シンボリルドルフに逆らえないトレーナー君の話   作:くまも

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【幕間】そのモノの名は

無駄にデカい屋敷だ、と俺はここにくる度いつも思う。

それにデカいだけじゃない。床の敷物から額縁に天井の照明、階段の手すりに至るまでまぁ凝ってるのなんの。

 

シンボリぐらいの資産家ともなれば、そうやって着飾るのも仕事だと分かっちゃあいるが、どちらかと言えば機能美を重視したい俺にとっては肌に馴染まない。

成金、とは到底言えないほど伝統も格式もあるのだから、もうちょっとそれを前面に出すべきだと思う。悪いことではないが、純粋に勿体ない。

 

初めてこの屋敷に招かれた時、旧家の名門だと聞き及んでいた俺は、さてどんな武家屋敷がお出ましになるかと内心期待していたものだから、この有り様を見て本気でがっかりしたんだったな。

コイツら外国に影響され過ぎだ……なんて、すっかり日本かぶれした俺が言ったところで、なんの説得力もありゃしないだろうが。

 

「こちらです。サンデーサイレンス様」

 

「どうも」

 

警備隊長とやらに先導されて、俺はこの屋敷の中でもとびきり立派な扉の前に到着した。

分厚い両開きの扉に真鍮の取っ手。

まるで見る者を威圧するような……いや、実際威圧しているのだろう。舐められたら終わりというわけか。ご苦労なことだ。

 

ま、俺にはちゃんちゃら無意味だがな。

特に気後れすることもなければ、畏まるつもりなどさらさらない。

そんなしおらしさなどとうの昔に小便ひっかけて便所にでも流してしまった。下水道を流れて今頃とっくに海の底だろうさ。

 

なにか言いたげな案内人を脇にどかして、厳ついそれを突き飛ばすかのごとく盛大に開け放つ。

 

 

「よォルナちゃん!!邪魔すんぜぇ……お望み通り、この俺が直々に来てやったよ」

 

挨拶は全ての基本だ。

開口一番、元気な声を投げ掛けてやると、部屋の主は視線だけをこちらに寄越してくる。

さらさらとした前髪の下で、アメジストの瞳が鈍く揺れていた。

 

なにかトラブルに直面した時、あるいは後悔や苦悩を抱えている時、極端に寡黙になる癖がコイツにはある。

昔からの癖だ。あるいは悪癖と言っても良いかもしれない。本人にどういった意図があるにしても、極端な沈黙というのは得てして牽制に繋がるもんだ。場の雰囲気も悪くなる。

ましてや社会的地位も権力も兼ね備えたヤツなら尚更だろう。

コイツだってそんな事は理解している筈だが、矯正出来ないらしい。難儀なことだ。

 

まぁ、それもまたこの俺にはちゃんちゃら関係のないことだがな。

サンデーサイレンスにとって、場の雰囲気なんてものは自分で支配するものなのだ。いついかなる時であっても。

 

ずかずかと部屋の中を突っ切り、スイートルナの腰掛ける対面のソファにどっかりと尻を沈める。

そのままスーツの懐に手を突っ込み、愛用の携帯酒瓶を取り出して蓋を開ける。

そのまま逆さに振って、勢いよく中身を喉の奥へと流し込んだ。骨太かつスパイシーな、ストレートのバーボンの風味が喉を焦がす。

 

テーブル越しに真ん前のウマ娘が呆れたような、咎めるような視線をこちらに寄越すが、そんなの知ったこっちゃない。

文句があるならまずは喋れ。大股で開いていた両足も、ついでにどっかりと組んでやった。

 

まだ日の高い内にと言ってくれるな。これでも俺は疲れているのだ。

あのバカが部屋から消えたと知った直後、そのままおっとり刀でスーツに着替えてここまで走ってきたんだからな。

さしものサンデーサイレンス様とはいえ、流石に一晩中歩き続けた人間に追いつくのは容易ではない。寸でのところで間に合ったのは僥倖だった。

 

