トレセン学園の施設は軒並み煌びやかな印象がある。
それは単純に設備が整っているというだけでなく、外観それ自体にも気を遣っていて、とにかく洒落っ気があるのだ。
それでも校風校則からして自由そのものなので、変に浮わついているわけでもなく見事にあか抜けた雰囲気。ともすれば、ここが教育機関であることを失念しそうになる程だった。
もっとも、ここがただの学校ではなく、日本屈指のエンターテイメント・スポーツを司るレース界の総本山である以上、華やかさをなによりも重視するのは当然の話ではある。そこらの中高一貫校と比較する事自体がそもそも間違いなのだろう。
良くも悪くも唯一無二なのだ。ここトレセン学園という学舎は。
そして、そんな学園においても一際絢爛なのがこの大講堂である。
全生徒と職員を収容してなお余りある広さ。校章を掲げる深紅の舞台幕にはある種の威厳すら感じられてしまう程。なるほど、これなら説明会や記者会見の度にわざわざこの場をセッティングするのも頷ける。夢を見せるのに一役買っているわけか。
舞台の上からでもそうなのだ。今我々の目の前にひしめいている、総勢2000名の新入生たちにとっては感慨もひとしおだろう。ざっと見渡しても、どこか現実にいないというか、夢見心地というか、熱に浮かされているような表情を見せていた。
競技ウマ娘として生きるなら入学自体はゴールではなく前提であり、むしろここからがスタートだ。とは言うものの、一度でも籍を置いたという記録そのものが箔付けになるこの学園に足を踏み入れるためには、並大抵の努力では済まされないことは私自身よく理解している。
勝って兜の緒を締めることも大切だ。それはそれとして、せめて今日ぐらいはひとまずの関門を越えた充実感を存分に味わって欲しい。
「本人たちは隠せてるつもりかもしれないけど、みんなそわそわしてるよね。一年っ子は純朴で良いなぁ」
隣のパイプ椅子からそっと耳打ちしてくるシービー。
一介の新人に過ぎない私が壇上に顔を並べているのは、ひとえに彼女の補佐役に選ばれたからだ。
こういうのは普通なら副会長の役割なのだが、しかしマルゼンスキーは舞台裏で生徒会や運営委員会の指揮を執っている真っ最中。生憎他に副会長はおらず、というより私がそれと似たような仕事を担ってきたために、こうして舞台の上でシービーのサポートをする形になってしまった。
名誉といえば名誉なことではあるのだが、正直荷が重い。私を末端として、彼女の向こう側にいるのはURA会長と府中市長代理、地元商工会の会長からレース場の代表者、そして秋川理事長に学園副理事長とそうそうたる面子である。はっきり言って場違いも良いところだ。
「君だって、ちょうど一年前はあの中の一人だったろうに」
「その一年で散々荒波に揉まれてきたからね。もうあんなキラキラした目は出来そうにないかな」
自身に浴びせられる膨大な視線を楽しそうに受け止めながら、彼女は余裕たっぷりにそうのたまった。
生徒会長という役職は、やはりこの学園における顔に他ならない。全生徒の代表という性質からも、新入生にとっては下手をすれば理事長以上に注目度の高い人物である。
ましてやシービーの中等部一年生時点での拝命というのはかのシンザン以来の快挙であり、尚且つこれまたシンザン以来19年ぶりのクラシック三冠バを期待視されているウマ娘ということもあってか、その知名度やら注目は群を抜いている。所謂時の人だ。当然、新入生たちがそのことを知らないはずがない。
……実際のところは、少なくとも私の知る範囲においては目ぼしい一年を見つけた先代がこれ幸いと半ば押し付けただけなのだが。
ちなみにこれもまたシンザン同様らしい。彼女もまた初代会長に無理やり引きずりこまれ、嫌々史上最長政権を樹立する羽目になったとかなんとか。
しかしながらシービーは、嫌々どころかむしろノリノリな様子だった。レース競技界の重役と一堂に列せられても、2000人の関心を一度に浴びせられてもまるで平然としているその胆力は、間違いなく私が見習うべきものの一つだろう。
入学式はつつがなく進み、後半に差し掛かっていよいよ生徒会長からの訓示。
