シンボリルドルフに逆らえないトレーナー君の話   作:くまも

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小さな暴君

 

「それでは、私はこれにて」

 

警備隊長が頭を下げ、そのまま足早に階段を昇っていく。

彼女の尻尾が闇の中に溶けて消えるのを見送った後、僕は扉りの無くなった部屋の中へと踏み込んだ。

 

 

広々とした地下室の半分には、ソファやベッド、テレビ、冷蔵庫といった生活用品が備え付けられている。さらにもう半分にはトレーニング器具が整然と並び、床にはマットまで敷かれていた。

ホテルの部屋とトレーニングジムを折衷させたような奇妙な空間。これが彼女が玉座と呼ぶものなのか。

 

「随分と広いものだな」

 

「昔は防空壕だったからね。本当は家族ごと暮らすための部屋だもん」

 

「なるほど。どうりで空調もしっかりしているわけだ」

 

「適当にそこら辺座ってていいよ。ちょっと散らかってるかもしれないけど我慢して」

 

シンボリルドルフはそう言い残すと、こちらには目もくれずランニングマシンの方へと歩いていってしまう。

分かってはいたことだが、積極的に会話をするつもりはないらしい。この部屋に招き入れたこと自体が彼女にとって最大級の譲歩ということだろう。

僕としても楽しく話を弾ませようという気分ではなかったので、勧められるがままにソファへと腰かける。

 

彼女の言ったとおり、ソファやテーブルの周辺はそれなりに散らかっていた。

 

試しに近くに転がっていた本を手にとって見ると、それはトレーナー向けの教本だった。入門編ということもあってか、脚質や距離適性といった基本的な事項について解説されている。

その隣には、恐らくこの本の続きであろう、より深く踏み込んだ内容の教本も積まれている。部屋の壁に固定された本棚を見ると、似たような物が百冊近く詰まっていた。

さらに教本や指南書のみならず、中央トレーナー試験のための対策本やテキスト、さらにはスポーツ生理学の参考書や医学書まで置かれている。

適当に選んでざっとページを開いただけでも、所々にページの折り跡や引き線が残されているあたり、伊達や酔狂で取り揃えているわけではないらしい。

 

ふとテレビの方に目をやると、ビデオデッキの上にテープがうず高く積み上げられているのも見える。

背中のテープに記されている名前はクラシック三冠にJC、有馬記念……過去の主要なレースを撮った映像だろう。どれも色褪せて剥げかけているあたり、擦りきれるほど繰り返し再生したに違いない。

 

中央トレーナー志望の受験生かなにかか。

勉強に専念するため地下に引き籠っているというなら大したものだが、しかし現実の彼女はまだ小学生である。

 

「お節介を承知で聞くが、ちゃんと夏休みの宿題には手をつけているんだろうね?」

 

「本当にお節介だね。言われなくてもそんなのとっくに終わってるよ。一週間前に。ほら」

 

ウマ娘にしては軽い速度で肩慣らしをしつつ、シンボリルドルフは面倒くさそうにベッド横の棚を指差す。

それを閲覧の許可だと解釈し、中を覗いてみるとそこには懐かしの『夏休みの友』が保管されていた。

 

「うわっ懐かし…………」

 

算数と漢字のドリル、読書感想文、それに理科と社会のテキストか。

彼女が通っているのは所謂進学校と呼ばれるような場所なのだろう、所によっては中学生レベルの問題も見受けられるが、それらも含めて全て完璧に解き終わっている。日付を確認すると、それは夏休みが始まる前日のことだった。

 

配られたその日のうちに全て課題を消化し、それ以降は全てトレーニングに充てていたということか。

夏休みの宿題の趣旨にいささかそぐわないと思わなくもないが、やるべきことをやってる以上口を挟むものでもないだろう。そもそも一ヶ月離れた程度で知識が抜けてしまうようなウマ娘ではあるまい。

……ただ、一つだけいくら探しても見当たらない宿題があった。

 

「そういえば、夏休みの日記は?君の通う学校にはそういうものはないのか」

 

