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ゲームセンターで遊び、他の店にも一通り足を運んだ後、ショッピングモールから外に出た時には既にだいぶ日も傾いていた。
まだまだ暑さも厳しいが、それでも日中のようなベタつく不快感は既になりを潜めている。
穏やかに流れる風にも心なしか冷たさを含んでおり、だいぶ過ごしやすい環境へと変わっていた。
そんな帰り道を、僕とルドルフは連れ立って歩く。
彼女はその両腕一杯にシンザンのぱかプチを抱きかかえ、僕は左腕にサンデーサイレンスのぱかプチを抱きつつ右手に紙袋を提げる。中身は勿論ルドルフの新しいイヤーアクセサリーだ。
「どうせなら袋も貰っておけば良かったね。こうやって抱えて持って帰るのも大変だし」
「あー……そういえば受付に頼めば貰えるんだったな。もうだいぶ行ってないから忘れてた」
「その辺のコンビニで買ってこっか?」
「いや、そこまですることもないだろう。そもそもこの大きさからして、たとえ袋に入れても抱えて持ち運ぶことには変わりない」
「それもそうだね」
うんうんと頷いて、ルドルフは僕の少し前をトコトコと歩く。ガードレールがあるからいいものの、目を離した隙に遠くへ行ってしまいそうで気が気でない。
行きと違って荷物もあることだし、帰りは屋敷から迎えを呼ぶことも提案してみたが断られた。どうにも彼女は自分の足で歩くことにこだわりがあるようだ。
ほんの些細な外出でも運転手を使いたがるのが僕の中での箱入り娘のイメージだったのだが、ただの偏見に過ぎなかったのだと認識を改める。
そのフットワークの軽さを前に、僕は一日中振り回されるばかりだった。
「ところで、お前はそのぱかプチはどうするの?」
「どうするって……普通に、部屋にでも置いておくつもりだけど」
「折角だから抱いて寝てみたらどう?こういう一番大きいぱかプチってそうやって使うんだって。学校で聞いたの」
「抱き枕か。確かに柔らかいし丈夫だし、悪くない使い道だとは思うけど」
僕はぱかプチを両手に持ち直すと、ひっくり返してこちらに正面を向かせる。
ぱかプチは大きさと同様に、表情にもいくつか種類があるらしい。基本的にどれも笑顔なのだが、目を開けて軽く微笑んでいるものから破顔の笑みを浮かべているものまで。
そして、僕の取ったこのぱかプチはまさに後者だった。目をつむり、大口を開けながら朗らかにこちらに向けて笑っている。
「………不気味なんだよなぁ」
母のこんな表情は見たことがない。まず彼女の表情筋にこれを為せる機能があるのかどうかすら疑わしい。
これに近いものなら何度か見覚えがあるものの、どれも朗らかからは程遠かった。加えて僕の記憶が正しければ、それは暴力の予備動作に他ならない。
つまるところ僕の知る限りにおいて、サンデーサイレンスにとっての笑顔は威嚇とほぼ同義であった。
「朝になって目が覚めた時にこれが目の前にあったら、たぶん心臓がいくつあっても足りないと思う」
「目覚まし代わりに丁度いいじゃん。抱き心地はいいしうるさくないしでむしろ上等でしょ」
「そう言われればまぁ……使えなくもないだろうけど」
無理やり用途を捻り出すのもそれはそれで違う気がするが、そこらに放っておくよりマシかもしれない。
下手に扱ったら祟られそうな気もするし。なら最初から取るなという話だろうか。
「…………ん?」
再びぱかプチをひっくり返して小脇に抱えると、僕より数歩前でルドルフが立ち止まっているのが見えた。道沿いのフェンス越しにその中を覗いている。
行きも帰りも片時だってその歩みを止めなかった彼女が、ここにきて一体どうしたというのだろう。
「おい……どうした、ルドルフ?」
「……………………」
こちらには一切目もくれず、ルドルフは心ここにあらずといった様子で立ち尽くしている。
その視線の先には、広々としたターフとそこで走る大勢のウマ娘たちの姿があった。
走り込みを繰り返しているものの、その年齢も様々。ようやく走れるようになったぐらいの幼児から、恐らく中学校への入学間際であろう児童まで幅広い。
見たところ、ボリューム層はルドルフと同じ十歳前後のようであった。
「ウマ娘の子供向けの公共グラウンドか。地方にしては考えられないぐらいの大きさだな」
「これも、シンボリがお金出したから」
「へぇ……流石はレース競技界の名門。視野が広いというかなんというか」
幼いウマ娘にとっての練習環境というのは、実はそう恵まれていない。
一般的なものとしては私設のレース教室だとか、小学校での部活動などがある。
