「トレーナーの寮の合鍵、失くしちゃったんだよね」
「トレーナー寮の合鍵、失くしちゃってさぁ」
生徒会の業務を終えて、戸締まりも済ませた深夜。
さて帰ろうかと、私の気が緩んだ瞬間を見計らって……唐突に、本当にいきなりシービーはそう告白した。
「あはは……」
「いや、あははじゃないが」
少しだけ緑の混じった、艶やかな黒鹿毛をさらさらと揺らしながら、シービーは照れ臭そうに頬を掻く。
世の男性が見れば、百人が百人「仕方ないなぁ。次から気を付けようね」で済ましてしまいそうなその愛嬌も、同じウマ娘である私には通用しない。
「どうするんだ。もし不届きな輩に拾われて、悪用されでもしたら、困るのは他でもないトレーナー君なんだぞ」
「あ、それは大丈夫。失くしたってのは言葉のあやだから」
「どういう意味かな」
「どこにあるかは分かってるんだよ。トレーナーの部屋のコピー機の隣。だから失くしたって言うより、忘れたって言う方が正しいかな」
「なるほど。車内に車のキーを置いてきたようなものか」
「あはは、マルゼンがつい一昨日やらかしてたヤツ?」
「現在進行形でやらかしてるのは君なんだけどな……」
「そうそう。困っちゃうよね」
けらけらと、朗らかに笑うシービー。
なんとも暢気なものだ。だが、シービーはそういう人となりだということは、決して短くない付き合いの結果、経験として理解していた。
決してどんな場面でもへらへらしてるわけじゃない。締めるときはしっかり締めるし、やらかした時はちゃんと反省する。
短期間とはいえども、仮にも私の前任として生徒会長を務めたウマ娘。時と場合については、人並み以上に弁えていた。
弁えているからこそのこれなのだ。
自分で言っておいてなんだが、やらかしたという程のものでもないから、変にしおらしくされてもそれはそれで困るのだが。
「まぁ、中にあるなら、トレーナー君に伝えれば渡してくれるだろう。いや、わざわざそんな二度手間踏まなくとも、解錠してもらえばいいだけか」
「そうなんだけど、もうこんな時間だしね。起こすのも悪いでしょ?だから、どうしよっかなって」
「それはそうだな。君にしては配慮が行き届いている」
「ねぇ、ルドルフ。なにかいい考えはない?」
「うぅむ……」
なにか、と言われてすぐに妙案が思いつくほど私も万能ではない。
こういう時、正規の手続きを踏むのが最善なのだが、トレーナー寮の鍵の管理は生徒会ではなく営繕課の役割だし、生憎事務局の窓口はもう数時間前に閉められている。
となれば強行手段。すなわちピッキングか破壊か。
しかしここは天下の中央トレセン学園。セキュリティの頑丈さは首相官邸にすら匹敵するとまことしやかに噂されている施設。
流石の私でもピッキングのスキルは活かせそうにない……というよりカードキーとセンサーによる解錠だから、そもそも鍵穴自体がない。
ましてや破壊なんてもっての他だ。全国津々浦々からウマ娘が集まる学園だからこそ、対ウマ娘セキュリティにも余念がない。
いずれにしても、下手に力業に訴えたが最後、私とシービーの二人で明日の朝刊一面を飾るのが関の山だろう。
現役の三冠ウマ娘が二人も更正施設行きとなれば、間違いなく日本のレース競技史で忘れられない一日になるぞ。言うまでもなく、悪い意味で。
「鍵のレスキュー屋さん……とか?」
「あれって解錠に家主の同意が必要だよ。だからトレーナー起こしちゃダメなんだってば」
「そ、そうか……そうだな。忘れてくれ」
「……まぁ、アタシは体が柔らかいからなんとかなるよ。キミは気にしないで先に帰っちゃって、ルドルフ」
「あ、ああ……」
なんとかなるって、どうするつもりなんだが。
まさか、本当に腕力にモノを言わせるつもりじゃないだろうな?
気になったが、私がそうしている間にも、シービーの姿はみるみる遠ざかっていく。
追ってもいいが、いい加減眠いし面倒なので止めておく。彼女がどうにかなるというなら、きっとなんとかなるのだろう。
あの思考の読めない先輩のことを、曲がりなりにも私は信用していた。
それにトレーナー君は私達の育成で忙しい。自分で言うのもなんだが、私とシービーを同時に担当して、しかもチームにはその二人だけとなると、かかる気苦労やプレッシャーは相当なものだ。
だからこそ、休める時はちゃんと休んでもらわないと困る。こんな時間に叩き起こすのは、私としても躊躇われた。
「はぁ……」
それにしても、彼女はどうにも見ていて危うい。そそっかしいわけではないのだが、先の行動を予測できないのはやはりどうしても不安になる。
最近は一人暮らしに関心があるようで、毎晩ベッドの中で熱心に物件を漁っているようだけど、それが仮に実現したとして、人知れず暴走しないか心配だ。余計なお世話かもしれないが……。
それに、そもそもの話。
あのトレーナー寮の合鍵、私も使うのだが。