「………そこ」

 

徐々にペースを上げながら、シンボリルドルフは今度は床を指差す。

ランニングマシンから少し離れた床の上には、A4サイズのノートとシャープペンシルが乱雑に放り投げられていた。

 

「読んでもいいかな?」

 

「さっきから散々私の宿題漁ってるじゃん。好きにしたら」

 

「なら、遠慮なく」

 

ノートを拾い、表紙をはたいて中を見ると、そこには日々の記録が残されていた。

 

ただしそれは日常生活の記録ではない。彼女が毎日行っているトレーニングについての記録だ。

今日の思い出についての欄には予定していたメニューの内容を。感想の欄には実際に行った運動の中身と消費したカロリー、心拍数の平均、先日の記録及び初日から合算した上での平均数値との比較と検討が詳細に記入なされている。

欄外にはその日摂取した食事とそこに含まれる栄養素、一日で補給した水分の総量、就寝直前の体重について記録されていた。

 

なるほど大した完成度だ。担任の先生からさぞ高い評価をもらえることだろう。

……この課題が『自由研究』だったらの話ではあるが。

 

「これが『夏休みの思い出』とは到底思えないな。普通は外で友達の何人かとでも遊んでるものじゃないのか?」

 

「………………………」

 

シンボリルドルフはなにも答えない。

ただ虚空だけを見つめながら、一定のペースで足を動かす。

 

彼女の走りにブレはない。無駄な動作など微塵もなく、それはまるで教科書に出てくるお手本のような走法だった。

いや、いくら専門書といえど、この齢のウマ娘に焦点を当てて論述しているものなどそうないはずだ。あってもそれは学術的見地に照らした考察であり、実際の走り方について指南するようなものではない。

普通、このぐらいの歳ではまだ走法の追求ではなく基礎を培う時期というか、近所のレース教室にでも足を運んでレースの感覚を養うというのが精々だろう。当然彼女はそんなものに通っていない。

 

となると、このシンボリルドルフの走りは独学で編み出したものだということか。

様々な文献や映像記録を参考に、我流として構築し磨き上げたもの。まだ未成熟な己の肉体と向き合った上で、模倣ではなく一つのスタイルとして確立させた。

 

(……凄いな)

 

それが全て事実だとしたら、シンボリルドルフは紛れもなく天才だ。

本来ならトレセン学園に入学し、担任トレーナーを得てようやく二人三脚で取り組んでいくようなレーススタイルの構築という課題に対して、知識だけを頼りにたった一人で答えを出した。それも、ほんの九歳という若さで。

天稟の才に桁違いの努力が伴って初めて成し遂げられる偉業。シンボリ家の秘蔵っ子と謳われるのも頷ける。

 

「……なに?さっきからルナのことジロジロ見て」

 

「え?あ……いや、その」

 

あまりにも注視し過ぎていたためか、シンボリルドルフは走りながら視線だけをこちらに投げ掛けてくる。

素直に褒めても良いのだが、どうせ彼女のことだからどんな賛辞も耳にタコが出来るくらい聞き飽きているものだろう。それよりも、先程から一つ気になっていたことについて指摘してみる。

 

「君、僕たちがここに訪れる前から既に走っていただろう」

 

「……………………」

 

またしても彼女はなにも答えない。

だが、そのジャージ姿は明らかに今運動を始めた様子ではなかった。それに走っている最中も、少しペースが遅すぎたように見える。

あくまで僕の主観から言わせてもらえば、彼女のウォーミングアップにはやや不足しているだろう。

 

日記帳を捲り、一番新しいページを開く。

トレーニング後の記録が残されているそのページには、やはり今日の日付が記入されていた。

 

「君の組み上げたメニューは元々かなり過酷なものだ。九歳のウマ娘にとっては、の話だけど」

 

「…………つまり?」

 

「このままのペースで続けていけば、明らかにオーバーワークだ。その歳で故障でもしたら一生響くぞ。休憩するべきだ」

 

「へぇ」

 

