シンボリルドルフに逆らえないトレーナー君の話   作:くまも

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ミスターシービーというウマ娘

「そういえば、キミは全然アタシをここに上げてくれなかったよね。どうして?」

 

チキンの骨に残った肉片を器用に剥がして飲み込みながら、ふとシービーはそんなことを尋ねてくる。

私といえば、とっくに食事を済ませて来年度に向けた資料に目を通している最中だったので、彼女の問い掛けにとっさに顔を上げてしまった。

あまり乗り気のしない問答であったが、こうなってしまえば誤魔化すわけにもいかない。はぐらかしたところで、彼女には間違いなく見抜かれるだろう。かえってドツボに嵌まるだけだ。

 

「どうしてもなにも、単純にそうするだけの理由がないからだろう。連絡ならメールでこと足りる。直接会うなら外に出ればいい」

 

ここトレーナー寮と、生徒が暮らす二つの学生寮はいずれも学園の敷地内に置かれている。

かつては生徒が無断でトレーナー寮へと侵入する事案が日常茶飯事だったため、それを省みて今では本校舎を挟んで対角線上の両端に最大限距離を取る形で設置されているのだが、それでも結局のところトレセン学園に併設されていることには変わりない。

そもそも、同じチームであれば毎日のように顔を合わせるわけだし。だいたいの連絡や交流は日中でこと足りるのだ。

わざわざ自室にまで生徒を招き入れる理由が全く無い。これがトレーナー同士となると、情報交換やら打ち合わせやらでわりかし部屋の行き来があるのだけれども。

 

「あるの?そういうなんか、生徒がトレーナー寮に入っちゃダメって決まりでも」

 

納得がいっていないのか、そもそもそんなことは分かった上での質問だったのか。シービーはなおもこちらに食い下がってくる。

気が収まるまで容赦なく踏み込んでくるのがシービーなのだ。こうなる気がしたからスルーしたかったのに。そもそも、生徒会長たる彼女の方が、私なんかよりもよっぽど学園の規則には精通している筈なので、要するにこれは疑問に見せかけたただの不満なのだろう。

 

「ルールとして明文化されているわけじゃないが、風紀的に良くないだろうそれは。ただでさえトレーナーと担当のアレコレが大半のトラブルの種だというのに」

 

「でもキミはアタシの担当トレーナーじゃないし、今のうちにちょっとぐらい距離を縮めておいても良かったんじゃない?相性確認は大事だよ?」

 

「……いや、担当でないなら尚更駄目だろう。フリーならまだしも、既に他と契約を結んでいる相手に」

 

他のトレーナーが受け持っているウマ娘と無闇に接触するのはご法度だ。アドバイス程度でもあまりいい顔はされないし、ましてや仲を深めようものなら後々どんな火種になるか分かったもんじゃない。

基本的にトレーナー同士、ウマ娘同士は利益相反の関係にある。勝者が一人しか存在しない競技の性質上当然のことだ。

故に、他の陣営への過度な接触はそれ自体がレースの公正さを妨げる結果にも繋がりかねず、事と次第によっては懲戒にすら処されかねない極めてデリケートな行為である。

 

そもそも相手方のトレーナーにしてみれば全くもって面白い話ではない。下手にアドバイスを仕込まれたところで、かえって作戦やトレーニングの混乱に来すだけであるし、そもそもそれを狙った妨害工作である可能性すらある。

最悪なのが、そのまま担当ウマ娘を引き抜かれてしまうケースだ。適性の見極めと調整が終わり、ようやく育成が軌道に乗っかり実績を出せてきたところを見計らって、横から口出しして掠め取っていくハイエナ行為も散見される。契約は当事者同士の自由意思に委ねられる以上、それも決して規則違反ではないのだが、しかし容認されるか否かはまた別の話だ。

実際、そういった分捕りを繰り返したベテランが村八分にされてトレーナーを辞めざるを得なくなったこともあるらしい。トレセン学園という狭い村社会において、同僚からの信頼を損ない居場所を失うことは死に直結するのだ。この辺り、私が師弟関係や縁故を重視する理由だ。

