一輪の赤い菊の花
トレセン学園と呼ばれる機関がある。
主に小学校を卒業したウマ娘を集め、レースへの出場と勝利を目的に掲げる養成施設。全国津々浦々に点在しているが、中でも代表的なのは東京都府中市に展開しているものだろう。
日本ウマ娘トレーニングセンター学園。
俗にいう中央。トレセン学園という単語自体が専らこれを指し示す程の、ウマ娘養成機関における最高峰である。
国民的スポーツ兼エンターテイメントであるトゥインクル・シリーズでの勝利を目指して、全国から2000名もの選りすぐりが集う学舎。否、その出自は日本だけに止まらず、世界からも多くの有望株が海を渡って門を叩くという。それだけ知名度、実績、環境全てが桁違いなのだ。競技ウマ娘として必要なものは、ここに全て揃っているとまで称される程に。
生来走ることに熱狂するウマ娘にとっては、まさに楽園さながらに見えるのだという。そうでなくとも、競技ウマ娘自体が夢のある職業である。中央で身を立てた暁には文字通り全てを手に入れることができ、結果次第では歴史にすら名を残すことになる。
根本にあるのが本能であれ、使命感であれ、あるいは野心や欲望であったとしても、その門を潜らない理由はない。故に、全てのウマ娘の憧れとして長きに渡り君臨してきた。
もっとも、だからと言って決して理想郷というわけではない。その実態は何度も篩にかけられた上で生き残ってきた、いずれも錚々たるエリートたちが一堂に会してしのぎを削る戦場に他ならず、それを制して栄光を掴めるのはほんのごく僅かである。
華やかさの裏で流された涙は数知れず、怪我や成績不振の末に道半ばで去る者も数多い。勝者に全てが与えられる隣で、敗者は黙って立ち去るほか無い弱肉強食の箱庭なのだ。
そして、その理に縛られるのはなにも生徒だけとは限らない。彼女たちを支えるトレーナーもまた、常に勝つことを、勝ち続けることを強いられている。
生徒と同様、母数を考えればあるいはそれ以上の倍率を潜り抜けてきた、折り紙つきのエリート集団が中央トレーナーである。巨大興行スポーツたるトゥインクルに直接携わるだけあって、およそ人が成功の基準とするであろう何もかもを得られる、競技ウマ娘と同じくこれまた極めて夢と人気のある職業だ。実績を残せれば、の話ではあるが。
そもそも受け持つ業務からして膨大であり、休日などあってないようなもの。ただ結果だけが求められ、そのために絶えず自己研鑽を重ね続けなければならない。近年流行りのワーク・ライフ・バランスの重視などとは全く縁の無い過酷な仕事。
というよりそれを平気で耐えられるか、なんなら進んで受け入れる者しか生き残れない。担当のバ生と自身の食い扶持の全てが勝敗にかかっている以上、自らを切り売りするしかない。しかもそれと、結果がついてくるか否かはまた別の話である。
誰が呼んだか、寝ても覚めても年頃のウマ娘のことだけしか頭に無い変態集団。
そんな魔境に、とうとう私も足を踏み入れる時が来た。来てしまったのだ。
「ふぅ……」
すっかり日が落ちて人気のなくなった学園の敷地を早足で横断しながら、ころころと器にした右手の中で新品のトレーナーバッジを遊ばせる。
つい昨日、トレセン学園事務局から先生経由で支給されたもの。学園内外において本学のトレーナーであることを保証する身分証明であり、私がようやくサブトレーナーから卒業して、いっぱしの中央トレーナーとして巣立つときが来たという証でもある。
バッジはそのトレーナーの素性をとりわけつまびらかにするものだ。たとえば塗装一つとっても、ベテランのものは所々が剥げてくすんだ色の下地が見えている。逆に今手にしているこれは汚れ一つなく光を反射しており、私がまだ生まれたてほやほやのひよっこトレーナーだという事実を全身でもって宣言していた。
支給されたばかりの新人や、これを破損したり失くしたりして新しいものと取り換えてもらった迂闊な者のバッジは皆一様にピカピカであり、それはまだまだトレーナーとして未熟だという証明に他ならない。まるで初めてランドセルを背負った小学一年生のような、えも言われぬ気恥ずかしさがそこにはあった。
両端を指でつまんでバッジをひっくり返す。裏には学園採用年次と研修過程での席次を組み合わせた五桁の数字の羅列が刻印されている。学園のデータに登録された私の職員番号であり、これで持ち主を直接紐づけている。