呼び出されたシービーは一礼と共に講演台へと進み、私もまたその後に従う。直前まで話されていた理事長に合わせていたマイクを引き上げて位置を調整し、淀みなく最初の一文を切り出した。
「
……シービーには悪いが、私はその演説に耳を傾けることはしない。興味がないわけではなく、単純にリハーサルで聞き飽きたからだ。というより、その文面の素案を書き出したのは私なのだから。
補佐役、と言っても私がやることは彼女の手元にあるカンペの入れ替えとタイムキーパーである。
ただ、実際にやることは殆どない。記憶力に優れたシービーは、数回のリハーサルの果てに全文を暗記してしまっている。それを自身の体内時計と紐付けているのか、与えられた時間から超過することもなかった。
わりかし身振り手振りが大きく、時折アドリブを挟んでくるのが懸念事項だが。しかしそれでも、最終的には綺麗に締めくくるので不安はない。
頭の中で進行具合をはかりながら、私は講演台の斜め後ろから生徒たちを見下ろす。
ここからだと全員の姿がよく見える。出来れば今のうちに顔ぐらいは把握しておきたいのだが、流石に2000人ともなると一度に理解するのは困難だった。
その代わりというわけではないが、各々のトモの具合を眺めていく。正確には、その肉付きについて。
ベテランのさらに上澄みともなると、パッと見ただけで適性や潜在能力についてある程度看破出来るとも聞くが、生憎そこまでの技術は私には備わっていない。そもそもここ中央の選抜試験を突破出来ている時点で、一定の能力については担保されている事だろう。
故に見分けるのは本当に大まかな括り。それぞれのトモの持ち主がスプリンターかステイヤーかといったそんな所である。稀にその比率が大きく偏る年もあると聞くが、少なくとも今年は平均通りのようであった。
にしても、初々しいというかなんというか。
シービーの言った通り、なんとも期待に溢れた眼差しで彼女の方を見つめている。そのウマ耳もピンと天を貫き、揃って講演台に照準を合わせていた。
誰に言われたわけでもなく、しかし一糸乱れぬ統率されたその様は軍隊さながら。一方で、会長の言葉を欠片も取り零さんと必死な姿には、どこか大口を開けて餌を待つツバメの雛のごとき愛らしさもある。
開始から一時間は経過した後の演説にも関わらず、誰一人として気の抜けた者がいないのは流石というか、この学園へ寄せる期待値の高さが垣間見えた。
ただ、彼女らがいたく感銘を受けているらしきその中身については、実際のところ私が手掛けたものなのだが。ようはなにを言ったかというより、誰が言ったかという事こそが重要なのだろう。
そうして新入生を見渡していると、不意に一人のウマ娘と目があった。
目が合う……何故。それ自体がなにより奇妙な事。
生徒会長の演説の真っ最中であるにも関わらず、どうしてシービーではなく私を見ている。
私がサポートに過ぎないというのは、既に誰から見ても明らかであって。少なくとも現時点においては、私に世間における人気も知名度も全くない。
注目に値する要素などおよそ皆無なのだが。
しかしそのウマ娘は、明らかに私だけを見ていた。
たまたま視線がかち合ったというものですらなく、両者が互いの存在を関知してなお、一向に目を離そうとしない。
ようやく私が気づいただけだ。たぶん、いや間違いなく最初からずっと、彼女は私"だけ"を見ていたのだろう。
腰まで伸びる長い鹿毛と、前髪に踊る一筋の三日月のような流星。その下には深い紫の瞳が揺らめき、緑の宝石をあしらったイヤーアクセサリーが吹き込んだ春風にあおられて揺れている。
私の記憶の底から、水面まで浮上してくるいつぞやの思い出。過去の一頁に過ぎなかった筈の彼女は、しかし確かに今この瞬間、間違いなく私の目の前にいて。それが妙に懐かしかった。
「ルドルフ」
ふと、その名前が口から溢れる。
するりとそれを導き出せた理由は、たぶん自分でも分からない。まるで、こうなることが予め分かっていたかのような。
さしものウマ娘の耳とはいえ、流石にこの距離ではこちらの呟きは聞こえまい。
にも関わらず、彼女は、ルドルフは私がその名を口にしたと同時にほんの一瞬だけ口元を歪めた。
それを見届けた瞬間、ぞわりと背筋を粟立つ感覚が襲う。あたかも崖から足を踏み外し、浮遊感に包まれた直後のような。