 

もっとも、例外もまた当然にある。

担当ウマ娘が自身の方針と合わない、あるいは他のトレーナーの方が相性がいい場合はアドバイスをきっかけとして移籍が行われることもあるし、師弟の場合はある特別な移籍制度も設けられているなど、必ずしも他陣営との接触が否定されているわけではない。

結局のところ、重要なのは双方の納得だ。元々担当とそりが合わない、実績を残せていない、ベテランで多少引き抜かれてもキャリアに響かないという事情等々、突き詰めれば時と場合を踏まえてという一言に尽きる。

 

これらを踏まえた上で検討した場合、私がシービーと必要以上に親密になるのは非常に好ましくないことだった。

現時点においてチームの中核を成すウマ娘であり、シンザン以来19年ぶりの三冠を期待されている逸材なのだ。既に一定の名声を得ている先生とはいえ、手放すには余りにも惜しい存在だろう。

他のトレーナーもそのことを理解しているのか、並走の依頼を除いてシービーへの接触は極力控えている。例外といえば、同期であり尚且つ昔馴染みの先輩ぐらいだろうか。

 

「君とは少し、仲良くなりすぎてしまったような気もするな。今更かもしれないが」

 

「なぁに?後悔してるの?」

 

「そこまでは言わないけど。ただ、私にも立場ってものがある。流石に滑り出しからやらかすのはごめん被りたい」

 

「立場ね……そんなの気にするだけしょうがないと思うけど。まぁ、それも今のうちかな」

 

そういうわけにもいかない。

ここで彼女におかしな影響を与えてみろ。良くて破門か、最悪の場合ようやくデビューした直後に学園を追い出される羽目にもなりかねないのだ。繰り返しになるが結び付きが重要なこの職業において、他ならぬ指導教官に弓引く新人など今かつて聞いたことがない。

 

私もシービーも立場は違えど同じ年に中央に足を踏み入れ、同じチームに所属し切磋琢磨してきた者同士かなり思い入れもある。

とはいえ、順調にいけば私にも来年から担当がつくわけだし、彼女もまたエースとしてこれまで以上に先生のチームを引っ張っていくことだろう。

いい加減、ここらが潮時なのかもしれない。私はトレーナーとして一人立ちし、彼女はいよいよクラシック戦線に臨む。時期的にも丁度いい頃合いだろう。

 

「なら結局のところ、キミはトレーナーに遠慮してアタシをここに入れてくれなかったってこと?」

 

「それも理由の一つだけど、あとはまぁ……メリハリをつけるためかな。家にまで君がいるとオンオフの切り替えが出来なくなる」

 

トレセンの敷地内に寮があるのは非常に有り難いことこの上ない。

勤務時間が不安定で、なにより夏の真っ盛りだろうが冬の最中だろうが現場での活動を行うぶん、心身の疲労と切っても切れない職業である。貴重な体力を通勤なんぞに割きたくないし、そんな時間があるならその分少しでも休息を取っておきたい。

職場と直結しているここは、そんな私達の切実な想いに応えてくれている。

ただそのぶんデメリットもあるというか、毎朝毎晩満員電車に揺られている方達に聞かれたらひっぱたかれそうな贅沢な悩みではあるが、公私の切り替えが難しいのである。

玄関から一歩出たら職場というか、そもそも寮自体がトレセン学園の敷地内にある以上、常に生活の場を一ヶ所に置いていることになる。出社、帰宅という概念がそもそも薄いのだ。お陰で寮部屋すら仕事場の一つに見えてしまい、わざわざ学園外から通っているトレーナーもいる程。

 

その点私はそれなりに適応力があるのか、この部屋でも肩の力を抜くには十分なのだが……それでも、プライベートの空間というものは欲しい。

シービーには悪いが、ほぼ毎日昼間に顔を合わせてきた彼女は私にとって仕事の象徴だった。家の中にいられると気が休まらない。

 

「でも、トレーナーになったらそんなこと言ってられないと思うけど。先輩たち見てても、休みの日は色んなとこ連れ回したりしてるもの」

 

