シンボリルドルフに逆らえないトレーナー君の話   作:くまも

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あらかた設定も煮詰まったので本編開始です


序章
シンボリルドルフとの出会い


 

ミンミンと蝉が煩い真夏の昼下がりのこと。

少しでも風の涼しさを感じようと、僕は廊下を足早に渡っていた。

 

素足で踏むたび、ギシギシと床板が不快な金切り声を立てる。いい加減張り替えたらどうかとも思うのだが、母曰くこの方が防犯上都合が良いらしい。

まぁ、十中八九業者に頼むのが面倒くさいだけだろうが。そもそも偏屈な彼女のことだから、極力他人を住居に上げたくないというのもあるのだろう。

………よくそれで孤児院を運営出来ているものだとつくづく思う。

 

廊下を二度曲がり、ちょっと階段を下れば目的地の襖はもう目の前。大きすぎず小さすぎず、絶妙な力加減で襖をノックする。

襖をノックというのもこれまたよく分からない行為だが、とはいえこの家において重要なルールである。母が昔を過ごした国での習慣らしい。

それなら洋室にすれば良いものを、意地でも和室に構えているあたりやはり偏屈というほかない。

 

「御呼びでしょうか?母さん」

 

ノックの後、すかさず中で待っているであろう相手に声をかける。

 

「………………」

 

「母さん?ただいま参りました」

 

「…………………」

 

黙して反応を伺うも返事が来ない。

耳をそばだてると微かに衣擦れの音が聴こえるあたり、中にいるのは間違いないのだろうが。

まさか暑さで倒れでもしたのだろうか。

 

「あの………母さん?」

 

「………あ"ぁ~……ああ。入れ」

 

「はい。失礼します」

 

襖越しにようやく許しを得られたので、断りを入れると共に襖を開く。

丁寧に襖を閉め、振り返るとそこには肌着の裾を摘まんで扇ぎながら立て膝をつくウマ娘の姿があった。

半開きになった口からだらんと舌をはみ出させ、金色の瞳だけをギョロりとこちらの方へ向けている。

 

「今日はいつにも増してお疲れの様子ですね」

 

「………おい。どうしてこの国の夏はこんなに湿気てんだ?それに今年は冷夏の筈だろうが」

 

「そんなこと言われましても」

 

とうとう膝すら崩してしまい、その視線も宙に浮いてしまった。

海を渡って少なくとも十年は経つのだから、いい加減こちらの気候にも慣れて欲しいものだが。もっとも毎年のことなので、僕は別に今更気も遣わない。

 

「エアコンでもつけたらいかがでしょうか。この部屋だけならそこまで冷房代もかさみませんし」

 

「いい。こんぐらいなら薄着でまだ耐えられる」

 

扇ぐ隙間からチラチラと素肌が覗くが、同時に刺青も見え隠れするため扇情感よりも先に物騒さが際立っている。

矮躯に似合わぬ威圧感と、無駄に凝った部屋の造りのせいでその姿は未亡人というより極道のそれに近い。

 

「いつもはケチケチしてる癖に、こういう時はやけに気前がいいよなお前」

 

「また素っ裸で歩き回られても困りますからね。カフェや兄さんの前ならともかく、僕の前でもお構い無しですし」

 

マンハッタンカフェとその兄は共に目の前のウマ娘の実子であるが、しかし僕はそうではなかった。

あくまで彼女の手掛ける孤児院に厄介となっている子供の一人だ。そのわりに家計簿を任せられたりと、かなり深い付き合いとなってはいるが。

 

「まぁ、ウチの大蔵省のお許しが下りたからには我慢することもねェか」

 

母は脇に放ってあったリモコンで冷房を入れると、直にぶつかる冷気に心地良さそうに目蓋を閉じる。

そのままお互い黙って向き合っていたが、しばらくして彼女はブルブルッと身を震わせた。

 

「やっぱこの風は好かねぇ。骨に突き刺さる感じがして気持ちわりぃんだよな」

 

「あれも嫌だこれも嫌だと我が儘な人ですね貴女は。外の暑さよりずっとマシじゃないですか」

 