しかしレース教室にしたところで、必ずしも優秀な指導者がいるとは限らない。確かに引退したG1ウマ娘や中央トレーナーがそういった職に携わることは多いが、その絶対数からして限られているのだ。全国に幅広く展開できるような余裕はない。
そもそもウマ娘自体が少ない地域もあるのだから、そんなとこで開いても採算が取れなくなる。結果、有力なレース教室の大半は大都市に集中していた。
部活動なんて尚更だ。わざわざ数少ないウマ娘のためだけに専門の教員など雇うはずもなく、場合によっては部活そのものが無い学校すらある。
残酷なことだが、トレセン学園入学時における実力というのは結局のところ、生まれ持った才能や成長環境に大きく左右される。
家でも充実した指導を受けられる名家の生まれだったり、あるいは質の高いレース教室に通えたりでもしなければ、後は自身の才能のみを頼りに自力で実力を磨いていくほかない。
このあたり、中央の競技者において裕福な生まれの者が多い理由でもある。その例外がいるのも事実だが、傾向としては明らかだった。
だからこそ、地方にここまでの練習環境が整えられているのは本当に珍しい。
メジロ王国である北海道然り、名門のお膝元だとこういう利点があるのだろう。
「はーい、もう一本!!ふぁい、おー!!」
「ふぁい、おー!!」
あの猛暑の中で既に何本もこなしていたのだろう。
出し尽くした気力をさらに絞り出さんとばかりに、先頭を走るウマ娘が枯れた声を一段と張り上げる。彼女の背中を追うウマ娘たちもまた、へろへろになりながらもそれに続いた。
流石というべきか、環境が優れていればそこで励む者たちの士気も段違いということか。
「………………………………」
ルドルフはただ、そんな彼女たちの姿を黙ったまま見つめている。
なに一つ声に出さないが、彼女がそれに混ざりたがっていることなど火を見るより明らかだった。
正直なところ、安心した。
自閉的な一面こそあるものの、決して他者との交わりそのものを拒絶しているわけではないらしい。
走法の追求も悪くないが、やはり他のウマ娘との並走経験を積むのも重要なことだ。練習効果の意味でも、情緒育成の意味でも。
「おや、お兄さん興味がおありで?どうですか、一つ見学なされていっては」
暫くの間二人でターフを眺めていると、それを見咎めた受付の係員から声をかけられた。
柔和な笑みを浮かべた初老のウマ娘が、わざわざカウンターから出てきてこちらに歩み寄ってくる。
実際に走るのはルドルフなのだから彼女にも挨拶をさせようと思ったが、しかし一瞬の隙に僕の背中へ貼りついて隠れてしまった。
意外だが、あれでいて人見知りをする子だったのか。
「ああ、すみませんね。わざわざ暑い中……ええ、これほど大きなグラウンドは初めて見るもので、少し驚きました」
「でしょう。実はこの近くに大きな家がありましてね、所謂地元の名士というものです。そちらが気合いを入れて音頭をとって作られたのですよ」
「気合いといえば、練習している子達も随分やる気に溢れていますね。まるでトレセン学園のようです」
「そう言って頂けると嬉しいですね。あの子たちはまさに、その中央への入学を目標に練習に励んでおられますから」
「未来のスターウマ娘の卵というわけですか。将来が楽しみですね」
「ええ、それはもう」
係員は額の汗を拭いながら、その笑みをますます深くする。
彼女がどれだけの間ここに勤めているのかは知らないが、やはり毎日努力している姿を見ていれば愛着も沸くのだろう。
「それで、今日はお兄さん一人で?それとも保護者の方でしょうか………まさかお兄さんが走られるわけではありませんよね?」
「はは、まさかそんなわけ」
悪戯っぽそうに微笑む係員に、僕も笑みを返す。
「今日立ち寄ったのはたまたまです。とはいえ見学させて頂けるなら、下見がてら是非お願いしたいですね」
「下見というと、妹さんかなにかの代わりに?それとも近くにおられるのですか?」
「ええ。妹ではありませんが、まぁ……知り合いの子供ですね」
体を横にずらし、後ろに隠れていたルドルフをさらけ出す。
その小さな背中を押して、係員と対面させた。
「この子です。歳は九歳。名前をシンボリルドルフと言います」
「あっ…………」
「…………ッ」
そう僕が紹介した瞬間、顔を合わせた二人が同時に息を呑み込んだ。
ルドルフは毛を逆立てたまま硬直し、係員は顔を引きつらせる。
「ルドルフさんが……その、先程の言葉は忘れてください」
係員はすぐさまルドルフから顔を背けると、申し訳なさそうに僕の顔を覗き込む。
そしてはっきりと、拒絶の言葉を口にした。
「 大変申し訳ございません。シンボリルドルフさんは、当施設の利用を禁止されています」
「……………はぁ!?いや、ちょっと、意味が分かりませんよ」
