シンボリルドルフに逆らえないトレーナー君の話   作:くまも

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ルナちゃんのなつやすみ『3日目:夕方』

◆◇

 

ウマ娘という種族は走ることに貪欲だ。

単純な趣味嗜好を超えて、本能の奥深くにまで根付いている衝動なのだろう。放っておくといつまでも走り続ける。

一体何がそこまでさせるのかと、問いただすこと自体がそもそも野暮なのだろう。彼女たちは走れるから走るのだ。

たとえそれが、照りつく夏の太陽の下であっても。

 

 

首に提げたホイッスルを鳴らし、ゴールラインを通過したルドルフを停止させる。

彼女はしばらくその場で立ち止まり身体を落ち着けた後、ターフから上がってこちらへと歩み寄ってきた。それなりに満足したのか、ひとまず休憩を挟むつもりらしい。

 

あれだけ水をたっぷり含んでいた芝といえど、流石にこの炎天下で半日もすればすっかり干からびてしまったようで、ルドルフのジャージは泥と水飛沫の代わりに砂ぼこりで汚れている。

小さな手で懸命に払ってはいるものの、かえって巻き上がった砂塵が顔に当たったのか鬱陶しそうに頭を振っていた。

 

レース中はそんなものがかかっても気にせず、むしろ自分から突っ込んでいくぐらいの気迫を見せてくれるものだが。それもまた、彼女の備える頭抜けた集中力の賜物だろうと内心舌を巻く。

 

「お疲れ。派手に砂を被ってたけど大丈夫か?」

 

「う~、耳に入った……」

 

両耳に指を突っ込んで必死に中身を掻き出している。広くて長いウマ娘の耳では人間以上に苦労するだろう。

 

そのうちメンコでも用意した方がいいかもしれないな、とあれこれ思案しつつ彼女の顔を拭いてやる。

汗と土が混じり合い無惨な様相。折角の可愛い顔が台無しだが、そんな小さなプライドなど母親の腹の中にでも置いてきてしまったに違いない。

 

『汚れるのが嫌だから全力で走れません』などという心構えでは競技ウマ娘など夢のまた夢なので、当然といえば当然の話ではあるが。

 

「これもうタオルじゃ落としようがないな……。さっさとシャワーで綺麗にしてきなさい」

 

「さっき洗ったばかりだよ?」

 

「とっくに乾いてるだろう。この暑さの中あんなスピードで走り続けてたんだから」

 

さながら乾燥機のようなものだろうか。

それにあのシャワーは汚れを落とすだけでなく、身体の熱を冷ます役割もあるわけだし。いくら合間合間に休憩を挟んでいるとはいえ、彼女たちが延々と走り続けていられるのもそうした排熱のおかげだ。

付き合わされる身としては、あまり有り難いとは言い切れないのだけれども。

 

なんとか耳から砂を取り除き、タオルをブンブン振り回しつつ洗い場へと向かっていくルドルフの背中を見送る。

 

いくら大人びていたところで根っこは子供なんだなと、その仕草からすこしばかりの感慨に浸っていたところ、僕の隣にもう一人のウマ娘が大きく音を立てて座り込んだ。

 

「随分とご執心なんだな。アイツの付き人かなにかかアンタ。あんま甘やかすと付け上がるぜ」

 

「ご忠告どうも。負けた腹いせはみっともないぞ、シリウス」

 

「うっせ」

 

大股を開いてベンチに腰を沈め、天を仰ぎながらシリウスはぶらぶらと両足を遊ばせる。

 

いかにも不貞腐れた様子。

今朝、初めて声をかけてきた時のような不遜さや覇気はすっかり鳴りを潜めていた。

 

「食べるか?」

 

「………どうも」

 

脇に抱えていたクーラーボックスを開けて、中にある氷菓を一つ取り出しシリウスに手渡す。

 

彼女は黙ってそれを受け取ると、カップの蓋を破り中からボール状の氷を何個も掴んでそのまま口に放り込んだ。

バリバリと、これでもかとばかりに咀嚼音を張り上げながら足を揺らす

 

同じ席に着いているにもかかわらず、到底話しかける気にはなれなかった。

やはりというべきか、彼女はたいそう機嫌が悪いらしい。

無理もない。結局、シリウスはただの一度もルドルフに勝つことが出来なかったのだから。

 

今朝から始めて、既にどれほどの模擬レースを繰り返してきたことだろう。途中で休憩や昼食を挟んでいたとはいえ、それでも両手両足の指では到底足りない本数はこなしてきたはずだ。

