秋の大感謝祭が終わると、一年もいよいよ終わりが見えてくる。
師走の異名が示すように、いつもいつも年度末はこれでもかと忙しくなるものだから、理事会や事務方のスタッフ一同、そして生徒会においてももうひと踏ん張りと気持ちを奮い立たせる頃合。
勿論、我々トレーナーにしても、全く気を抜くことは出来ない。
年末は、トレセン学園が大いに盛り上がる時期だ。
その理由として、まず挙げられるのはやはり有馬記念。レース競技の枠をも飛び越えた、年末の風物詩と言ってしまっても過言ではない一大イベント。
ジャパンカップの余韻を引きながらファン投票が実施され、そこで選ばれた十六名の優駿がその年度の覇を競うグランプリである。
その有馬が終われば、大井で総決算たる東京大賞典が行われ、それにてレースの見納めというのが毎年のルーチンとなっていた。まぁ、年が明けたら明けたで新年早々忙しいのだが、それはさておき。
「ほら、トレーナー。そんなぼさっしてると人に呑まれちゃうよ。今年だってそんなに疲れてないハズでしょ?」
「ジャパンカップも有馬記念もないからね。やっぱり観る側だと気楽かな」
「なら早く」
いつの間にか並んでいたシービーに袖を引かれながら、イルミネーションで華々しく彩られたカフェテリアを散策する。
柱に掲げられたカレンダーの日付は12月24日。すなわち本日はクリスマス・イヴの夜で、今年もまた毎年恒例のパーティーが開かれていた。
主催は生徒会であり、会長であるルドルフが取り仕切っている。この日までに大仕事を終わらせるべく、私含め生徒会関係者一同この一週間頑張ったのだ。
少しぐらいゆっくりしたいと思う気持ちもあるのだが、同じくデスマーチを乗り越えたシービーに誘われては断れない。
一晩しっかり寝たお陰か、今日の彼女は元気一杯だった。この体力の違いは種族差によるものか……あるいはただ単に、私が歳を取っただけかもしれないが。
「うーん……皆はどこにいるんだろうね。いつもより人が多い」
「去年と違って有馬とも日程が被らなかったからね。それに予定の空いてるトレーナーはほぼ全員が、ここに参加することになるから」
「なんで?」
「君達に何されるか分からないからだろ」
「??」
トレーナーとしての自己防衛の一環だ。
どうも年頃のウマ娘にとって、聖夜という単語は耐え難い程に甘い響きを奏でるらしい。
この日、太陽が地平線の向こうに身を隠した瞬間、担当が豹変して掛かり始めたという事例を毎年耳にする。
悲しいかな、主に新人トレーナーを中心として被害も出ているのだ。現にゴールドシップのトレーナーは、早いもので今週の頭から担当もろとも姿を消している。
いずれにしても、そんなウマ娘達を前にして、このクリスマスの夜をオフにしてしまうのは、まな板の上に裸で寝っ転がるに等しい所業である。
なにがなんでも予定を埋めるというのは、決して聖夜を一人で過ごしたくない見栄などではなく、れっきとした社会的生存のための知恵に他ならない。
なので今日も今日とて、このカフェテリアは生徒とトレーナーでごった返していた。
一段高いステージが設けられている部屋の最奥では、ルドルフと副会長二人、それに美浦と栗東の寮長が混じって企画の進行を行っている。
テイオーはマックイーンやマヤノトップガン達と共に、最前列で熱心に手を振っていた。同じくイベントに積極的に参加する生徒がいる一方、友人知人とつるんで思い思いに楽しんでいる者も多い。度が過ぎた騒ぎさえ起こさなければ、基本的に過ごし方は自由だ。
なんにせよ、本当に人が多い。
優れた耳と鼻を持つぶん、シービーの方が探知能力に優れるだろうが、私も私で人混みの中から知人の顔を必死に探す。
と、急になにかに蹴躓いた。
「わっ」
「っと……大丈夫、トレーナー!?」
「おう、わりぃな。ここのテーブルは俺のながーい足を納めるにはちょいと足りない」
「くっ……」
……違う、脚を引っ掛けられた。
飄々と適当な言い訳を垂れ流しながら、チキンの骨から肉片を引き剥がしているのはサンデーサイレンス。