その言葉を聞いた瞬間、シンボリルドルフはマシンを停止させた。

だが、僕の言うことをそのまま聞き入れるつもりではないらしい。

 

マシンから降り、ゆっくりとした足取りでこちらへと近づいてくる。

移動の最中、こちらから片時も離さない視線は明確に苛立ちを湛えていた。ウマ耳や尻尾にこそ一切の変化はないが、恐らく感情の露出を抑えているだけだろう。

ほんの数歩で目の前まで来ると、しゃがんで日記を広げる僕を淀んだ瞳で見下ろした。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「なに、お前………ルナのトレーナーにでもなったつもり?思いつきで適当なこと言ってるわけじゃないよね?」

 

「まさか。少なくとも君よりは多少知識はあるつもりだよ。そういう環境に身を置いてきたから」

 

百冊程度の学問書ぐらい、僕とてとうの昔に目を通している。過去のレースの記録だってそれこそ飽きるほど見てきた。その距離と天候、バ馬状態に各ウマ娘の枠番と着順、着差から実況に至るまで全て諳んじられる程度には。

 

元中央トレーナーの側でレース教室の手伝いもしてきたのだ。その方面では彼女に劣っているつもりはない。

 

「ふぅん。でもルナにはそんなもの必要ないから。シンボリルドルフの覇道にお前たち(トレーナー)の居場所なんてどこにもない」

 

「ウマ娘の実力だけで勝負が決まるわけじゃない。レースに勝つには綿密な作戦と個人に合わせた育成計画が不可欠だ」

 

「作戦なんて私一人で立ててみせる。育成計画だって問題ない……ほら」

 

シンボリルドルフは僕の横を通りすぎ、夏休みの宿題の一段下からクリアファイルを取り出すと、その中の冊子をこちらに寄越して見せる。

 

「これは……通年のトレーニングプランか」

 

「そう。ルナが一人で考えたの」

 

自慢する様子もなく、淡々とそう言い捨てる。

彼女がトレセン学園に入学するまでの、具体的な道筋がそこには示されていた。

 

以前、母が現役時代に作成した物を見せてもらったことがある。それと形式が酷似しているあたり、トレセンで普遍的に採用されている仕様を基にしたのだろう。

はっきり言って、母のそれと比べたらかなり稚拙な出来具合だ。しかしそれは裏を返せば、中央において一流を掲げるトレーナーの作品と比較できる程度には仕上がっているということ。

入学前における最低限の体作りと考えれば、あるいは今この状態でも通用するかもしれない。この先彼女が知識を蓄えていけば、さらに洗練されることだろう。

 

「勿論、レースに出るためにはトレーナーが必要だから担当は見つけるけどね。でも、それは別に誰だっていいの」

 

「たとえそれが、研修を終えたばかりの新人でも?」

 

「そうだよ。実力があるトレーナーは別の子のところに行けばいい。トレーナーがいなきゃ勝てないような子のところへ」

 

僕の手から冊子を取り上げ、再びクリアファイルへと戻す。

その動きは妙に小慣れていて、過去にも似たようなやり取りが行われていたであろうことが窺えた。

 

「……今だってそう」

 

それを元あった場所へとしまった後、彼女は後ろ手を組んで僕の方へと振り返る。

 

「お前はウマ娘やトレーニングの知識があるのかもしれない。なら、それが必要な子のところへ行ったらどう?お前がいなきゃ勝てない子がいるかもしれないのに」

 

「いるじゃないか。今まさに目の前に……たった一人で、潰れかけているウマ娘の子供が」

 

「お前……ルナのことバカにしてるの!?」

 

さらに苛立ちを深めたシンボリルドルフは、勢いよく僕に迫ると力ずくで床に押し倒す。

 

そのまま腹の上を跨いでウマ乗りになった。そのウマ耳は先程と違って完全に後ろに倒れており、正面からはもう見えない程。

完全に彼女の逆鱗に触れたのか、最早感情を隠す冷静すら欠いているようだった。

 

「さっきの話聞いてた?ルナは強いから一人でも勝てるんだから!!お前なんかいなくても充実してる!!」

 