トレーナーバッジは身分証明であると同時に職業の象徴、弁護士バッジのようなものだ。外出時に必ず身に着ける者もいれば、逆に裏返して目立たないようにしている者もいたりするが、皆大なり小なり思い入れがある。
私もその一人で、昔はこのバッジそのものに密かに憧れていたものだが。しかし、いざこうして手に入れてみると、高揚や達成感よりも未来への緊張と不安感ばかりが胸に押し寄せてくる。
とどのつまり、それを自分が持たないからこそ憧れていたのであって、現実となった今では浮かれてばかりもいられないのだろう。このあたり、趣味や憧れを仕事にするなという文句の趣旨だろうか。たんに私が根暗なだけかもしれないが。
まぁ、これも一時の気の迷いだろう。
あと一週間もすれば4月に入る。最上級生たちが卒業し、同じだけの学生が新たにやってくるだろう。新しい一歩を踏み出すのは私も同じで、年度が代わればいよいよ一人前のトレーナーとして担当を見つけ、指導し、レースに臨み勝たなければならない。
これまでとは違い先生や先輩の庇護もなく、むしろ同業者として彼女らと火花を散らすことになるだろう。つまり、バッジに思いを馳せる暇もなければ将来に漠然とした不安を抱ている余裕も無いのだ。
ならば今だけは、こんなくだらない憂いも贅沢として甘受しておくべきなのかもしれない。
「冷えるな……」
軽く肌をなぞる夜風に、ぶるりと身を震わせる。
いかに春先とはいえど、流石に日も隠れるとまだ少し冷たい。
桜の蕾はもう既に、続々と花開いている頃合いではあるが。今だって、風に乗ってどこからか飛んで来た花びらが一つ、私のスーツの肩にくっついている。
それを払い除けたところで、私はようやくトレーナー寮の玄関に辿り着いた。首から提げていた職員カードで入り口を解放し、広々としたホールを横切る。
その道中で立哨しつつ、こちらを見守るのは防刃チョッキとヘルメット、特殊警棒にポリカーボネード盾で防護したウマ娘たち。
学生とその担当トレーナーの別れという、核地雷に他ならないそれが一斉に起爆するこの時期において、我々トレーナーの安眠を守ってくれる頼もしい存在である。
普通、警察官である彼女らが何人も学園の警備にあたるのは異常だと思うのだが、しかしそうせざるを得ない程に事案が多発していたのだ。
その処理を行うのもまた彼女たちであり、つまるところ出動するのが早いか遅いかの違いでしかないため、抑止も兼ねてこういう形になったらしい。
通常哨戒にあたる騎バ隊ではなく、鎮圧に特化した騎動隊を動員してくるあたり、警察と学園の本気度が垣間見える。
もっとも、その方がこちらにとっては有り難いのだが。根本的に生徒と比べて立場が弱いのだ、我々は。
……それにしても、担当との別れか。
穏便かつ円満な決別というのは、とりわけ私のような男性トレーナーにとっては至上命題といえるだろう。
故に毎年この季節は戦々恐々とするものなのだが、そもそも担当すら持っていない今の私には関係がない。順調にいったところで、そんな事態に迫られるのは三年後のことだろう。
だいたい、上手く担当を捕まえられるかも分からなければ、良好な関係を築けるかも不明なのだ。別れを惜しまれるのも、それが行き過ぎて「少しだけ」過激な発想に至るのも全てはお互いの親密さ故であり、デビューすらしていない私がそんな心配をすること自体がそもそもおこがましいのだ。
もっとも、これは言い替えれば私には少なくとも三年間の安寧が保障されているということである。基礎を固めつつ、健全かつ穏やかなトレーナー人生を過ごさせてもらおう。新人の特権というものだ。
今年も先輩方には頑張ってもらい、それを絶対的安全圏から勉強させてもらうとしようか。そして約束された平和な日常を、たっぷりと堪能することとしよう。
そんなことを頭の中でこねくり回していると、気づけば部屋の扉は既に目の前。
福利厚生は日本一との噂通り、このトレーナー寮もまた随分と恵まれているものだ。この玄関にしても侵入防止のために鍵穴はなく、職員カードを読み取らせて解錠する仕組みとなっている。
ピッと短い電子音。
同時に扉の横にあるモニターに電源が入り、そこに直近十件の解錠ログが映し出された。一列目にただ今の時刻が表示され、その一つ下には今から一時間ほど前の記録。さらにその下には、ちょうど正午あたりの時刻。
……どういうことだ?