そんな俺の、どうしようもない姿にかえって毒気も抜かれたのだろう。スイートルナは大きくため息を溢す。

しばらく目頭を揉んだかと思えば、突然に深々と俺に向かって頭を下げた。

 

「この度は申し訳ございませんでした。当主代理として深くお詫び申し上げますわ」

 

「あん?」

 

てっきり小言の一つでも飛んでくるかと思えば、まさか詫び言とは。

面を上げたルナの顔色はやはり優れない。普段は結構図々しいというか、腹黒いところもある癖に、こういう肝心な時に開き直れないというのも損な性格だな。

 

「私の監督不行届でした。個人的な都合であの子を引き留めたばかりに………」

 

「んなことをいつまでも引きずってンのか。ファーストコンタクトはともかく、そっから先はアイツが自分の意思で居残ったんだろうが」

 

アイツがこの屋敷に何日も滞在することになったいきさつ、曰くややこしい条件の中身については既にすり合わせが済んでいる。

なんてことはない。扉越しどころか直にシンボリルドルフと話をして、しかも外に連れ出すことに成功したのならその時点で切り上げるべきだったのだ。

あの二人の間でどのような約束が交わされたにせよ、アイツの頭ならどうとでも誤魔化すことは出来ただろう。

 

にも関わらず、アイツは深入りした。

それが単なる金目当てだったのか、あるいはそれ以上に無視出来ないなにかがあったのかもしれないが、なんにしても関わりすぎた。

全部アイツが自らの意思で行ったことだ。

なら、その結果について責任を負うのもまたアイツ自身ということになる。

 

「それに、ルナちゃんがしっかり"監督"していたところで、どうせ結果は変わらなかっただろうさ」

 

「………そう、でしょうか」

 

「だからいい年こいた大人がいつまでもショボくれた顔してんじゃねェよ。見苦しい」

 

仕方ないので、少しだけフォローを挟んでやる。

本当ならスイートルナの後ろめたさを奇貨として、さらに契約の内容を盛るか、せめて将来を見据えた貸しの一つにでもしておきたい所なのだが。

しかし長年の付き合いであるウマ娘を前にして、それをするのは少しだけ躊躇われた。

 

それに、監督の不行き届きという点では俺も言い逃れ出来ないわけだし。

夢を見ながら出歩くなんて、あんな夢遊病みたいなことをしでかすとは流石に予想がつかなかった。

日頃のアイツの従順さに油断していたのかもしれない。外から塞いで監禁するか、いっそベッドにでも縛り付けておくべきだったのだろう。

 

あるいは、ウマ娘との関わり方についてもっとしっかりと教育しておくべきだったのかもしれない。

と言っても、自分ではそうしてきたつもりだったのだが。

 

ウマ娘という種族自体、元から闘争心や執着心の激しい生き物なのだ。精神的に成熟した大人ならともかく、まだ心身のコントロールが十分にこなせない相手では勝手が違う。

そして、まだ子供のアイツが関わるのはそういった幼いウマ娘が主になる。浅い付き合いに留めておけと、日頃から忠告してきた筈だったのだが。

仕事柄、ウチにはそういったウマ娘が多くいる。チビ共の世話をする中で、アイツ自身どこか甘く見ていた所があったのだろうか。

 

それに、俺が懸念したのはそういったウマ娘由来のトラブルだけじゃない。

アイツ自身にも、中々どうしてやっかいな特性が存在する。

 

 

「ウマ娘とは、別世界に存在するとある者たちの名と魂を受け継ぐ存在。こんな話は、勿論お前だって聞いたことあるよな?」

 

「?……ええ、はい。まぁ」

 

ありふれた言い伝えだ。

おとぎ話と言ってもいいかもしれない。いつ誰が言い出したのかは知らないが、似たような逸話は世界中に存在する。

似たような、というか言い回しが異なるだけで全く同じだ。ウマ娘がこの世に生まれて以来、普遍的に存在してきた価値観なのかもしれないが。

 

「その言い伝えがどうしました?」

 

「いや。お前は信じてるのかなって」

 

「は?」

 

まるで要領を得ない俺の言葉に、彼女は不可解な様子で首を傾げる。

そりゃそうか。あまりにも脈絡が無さすぎるし、突拍子のない話である。

 