その全てにおいてシリウスは負け続けてきた。

ただの一度も先着はなく、ターフの上ではずっとルドルフの背中しか見ていない。

 

「………チッ」

 

そんな彼女の様子を見守っていると、沈黙に耐えかねたのか横目で僕の顔を睨み付けてきた。

 

「アンタも、なんとか言ったらどうなんだ。調子こいて突っかかってきたガキがみっともなく惨敗してよ。腹の底でバカにしてんだろ?」

 

「そんなことはない。むしろ感心していたところだ。あのルドルフに正面から喧嘩を売ってくるだけのことはある」

 

どういう意味だと、ベンチの背もたれから頭を起こすシリウスに、ボックスの隣に立て掛けていたバインダーを差し出す。

 

挟んだ紙に記録していたのは、各レースにおける彼女達のタイムと着順、その着差。

一番上の欄に記入された自分の名前と、その下にずらりと並ぶ"2"の数字に顔をしかめつつ、シリウスは全ての数値に目を通していく。

 

「これは、私らのレースを全部計っていたのか?」

 

「いや、記録をとれたのは午前中のものと、あと午後の最初の二本だけだ。そこから先は記入欄が尽きたから止めたけどね」

 

元々、僕自身の走りについて後で検討するために持ち込んだものだ。かさばるのも嫌なので極力持ち込む量を抑えていた。

しかしこんなことになるなら、もっとちゃんと準備しておくべきだったと後悔している。

 

「で、君の記録についてなんだが……ルドルフと競り合う中で確実に成長している。これはあくまで予測になるが、最後の一本のタイムなら最初のルドルフのそれを上回っているはずだ」

 

「それ、たんにアイツの走りが分かってきただけじゃないのか」

 

「それも成長だろう。このスタジアムで、他に同じことが出来る者が果たして何人いるか」

 

恐らく一人もいまい。

 

ルドルフとシリウスが競い合っている最中、それに加わろうとするウマ娘は誰もいなかった。

皆遠巻きに見守るか、最初から存在しないものとして扱うだけ。この二人以外のウマ娘とは、絶えず相手をとっかえひっかえして並走していたというのに。

 

あくまで素人目に過ぎないと前置きして言わせてもらうが、ルドルフとシリウスの実力は明らかに頭一つ抜けている。

彼女自身それを理解しているからこそ、あえて僕たちに絡んできたのではなかったのか。

でなければここまでの成長に説明がつかない。

 

「だから、惨敗ではあったけど……みっともない負けではなかったよ」

 

それに、世界の頂点を掴むとシリウスは言っていた。

それを大言壮語などとは言うまい。多くの者が中央への入学を一つのゴールとしている中で、さらにその先を見据えていること自体が評価に値する。

 

選りすぐりのエリート2000名しか入学が許されない中央トレセン学園。

日本だけでなく、海外からの留学生も広く受け入れていることから、その選抜は熾烈を極める。まさに狭き門であり、そこに籍を置くこと自体が一つの誉れですらある。

 

しかしながら、中央の選抜試験突破はあくまでスタートでしかない。

入学したが最後、今度はその篩にかけられ残ったウマ娘との過酷な生存競争に晒されることになる。

そこで生き残るためには、並外れた才能と胆力が不可欠だ。それが日本一であれ世界一であれ、中央入りしたさらにその先の目標がなければやっていけない。

 

その点において、シリウスには確かな素質があった。

 

「なら、次こそはその評価も覆してやるよ。惨敗とは言わせねぇ……惜しいなんて慰めもいらない。私が勝ってやる」

 

「まだルドルフと戦うつもりなんだ。あれだけこっぴどく負けておきながら」

 

「あんなのただの準備運動だろ。今のうちに好き勝手ふかしておくんだな」

 

氷を口の中で転がしながら、シリウスは毅然とそう宣言をする。

その姿に挫けた様子はなく、潰れる兆候もない。本当に、いつかの勝利のためにルドルフに挑み続けるつもりらしい。

ここまで敗北を積み上げても、なお。

 

「ふっ」

 

「おい、今笑っただろ!?この距離で聞こえないと思ったのか。なんだ、調子に乗るなとでも言うつもりか?」

 

「いや、違う。本当に、今日ここにルドルフを連れてきて正解だったなと。たぶん、君が一番の収穫だった」

 

共に競い合える者がいない、隣で走れる者がいないことがルドルフの心に影を落としていたというのなら、恐らく彼女はその光となれる存在だ。

真にルドルフに必要だったのは、僕ではなく歳の近いウマ娘。

ならばきっと、シリウスこそが最適解だったのだろう。たまたま今日、彼女とここで出会えた幸運に心の中で感謝を捧げる。

 