おかしい。私が最後にここを出たのは朝の六時だったはず。
その後は一階の先生を起こしにいって、寮の前でこちらを待っていたシービーと合流してそのまま本校舎まで向かい、以降はターフと部室を往復していた。
来年度に向けた通年メニューの更新作業と、入学式及び新任式の準備と打ち合わせ、新入生に向けたパンフレットのインタビュー、そして私の卒業認定等々と目白押しになっていた仕事がようやく一段落ついたのは昼になってのこと。
当然、ここに戻る時間的余裕はない。うっかり部室で居眠りをしでかす程に疲労も溜まっていたぐらいだから、そこから遠く離れたここまで足を運ぶ余力もなかった。
要するに、この直近二つの解錠ログはどちらも私によるものではない。絶対に。
となると、この正体はなんだ。窃盗ならこんな四階にある新米の部屋ではなく、一階のベテラン達の部屋を狙うはずだ。そもそも警官がここに詰めている時期にあえて盗みを働く意味が分からない。
ならば私怨か。しかし学園で私が恨みを買った覚えもなく、外部犯ならそもそもここまで辿り着けないはず。だとしたら学園関係者のストーカーだろうか……それが一番あり得るかもしれない。
モニターのパネルを操作し、内側からの解錠ログを呼び出す。
一番上には12:45とある。それ以降の記録はなし。つまり、侵入者はまだ部屋の中だ。
どうしたものか。
時間経過でオートロックがかかってしまったので、ひとまず落ち着いて対応策を練る。
とりあえず一階に降りて先生に助けを求めようか。しかし激務を片付けたばかりの恩師を連れ出すのは気が引けるし、なにより本当にストーカーだった場合、彼女は間違いなく手を出すだろう。先輩も同様か。
力を貸してくれそうで、なおかつ冷静に話が出来そうな知り合い……たづなさんだろうか。樫本さんも加勢してくれそうではあるが、流石に彼女を矢面に立たせることは出来ない。というかたぶん、逆に私が助ける羽目になるだろう。秋川理事長は後が怖すぎる。
いや、そもそもいちサブトレーナーがあんな大物たちを呼びつけること自体がまずおかしいか。それにせっかく警察がいるのだから、彼女たちを引っ張ってくるべきだろう。餅は餅屋。不審者には警察官だ。
そう結論を出し、さっき上がってきたばかりのエレベーターへとつま先を向けた瞬間、ガチャンと背後で玄関の扉が開けられた。
意を決して後ろを振り返る。
「おっ、お帰りサブトレーナー。ご飯にする?お風呂にする?それとも……アタシ?」
隙間から顔を覗かせているのは、目出し帽を被ったごろつきでも挙動不審な何者かでもない、凛々しく愛らしい少女の顔。
こちらをからかうような笑み。やや緑がかった艶やかな黒鹿毛が、廊下の照明を反射してキラキラと輝いている。
頭のてっぺんでは長い耳がパタパタと動き、僅かに見える尻尾もゆらゆらと愉快そうに揺れていた。
なるほど、君が侵入者か。
……どうやら先生を呼びに行くのが正解だったらしいな。もう遅いが。
「…シービー、君はここにいていい人物ではないと思うが?」
まさにこういった事態を防ぐためにとられていたのがあの措置ではなかったのか。
玄関を開けたらウマ娘がいた、なんて私にはしばらく縁の無い話ではなかったのか。というか、あの厳戒態勢をどうやって突破した。
「そんな怖い顔しないでよ。大丈夫、なにもおかしなことはしてないからね」
片手で扉を押さえたまま、シービーはもう一方の手を頭の上に伸ばす。そして、右耳の近くにのっけている白い帽子のアクセサリーを取り外すと、中から一枚のカードキーを取り出して見せてきた。
氏名から役職に至るまで、それは私に与えられた職員カードと全く同じだ。恐らく、緊急時に備えて事務局で厳重に管理されている筈のスペアを生徒会長としての権限を行使して持ち出してきたのだろう。ご丁寧に、顔写真の部分だけ彼女のものに貼り替えられている。
それについて、今さらなにを突っ込んだところで意味はない。生徒会長としてのみならず、彼女はこの学園において独自の人脈と情報網を保有している。伊達に中等部二年にして学園の顔に上りつめたわけではないのだ。
「それは十分おかしなことだと思うんだけど」
「まぁまぁ。いいから早く入りなよ。玄関の前で突っ立ってるのは勝手だけど、家主からしたらあまり気持ちのいいものでもないんだからさ」