頭でっかちなコイツのことだから、てっきりガキの夢物語と鼻で笑って切り捨てるもんだと思っちゃいたが。

しかし意外なことに、クソ真面目にしてはそれなりに柔軟な答えを寄越してきた。

 

「あり得ない……とは言い切れないのではないでしょうか。真偽の程は不明ですが、それらしきものを体感したという者の話を聞いたこともあります」

 

「へぇ………それはどんな?」

 

「かつて、私が中央にいた頃。なんでも三女神像に呼ばれて前を通ると、唐突に過去のウマ娘の姿を幻視したとかなんとか」

 

「あー……てかそれ学園の七不思議そのままじゃねェか。たしか続きがあるんだったか?」

 

「えぇ。曰くそれは『継承』であって、件のウマ娘の力を受け継ぐことが出来るのだと。実際、それを教えてくれた子は直後に才能を開花させました」

 

驚いた。

ひょっとしなくてもコイツ、俺よりよっぽどロマンチストなんじゃないのか。あんな都市伝説をどうやら本気で真に受けているらしい。

俺からしてみればそんな都合のいい話、仮にも元トレーナーとして信じる気にはなれないんだが。

 

「眉唾だな。そのウマ娘にもプライドってもんがないのかね……神様のお陰でもなんでもなく、ただ自分の努力に結果が追いついただけかもしれないのに」

 

「そう割り切ってしまえばそれまでですが。しかしその子は三女神様の祝福だと喜んでいましたよ」

 

「祝福ね……俺の目には、どちらかと言えば呪いに映るが」

 

勝手に魂を弄られて、いつの間にやらパワーアップしてたなんて気味が悪い。

ましてやつい今朝、あんなことが起きたばかりなわけだし。

 

「にしてもビックリだな。お前にもオカルトを解する程度の柔軟さがあったとは」

 

「そんなコチコチの石頭になったつもりはありません。オバケの一つや二つぐらい、学生時代にも見たことはあります。覚えてますか?私の高等部二年次の夏合宿でのこと」

 

「あー……そういやそんなこともあったな」

 

トレセン所属の合宿所、そこから南へ真っ直ぐ100メートル程離れた場所にある砂浜。

いや、そこからさらに進んで山に入った所だったか。肝試しがてら訪れたそこで、まぁ随分とけったいな思いをしたモンだった。

 

ただ俺としては、卒業記念に泊まった温泉旅館の方を思い出してほしかったんだが。

この俺が皆を守るため、拳一つで怪物キョエエ鳥を退治したってのに誰も褒めちゃくれなかった。

あろうことか陰で俺をホラ吹き呼ばわりしたこと……今でも忘れてないからな。

 

「それに、貴女こそ随分非科学的な視野をお持ちのようですが。だからこそ、わざわざあんなおとぎ話を引き合いに出したんですよね?」

 

スイートルナはやや前屈みになり、薄く笑みを浮かべながらこちらを覗き込んでくる。

いい加減、あの問いが本題に絡んでいることを察したらしい。

 

……少々話が逸れすぎたか。

会話のテープを巻き戻して、話を本筋へと戻すことにしよう。

 

「俺の娘のことなんだがな」

 

「たしか……マンハッタンカフェさんでしたか。彼女がどうかしました?」

 

「どうもそういう、『まともじゃないヤツ』が見えてるらしい。カフェはソレのことを『お友達』なんて呼んでる」

 

俺とてオカルトを全肯定するつもりはないが、『お友達』に関しちゃ話が別だ。

よくある写真の端に映るだとか、そんなチャチなもんじゃない。物理的に害を為す存在だから。

 

カフェがまだほんの小さい頃、随分とまぁそれに悩まされたもんだった。

宿主を守ってんのかなんだか知らないが、『お友達』は無駄に俺に当たりが強い。結局カフェが成長し口を利けるようになるまで、その猛威には手を焼かされっぱなしだった。

 

……いや、別に『お友達』はカフェを守っていたつもりではないのかもしれない。純粋に、俺のことが気に食わなくて堪らないだけだったのだろう。当然か。だってソイツは――――