きっとこれは致命的な間違いだったのだろう。私はこの学園において、ルドルフの存在を関知してはならなかった。否、関知していると気付かれてはならなかったのだ。
どこか諦感に近いモノを胸中で噛み締める。
と、突然に横から伸びてきた腕に背中を叩かれた。
つい先程まで正面を向いていたシービーが、やや上体を捻りつつ覗き込んでくる。ゆらりと、講演台の影でうねる尻尾。
「……さて、これについて学園のトレーナーから見るとどうなるでしょうか。教えて下さいな、ミスター・サブトレーナー?」
やば。
完全に余所見していた。そうだ、今は彼女の演説の真っ最中だった。
時間的に、およそどのあたりまで話が進んでいるかのあたりはつく。が、そこから派生する質問についてはとんと見当がつかない。
というより、まずトレーナーと絡ませる話の方向性が見えてこない。アドリブの一環か。違う、さてはこの質問のためだけにわざと演説を骨子から書き換えたな。
「もー!!やっぱり聞いてなかったでしょ!?駄目だよ?アタシを怒らせると来月のお給料の査定にも響くんだからね」
「す、すみません……」
シービーの冗談めかした叱責と、それに頭を下げるしかない私の姿に会場が笑いに包まれる。遺憾!!の文字が現れた扇子を広げる理事長と、目を覆う先生、ついでに苦笑する職員来賓一同。
ああ、やらかした。集中していなかった私が悪いのだが。視聴者参加型なのは予想外だったが、彼女がアドリブを混ぜてくること自体は予め分かっていたことだし。
反省している。シービーの耳が緩やかに後ろに倒れかかっているあたり、わりかし本気で彼女の怒りに触れてしまったらしい。心なしか、私に向けられた流し目が据わっているような気さえする。
「……と、まぁお話はこんなあたりで。それでは皆さん、精一杯の良い学園生活を。以上」
途中でシナリオをひっくり返した代償か、後の訓示を全てアドリブで乗り切ったシービー。時間ぴったりでやや強引に演説を切り上げる。
万雷の拍手に手を振りながら、私の腕を引っ張りつつ元の席へと腰を下ろす。
「シービー……?」
「………」
演説の前とは打って変わって、シービーはこちらを見ようともしない。声かけにすらピクリとも反応を返してくれない。
ほんの一瞬、耳すら向けてくれることもなく、ひたすら黙ったまま新入生たちの方を見据えていた。
横顔しか見えないが、それでもはっきりと分かってしまう。
彼女は激怒している。辛うじて両耳だけは正面を向いているが、それは強靭な精神力で誤魔化しているのか、それとも前方に気になるものでもあるのか。
いずれにしても、式が終わった後は覚悟しなければなるまい。普段温厚なぶん、一度機嫌を損ねると本当に後が怖い。
私がシービーを探っている間に、いよいよ式は最後の題目へと移る。
トリを飾るのは、新入生総代による宣誓。選抜試験において最優秀だった者が任ぜられる名誉であり、トレーナーにおいてもまた、今期一番の有望株のお披露目とあっては注目せざるを得ない。
司会の進行に基づいて、脇から深々とした一礼と共に上がってきたのは――――
「シンボリルドルフ」
ぼそっとシービーがその名を呟く。
それっきり、固く唇を結んで講演台に立つその背中を眺める彼女。
舞台の最も端に陣取る私からは、ついに横顔すら見えなくなってしまった。
ルドルフの宣誓に淀みはなく、清水のような心地よさで染み込んでくる。
私が最後に彼女と話したのは、いったいどれ程前になるだろうか。恐らくそう長い月日も経っていない筈だが、しかしその声にはあまり馴染みがない。
実家を出てからここに至るまで数多くの出会いと経験を重ねたものだから、それに押し流されてしまったのだろうか。単純に、成長に伴って変声しただけかもしれないけれども。
話の中身もまぁ、良く言えば非の打ち所のない、悪く言えば面白みのない内容だというところだろう。
いかにも優等生らしい隙のなさだが、宣誓の趣旨を考えるならそれでも全く問題ない。拙すぎず、逆に技巧に走りすぎているわけでもないその文章は、到底中等部一年生のそれとは思えない程。しかもルドルフはシービーとは違って、それを全て自分一人で書き上げている筈だ。