「中に入られるのは居心地が悪いどころじゃないんだけどね。そもそもここ、私の家だし」
「ちょっと違う。私達の家……でしょ?」
夫婦ごっこをいつまで続けるつもりなのか、シービーは棒立ちしている私の腕を捕まえて部屋の奥へと引きづりこんでくる。
こうなってしまっては、私はもう彼女に従うほかない。ウマ娘とヒトの間における歴然とした腕力差というのもあるにはるが、それ以上に立場や発言力からして大きく水を開けられているのが大きい。
私は昨日ようやく免許皆伝されたばかりのサブトレーナーであり、彼女はそんな私が師事するチームのエース兼トレセン学園生徒会長だ。悲しいかな、年齢ごときでは到底ひっくり返せない下っ端の運命である。
仕方なしに靴を脱ぎ、されるがままに彼女の後に従う。
ゴトン、と一般的なマンションの倍ぐらいは頑丈な扉が重々しく閉じる音と、自動で施錠される電子音だけが背中を押した。
「こら、シービー。歩きにくいんだからあんまりくっつくな。ただでさえ単身者向けの部屋なんだから」
「そのわりには滅茶苦茶大きいけどね。廊下だって広いし……それにほら、キミだってこんな可愛いウマ娘とくっつけて嬉しいでしょ?」
私の腕を自身の両腕に抱き込み、シービーは甘えるようにその身を擦り付けてくる。
自分から可愛いなどと口にしているが、それを許されるだけの美貌を彼女は備えていた。元来容姿に恵まれるウマ娘という種族においてなお、彼女の端麗さは頭一つ抜けている。
極限まで磨き上げられた可憐さと美しさが、奇跡的な配分で両立しているかのようだった。そのライブ映えする美形と歌唱力に、レースにおける無双の実力がミスターシービーの魅了の根源である。
そんな彼女に密着されて、嬉しくないと言えば嘘になるが。
勿論そんなことを口には出さない。出してしまえば後々大変厄介な事態を招くということを身に染みて理解しているからだ。ご自慢のスペアカードを最大限活用して、たぶん本当にここを『私達の家』にされることだろう。
彼女は私に対して妙に距離感が近いぶん、一度隙を見せれば絶対にそれを見逃さない。持ち前の器用さと行動力を、そんなところに注ぎ込むのは勘弁してもらいたいところだ。本当に。
「あっ、そういえば忘れるところだった。危ない危ない」
廊下を進みリビングに至るドアに指をかけたところで、そう呟いてシービーは立ち止まる。
そしてくるりとその場で反転して、私の行く手を阻むように立ち塞がった。そのまま制服の上に羽織っていたアウターを脱ぐと、狙いを定めてこちらににじり寄ってくる。
「サブトレーナー、ちょっと目を瞑っててくれる?って言っても絶対断られると思うから、これでなんとかするよ」
「シービー?この時期にその冗談は洒落にならないぞ?」
「よいではないかよいではないか」
夜帰ってきたら家にウマ娘が不法侵入していて、なおかつ視界を奪われたとなれば、それはすなわち詰みということで。
次に目を開けた時には彼女と共に北海道の地を踏んでいて、そのまま実家に招待されてご両親との顔合わせという事態が起きても納得出来てしまう。当然ここでいう顔合わせとは、いつも娘がお世話になって云々で済ませられる類いのものではないのだ。
私が一歩後ろに下がると、シービーは二歩踏み込んでくる。あっという間にアウターをすっぽり被せられてしまった。
余った袖の部分を目を覆う形で一周させ、こちらの視界が完全にシャットアウトされてしまう。
「よし。アタシが良いって言うまでそれ取っちゃ絶対絶対ダメだからね。勝手にそんなことしたら酷いから」
「はいはい」
どうせ逃げられやしないのだ。
脅し、という割にはどこか必死なシービーの言いつけに重い頭で頷くと、返ってきたのはリビングのドアが開けられる音。次いで、手をとられながらゆっくりとリビングへ足を踏み入れる。
「あ、そこ段差あるから気をつけてね」
「分かってる。一年も暮らしてきた家だぞ。見えなくてもこのぐらい」
「ふふっ、それもそっか」
クスクスと笑うシービーに導かれながら、リビングの中を時計回りで慎重に進む。