 

「ソレは、俺と同じ姿をしているんだと」

 

「……母親である、貴女の真似をしているということでしょうか」

 

「どうだろうな。しかもソイツは、どうやら俺の記憶もそのままそっくり持っているらしい。事実、カフェは教えたつもりのない俺の思い出を丸ごと知っていた……曰く、その『お友達』が語り聞かせてくれたという」

 

「本かなにかで、貴女の過去を知ったという可能性は?」

 

「冗談だろ。俺は初めて来日した夜の財布の中身についてまでインタビューに答えたつもりはないぜ。25歳のクリスマスイブに食ったチキンの数もな」

 

そもそも俺は、自分の過去についてはなにも語ってこなかった。

調べるぶんには好きにさせているが、それに手を貸してやったことは一度もない。俺の日米での活躍をまとめた、映画の出演オファーですら断じて受けることはしなかった。

 

誰も知る筈がないのだ。

公に記録された活動ならともかく、過去のプライベートにおける思い出なんて。

俺自身の口から聞かされでもしない限りは。

 

「『お友達』の正体に関する俺の答えはこれだ。『サンデーサイレンス』……つまりソレは、俺自身の魂なんだよ」

 

「魂………ですか」

 

「ゴーストというほどグロテスクでもない。スピリットというほど神聖なものでもなく……そうだな、やっぱりソウルが一番しっくりくるだろう」

 

「ウマ娘のソウル……ウマソウルというわけですか」

 

「……絶妙にダサいな、それ。だがまァ丁度良い。便宜上そう呼ぶことにする」

 

なんともぶっ飛んだ答えかもしれないが、それでも俺の用意した推察の中では最も筋の通ったものだった。

非現実が確かに存在するこの世界において、非科学的という言葉は否定を為さない。

 

それを言うなら、ウマ娘という生き物そのものが非科学的なのだから。

ヒトと近似した構造でありながら、陸生動物としてトップクラスのスピードを生み出す原理について、未だ科学で解明なされていない。

ウマムスコンドリアなるものの存在も示唆されてはいるが、所詮超科学の範疇を出ない程度のものだし。

 

「例のおとぎ話の通り、ウマ娘の魂というものがあるとしたらだ。別におかしい話じゃないだろう?子が親の魂を受け継いだとしても」

 

「……血の繋がり、とりわけ母子関係というものが極めて特別視されているのは事実です。世界のどんな宗教、伝説、伝承、逸話を紐解いても」

 

「なんせ元々は一つの肉体だったわけだからな。出産を契機として、我が子を依り代にその『ウマソウル』とやらが母体から剥離するのも……まぁ、感覚的には受け入れられる」

 

机上の空論もいいところだが。

俺だって、カフェの『お友達』の一件がなければこんな結論に思い至りもしなかっただろう。

あるいは辿り着いたところで、一笑に付していたに違いない。

 

「そして、それが今朝アイツに起こった異変の根源だと俺は考える。三本足から受け継いだ魂が、そのままアイツに悪さした。乗っ取ろうとしたんだ」

 

そして、それもまた俺の監督不行届の一つだろう。

 

俺が『ウマソウル』の片鱗を見たのはカフェと『お友達』だけで、息子の方にはなにも無かったもんだから、てっきりヒトには関係ないものだと油断していた。

警戒していなかったわけでもないが、その結果が他所のウマ娘に深く関わり過ぎるなという、ありきたりな忠告では意味がない。

 

「その原因とはなんでしょう。ルナと一緒に走ったから?」

 

「それもなくはないだろうが、たぶん最大のきっかけは名前なんじゃねェかな。あの娘、勝手に名付けたろう」

 

「いえ、初耳ですが。ちなみに、それは」

 

「パーフェクト……ハハッ、ホントに大した偶然だよな。アイツのツキの無さは筋金入りだぜ」

 

