シンボリルドルフに逆らえないトレーナー君の話   作:くまも

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ルドルフを生徒会室の前に置き去りにして、アタシは寮を訪れた。

生徒が暮らす二つの寮ではなく、学園に併設されたトレーナー寮。玄関でカードをかざして入館する。共用部分については、美浦や栗東ほどセキュリティは厳しくない。

ちゃんとした手続きさえ踏めば、寮の玄関の前まで辿り着くのは簡単である。問題はここからだった。

 

プライベート……すなわち寮部屋の中に入るとなると、とたんに難易度はぐっと上がる。

一見して、とり得る選択はいくつもあるように思える。だが、ちょっと突き詰めればそれらの殆どは、不可能か非現実的という結論に着地してしまう。

そもそも無断で立ち入れられないためのセキュリティなのだから、苦戦するのも至極当たり前の話だった。勿論、アタシとてその程度のこと最初から分かっている。その上で、ただ一つだけ、見込みのある方法を考え付いていた。

 

とにもかくにも、そのためには内と外をつなぐ通り道にあたりをつけなくてはならない。

アタシはマンハッタンカフェのお友達と違って、流石に壁をすり抜けることは出来ないから、まずは通路を用意しなくては。

 

「ん、んー………」

 

玄関の前で腕を組んで、あちこちを舐め回すように検分する。

端から見て、あまりにも怪しすぎる所業。それでも時間が時間だし、幸い監視カメラの類いもここにはないので、今のアタシを止める者は誰もいない。この時のために、警備員のシフトにも手を加えてあった。

 

さて、どうしたものか。

最も現実的に思える外からの侵入は、その実、最も厳重に警戒されているので控えるべき。かといって、ダクトを通っていくには換気扇のプロペラが邪魔になるし、そもそもそんな幅もない。

 

……となると、やはりここしかないだろう。

 

「んーと……うん、鍵は開けっぱなしだね。よしよし」

 

玄関下部にある宅配ボックス。

内側から鍵の開け閉めが可能なタイプだが、普通こんなものの鍵を毎回律儀に施錠しておく人など殆どいない。案の定、手を差し込んで力を入れれば戸が開き、あっさりと中まで貫通した。

 

高さにして、アタシの頭が通る程度か。

十分だ。猫ではないけど、頭さえ抜けるならそれはアタシにとってなんの障害にもなりはしない。

 

「ふふーん」

 

体が柔らかい、とルドルフに言ったのはなにも誤魔化しや自惚れではない。れっきとした事実だ。立ったまま足で耳を掻くことだって出来る。

同じような芸当が可能なのは、少なくともアタシの知る範囲においてはオグリキャップぐらいだろう。生まれつき膝頭が柔らかくて、それ故に幼少期は苦労したという彼女だが、アタシも同様この柔軟さは天性のものだった。

 

最後に一度だけ周囲を見渡す。いまからやることを、誰にも見られるわけにはいかない。

幸い時間が時間だからか、人の気配は全くなかった。セキュリティへの介入も上手くいったみたいだ。

ただ、それでもうかうかはしていられない。手早く済ませなければ。

 

「んしょ……っと。お邪魔しまーす」

 

まず最初に差し込むのは左腕。残った隙間に頭を捩じ込んで、通り抜けた後に身をよじり、残った右腕を引っ張り出す。ここまでは順調。

というか、これで関門は九割がた突破したようなものだ。やはり人体の構造上、幅をとるのは上半身の、主に肩回り。残る一割は厚みのある胸部を、どう通すかということ。

 

「ん"む"ぅ~~~~」

 

特別な技巧なんてない。力業だ。

幸い柔軟性に富んだ脂肪の塊なので、強行突破も不可能ではない。一瞬肺が潰れかけるが、それすら無視して強引に突破する。

覚悟していたとはいえ、苦しいものは苦しい。これがルドルフだったなら、多少はマシだったのかもしれないけど。

 

「ふぅ……」

 

よし、抜けた。

乱れてしまった胸元を引っ張って整え、ほっと一息。

 

