シンボリルドルフに逆らえないトレーナー君の話   作:くまも

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さよならルドルフ

キーボードを叩いていると、窓の外がにわかに騒がしいことに気がついた。

 

「......ん」

 

視線だけを動かしてみれば、作業服姿の人間が数名、足場を組んでいるのが見える。

今はすっぽりとブルーシートに覆われてしまっているものの、私の記憶が正しければ、あそこにあったのは学園に誘致されたコンビニだったはず。

開店からそれなりに経つものだから、そろそろ改修の時期というところだろうか。

 

今、このトレーナー室には私とシービーの二人きり。

そのシービーも大人しくしているからこそ、あの決して騒々しいという程ではない作業音も耳に届くのだろう。

 

 

しかし、はたしてコンビニがあんなところにあっただろうか。

作業の手を止めて眺めながら、少しだけ首を傾げる。

 

 

......いや、確かにあった。私の記憶に照らしてみても、あそこに存在していたことは間違いない。間違いないのだが......どうもしっくりとこない。

 

かつては足繁く訪れた場所だというのに、その感触が私の中で薄らいでいる。というか、無くなっている。

最近はすっかり、あのコンビニに全く足を運ばなくなったことが理由だろうか。

というよりも、コンビニに限らず金銭を対価に物を受け取る場所......およそ店と分類されるものに対して、私はなんの用もなくなっていた。

 

我が家に居着いて久しいウマ娘が、生活に不足している一切合切を正確に把握していて、勝手に補充してしまうためだ。

それでも、生活必需品までならまだ理解できただろうが。私の趣味嗜好の範囲まで完璧に抑えていることには、果たしてどう説明をつけたものだろう。

 

つい、と窓の外に向けていた視線を下に降ろす。

 

床に仮置きした鞄から顔を覗かせるのは弁当箱。

これも今朝、彼女が作ってくれたものだ。昼に限らず、昼夜三食、いつの間にか用意されるようになってしまった。

彼女も忙しいのだからと何度も断ってみたものの、大人しく聞き入れてくれるようならこんなことにはなっていない。

己の身を一切切ることなく勝手に全てが用意される生活というのは、上げ膳据え膳すら通り越してペットとして飼われているかのような無力感すらある。

 

まぁ、それでも私の負担は以前と比べて格段に軽くなったわけで。

助かってはいる。いるのだが。

 

「重いな......」

 

かなり。

そう、ヒト一人が受け止めるには、その想いは少々重すぎる。

 

見ようによっては贅沢な悩みなのかもしれないが、しかし現に当事者たる私にとっては、それなりに切実な問題だった。

非の打ち所のない献身ではあるものの、いやだからこそ、ルドルフのそれは奉仕というより支配のように思えてならない。やはりペットとして飼われているという表現こそ一番しっくりきてしまう。

断じてルドルフ本人にその気はない。というより、そうであって欲しいのだが......。

 

 

「髪?」

 

私の独り言に反応して、ソファでスマホを弄っていたシービーが器用にくるりと体をこちらに向けてきた。

 

「言われてみれば確かに伸びたよね。ミスターのそれ」

「いや......ああ、まぁ、そうだね」

 

そういう意味じゃない、と訂正しかけたがやめておく。

ならどういう意味だと聞かれても説明するわけにはいくまい。妙に冴えてるシービーのことだから、下手にはぐらかしてもかえって墓穴を掘るだけだろう。

なら、このまま誤解してもらっていたほうがありがたい。

 

「イメチェン?伸ばしてるの?」

「いや。たんに時間がなかっただけ」

 

実際は、ルドルフのおかげでむしろ時間そのものは余裕が生まれているのだが。

髪の長さに気を回すだけの余裕がなかったというのが正直なところか。

 

それでも指摘されたとたん無性に気になってきて、肩まで届きそうな毛先を摘んでみる。

思えばここ数日、寝苦しいと感じていたところだ。重さがあるかと聞かれたら、確かに軽いとは言えない。

 

「うん。最近重くってさ。そろそろ切ろうかなって」

「分かるー。アタシもいい加減鬱陶しくてさ」

 

私の仕草を真似るように、シービーもまた無造作に投げ出した長髪の先を摘んでくるくると遊びだす。

 

腰にまで届くたっぷりとした黒鹿毛。

長いとはいえあくまで男の範疇でしかない私の鬱陶しさとはまさに別次元だろう。

その艷やかな毛並みは魅力的ではあるが、それがそのまま自分の頭に乗っかったらと想像するだけでもうんざりする。

 

お互いそろそろ頃合いというわけか。

そういえば、去年からシービーに誘われて同じ美容院に通っているし、その時は彼女も同伴していた。

同じ周期で散髪しているのだから、当然伸びる時期も重なるというわけだ。

 

シービーの顔を見ると、ちょうど彼女も同じことを考えていたようで、期待するように瞳を揺らした。

 

「あっじゃあ、明日ルドルフとはさよならして、その後は二人で行こっか」

「ああ」

「ちなみに未練とかはないの?」

 