果たしてどういう経緯でそれが選ばれたかは知らない。ゼロから考えたのか、それとも既存の名前をそのまま持ってきたのか。

仮に後者だったとしてもだ。世の中に星の数ほどある名前から、よくもまぁそれを引き当てたもんだ。

もしそれも三女神の悪戯だったとしたら……やはり、呪いとしか言いようがない。

 

それがきっかけだったのだろう。

これまで奥深くに眠っていた魂の欠片が顕在化した。

 

「ルナにはちゃんと教えておくべきだったわね」

 

「"ウマ娘から生まれた男子にウマ娘の名を授けるな"……ああ、アレは教訓だったのか」

 

これもまたよく聞く言い伝え。

てっきり縁起が悪いとか、社会に馴染まないとかその程度の意味だと思っていたがまさかこんな裏があったとは。

 

スイートルナとて、それが分かっていればちゃんと言い聞かせたことだろうに。

恐らく曖昧な忠告だったのだろうが無理もない。

具体的に教えないのではなく教えられなかったのだ。彼女もそれを知らなかったから。

 

「まァ、過ぎてしまったモンは取り返しがつかねェ。さっさと次の手を打つべきだ」

 

「なにをするおつもりで?」

 

「決まってるだろう。神社で祓うのさ。アイツの中に巣食うソレを。あの夏合宿の時も、そしてカフェの時にもやったことだ」

 

幸い、それで効果はあった。

『お友達』は消えこそしなかったものの、それまでと比べて見違えるように大人しくなったわけだし。

 

今回それで上手くいくのかは分からないが、しかしやれることと言えばそのぐらいだ。

超自然的なモノを相手取るには、やはり尋常ではない手段が必要となる。

 

「この世から消し去る、ということですか」

 

「除霊でも鎮魂でも、大人しくなってくれればなんでもいい。場合によっちゃそうなるかもしれないがな」

 

そう聞いた途端、にわかに表情を曇らせるスイートルナ。

まぁ、言いたいことなんて薄々こちらも分かっちゃいるが。

 

「そうなると、彼とあの人との繋がりも……今度こそ完全に失われることになりますね。恐らく今となっては、唯一残されたものであるそれが」

 

「しょうがねェだろ。そもそも繋がりなんてのはあればあるだけ良いってモンじゃなくて、しかもアレは悪縁というヤツだ。バッサリ断っちまうに限る」

 

「しかし………」

 

「いいか、魂っていうからさも高尚なモノに思えるんだ。アレは病気さ。重篤なアタマの病気だ」

 

コンコンと、俺は自分の頭を拳で小突いて見せてやる。

実際、現実にもたらす効果という点では殆ど変わりがない。むしろ医学で対処できないぶん、こちらの方がよっぽど悪質で厄介だと思える。

アレがオカルティックななにかなのか、それともウマ娘という理外の種族に基づく生理的な現象なのかは不明だが、いずれにしても危険な状態というのは確かだろう。

 

「ヒトの体でウマ娘の走りを求め続ければ、行き着く結末は二つだけ……一生満たされない渇望に気が触れるか、自らその身を破壊するか。あれはそんな、救いようのない絶望に至る病だ」

 

「……まるで自死衝動ですね」

 

「アイツはもうそれになりかかってる。完全に足がイカれたせいか多少は落ち着いてるようだがな。とはいえ、決断するなら今だ」

 

「魂なんてものを鎮めるにせよ引き剥がすにせよ、ただで済むとは思えませんが」

 

「今ならせいぜい、記憶を失う程度で済むだろうよ。例の異変が顕在化した、ここ四日間程の記憶をな」

 

「四日間………」

 

それはつまり、アイツとシンボリルドルフとの思い出がごっそり失われるということで。

 

気が向かないが、致し方ない。

思い出なんてこれから先いくらでも作っていける。俺にとって重要なのは今だった。

 

とはいえ……せめて最後の思い出ぐらいは作らせてやろうか。

どのみち忘れ去られる運命だとしても、それだけで過去が無かった事になるわけではないのだから。

 

 

ああ、それにしても本当に今日はくたびれる一日だ。

 

 

ヤケクソ混じりに俺はもう一度酒瓶を呷ると、別のポケットからキャロットキャンディーを一つ引っ張り出した。

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