元々、あの日の続きがあるとしたら、まずはこうしようと心に決めていたのだから。

 

今日のレース……他ならぬトレーナー君と競うことになる以上、私は彼からの指示を受けられなかった。

正真正銘、私一人で挑むレースだ。だからこそ、トレーナー君が普段好んで選ぶ差しの位置から、堅実に展開を運ぶという選択肢も無いわけではない。実際、それでも十二分に勝ち目はあっただろう。

むしろこうして前に陣取ってしまうと、後方からの威圧でバ群全体の動きを乱し、ペースを崩壊させるという得意の戦法が使えなくなるぶん、悪手とすら言えるのかもしれない。

 

でも、よく考えれば、あの日初めて『彼女』と出会った時も、私にトレーナーなんてついていなかったわけで。

しかも私は、トレーナーなんかいなくても一人で勝てるだなんて、そんなことを臆面もなく口にしていた。

 

実際、幼い私はそれでも勝ち続けてきたのだし、『彼女』とのレースにおいても一人で勝つつもりでいたのだから……むしろ、そのリベンジである今日もまた、それに倣うべきではなかろうか。

そうだ、私は今日ここに皇帝シンボリルドルフとしてではなく……

 

 

……ただ一人のウマ娘。『ルナ』としてターフを駆けているのだから!!

 

 

「くっ……!!」

 

コーナーを曲がり、向こう正面に差し掛かる。集団が徐々に伸び始める中……ほんの一瞬、苦しそうに眉をひそめるシリウス。

私が邪魔になって、どうしても内に切り込むことが出来ない彼女は、かといって前後も塞がれて完全に道が閉ざされている。今日のレースは先行が多く、ただでさえ詰まりやすいこの集団において、本来つけるつもりだった位置を私に掠め取られたのが致命的だった。

必然的に、大外を走らされる羽目になったシリウスは、最初のコーナーの時点で大きく外に膨らんでいる。

彼女だけ、数百メートル余分に距離を課されているようなものだ。そこに私からの妨害も加わって、中盤にしてシリウスは既に大きく体力を消耗していた。私に競り合いを挑む余裕はなく、ただ己の走りを維持することだけで手一杯の様子。

 

そろそろ仕掛け時か。

 

呼吸の間隔を一転させ、風を切る腕の動きや芝を蹴るリズムに変化をつける。この一分余りの展開で、私のペースにようやく慣れてきたウマ娘は、この変調で一気に感覚を狂わされる。

それでも普段のシリウスであれば、この仕掛けに惑わされることもなかっただろう。だが、今の彼女は大きく消耗している。そしてなにより、これの対象は彼女だけじゃない。

真後ろの私の気配に混乱した前方集団もまた、続々と自分のペースを見失っていく。レースを率いていた彼女達の失調は、そのまま私以外の後続にも波及していった。

 

そのまま最終コーナーへ。

自分を見失ったウマ娘に、巧みなコーナーリングなど期待できる筈もなく。ペースを落とした前方の走者達は、自分の走りを取り戻したウマ娘も波に浚うように、まとめて後ろへと流れていく。

そこにはシリウスの姿もあった。今の彼女にはもう、崩れてきた集団を突破するだけの体力が残されていない。なまじ逃げ二人がスタミナを使い果たしていないぶん、今度はそちらとの駆け引きに労力を割かれることとなるだろう。

強敵には本領を発揮させず、他のウマ娘ごとまとめて後方へ。彼女には悪いが、それが私の十八番だった。

 

このままゴール板まで駆け抜けようかと、最後に一度だけ、後方に視線をくれたところで……膨らんだバ群の中から、ただ一人飛び出してくる影が見えた。

 

私ともシリウスとも違い、勝負服ですらない半袖短パンの体操服。G1どころか、重賞すら出ていないにも関わらず、ファンの酔狂でこの舞台に足を踏み入れた異物。

 

「ふふっ……!」

 

ああ、やっぱり来てくれたねパーフェクト。

 

さぁ、あの日の約束を果たしてくれ。

 

 

 

◆◆◆◆

 

 

 