しかしまぁ、自分でやっといてなんだけど、よくこれだけの無茶が通ったものだ。狭さだけの問題ではなく、当然人の通行を想定していないものだから容赦ない出っ張りがあるし、実際そこに当たると痛い。

こんな芸当がこなせるのは、トレセン学園広しといえども自分ぐらいなものだという自信があった。学園のセキュリティが甘いのではなく、アタシが特別凄すぎただけなのだ。

 

そう満足して、床に爪を立て、腹筋に力を籠めて、一気に下半身を引っこ抜く。

 

 

 

引っこ抜こうとして……引っ掛かった。

 

 

 

「…………え?あれ?」

 

腰から腹回りにかけての圧迫感が、いつまで経っても解放されない。いや、それどころか、かえってますます窮屈になってるような感じさえする。

 

さあっと、みるみる血の気が引いていくのが自分でも分かる。なにかの勘違いだと思って、そう思いたくてもう一度引っ張り上げるも、カチンカチンとベルトのアクセサリーとボックスの枠がぶつかり合う音が響くのみ。

 

なんで……だって、アタシはバストよりもヒップの方が小さい。すなわち、上半身を通せるだけの隙間があるということは、当然に下半身も抜けられるということ。なのに、全く歯が立たない。

 

「……ああ、そっか」

 

弾力か。弾力が足りないのだ。

アタシの小振りで引き締まったお尻は、柔軟性に欠けているのだと。そういうことか。

 

これは誤算だった。

短絡的に数字上の大小しか頭に入っておらず、その性質について計算に入れることを忘れていた。

こうなっては仕方がないので、侵入は諦めることとしよう。明日あたり、トレーナーに鍵を持ってきてもらえばいい。

そう考えて、ひとまずこの辺りで撤退しようとして、逆に上半身を後ろに押し込む。

 

「ぐっ…………!!」

 

抜けない。どう頑張っても、胸の下でつかえてしまう。

不可能ではない。力が足りないわけでもない。思うに、体勢が悪いのだ。これでは後退するための踏ん張りがきかない。

最後の希望を賭けて、ぐっと体を海老反りに曲げ、どうにか脚を外のドアノブに引っ掛かけ足場を確保しようと試みる。だが無情にも、爪先が虚しく取っ手の先っぽを掠めるのみであった。

そうしてもがいている内に、不自然かつ窮屈な体の動きを繰り返した反動で、あっという間に体力が枯渇する。

 

「……………詰んだ」

 

ああ……これは完全に終わった。

 

今の私は、ヘソの少し下辺りを境として、完全に上半身と下半身の分断された状態。

ルドルフに助けを求めようにも、肝心のスマホはズボンのポケットの中。太ももにはっきりとそれの感触が分かるにも関わらず、決して手の届かないという事実が狂おしい程にもどかしい。

いや、助けを呼ぶこと自体は出来るのだ。ここから大声を出せば、寝室で熟睡中であろうトレーナーにもきっと届く。

 

「~~~~!!!!」

 

危うくそっちに逃げかけたものの、首を振ってその誘惑を追い払う。

ダメだ。こんな滑稽という言葉すら生温い無様な格好を、トレーナーには、トレーナーにだけは絶対に見られるわけにはいかない。

アタシにも、思慕する異性に恥ずかしくない姿を見られたくないという、女としてのプライドはちゃんとある。

 

ならどうすれば良いかというと……それはそれで、全く考えが浮かばなかった。

打つ手のない、手の施し用もない、絶望という感情がまざまざと胸に押し寄せる。あれだ。月曜の深夜に終電に乗って家まで帰ってきたら、スマホと財布と家の鍵を一斉に失くしていたみたいな、そんな心境。

 

いや、まだだ。諦めない。考えろミスターシービー。

自力での脱出は叶わないのであれば、他者の助けがあれば状況を打開できるということ。巡回の警備ウマ娘……は、今夜一杯はここに来ないようアタシが手配済み。

ルドルフはアタシが帰らせた。たぶん、アタシが美浦に帰ってこなくても気にしない。

他のトレーナーは……みんな寝てるに決まってる。明日も平日だし、彼らは皆一様に多忙なのだから。

 