「ならせめて、今ぐらいはそっとしておいて欲しいものだね。ただでさえ、打てば壊れるか弱い新米トレーナーなんだから」

 

「ならアタシが鍛えてあげようか。寮は引き上げて明日からこっちに越してくるよ。部屋も独身寮じゃなくて家族寮に作り直してあげる」

 

「いらないお世話。そもそも、なんの権限があって君がそれをするんだ」

 

「生徒会長権限」

 

べ、と悪戯っぽく舌を出して見せてくるシービー。

それを世迷いごとだとあながち言い切れない程の権力を握っているのが実に厄介である。この学園における生徒会の権限は、一般的な学校機関のそれからは余りにもかけ離れており、その長ともなれば理事長に次ぐ実質的な学園のNo.2だ。理事長と生徒会長の、両者の承諾が降りなければ通らない申請も少なくない。

そのぶん所掌する業務の範囲もまた尋常ではないが。とりわけ三月の末ともなれば地獄が顕現するのだが、しかし風の噂によればシービーは既にそれも片付けているらしい。この時間にこんな場所にいるところを見るに、きっとそれは事実なのだろう。

トレセン学園生徒会長としての業務の内容と、それを処理するために必要な知識にノウハウ、与えられた権限の活用方法からやや大胆な立ち回りに至るまで、彼女はその殆どを既に自らの物にしたのだろう。先代からの引き継ぎがあったとはいえ、やはり傑物というほかない。これが一年前までランドセルを背負っていたなどとにわかには信じがたい。

 

咥えて遊んでいたチキンの骨をパックに戻すと、彼女はケーキの箱ごとまとめてテーブルの端に寄せる。

チキンとポテトのパッケージには商店街にあるスーパーのシールが貼られていたが、ケーキの箱はまた別の店の物だ。たしか、商店街からさらに先の街に出たところにある老舗の洋菓子店のものだったと記憶しているが。思えば、シービーがメイクデビューを飾った時も同じ店のロールケーキで祝ったんだったか。

彼女はそのまま自身の座るソファの後ろに両腕を垂らし、ぐでっと天井を仰ぎ見る。

ついでに足も組んで、なんとも貫禄のある格好だ。威厳すら感じるというか、本当にこれが中等部一年生の姿か。実はバ生2回目とかなんじゃないのか。

 

「…あーあ。アタシも今は寮に帰っても一人だからねぇ。一週間後が待ち遠しいよ」

 

「今は……ああ、あの子はもう卒業するんだったな。部屋も既に引き払ったわけか。次に来る子は大変だろうな。生徒会長が相部屋だなんて」

 

「どうかな。その子も大概かもしれないよ?三冠取っちゃって、そのまま次の生徒会長になっちゃうかも。そしたらアタシとしては万々歳だけど」

 

「また君は、そういうくだらない冗談を」

 

この学園の規模なら一人一部屋与えてもいいと思うのだが、学生寮は昔からずっと二人部屋のままだった。特にそういう決まりだとか伝統があるわけでもなく、単純に改築に手が回らないらしい。

まぁ、いくら経済的に体力のある天下のトレセン学園といえども、下手したらトレーナー寮以上に金のかかるあそこを丸ごと作り替えるのは困難なのだろう。

寝食を共にするからには、相性というものは大事だ。そしてそれ以上に、共同生活に対する適応力も重要となる。私生活の崩壊はそのままレースパフォーマンスの低下に直結するからだ。

この点、一人部屋を寂しいと感じ、相方を待ち遠しく思える彼女の協調性はやはり紛れもない長所だろう。

 

 

「……よし」

 

ひとまず、資料は一通り読み終わった。

つい今朝たづなさんから貰ったもので、新人トレーナーを対象に今後の手続きの詳細と簡単なアドバイスがまとめられたパンフレットである。幸い、理事長から事前に概略だけ聞いていたので、殆ど読み流す程度でも頭に入ってきた。