と、胸を押されて後ろに倒された。咄嗟に手をつくが、返ってきたのは柔らかいクッションの感触。私の記憶が正しければここにはソファがあった筈だが、しかしその手触りはソファの布地からはかけ離れている。まるでぬいぐるみのような……さて、一体ここにそんなものを置いていただろうか。
しばらくそれを撫で回していたところ、不意に袖の目隠しがほどかれる。
「いいよ。もうそれとっちゃっても」
「そうか?」
一体どこに連れ込まれるのかと内心恐々していたのだが、しかしどうやら目的地はここだったようで。
お言葉に甘えてアウターを取り外す。
視界を確保して、最初に確かめるのはあの謎の手触りの正体。
やはり私が今腰かけているのはリビングの中心に据えたソファだったが、その上にはシービーのぬいぐるみも座っている。私が掴んでいたのはまさにそれだった。
一瞬ぱかプチを想起にしたそれは、しかしよく見れば手作りのものらしい。いくら生徒会長とはいえ、現段階におけるシービーの成績でぱかプチへの実装は考えられないので、恐らく彼女が趣味か験担ぎで拵えたものだろう。相変わらず器用というか多才というか、市販のものにすら劣らない程によく出来ている。
少々アレンジを加えたのか、チャームポイントの白い帽子の上に、真っ赤なキクの花が一輪添えられていて華やかしい。
「へぇ、キミって目隠し取られた後、最初に手元を確認するタイプだったんだ。面白いけど、アタシの計画からはちょっと外れちゃったな」
「……計画?」
やや落胆したようなシービーの声につられて、ようやく私は彼女の方を見上げる。
そこには、というより反対側の部屋の壁に掛けられいるのは『"サブ"トレーナー卒業おめでとう記念』の文字がデカデカと書かれた垂れ幕。
さらにソファの前のテーブルに目を向けると、小さなホールケーキと少しづつのチキン、ポテトが向かい合わせに置かれていて、ちょっとしたパーティーのような様子だった。
いや、実際これはパーティーなのだろう。
ようやく私が一人前と認められたことを祝うために、密かに準備していてくれたのか。昼にもここに侵入したのは、一度で完成させるのが難しかったためだろう。
「やっぱり、その人形は余計だったかも」
後ろ手を組んでこちらを見下ろしながら、少し残念そうに微笑んでみせるシービー。
そうか、位置取りからして目隠しを取ったその瞬間にあの垂れ幕が視界いっぱいに映る計画だったのか。わざわざ視界を奪ったのも、そのサプライズを成功させるためのもの。彼女なりに精一杯考えたのだろう、その気落ちした様子を見ていると沸々と罪悪感が湧いてきてしまう。
私はソファの人形を拾い上げると、自分の膝の上に乗っけて抱き締めた。
そして目の前に立つ彼女の手を引いて、隣へと座らせる。シービーは慣れない生地の感覚に落ち着かない様子でしばらくもぞもぞと腰を動かしていたが、すぐに落ち着いたのか私の肩へとそっと寄り添ってきた。
「……ありがとう、とても嬉しい。先生はあんな調子だからね、てっきり祝ってもらえるとは思わなかった」
「そう?トレーナーも同僚に自慢してたし、他の子も喜んで……はないか。残念がってたけど、まぁ祝ってはいたと思うよ」
そう言われれば確かに、先生もどこか浮かれていたような気がしなくもないが。事実、まだ若手である彼女が後進育成に携わり、それを成し遂げたのは大変に名誉なことなので気持ちは理解出来る。
他のチームの子達はどうだっただろう。彼女らもまた春を見据えた調整で忙しいため、あまりサブトレーナーのことを気にしている余裕もなかった気がするが。元々トレーナーとして独立してしまえばチームとも縁が切れてしまうので、そのことを残念がってくれていたのだろう。
「とはいえ、ここまでしてくれたのは君だけだからね。繰り返しになるけど、ありがとう」
「キミが喜んでくれたなら頑張った甲斐があったよ。これは……成功ってことでいいのかな?」
「勿論、大成功。とてもビックリしている」
「そっか」
そんな言葉にシービーは一転して花の咲くように破顔すると、私と同じようにこちらの肩に指をかけて自らへと引き寄せてくる。
そうしてお互いの肩が触れ合うまで密着したところで、そっと私の耳に唇を寄せて歌うように囁いた。
「なら、改めて……中央トレーナーデビューおめでとう!!そしてこれからもよろしくね、サブトレーナー」