 

あ、駄目だこれ。

この世の終わりに直面したような絶望と焦燥と諦感がとめどなく去来して……泣きそう、アタシ。

 

涙を堪えるように顔を上げると、玄関の壁に見えるのは掛け時計。

時刻は短針がてっぺんを越えたところ。トレーナーが起床するタイムリミットまで、あと六時間。対応策は、ない。

 

「………ぐすっ」

 

ただただ、淡々と過ぎ去っていく時刻を見送ることに耐えられなくて。アタシは二の腕を顔の前に揃えると、そっとそこに顔を埋めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………はっ!!」

 

そうして次に目が覚めたときには、既に玄関にはうっすらと柔らかな光が射し込んでいた。よく耳を澄ませば、微かに鳥の鳴き声も聴こえる。

これがベッドの中で、反対側にルドルフがいて、あの絶望が全て夢だったら良かったのに。しかし悲しいかな、伏せているのは柔らかく清潔なシーツではなく硬い石畳の上で、ここにはアタシ一人だけ。

 

慌てて顔を上げる。時計の針が示す時刻は、午前五時十五分。

ぎりぎりセーフだろうか。しかし状況は全く好転していない。むしろ悪化の一途を辿っている。

 

と、頭頂部に跳ねたアタシの髪の毛の先っぽが、かさりと音を立ててなにかに触った。

分厚い、紙の丸まったようなもの。こんな時間帯から、玄関に差し込まれている紙の束といえば。

 

「……新聞?」

 

それも朝刊。

当然、夜にアタシが侵入を試みて、間抜けにも嵌まった時にはそこになかったもの。

 

そっか……アタシが寝ている間に、たづなさんが届けたんだ。見られた、この姿を。スルーされたのは見て見ぬふりをする優しさか、それともどうにもならないと匙を投げたのか。

アタシはこの瞬間、勝負服から着替えずに来たことを心の底から後悔した。

少なくとも制服なら、下半身だけで個人の特定はされなかっただろう。だけどアタシの勝負服は、真っ白な長ズボンでとりわけ特徴的だ。見れば一発で誰だか分かってしまう。

 

穴があったら入りたい。いや、穴に入ったからこうなっているのか。

心から感情が抜け落ちていく。まともに現実を受け入れては壊れてしまうという、心の防衛反応とかいうやつだろうか。

 

【挿絵表示】

 

寝たぶん回復していた体力を総動員して、往生際悪く再び反り返るように脚を振り上げると、今度はなにかに引っ掛かった。……違う。引っかけたのではなく、誰かに足首を掴まれている。

いくら不安定な姿勢とはいえ、ウマ娘の蹴り上げを受け止めるとはただ事ではない。必然、相手の候補は限られてくる。

 

「……たづなさん?」

 

「残念。まぁ、彼女の依頼でここまで来たので、完全に間違いでもありませんが。5点ぐらいでしょうかね」

 

「あ。ト、トレーナー……」

 

扉越しに聴こえてくる女性の声は、くぐもってはいるけれどしっかりと誰なのかは判別できた。

 

トレーナーといっても、今のトレーナーのことではない。

実は、アタシはデビュー最初から今の契約を結んでたわけじゃなくて、一回移籍を挟んで現状に落ち着いているのだ。つまり、彼女はアタシにとっては、前トレーナーという立ち位置になる。

現トレーナーにとっての、最初の担当ウマ娘はルドルフ。そこに至るまでも経緯も、まぁ、色々とあったりする。

 

扉の向こうでアタシの脚を捕らえている彼女の名前は、元競技ウマ娘の中央トレーナー『シンボリフレンド』。

同時に現トレーナーにとっての師匠で、シンボリ家のウマ娘であり、ルドルフの実姉という、アタシ達のチームと大変因縁の深いウマ娘である。

 

「う………」

 

ああ、酷いのに見つかった。

正直、今は彼女とあまり顔を会わせたくはない。アタシのトゥインクルにおける三年間を支えてくれたトレーナーで、クラシック三冠を獲らせてくれた恩人だけど、だからこそ、砂をかけて出ていった事実は重いのだ。