というか、そもそも理事長自らしたためた物なので当然かもしれないが。半人前の身で彼女と個人的な交流を持たせて頂いてることには本当に感謝しかない。

 

校章の印刷された封筒にパンフレットをまとめてしまい、パーティーの残骸とは反対側のテーブルの端に放り投げる。

そのまま今度はポケットから新品のトレーナーバッジを取り出し、テレビ横のデスクからマイナスドライバーを持ってくる。そうして再びソファに腰を下ろしたところ、それに気づいたシービーが興味津々といった様子でテーブル越しに身を乗り出してきた。

 

「へぇ、そのバッジって解体出来るんだね。中に飲み薬でもしまっておくの?」

 

「そんなわけないだろ……たんに塗装を剥がすだけだ。といっても、一部分だけだけど」

 

これは言うなら、担当を捕まえるための一つのテクニックだ。

浪人生や中途採用も多い中央トレーナーについて、年齢ではなくバッジの汚れ具合でキャリアの長さを測るべきというコツはウマ娘の間でも周知されている。なるべく経験豊富なベテランを捕まえたい彼女たちの前では、こんなピカピカのバッジは眼中に入らないのだ。故に、こうして意図的に汚損させるのである。

もっとも実際のキャリアなど隠し通せるものでもないし、私の場合は見た目でも若手だと分かるだろうが、それでもやらないよりはマシだった。自身の実力だの人柄だのをアピールする以前の話、こうでもしないと接触するきっかけすら与えられないのだから。

基本、選ばれる立場の新人トレーナーはこうしてチャンスを作っていくほかない。学園からの救済策もあるにはあるのだが、私の場合では恐らくそれは望めないのだから。

 

と、バッジの表層にドライバーの刃を押し当てたところで、不意に目の前から伸びてきた手にそれらを取り上げられてしまう。

 

「……シービー」

 

「止めときなよ、勿体ない。だいたいこんな小細工されたところで、かえって悪印象になるだけだと思うよ。それにキミなら席次で十分アピール出来るんじゃないかな」

 

シービーはくるりとバッジを裏返し、そこに刻まれた職員番号を確かめる。正しくは、その末尾にある二つの数字について。

修習期卒業段階における、座学と実技の総合成績で定まった席次。それが職員番号に組み込まれるということは、要するに引退するまでその成績が残り続けるということである。

見方によっては残酷だが、これもまた勝ち負けの世界へ飛び込むにあたっての洗礼ということだろうか。これもまた、ウマ娘が担当を選ぶ際の一つの基準だとかなんとか。

 

「02……同輩中の二位。つまり修習所で次席だったってことでしょ。十分十分」

 

「その微妙さが不安なんだよ。そもそも席次とトレーナーとしての能力は必ずしもイコールじゃない。結局、実績のあるベテランの方が安牌ということになる」

 

「だからベテランに擬態するってこと?分かってないなサブトレーナー。こういう時、大事なのは見栄とはったりだよ」

 

それこそまさしく、たった今私がやろうとしていた事ではないのだろうか。

しかしシービーは手にしたバッジを転がしながら、ゆるゆると首を振って私の思考を否定する。

 

「もしもの話。首席の人がバッジに細工をしなかったとしたら、その時点で完全にキミの負けだよ。席次で勝てないから細工に逃げたと、きっと回りはそんな風なことを思うだろうね。そして……そんなトレーナーに、果たして自分の一回きりのチャンスを委ねたいと思うかな」

 

「それは……」

 

思わないだろう。

格付けがついてしまうと、そう言いたいのか。

 

「だから、キミはただ堂々としていればそれでいい。そもそもの話、キミが選ぶ立場に回らないとも限らないんだからさ」

 

これは預かっておくからね、と言い残してシービーはソファから立ち上がる。

ドライバーだけ私に返し、バッジは胸ポケットに滑り込ませると、そのままアウターを羽織って玄関へと歩いていく。

 