最終コーナーを中盤まで曲がった頃には、集団の歯車は取り返しのつかない程狂ってしまっていた。

周囲のペースを乱し、パフォーマンスが崩れた隙をつく。ルドルフの得意とする戦術であるが、仮にもファンに選ばれしウマ娘集うこのレースにおいて、ここまで機能するのは予想外だった。

 

それは恐らく、ルドルフの前のめりな先行策と、シリウスの失調によるところが大きい。

 

逃げウマ娘二人を筆頭に、先頭集団はルドルフとシリウスの二人をペースメーカーに置いていたように思う。

ただでさえ、普段のレースと比べても距離が短いこのエキシビションレース。その特殊な環境下においては、過去に何度も出走歴のある二人が適任だと踏んだのだろう。

それ自体は決して間違った方針ではないが……ルドルフがあえてペースを崩し、シリウスもそれにあてられた以上、前提から瓦解したのだからどうしようもない。意図したものかは分からないが、結果としてルドルフはそこを完璧に突いた形となった。

たぶん、ルドルフ本人としては、わざわざ仕掛けを施さなくとも勝つ見通しはあっただろうし、単純にシリウスを潰したかっただけな気がするが。

 

そしてそんな集団の失速は、奇しくも私にとっても有利に働くこととなる。

皇帝のトレーナーとしての長年に渡る経験と知識から、彼女の仕掛けのタネとタイミングについても察しがついていた。それはあくまでも、無意識領域における感覚を狂わせるものだ。予めピンポイントで警戒していれば、凌ぐことも不可能ではない。

もっとも、仮に最初から彼女にマークされスタミナを削られていたとしたら、シリウスの二の舞になっていただろうが……標的とならなかったことで、私はこの最終局面においても生存を果たしていた。

 

コーナーの終盤。

ついこの前、ポスト・レースで得たあの感覚を思い出し、再現する。

かつて巧みなコーナーリングで鳴らしたウマ娘からの直伝だ。なんとか振り落とされず、皇帝に食らいつく。私達二人は既に隊列から突出していて、後方から突き上げてくる者はいない。

 

そして遂に、最後の短い直線へと雪崩れ込む。

後方からルドルフの内側に切り込む隙はない。無理に前に出たところで、斜行にしかならないだろう。あくまで横につけたまま、スパートの姿勢をとった。

 

それは隣の彼女と全く同じタイミングで、全く同じフォーム。

偶然だったのか、合わせてくれたのか。その答えを知るのは彼女のみ。

 

 

ただなんとなく、ルドルフは……『ルナ』は、こんなことをしたかったんだろうなと。

昔から、あの地下室にいた頃から、ひょっとしたら初めて芝を踏んだ瞬間からずっと……これを夢見ていたんだろうなと。

 

 

そう、すとんと腑に落ちる部分があった。

 

 

「楽しかったよ。君との一週間は、全て」

 

体勢。肘と膝の角度。踏み込みの重心。肩と頭の位置。

気の遠くなる程見てきたそれ。だけど、そっくり真似出来たのはその一瞬だけで。

 

 

「じゃあね。さよなら……パーフェクト」

 

 

そう告げた瞬間。

 

放たれたスパートは、稲妻の如く芝の海を突き抜けていく。それは私の真似では影すら踏めない、絶対なる皇帝の神威。

 

『速い速い!!ぐんぐん伸びていくぞシンボリルドルフ!!やはり最後に勝つのはこの皇帝か!!』

 

見る間に遠ざかっていく、深緑のジャケットと深紅のマント。黄金の肩章が、陽の光を反射して煌めいて、それが狂おしいほど美しく見えた。

もう、その背中には追いつけない。ここから追い縋る手立ては……ない。

 

 

「うん、さようなら。ルナ」

 

 

完敗だった。

敗北の悔しさも、格付けの恐怖も微塵もなく。ただただ、これが私と『ルナ』の結末なのだと受け入れて、凪のような穏やかさが胸を満たした。

 

 

あの子はもう振り返らない。

前だけを見据えたまま、ゴールへと駆け抜けていく背中。

 

 

『ゴールイン!シンボリルドルフ!!圧倒的な実力差を見せつけ、見事連覇を果たしました!!』

 

 

―――それに、手を伸ばそうとも思わなかった。

 

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