「その結果がこの日記帳か?こんなつまらない、部室の壁にでも掛かってそうな数字の羅列が君の充実した夏休みなのか?」

 

こちらへ顔を寄せる彼女の視界一杯に、今日書かれたばかりの日記の一面を突きつける。

 

「…………ッ!!」

 

「この部屋に閉じ籠って一週間。君は誰に勝った?それで何を得られたんだ?失ったものの方が大きいんじゃないのか?」

 

「それ、は……………」

 

先程の威勢はどこへ行ったのやら、シンボリルドルフは唇を噛んだまま俯いてしまった。

後ろに寝かされていた耳は力なく垂れ下がっており、その流星に暗い影を落とす。

 

その両肩を掴みながら、ゆっくりと上体を起こすと彼女はあっさりと腹から退いてくれた。

 

「なぁ、シンボリルドルフ」

 

「……………ルドルフでいいよ」

 

「ルドルフ。外に出てみないか?一人でいる方がよっぽどつまらないだろう。君はどちらも同じだと言うだろうけど」

 

「同じだよ。どこにいてもルナは一人だから、どこにいたって同じ」

 

「なら、僕がずっと側にいてあげる。君を楽しくしてみせるよ」

 

僕は、いったい何を口走っているのだろう。

 

あくまでルドルフと話をしてやるだけという依頼だったはずだ。

それこそ扉越しにでも、一言二言交えればそれで十分だと考えていたはずだった。それで、さっさと報酬だけ受け取って帰ろうとでも思っていたのに。今の発言は冗談だと述べて、そのまま彼女とさようならをしても僕はなにも困らないのに。

 

それでも何故か、僕はどうしてもその選択をとれなかった。

 

「……お母さんも、カストルも、屋敷の皆も全く同じこと言ってたよ。結局みんな、ルナより大事なものがあったけど」

 

「なら、今度こそは上手くやってみせるとも」

 

「本当にそのつもりなら、なにか違うことを言ってみせてよ」

 

違うこと、か。正直そう言われたところでなにをどうすれば良いのか分からない。

そこまで豊富に引き出しがあるわけではないのだ。出来ることといえば精々、ニュアンスを変える程度だろうか。

 

 

「僕が、ルドルフを幸せにしてみせるから」

 

 

………そう告げた瞬間、ルドルフはその大きな目をまん丸に見開いた。

数秒間固まった後で、何度か瞬きすると途端に笑いをこぼす。

 

「ふっ、はっはっはっは!!なにそれ、ただのプロポーズじゃん!!本当に初めて言われたよ、そんなセリフ」

 

「プロ、ポーズ……?」

 

………不味い。そう言われると本当にそうとしか思えなくなってきた。下手に原文に拘ったのがかえって仇となったか。

このままでは、十歳にもならない少女に求婚した犯罪者予備軍の烙印すら押されかねない。

 

取り乱す僕を脇において、しばしの間ルドルフは笑い続ける。

ようやくそれも収まった後、己を誇示するかのようにその胸に手を置きながら宣言した。

 

「なら、私も。もし本当にお前がルナのことを幸せに出来たのなら、ルナもお前のことを幸せにしてあげる。お望みとあらば一生でも」

 

「ルドルフが、僕を………?」

 

「ルナは"皇帝"だからね。一方的な施しは受け付けないの。いいでしょう?天下のシンボリ家、その虎の子の寵愛なんだから………だから、そっちも覚悟を決めてよ」

 

にぃと、まるで獅子のような笑みを浮かべながら、ルドルフは座り込む僕にその手を差し伸べてきた。

ようやく見られた彼女の笑顔だが、こうもおっかなくては中々感慨にも浸れない。

 

とはいえ、今更こちらも退くつもりはない。

賽は投げられた。自ら踏み込んだ道だ。このまま最後までやり抜いてみせようか。

 

「交渉成立………だな」

 

ルドルフの小さな手を掴む。

ぐいっと、これまた獅子のような力強さで床から引き上げられた。

 

 

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