よりにもよって、どうしてたづなさんはこのウマ娘なんかに。

 

「仕置きですよ。貴女がこんな間抜けな状況に陥っている原因……貴女がなにを目論んでいたか。一目瞭然ですよね」

 

ああ、ほら。

こうやって人の心を容赦なく暴き立てるところもまた、彼女が怖れられる所以だというのに。妹とは真逆で、端から人と打ち解けようという気などさらさらないんだ、この人は。

 

「シービー。私は今、この部屋の合鍵を持ってきているんですよ。いつでもここを解錠して、彼を叩き起こすことができる」

 

「なんで持ってるの……?」

 

「師弟ですから。さて、せっかくだから貴女に選ばせてあげましょう。このままあの子の前で晒し者になるか、それともウマ娘の全力で引き抜かれるか。好きな方を選択しなさい」

 

「……………………じゃ、後者で」

 

「なるほど。ではそのように」

 

実質一択の、選ばせない選択肢。仕方のないことなのだ。甘んじて受け入れよう。

この物言いからして、こちらの身体を労るつもりなどさらさらないと見える。せいぜい、アタシのおっぱいが千切れないよう祈るのみだ。

 

 

そんなアタシの覚悟は、それでも甘すぎたみたいで。

ピッと軽い電子音と共に、シンボリフレンドは玄関の扉を開ける。外に引かれる最中、したたかに踵を壁に打ち付けた。

 

「痛っ!!」

 

「甘いですね。これからもっともっと、痛い目を見るというのに……」

 

彼女は扉の隙間から身を滑り込ませ、静かにアタシの前に屈みこむと……今度はアタシの両手を掴んで、容赦なく前へ(・・)と引っ張った。

 

「い、痛い痛い!!尻尾取れちゃう!!お尻も取れちゃうから!!」

 

「そうですか。上とお揃いにしてあげましょう」

 

「こ、壊れちゃう壊れちゃう!!」

 

「静かにしないと、貴女のトレーナーが起きてしまいますよ……?」

 

「~~~~!!!!」

 

コイツ、笑ってる!鬼!悪魔!シンボリフレンド!もうシンボリ家のウマ娘なんて全員嫌いだから!

 

「ぎゃん!!」

 

一際強烈な痛みのあと、嘘のように圧迫感が消え去っていく。どうやら無事に引っこ抜けたようだ。

爽快感に浸る余裕すらなく、慌てて臀部に手をあてる。幸い、尻尾もお尻も無事みたい。少なくとも、形の上では。

 

「うぅ~~」

 

唸りながら尻尾を抱えるアタシの目の前で、シンボリフレンドはこれ見よがしにそのふさふさと毛を蓄えた尻尾をゆるりと振ると、仕事は済んだとばかりに隣を抜けていく。

 

「さて、私はこれから朝練があるので。ああ、お礼は結構ですよ。跳ねっ返りの貴女が、十分反省してくれたならそれで……ねっ!!」

 

「ぎゃおん!!」

 

ぱしぃんと。すれ違いざま、アタシの尻を景気よくひっぱたいて彼女は颯爽と玄関から去っていく。

やり返そうにも、今のアタシでは返り討ちにされるのが関の山。どうやら泣き寝入りするほかないらしい。

 

そのやるせなさを気力に変換して、アタシはよろよろとトレーナーの寝室に駆け込んだ。

彼は既にベッドから起き上がっていて、満身創痍で駆け込んできたアタシを心底呆れ返った瞳で見返している。会話は聞かれていたようだ。

いいんだ、別に。見られていないのならアタシの勝ちだよ。

 

「おはよ、トレーナー」

 

痛みを極限まで圧し殺し、アタシは満面の笑みを作って、寝起きの彼にそうご挨拶した。

 

 

 

 

 

 

 

後日、トレセン七不思議に新しく『トレーナー寮の逆テケテケ』の噂が加わったのは……きっと、これとは関係のない話。

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