ただ、一つだけ文句を言わせてもらうとするなら。

ルドルフがかつてここに通っていた時に出会わせて欲しかったものだが。

もっと早くに二人が巡り合っていれば、こうも事態が拗れることもなかっただろうに。

 

 

と、そこまで考えて、僕はふとあることに気がつく。

 

シリウスシンボリ。

 

ルドルフと同じく"シンボリ"を名前に冠しているウマ娘……となると、シリウスもまたシンボリの縁者なのではないだろうか。

ウマ娘同士のこういった名前の被りは往々にしてあることだが、ここがかの家のお膝元だと考えるとただの偶然では済まされない気もする。

もしかしたら二人は、元から顔見知りだったのではないだろうか。そうでなくとも、なんらかの関係性があってもおかしくはない。

 

「シリウス。君は、ルドルフと会ったのは今日が初めてなのか?」

 

「ああ……いや、正確には前に一度話したことがあるらしいが、私は覚えてないな。アイツはその時のことも記憶してるみたいだが」

 

「そうなると、やはり君もシンボリの関係者なのか。だとしたら、その歳の近さで一度だけというのも気になるけど」

 

「別に大したことじゃない。アイツは本家で、私は分家で生まれたっていうただそれだけの話だ。ウチみたいにデカいとこだと色々複雑なんだよ」

 

「そうなのか。あまり想像がつかないな」

 

これ以上は深入りになりそうなので止めておく。

 

成る程、大きければ大きいなりの大変さというものがあるのだろう。

気にならなくもないが、あまり他所様の家庭に首を突っ込むべきではないと判断する。既に手遅れな気がしなくもないが。

 

「……そう言えば、これ貰っちゃって良かったのか?これアンタのぶんなんだろ?」

 

溶けた氷で濡れた指を舌で舐めとり、ジャージで手を拭くとシリウスはカップの中身を見せてくる。

その中に入っているのは、外気に晒され溶けはじめた氷が一つだけ。

この期に及んでようやく言うことがそれなのか。

 

「構わないよ。水分補給用に持ってきたものだけど、僕は最初の一本しか走ってないからな。それほど汗をかいているわけでもないし」

 

なにせ足が駄目になってしまったので、朝からずっとベンチに座りっぱなしだった。

お陰でだいぶ痛みは引いたが、ほとんど体を動かせていない。暑さで失われる水分の補給など、自販機の水で十分だった。

 

「ほらやっぱり、自分用に持ってきたんだな。見ろよ、コイツもアンタに食ってもらえなくて泣いてるぜ」

 

シリウスはカップに指を突っ込み、最後の一つを取り出して近づいてくる。

ポタポタと、溶け出した氷の水滴が僕と彼女のズボンを濡らす。

これを涙と表現するセンスには少し感心しなくもないが、それ以上ににじり寄ってくるシリウスになにかよくないものを感じる。

 

とっさに身を引こうとするも、いつの間にか後ろに伸びていた彼女の腕に後頭部を掴まれ固定されてしまった。

そのまま僕の膝上にまたがる形で、身を擦り寄せてくるシリウス。

 

「寄るな、汗臭い」

 

「黙れ。せっかくだからな、私が食べさせてやるよ。一方的な施しは性に合わねぇ」

 

固く閉じられた僕の唇の間に、グリグリと氷のボールが押しつけられる。

幼くとも流石はウマ娘といったところか。僅かな隙間にもう片方の手の指も突っ込んで、今まさに開口させられようとしていた。

 

完全にシリウスのマウントポジション。

このままでは氷か、でなければ僕の歯が砕かれてしまうだろう。

仕方なく、彼女の指を受け入れようと思った瞬間……ふと拘束が緩んだ。

 

ミリミリと、今まさに唇をこじ開けんとしていた圧力も取り払われる。

 

 

「こら、シリウス。なに勝手にルナのパーフェクトに餌を与えようとしているの?」

 

 

いつの間にシャワーから戻ってきたのか。

僕の脇に立ち、恐ろしく冷たい瞳でシリウスの腕をねじ上げるルドルフ。

そのまま取り上げた氷の塊を、小さな唇の中にするりと滑り込ませ………バリバリと、見せつけるように咀嚼する。

 

……それはさながら、組み敷いた獲物のあばら骨を噛み砕かんとする獅子のごとき様相だった。

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

結局、あの後も二人は模擬レースを繰り返し。

斜陽が鮮やかに空を焼いたあたりで、私たちはようやくグラウンドを後にする。

 