どうやらパーティーはこれでお開きらしい。門限にはまだ多少猶予があるとはいえ、そろそろいい時間だからあえて引き留めることもしない。

いくら生徒会長とはいえ、異性の部屋に夜更けまで長居するのは体面が悪いだろう。なにより私も、こんな時期から悪い噂でも立てられたら堪らないのだから。

見送ろうと私も立ち上がったところ、結構だと手を振って制止される。リビングに取り残された私を他所に、シービーは颯爽と廊下を抜けて玄関から飛び出した。

 

「……あ、そうそう。最後にこれだけは言っておかないと」

 

その扉を閉める直前、首だけ隙間に突っ込んで私の方へと笑いかけてくる。

いつものからかうようなそれとは違う、柔らかく見る者の心を温めてくれるような優しい微笑み。

 

「来年の担当探しのことなら心配する必要はないからね。安心して眠るといい」

 

「慰めかな、それは」

 

「じきに分かるよ。じゃあね、また明日」

 

おやすみなさい、と挨拶だけを残して彼女は首を引っ込める。

ガチャン、と重々しく扉が閉まり、オートロックの短い電子音だけが後を引く。私一人が残された寮部屋は、それを最後に波が引いたかのように静まり返った。

挨拶を返し損ねたと思いながら、区切りをつけるように私もリビングの扉を閉める。

 

果報は寝て待て、か。

どのみち、今の私に出来ることなど限られている。というか、バッジを取り上げられてしまった以上あとはこれまでのレポートを見直すぐらいしかない。学園のデータベースへのアクセスも、やはり来週になるまで許されないわけだし。

それならもう、今日はシャワーでも浴びて一足早くベッドに入るとしよう。特に今日はうっかり居眠りするほど疲れていた。新生活が始まるまでに、少しでも英気を養っておくべきだ。

 

そう思い踵を返すと、視界にあの垂れ幕とケーキの箱、そして彼女が食べ残したチキンの骨が飛び込んでくる。

……とりあえず、まずはこれを片付けないとな。

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

寮の玄関から外に出た頃には、冷え込みがより一段と強くなっていた。

暦の上ではもう春だとかなんとか。とはいえ過ごしやすい環境が整うには、あともう少しだけ夜を越える必要があるだろう。ヒラヒラと夜風に揺れるカーディガンの裾を握りしめ、しっかりと体に巻きつける。

ウマ娘は体温が高いし、多少の寒さで体を壊すことはない。アタシだって、伊達に雨の中を傘なしで出歩いているわけじゃないのだから。とはいえ、寒いものは寒いのだ。結局のところ、こういうのは気の持ちようだろう。

 

最後にもう一度だけ、出てきたトレーナー寮を振り返る。

彼の部屋の電気はまだ点いている。カーテン越しにぼうっと光を放つそれを見て、粟立つような焦燥が胸を焼き付くした。

ああ、あれを見るんじゃなかった。もっと粘っていればなんて、そんな未練がましいことを考えてなんになる。

それでも街灯に引き寄せられる蛾のように、アタシは無意識にあの光に飛び込む理由を探してしまう。忘れ物、なんて言い張りながらチキンの骨でも取りに戻るか?ああ、全くもって愚かしい。

 

はたはた、とアタシの言うことをまるで聞かずに自己主張する尻尾。

ウマ娘の耳と尻尾には、とりわけ感情が露になるという。だとすればこの瞬間、アタシは一体どんな情を胸に秘めていると言うのだろう?

分からなかった。分かる筈もなかった。何故って、今までのアタシはそれを知らなかったから。

かさ、と帽子が髪の毛と僅かに擦れ合う音が響く。きっと、二つの耳もこの尻尾と同じぐらいの利かん坊だったのだろう。

 

……もう行こう。

 

いつまでも振り返っていないで、アタシもアタシの部屋に戻らないと。

あの光を見ていると、なにか自分が自分ではなくなっていくような感覚がする。ただでさえ、主の言うことを聞こうともしないこの度しがたい肉体が、いずれなにをしでかすのかはアタシですら分からないのだから。

 

そう決意して、なんとかトレーナー寮を視界から押し退けて、真逆の美浦寮へと鼻先を向ける。

 

「あ、シービーちゃん!!」

 