「まぁ、そのクソ暑いお外に今から出る羽目になるんだがな。お前が」

 

よっこらせ、と口に出しつつ母は立ち上がり、部屋の隅にある小棚の中をガサゴソと漁り出す。

やがてあったあったと小さく呟きながら、大きな茶封筒をこちらに投げて寄越した。

 

「お前、ちょっとお遣いに行ってきてくれ」

 

封筒を開けると、そこにはクリアファイルに閉じられた十枚程度の書類。

びっしりと数字が書き込まれており、所々に母のサインが並んでいる。どれも僕が普段扱っている家計簿とは大きく桁の違うものだった。

 

「どうしてこんなものを僕に?どう見ても業務用ですよね」

 

「あぁ。今からちゃんと説明してやるから黙って聞け」

 

封筒の入っていた棚とは別の棚をしばらく漁ったあと、それを乱暴に足で閉めてこちらに戻ってくる。

その両手にはウィスキーの瓶とキャロットキャンディーの箱詰めが握られていた。

 

どっかりと座布団に胡座をかき、キャンディーを一つ取り出して包み紙を剥がす。

そのまま口の中に放り込みバリバリと噛み砕くと、ストレートのウィスキーで喉の奥へと流し込んだ。

そうして口元を拭った後、ようやくこちらを向いて口を開く。

 

「お前、シンボリって名前の一族があんの知ってるか?」

 

「ええ。といっても聞いたことはあるという程度ですが」

 

とりわけ競技レースの世界においては名の知れた名家だったと記憶している。

もっとも僕のような人間とはおよそ最も縁の遠い存在であるため、直接的な関わりなどは一切なかった。

 

「シンボリはウチの出資者だ。といってもウチだけじゃなくて、他の孤児院やら養護施設やらにも金を出しているがな」

 

「慈善事業というわけですか」

 

いくら彼女がやり手とはいえ、流石にレース教室一つで孤児院を運営していくのは難しい。

その活動資金の出所は専ら行政や篤志家、それからこういった富裕層からの援助によるものだ。

 

「つってもアイツらだってバカじゃねぇ。いくら金をもて余しているとはいえ、その使い道は選ぶ。そうやって年一で決算上げねぇと打ち切られるんだわ」

 

「といっても大体仕上がっているように見えますが。あとはこれを提出するだけでは?」

 

「それと最後の詰めだな。その交渉、お前がやってこい」

 

キャロットキャンディーをカラカラと舌で転がしながら、母は瓶の口でこちらを指し示してくる。

あまりにも気の抜けたその姿は、どこからどう見ても我が子にスーパーへの買い出しを命じるがごとき気安さだった。

 

「いやいや、無理ですって!!」

 

「問題ねェ。契約更新の話自体は既にまとまってる。あとは向こうの代表とちょっくらお喋りしてサインなりハンコなりを貰うだけだ」

 

「なら貴女が自分で行けばいいじゃないですか。こちらの代表でしょう?」

 

「アイツら話長ェんだよ。ちょいとサインすりゃそれで終わんのに、何時間も説教くれやがる。だがまぁガキ相手ならそうはならんだろ」

 

苦々しい記憶を思い出したように顔をしかめ、二個目のキャンディーもバリンと噛み砕く。

それもウィスキーで流し込んだ後、苦しそうにもう一度顔をしかめて見せてきた。

 

「カフェは、あー………クラブの強化遠征だったか。アイツはダチとツルんで勉強会だな。残ったのはお前だけなんだよ」

 

「だからって、あまりにも突然すぎます」

 

「ま、安心しろ。向こうだって厳つい大人ばかりじゃねェ……ちゃんとガキもいるさ。お前よりちょいとばかし小さいがな」

 

母は短パンのポケットからヨレヨレの写真を取り出して飛ばしてきた。

なんとかキャッチすると、そこには幼いウマ娘の少女が写っている。

 

「この子は?」

 