未練、か。

伸びたといえば伸びたが、しかしそれは意識したものではなく.....というより意識していなかったからこそ、ここまで長くなってしまったわけで。

 

「......大事に育ててきたわけでもないしね。これでさっぱりするよ」

「そっか」

 

うんうんと頷くシービーにも、特にこれといった感慨は伺えない。

決して粗末にしているわけではないのだろうが、彼女としてもそこまで思い入れがないのだろう。

 

約束を取り付けて満足したのか、シービーは寝返りをうって反対を向いてしまった。どうやら暇を持て余しているらしい。

午後の授業は既に終わっている。もうすぐルドルフが来るだろう。私達はそれを待っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私としたことが少々遅れてしまったな、とトレーナー室に向かう道すがらに思う。

 

普段はトレーナー君が最初にいて、次に私、時間ギリギリかたまに遅刻するのがシービーといったところ。

しかし今日はどうやら彼女に先を越されてしまったらしい。

暇潰しにスマホへ送り続けられるメッセージを無視して先を急ぐ。ポケットの中の絶え間ないバイブレーションが喧しい。

 

「......ん?」

 

と、その振動が唐突に止まった。

 

さては飽きたか。

それはそれで彼女らしいが、なんと言うか......突然途切れたところに少し違和感がある。

トレーナー室は既に目の前だが、もしやこの瞬間に踏み込むのは都合が悪かったりするのだろうか。

 

無作法だと理解しながらも、耳をくっつけて扉越しに中の様子を伺ってみる。

ボソボソと、二人が言葉を交わすくぐもった音。単純に会話が始まったから手を止めただけらしい。

 

「......ふむ」

 

ここで扉を開けてしまえば、二人は話を切り上げてしまうだろう。そういう意味では、確かに都合が悪いとも言えた。

 

息を潜め、全神経を片耳に集中させる。

トレーナー室は特に防音仕様というわけではない。ヒトならいざ知らず、ウマ娘の聴力にかかれば、扉一枚隔てた会話を聞き取る程度は雑作もないのだ。

もっとも、話が終わったかどうかを知りたいだけなら、わざわざここまでする必要はない。しかし、ことトレーナー君とシービーの会話となれば、やはり中身は抑えておかねばならないだろう。

 

......自分のいないところで、彼らがどんな話をしているか興味がないといえば嘘になる。

別に、あの二人を信頼していないわけではないが。

 

 

そうして最初に耳に届いたのは、どこかうんざりしたようなトレーナー君の声。

 

「最近重くってさ。そろそろ切ろうかなって」

「分かるー。アタシもいい加減鬱陶しくてさ」

 

対するシービーはからからと上機嫌な、いつもと変わりない声音であるが、肝心の中身がやや不穏だった。

『鬱陶しい』などという後ろ向きな単語が、まさか彼女の口から聞けようとは。

もっとも、話題によりけりだろうが、生憎いま着いたばかりの私には肝心のそれが掴めない。

 

「......」

 

にわかにざわめく胸の内に押されたように、稀に見る速度で思考が駆け巡る。

 

その言葉の持つ意味からして、対象となるのは彼女と密接な関係にあるなにか、あるいは誰か。

例えば同じチームで活動しているとか。ただし、本人が目の前にいる以上、トレーナー君に向けたものではないだろう。となると、今あの場にいない第三者というわけで。

それに『アタシも』ということは、シービーとトレーナー君の両方に近しい人物であるということ。

 

 

いや、たかが一回の受け答えでなにが分かるというんだ。

これから先は一言一句聞き漏らさぬよう、限界まで精神を研ぎ澄ます。

願わくは、この焦燥が全くの早とちりでありますように。

 

 

「あっじゃあ、明日ルドルフとはさよならして、その後は二人で行こっか」

「ああ」

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

「......シービー......?トレーナー君.....?嘘だ.....」

 

 

だって、私達は仲間だろう。

 

ただの冗談、冗談なのだ、これは。

私の肝を冷やしてやろうという、悪戯の相談であって.......うん、そう。だから明日、二人には説教することになるだろうな。

 

だって、シービーはともかく、トレーナー君が本気で言っているはずがないのだから。

そうだ。私とシービーは違う。

 

「そうだ、私は......特別なんだから」

 

トレーナー君にとっての特別。

旧知であり、一番最初に担当したウマ娘。誰よりも長い時間を共に過ごした。

 

初めてのG1と無敗三冠を捧げたのは私だ。

彼の血と汗を一身に注ぎ込まれたのも私だ。

 

今や、どんな情報媒体であろうとも、彼の名前に続いて私の名前が挙がらないことはない。

彼は中央トレーナーではなく、「皇帝シンボリルドルフのトレーナー」として、レース界の歴史に永遠に記憶される。

彼がトレーナーである限り、絶対にこの私から逃れられるはずがないというのに。

 

 

「ちなみに未練とかはないの?」

「大事に育ててきたわけでもないしね。これでさっぱりするよ」

 

 

 

「......」

 

ごり、と。

私の口の奥深くから、嫌な音が響いた。

 

 

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