その瞬間、通りを歩いていた一人のウマ娘と目があった。アタシより数拍早くこちらを視認していた彼女は、満面の笑みで手を振りながら真っ直ぐ駆け寄ってくる。

彼女はアタシと同じく、シンボリフレンドのチームに所属しているウマ娘だ。アタシと同じ黒鹿毛で、そしてこれまた同じく今年学園に入学したばかりの中等部一年生。

誰よりも早くデビューを果たし、初戦を勝利で飾り、生徒会長にも選ばれて。順調に実績と人気を積み上げているアタシは、嫌われこそしていないものの同期からは少し距離を置かれている。

そんな中で、初めて言葉を交わした日と変わらない態度で接してくれる彼女がアタシは好きだった。

 

「シービーちゃん!!こんなところでなにしてるの?」

 

「うん、ちょっと……トレーナーに用事があってね。遅い時間だけど、お邪魔させて貰ったんだ」

 

「トレーナー……ああ、サブトレーナーさんのことだね!!そっか、卒業おめでとうってお祝いしたんだ!!」

 

アタシがあえてはぐらかした部分を暴きながら、一日の終わりだというのに元気一杯に彼女は笑う。

素直で、人懐っこく情に厚い。とても良い子なのだが、妙に勘が鋭いというか、度々こうして本質を見抜いてくるところが少し苦手だった。

 

「でも、それなら私も誘って欲しかったなー。他のチームの子も、友達もいっぱい呼んでおめでとうってやりたかったよ」

 

「アハハ、ごめんね先走っちゃって。アタシも結構忙しくて、二人だけのちっちゃなパーティーしか出来なかったの」

 

「そっか。シービーちゃん、会長さんになって忙しいんだもんね」

 

「そうそう。だからいつか全員の予定が揃うときがあったとしたら、その時はもう一度、皆で一緒にサブトレーナーのお祝いをしようか」

 

「うん!!」

 

良い返事だ。

アタシにそんなつもりはさらさらないことも、桜月が終わるまでアタシとトレーナーに暇な日がないことも全て分かった上で彼女は頷いているのだろうか。

分かっていないだろうな。もしそうなら彼女は間違いなく悲しい顔を見せている筈。

アタシはキミのことも好きだから、どうかそのまま優しい嘘で絆されたままでいて欲しいかな。

 

「ところで、キミこそどうしてこんな時間にここにいるのかな」

 

「うん。トレーナーがちゃんと夜練しておきなさいって。私は逃げウマだから、しっかりスタミナをつけておかないといけないから」

 

「そっか。あまり根詰めすぎるのも良くないから程ほどにね」

 

「うん!!」

 

威勢の良い返事を残して、彼女はアタシの脇を通り抜けていく。と、数歩進んだところで立ち止まって上を向いてしまった。

その先にあるのは、まだ明かりが点いたままの彼の部屋。律儀な彼女の事だから、その頭の中で考えていることも手に取るように分かってしまう。

そしてそれを実行に移すだろう。そうだよね、キミだってこの一年間、彼に目をかけてもらったウマ娘の一人だもの。

 

「この時期、ちょっと学園が楽しいことになってるんだ。トレーナー寮にも警察の方がいっぱいいてね。アタシ達は近づかない方がいい」

 

「そーなの?うん……分かった!!」

 

まったく、そんな素直にアタシの言うことに従うなんて。

「なにを自分を棚に上げて」なんて当たり前の文句一つも出てこない、そういうところもまたアタシにとっては好ましかった。

 

「代わりと言ってはなんだけど、夜の練習ならアタシが一緒に走ってあげる。とりあえず、もう時間も遅いから美浦寮まで流そうか」

 

「ほんと!?ありがとう、シービーちゃん!!」

 

「ふふ……どういたしまして。ミズ・カツラギ」

 

さて、アタシもシャワーを浴びて、さっさとベッドで身を休めることとしよう。

これでもトレセン学園の生徒会長だ。無事に新入生を迎えるまで残り一週間、気張らなければならないのだから。

 

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