どういうことだ。年齢には引っ掛からない。金についても言うまでもなく問題にはならない筈だ。
それがどうして拒絶されなければならない。
「名前を紹介したぐらいで出禁にされたらたまったもんじゃありませんよ」
「いえ……実はルドルフさんも、以前にこの施設を利用していたことがあったのです。ただ、他のウマ娘たちの保護者の方から苦情がありまして」
「あ、あー………そうだったんですね。これは失礼しました……」
この歳の子供がやることにいくつも苦情が寄せられ、出禁にすら至るとはただ事ではない。よっぽどなにかとんでもないことをしでかしたのだろう。
他の利用者絡みとしたら暴力行為だろうか。聡明なルドルフのことだから、そんな蛮行をやらかすとは考えにくいものの……あり得ない話ではない。
「ですが、今度は私がつきっきりで監督していれば……」
「いえ、そういうわけにはいかないのです。そもそもシンボリルドルフさん自身は規則に従って、普通に走っていただけですから」
「……なら、どうして苦情なんか入るんです?」
「その際に、この子と並走したウマ娘が全て潰れてしまったからです。だから、そんなウマ娘が我が子と同じターフにいられると迷惑だと」
「いや、潰れるって……それなら、並走だけを禁止すればいいじゃないですか。なのに施設から一切締め出すなんて」
「ルドルフさんの姿を見ただけで怖がるウマ娘もいるもので。それに、保護者が目を離した隙に無理やり並走に付き合わされるかもしれない……という不安の声もあります」
真相は、およそ僕の理解を遥かに越えたものだった。
確かに、競技者としてレースを走る中で、彼我の差を思い知り潰れていくウマ娘というのは聞くが。こんな野良試合ですらない、ただの並走で潰れるなんてそうそうあったもんじゃない。
ましてやルドルフは今もまだ九歳で、ここを利用していた当時ならもっと幼かったはずだ。それに引き換え、このスタジアムで励んでいるであろうウマ娘たちといえば。
「さっき、ここにいるのは中央を目指すウマ娘ばかりって言ってたじゃないですか」
「だからこそですよ。自分より遥かに年下のウマ娘相手に、並走ですらついていけない。同い年の子なら尚更です……順調にいけば将来、自らがターフで合間見えることになるのだから。自分が頂上に立つことは決して叶わないのだと思い知ってしまう」
「だからルドルフを追い出したんですか。そんなの、ただの現実逃避でしかない。敗れるべくして敗れたんだ」
いやしくもトップアスリートを目指している者が、その道の強者から目を背けてどうしようというのだろうか。
それにたとえ中央に入ったところで、立ちはだかる壁はルドルフだけではないというのに。
そんな僕の恨み節を咎めることもせず、目の前のウマ娘はただ苦々しげにその顔を歪める。
「……レース競技とは夢ありきの世界です。夢があるからこそ、どんな苦しい練習にも耐えることが出来る。だからこそ、夢亡くした時点でその世界にはいられません。それが、潰れるということです」
「勝負の世界とはそういうものでしょう!?敗者は黙ってターフから立ち去るべきだ。出ていくべきはその子供たちの方だろう」
「我が子のこととなると、そうはいかないものです。まだ本格化も迎えてないうちに、こんな場所で潰れてしまうなど耐えられないのでしょう。それに、ルドルフさんは実家が恵まれていますから……」
「だから、家に籠って一人で練習していればいいだろうとでも?」
「………………………」
答えはない。
しかしその沈黙こそなによりも雄弁な肯定だった。それが彼女の……というより、この施設の関係者全員の総意なのだと分かってしまう。
「それに貴女、ルドルフが件の名士の関係者だってことも当然分かっていますよね?その上で出禁にしてるわけですか」
「申し訳……ございません」
なにも弁解せず、係員はただ私たちに深く頭を下げる。
一連の様子からして、彼女とてこの措置は不本意極まりないと見える。そもそも最大の支援者たるシンボリ家のウマ娘を、こんな理不尽な理由で排除するなどあり得ない。
それでもなお、こうせざるを得ないような状況だったということか。恐らく寄せられた苦情の数にしても、到底一つや二つでは片付かないのだろう。
ルドルフ一人を排斥することで、あとは万事丸く収まるといったことか。
それほどまでに、幼いシンボリルドルフはここにいる皆から嫌われているのだ。
このスタジアムに彼女の味方は誰もおらず、居場所なんてどこにもない。
………どこにいても一人ぼっちと、たしかこの子はそう言っていたな。
「ねぇ、もう行こう……いいよ。私はもう、いいから」
「ルドルフ」
「しょうがないでしょ。お客さんがいなきゃこのスタジアムは潰れちゃうんだから。そしたらみんな困るでしょ?だから、もういいの」