カフェテリアの一角を占拠し、ソファの真ん中にどっかりと腰を下ろしながら、周りに先輩と担当チームの面々を侍らしている。その中にはちゃっかりと、先生の姿まで。
窓に面した店内の中央という、中々の立地を数にものを言わせて占領している姿は、いつぞやのシリウス一派の光景に重なった。
もっと言うなら、頭がシリウスから彼女に刷り変わっただけで、本質的にはあの頃のままなのかもしれない。
いや、なまじ正式なチームとしての身分を手に入れたぶん、むしろ悪化しているのか。
そんな中に、すっぽりと馴染んでいる先生も先生である。探しておいてなんだが、同席するのはなんとなく気が引けた。
「……あぁ、カフェはいないんですね」
分かってはいたことだが、あえて口に出してみる。意趣返しだ。
「ああ、アイツならいつもの栗毛といつもの場所に籠ってるぜ。なんでもより完成されたイルミネーションを追求するんだと」
「なら、いつも通りですね」
「お前も顔を見せてやったらどうだ?なにせ半年も『療養』してたんだから、元気は有り余ってんだろ」
「嫌ですよ。せっかくのクリスマス・イブなのに、なにが悲しくて被験体なんかに」
「クリスマスねぇ。この国のクリスマスは喧しくて敵わない。仮にも聖誕祭って言うんならよ、もっとこう……」
この時期になると、昔から耳にタコが出来るほど聞かされてきたいつもの長話が始まりかけた瞬間、床にしゃがみこんだ私の腕を誰かが引き上げた。
見れば、ついさっきまでステージでテイオーと戯れていた筈のルドルフが、にこやかに微笑みながら私の腕を掴んでいる。
「やぁ、トレーナー君。楽しんでいるかい」
「たった今来たばかりだよ。それで、帰ろうと思ってたところだ」
「それは良くないな。今日がどういった日かは君もよく知っている筈だ。迂闊に隙を見せれば、ふしだらな担当ウマ娘に食べられてしまうよ」
そう言いながら、真横のシービーの肩を抱き寄せるルドルフ。シービーはすうっと目を細めながらも、なにか思うところがあるのか大人しくされるがまま。
さらにその後ろからは、手を振って近づいてくるマルゼンスキーとカツラギエースの影も。
「へぇ、それでルドルフ。仮にアタシがふしだらだとして、キミがそうじゃないっていう根拠は、なにかな?」
「決まっている。……勝負服の肌面積さ」
「なっ……!?」
抱き寄せる動きから一変、突き放すようにシービーを後ろに押し退ければ、彼女はマルゼンとエースに引き摺られて人混みへと呑まれていった。
確かシービーは、彼女達からの誘いも受けていた……と言うより、寄越された誘いのほぼ全てにOKを出していた気がする。
唯一断ったのは、ゴールドシップがソリで南十字星を観に行かないかと誘った時ぐらいか。
いずれにしても、あの様子では今夜いっぱいは自由にしてもらえまい。
全て彼女自身が撒いた種ではあるが。人気者も大変だな。
「……さて、ルドルフ。私は今からついうっかり、予定が空いて一人きりになってしまうわけだが」
「ふふ、なら拐ってしまおうか、トレーナー君。ああ、そうだとも……全て、不用心な君が悪いのだから」
決して腕から指を離さず、いそいそとカフェテリアの出口までルドルフは私を引っ張っていく。
とりあえず、これで母の長話から逃れられたわけだが……果たしてルドルフは、私をどこに連れていくつもりなのだろうか。
喉元過ぎればとはよく言ったもので。
こんな時、私がウマ娘なら気楽だったのだろうかと。そんな益体のない考えが、ほんの一瞬、頭をよぎった。
真っ暗な学園の敷地を、二人並んであてどなく歩いていると、本校舎に辿り着く。
カフェテリアまで生徒の殆どが出払っていることもあり、人気もなく明かりも落とされたままだ。
お互いしめし合わせたわけでもなく、自然と足が裏手へと向かう。
ぐるりと校舎を回り込むと、すぐ手前には屋上へと続く階段。
月光だけを頼りに、転ばないよう一歩一歩慎重に昇っていく。
カンカンカン、と虚しく響きわたる安っぽい金属音。