「シンボリ……なんだったか、たしかルドルフとかいう名前だったな。連中の秘蔵っ子らしいぜ。このサンデーサイレンス様に向かって世界を取れる器だとかなんとかぬかしやがった」

 

前髪に流れる一筋の流星が、二色の鹿毛によく映えている。

明るい碧のイヤーアクセサリーを右耳に下げ、椅子に深く腰掛けながら澄まし顔でこちらを見据えていた。

なんとも大人しそうな、十に満たない齢とは到底思えない気品溢れる姿。深窓の令嬢という言葉がぴったりくる。

なるほど母の言うとおり、かの家で相当大切にされているらしい。

 

「なんだ。穴が開きそうなほど見つめて。そんなにそのガキのことが気になるか?まさか惚れたか」

 

「とんでもない。到底僕なんかが釣り合う相手じゃないでしょうに」

 

名門の令嬢ともなれば、直接付き合える人物そのものが限られてくるだろう。

シンボリルドルフとやらがこの先どんなバ生を送るにせよ、それは僕とは一切関わりのない世界であるに違いない。

 

「まぁ、向こうに行けば実際に顔を合わせる機会もあるかもな。せめて顔と名前ぐらいは覚えといても損はないぜ」

 

「結構です。どうせ一晩経てば忘れますよ」

 

僕の仕事はあくまでシンボリ家の代表者との交渉だ。具体的になにをやるのかは知らないが、その場にシンボリルドルフが現れることもあるまい。

名家の子息令嬢同士の顔見せ交流というわけでもなく、ましてや向こうがこちらに顔を売る必要もないのだから。

 

「用件というのはこれだけですか」

 

書類をクリアファイルに入れて封筒に戻し、脇に抱えて立ち上がる。

写真の方は迷ったが、一応皺を伸ばしてポケットに入れておいた。

 

「お、やる気になったか。感心感心。流石この俺が見込んだだけのことはある」

 

「違います。僕は諦めただけですし、貴女は押し付けただけでしょう。それに昼間からお酒に溺れるような人に任せてはおけませんから」

 

「言うねぇ」

 

ウィスキーの瓶底で畳を叩きながらケラケラと笑う母を尻目に襖に向かう。

引出に指を掛けたところで、ふと大事なことをまだ聞いていないことに気がついた。

 

「そういえば、交渉はこちらから相手方に出向くんですよね?場所はどこですか?それから日時も。流石に明日明後日だとまだ心の準備が……」

 

「場所についちゃ問題ねェ。あっちが迎えを寄越してくれてる。そんで日時についてだが……今すぐに、だそうだ」

 

「へ?」

 

パンパンと母が手を打つと、目の前の襖が勢いよく開いた。

その向こうにいたのは、天井にまで頭の届きそうな恐ろしく背の高いウマ娘。上背だけでなく、ぴっちりと着込んだスーツの上から強靭に盛り上がった筋肉も見てとれる。

競争バである母とは違う、ばんバと呼ばれる種類のウマ娘だった。それが三人も詰めかけている。

 

こちらの頭など彼女達の胸にも届かない大きさ。

その体格からくる圧倒的な膂力に抗う術もなく、まるでボールでも拾うかのようにあっさりと抱き抱えられてしまう。

 

「おう、そいつが俺の名代だ。くれぐれも丁重に扱えよ」

 

「かしこまりました、サンデーサイレンス様。当家との契約更新にあたって、当事者として最後に確認しておきたいことでもございましたら……」

 

「ないな。ルナの奴と………それからあの"皇帝"サマにでもよろしく伝えといてくれ」

 

頭越しに繰り広げられる大人同士の会話。

当事者の一人であるにも関わらず、僕はそこに加わることすら出来ない。

さらに一言二言交わした後、ばんバ達はこちらを抱えたまま礼と共に部屋から下がり襖を閉めた。

 

「さ、屋敷へご案内します。奥様もきっと喜ばれますよ」

 

「…………はい」

 

 

代理でこんな子供を寄越されて、一体誰が喜ぶというのだろう。

そんな当たり前の疑問にすら答えは貰えず、僕は引きづられていく。

 

 

 

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