「………そう、か」
その"みんな"に君は入っていないだろうに。
ルドルフは俯いたままシンザンのぱかプチを強く抱き締めると、そのまま僕の袖を引いて先へと進む。
地面と平行になるぐらい頭を下げている係員に見送られながら、今度は二人並んで帰路に戻った。
「次も声だしていこー!!ふぁい、おーおー!!」
「ふぁい、おーおー!!」
遠く後ろに流れていったフェンスの向こうから飛んでくる、威勢のいいかけ声が僕たちの背中を押す。
つい先程まで感心していたその声も、今は微塵も心に響かなかった。
でも、ルドルフにとってはそうではなかったみたいで。弾かれるように僕の袖を離すと、代わりにこちらの手を握ってくる。
とっさに絡ませてきたその指は、ほんの僅かに震えていた。
「……いいのか?」
「なにが?」
「あ、いや………」
意図せず口をついた言葉に返事されて、僕は思わず口ごもる。
よくないと言われたところで、僕にはどうすることだって出来ないのに。余計な気遣いはかえって惨めになるだけだと、身に染みて理解していたはずなのだけれど。
しかしルドルフは気に障った様子も見せず、日中のような自信に満ちた笑みで僕を仰いだ。
「……大丈夫だよ!!だってルナは"皇帝"だから!!"皇帝"は一人でなんでも出来ちゃう、完璧な存在なんだから」
「でも、並走は一人じゃ出来ないだろう?君と一緒にいても潰れず、むしろ手を繋いで歩けるような相方が必要だ」
「へぇ……じゃあ、お前がルナと並走してくれるの?」
「だからそう言ってるだろう」
その瞬間、ルドルフは目をまんまるにして僕を見つめる。
「………走れるの?」
「人並み以上にはね。あの扉を壊した時もそうだったろう。たとえ二十歳を越えた男のヒトでも、あんなことは出来ない」
「でも、ウマ娘は男のヒトよりもっと速いよ?」
「本格化前のウマ娘相手ならわけないよ。なんだったら、ちょっとしたレースぐらいになら付き合ってあげても」
嘘だ。そんな余裕はなく、どうにか食い下がることが出来る程度でしかない。
しかし情けないことに、今の僕に出来ることなど精々そんな見栄を張るぐらいしかなかった。
「本当!?じゃあ、ちゃんとレースもやってもらうから。手を抜くことは許さないからね」
「はいはい」
「はいは一回!!」
「はい。それで、そのレースに勝ったら僕は一体なにを貰えるんだ」
「え、そんなの考えてないけど……でもそうだね。そしたら私、幸せになっちゃうかも」
「はは、そうか。そういえばそういう約束だったな」
「うん。お前は幸せになりたくないの?」
「まぁ、なれるというならなりたいかな」
「なにそれ。変なの」
ルドルフはパッと手を離すと、麦わら帽子の位置を整えてまた僕より前へと駆けていく。どうやら少しは調子を取り戻したらしい。
「あっ…………」
「おっと」
数メートル進んだ瞬間、彼女のワンピースのポケットから壊れたアクセサリーの宝石が零れて転がり落ちた。
たまたまそれは僕の足元へと流れてきたので、ぱかプチで塞がった視界に悪戦苦闘しながらもどうにか拾い上げて見る。
「どうしたの?」
「いや、アスファルトに落ちても傷一つないなって。随分丈夫だな」
「とーぜん!!だってお母さんが選んでくれたものだもん」
「ああ、初めて大会で優勝した記念にだったか」
「うん!!ルナが初めて参加した大会でね。あのスタジアムで、一緒に走ってくれたみんなもいっぱい褒めてくれ………て………」
その声は蚊の鳴くように細く小さくなり、やがて消えてしまう。
帽子の鍔を一層深くして、くるりとこちらに背を向けた。
僕はポケットにしまっていた残りの部品を取り出して、手にした宝石と併せて見比べた。
「手作りなぶん構造自体は単純だな。これならどうにか出来るかもしれない………治してみようか、ルドルフ。折角だから」
「うん………ありがと」
今にもひぐらしの声に溶けてしまいそうなか細さで。
顔の見えないままドルフはそうお礼を言った。
【日づけ】7月26日(月)
【てんき】はれ
【今日のできごと】
あたらしい人が私の家にきました。男の人です。
名前はふつうだったけれど、そのすがたはふつうではありませんでした。力もとてもつよいです。お母さんがウマむすめなんじゃないかと私は思います。
今日は二人でいっしょにまちまでお出かけしました。あたらしいウマむすめのぬいぐるみと、耳につけるかざりをかってもらいました。 帰りみち、その人は私とレースをしてくれるといいました。でも、ヒトはウマむすめといっしょに走れるのかな。
【かんそう】
ひさしぶりに、走ることをまったくかんがえない一日でした。でも、たまにはこんな日があってもいいと思います。
またいっしょにお出かけしたいな。