というより、シリウスの母親が迎えに来たために解散せざるを得なかったのだが。

 

ベンチでの会話以降、妙に距離感の近くなったシリウスと、それにやたら噛みつくようになったルドルフ。

あのままでは日が落ち、月が昇ってもお構いなしに、体力が尽きるまで続けていたことだろう。そして私にはそれを強制的に止めさせる方法がない。

なので、母親という絶対的存在が介入してくれたのは幸いだった。

 

その後はルドルフと二人、来た道を同じように肩を並べて帰り……入浴をして、夕食を頂き今に至る。

 

自室に戻り、サンデーサイレンスのぱかプチを枕にしつつスマホを弄っていると、突然電話のコールが鳴り響いた。

呼び出し人は、今まさに頭に敷いているかのウマ娘その人だ。そろそろそんな時期だろうとは思っていたので、特に慌てることもなくそれに応じる。

 

「あー……もしもし?」

 

『いつまで油売ってんだお前はよ。一筆サイン貰うのがそんなに難しいことか?』

 

「難しいっちゃ難しいですね。少々ややこしい条件を出されてしまいました」

 

『契約書ならサインされた原本がちゃんとこっちまで郵送されてる。今朝のことだ……だからもう、そっちには用はねェはずだろ』

 

「その、契約締結の時にですね……相手方、つまりシンボリ家とちょっとした約束をしていまして」

 

『それはアレか?例のガキの遊び相手か』

 

答えに窮していると、それを肯定と受け取ったのか、母は電話越しに大きくため息を溢す。

ついでに喉を鳴らす音も。この時間だからどうせ酒でも呷っているに違いない。

 

『………あー……まァ、お前がナニしてようが基本どうでもいいけどよ。子供が無断で外泊するのはどうかと思うぜ俺は』

 

「都合のいい時ばかり子供扱いして……。小学生じゃあるまいし、この歳なら許容範囲でしょう。ましてや相手の素性もこれ以上なくはっきりしてるんですから」

 

『子供は子供だろ。口ばっかり達者になりやがって……反抗期か。それにお前、夏休みの課題はどうした?』

 

「そんなもん、休みが始まる前に既に終わらせてますが。やっぱり私の認識、小学生からアップデートされてない」

 

そのあたり、私もルドルフのことをあれこれ言えた立場ではないのだろう。

もっとも私の場合は他にやりたいことがあるわけでもなく、たんに用事を後に回すのが嫌いな性分であるだけだが。

 

『……そうかい。まァ、いずれにしても一回戻ってこい。それにルナの奴からお前らの話聞いてるとヤな予感がして堪らない』

 

「またあれですか、ウマ娘には深入りしすぎるなっていう……まぁ、分かりましたけど。流石に今からは無理ですが」

 

『明日早朝、そっちのヤツにお前を送らせる。今晩のうちに支度しておけよ。シンボリのガキとは……挨拶は止めといた方がいいだろうな』

 

「了解」

 

母の指示に返事をしながら、私は部屋にある自分の私物を改める。

といっても、元々身につけられる程度のものしか持ち込んでいない。加えていい加減呼び出しがかかる頃だろうと踏んでいたので、予めまとめられる範囲でまとめてあった。なにも問題はない。

 

まぁ、私としてもぼちぼち帰らなければならないと思っていたところだった。

いい頃合いだろう。今後どう動くにせよ、一度は母と相談もしておきたいわけだし。元々こちらの代表者は彼女であり、あくまで私は代行に過ぎないのだから。

 

 

幾つかの指示を残して、母からの電話は切られてしまう。

それを踏まえた上で、明日以降の予定を頭の中で練り直しながら、私は再びベッドに身を沈めた。

 

 

 




【日づけ】7月28日(水)

【てんき】はれ

【今日のできごと】

今日も、昨日あそんだ人といっしょに走りました。
ただ、その人はとちゅうでケガをしてしまったので、かわりに私たちに声をかけてきたウマむすめとレースをしました。

私はその子とむかしお話をしたことがありましたが、しかし私の顔はおぼえていてもらえなかったみたいです。
それはいいのですが、その子はあの人にもちょっかいを出してきました。人のものにかってに手をだすのはいけないことだと思います。
今はゆるします。でも、しょうらい私たちが大きくなってもまだ同じことをしていたら、ちょっとゆるせないかもしれません。

【かんそう】

ひさしぶりに、ほんとうにひさしぶりにウマむすめとレースをしました。
あの子は気にくわないところもあるけれど、それでもいっしょにいてたのしいと思います。

これからも私たち三人で、いっしょにもっとあそんでいきたいと思いました。
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