手すりを握るも、剥げてささくれた塗装が手に刺さるため仕方なく離した。
所々に赤錆の浮いた外観は、この学園が重ねてきた長い歴史の現れだろう。
そうして辿り着いた屋上は、直前まで人で溢れた部屋にいたこともあってか、妙に広々と感じられた。
「誰もいない。それもそうか」
「立ち入り禁止というわけではないんだけどね。高さがあるから景観も良い。穴場と言ったところかな」
目についた柵に近寄って身を乗り出せば、府中の夜景が一望出来る。
都心のように煌びやかな光の塔が連なっているわけではないが、それでもぽつりぽつりと民家から光が漏れ出ている光景は、季節外れの蛍が舞っているようで趣があった。
ルドルフの言葉の通り、心地よい景色だ。
そうして肩を並べてしばらく夜景を眺めていると、不意にルドルフがぴくりと頭をもたげた。
少しの間、ウマ耳をあちこちに動かしていたが、やがてカフェテリアの方角に向かって静止する。
「…おや、音楽が流れ出したな。どうやら向こうでダンスが始まったらしい」
「そうか…特に何も聞こえないけど」
「ウマ娘と人間の聴力には差があるからね。君が聞き取れないのも仕方がないさ」
そう言うと、ルドルフはするりと私の頭に手を伸ばしてきた。
側頭部に指を滑らせて、耳の輪郭を二度三度なぞったかと思えば、そのまま昇って頭頂部を優しく撫でていく。
そこはつい数ヶ月前まで、ウマ耳が二つ並んでいた場所。今となっては見る影もなく、タキオン曰く痕跡の一つも見当たらないらしい。
無事、一件落着というわけだ。
件のシンボリの研修生は、今後に備えるという名目で本家へと引き戻され……そして金輪際、日の当たる場所には出てこない。
健闘したとはいえ、所詮非公式のレースで二回走った程度。学園にも殆どいなかったものだから、年さえ越えれば世間からも学園からも、その記憶は薄れていくだろう。
誰の記憶からも消えてなくなっていく。
ただ一人、目の前の彼女だけを除いて。
「ふふ……」
なんとも楽しそうに、私のウマ耳があった場所を何度も繰り返しなぞったかと思うと、ルドルフはそのまま私の髪に指を通して、鋤くように撫でていく。
年下の女子学生に、こうして頭を撫でられるのはどうにも落ち着かない気分だが、耳と尻尾をぱたぱたとさせながら、ご機嫌な彼女を見ていると止める気にはなれなかった。
しばらくして満足したのか、ルドルフは私の頭を解放すると、一歩だけ後ろへ下がる。
何をするのかと訝しんでいると、彼女は私に手を差し伸べてきた。
「どうだろう、トレーナー君。ここで一曲、私と踊ってはくれないだろうか?」
「踊る…?」
「ああ、皇帝直々にエスコートして差し上げよう」
それでも断るかい、と悪戯っぽく笑うルドルフ。
「いや。よろしく頼む」
「ふふっ……こちらこそ」
微笑むと、開いた距離を埋めるように一歩踏み出してきた。
「それでは、お手を拝借」
白く妖しげな月光の下。
私の手を導く彼女の三日月が、それに応えるように揺れていた。
空っぽの夜空に響く、二人ぶんの靴音。
私には分からない、彼女だけが聴こえる伴奏にのって、屋上の真ん中で軽快にステップを踏む。
「うん、中々筋がいいよトレーナー君。私もいいパートナーを見つけたものだな」
優雅なリズムを刻みながら、私を巧みにリードするルドルフ。
痛みが残るほど、私の手を固く握りしめて。
「……っ」
それに驚いて、反射的に後退る。
「こら。駄目だよ、トレーナー君」
後退ろうとして、それは許されなかった。
背中の腰の真ん中、かつて尻尾が生えていたそこに手を添えながら、かえってルドルフは私を力強く引き寄せる。
ちらりと犬歯が月の光を反射して、真っ赤な舌先が、唇の間から覗く。
少し小首を傾げて、正面の私を覗き込むようにして、一言。
「君を手放す気は毛頭ないと言っただろう」
それは、いつかの夜と同じ笑顔だった。
完結です。
長い間お付き合い下さり、コメントや評価等も下さった読者の方々に、心よりお礼申し上げます。