……やはり、どうしても印象が結び付かない。
記憶の中の彼女は、確かに賢く才能溢れるウマ娘ではあったものの、こんな優等生らしき振る舞いからはおよそ対局に位置している。
名前と毛色、顔の一致からして人違いということもないだろうが。恐らくなにかしらの転機でもあったのだろう。
私と同様、彼女にも平等に時間は流れているのだ。であれば、先程の嫌な予感はやはり気のせいだろうか。
「……以上をもちまして、締め括りの言葉とさせて頂きます」
これまた与えられた時間にぴったりと間に合わせ、ルドルフは深く一礼する。
落ち着いた拍手に包まれながら、毅然と前を向いて舞台上を横切る彼女。
そうして、私たちの前を通り過ぎる刹那。正面だけ見据えていた視線を私に、私
無機質な、相手がそこに存在することだけを確かめるような瞳。手前の生徒会長にそれをくれる事はしない。
「……チッ」
そんな態度が気にくわなかったのか。
ほんの僅かに空気を震わせる、苛立ったシービーの舌打ち。
しかしルドルフには届かなかったのか、彼女はそれに少しも反応せずそのまま礼を添えて壇を降りていってしまった。
ぱしん、とパイプ椅子の足を叩く尻尾の音だけが虚しく後に残される。
同時にギリギリと、胃が捩れるような痛みと焦燥感。雪庇を踏み抜いたかのような、足元の平穏が瓦解する感覚。
私には、最低でも今期の平和は約束されていた筈ではなかったのか。
せめて、これ以上はどうか勘弁して欲しい。
「注目ッ!引き続いて、これより新任式を開始するッ!」
駆け引きの最中、いつの間にか席を立っていた理事長が講演台の上に身を乗り出し、限界まで下げたマイクでそう宣言した。
新任式。
トレセンの職員に辞令を交付する式典となる。
と言ってもトレーナーを含め専門職が多数を占める職場であるから、一般的な企業や官公庁とは異なり部署異動があるわけでもない。
基本的に、チーム結成の認可を筆頭に昇進や新たな役職に任ぜられる者に理事長直々に交付されることとなる。我々新人にとってもまた、推薦移籍の可否が判明することから決して気が抜けない。
反対側の舞台袖からトレイを抱えたたづなさんがトコトコと現れ、理事長がそこから辞令を一枚取り上げる。
一人一人名前を読み上げるたび、続々と講堂の職員列からトレーナーが壇に上がりそれを受け取っていく。渡すたびに、扇子の二文字と共に激励の言葉を添えていく理事長。まさに上司の鑑といったところだ。
桐生院の言葉の通り、今年は入学式と併せて執り行うことになったものの、実際のところこちらはおまけのようなもの。
夜になれば親睦会という名のどんちゃん騒ぎがあることから、詳しい話はそちらに持ち越してとりあえず渡すもんだけ渡してしまおうといったところか。
順番的には、まずトレーナーから最初に配られる。
その際の並びは五十音順だ。桐生院一門の中では一番に呼ばれていった桐生院葵だったが、やはり推薦移籍は行われないようであった。
それでも流石のエリートトレーナーなだけあって、溌剌と返事をする様には一点の曇りも見当たらない。同僚かつ同期として私も負けてはいられないだろう。
そうしてしばらく見守っているうちに、いよいよ私の名前が呼び出される。入学式と直結して行っているため、他のトレーナーと異なり壇上を横切って直接向かうのは中々に気恥ずかしいが、しかしそんなことも言ってられないので堂々と胸を張りながら歩く。
痛い。
背中に滅茶苦茶視線が突き刺さっている。
それも二つ。誰のものかなど今さら考えるまでもない。彼女ら程のウマ娘ともなれば、視線だけで人を殺せるのだろうか。
懸命にそれらに耐えながら、ようやく講演台の前に立つ。
威厳たっぷりに笑いながら、私の辞令を取り上げ大声で宣言する理事長。
「推薦ッ!ミスターシービーの移籍を許可する!人バ一体、共に切磋琢磨して欲しい!」
その時私がなんと返事をしたのか、最早自分ですら分からなかった。
理解出来たことはほんの少しだけ。
受け取った辞令には、何度見返してもまさにその趣旨が記されていて。
目の前では、「期待ッ!!」の扇子を広げる幼き理事長と、その隣でやや肩をすくめる理事長秘書。
それと……ああ、そうか。
君は視線で人を殺せるのだな、ルドルフ。