シンボリルドルフに逆らえないトレーナー君の話   作:くまも

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それを餞とは言う勿れ

 

「今度は一体なに考えてるんですか先生!?」

 

ジョッキ一杯に注がれたビールを一気に半分まで飲み干し、勢いのまま身を乗り出す。

目の前に座る恩師はなんら怯む気配もなく、涼しい顔でグラスを傾けていた。その両耳は頭上でぴくりともせず、つまり私の言葉になんら狼狽していないということ。

……まぁ、彼女のそういう暖簾に腕押しの態度はとっくに慣れたものだが。

 

 

ここは府中のとある居酒屋。

トレセン学園からやや離れた歓楽街に店を構え、万が一にも生徒が乱入する恐れもないことから専ら中央トレーナー御用達の飲み処である。

前年度の厄祓いも兼ねて、この日は業務終了後、職員が一同に介し大騒ぎする懇親会が行われるのである。

新たな職員、スタッフを迎える歓迎会でもあるのだが、我々トレーナーは既に一年間の下積みを終えているので今さら自己紹介等はしない。学園の事務方や厨房スタッフの集うエリアでは、内定式以来の先輩職員との交流が行われている真っ最中らしいが。私たちがやることと言えば、精々これまで師事したチーフトレーナーへの別れと感謝の挨拶ぐらいだろうか。

 

このトレーナーの集まるエリアを見渡しても、本日任命を受けたばかりの新人がそれぞれの指導教官の傍らで酒を酌み交わしている。激励を受けている者もいれば、逆にただ黙々とジョッキを傾けている組み合わせもあり、師が弟子に酌をしているテーブルもあればまたその逆もありと、中々に個性が出ていて面白い。

とりわけ中央トレーナー界で一大勢力を成す桐生院一門に至っては、主役かつ最年少の桐生院葵を囲む形で既に大盛り上がりになっている。困ったような照れ笑いを浮かべる彼女の肩を叩いている教官の顔が、あたかも年末のデスマーチの如く疲弊しきっているのがやや不安ではあるが。

その向こうのテーブルには東条トレーナーと沖野トレーナー、さらに通路を挟んだ先には六平トレーナーと小宮山トレーナーのペアも見られる。既に師弟関係を終えて久しい彼らではあるが、この懇親会では毎年ああして肩を並べているらしい。

 

我々トレーナー業界におけるこの繋がりは、一般企業におけるOJTの関係等とは一線を画すと言われる。そもそも中央の採用試験の段階でOBOGとコネクションを築き、それがそのまま師弟として移り変わる場合が一般的なので、単なる研修の一環という程浅いものでもないのだ。

新人にとっては独自の人脈を築く足掛かりであり、チーフトレーナーにとっても自らの派閥形成に一役買うものである。

事実、私が採用試験において頼ったのも先輩や先生、それから母の元同僚との繋がりだった。大学にも行かず、高校卒業後に新卒で飛び込んだ私にはOBとの縁故も無かったからだ。学生時代は資格勉強に論文執筆等の実績作りにと多忙を極め、一から人脈を培う余裕を持てなかったという事情もあったが。

 

なんにせよ、私もまた他の新人の例に漏れず、そんな大恩ある指導教官シンボリフレンドの席に、ありったけの感謝とそれ以上の悲哀を伝えるためお邪魔をさせて頂いている次第である。

 

「心外ですね。良かれと思ってしたことをこうも責められるとは」

 

ふぅと細くため息を溢し、シンボリフレンドはことんと空になったグラスをテーブルに置く。

すかさずそれに酒を注ぐが、それでも決して目の前の顔から目を逸らすことはしない。無言の抗議を籠めたそれを、しかし彼女はその形の良い眉を僅かに持ち上げるだけで受け流した。ゆったりと座敷の上で揺れる尻尾は、完全にリラックスした様子。

 

「過去現在未来、その身一つで育成の荒波に放り込まれるトレーナーも山のようにいるのですよ。それに比べたら、貴方はなんと恵まれていることか」

 

シンボリフレンドの澄んだ紫の瞳が、ついとテーブル二つ離れた桐生院御一行を捉える。

確かに、これから自力で担当を探さなければならない彼女より私は恵まれているのだろう。いくら名門のブランドと強大なバックアップがあるとは言えど、それでも私のアドバンテージは揺るがない。

そういう意味では、余りにも贅沢すぎる悩みだと言える。言えるが。

 

「だとしても、新人にはあまりにも荷が重すぎますって……」

 

だがしかし、それは0を1に持っていく上での苦労の話だ。2を1に削らなくてはならない、今の私が追い込まれている状況とはそもそも前提からして異なる。

基本的に、担当をスカウトすることよりも担当からの逆スカウトを断ることの方が難易度が高い。

トレーナーとウマ娘の出会いはまさしく一期一会。移籍の制度もあるにはあるが、それまで培ってきた信頼関係や担当トレーナー独自のノウハウ、育成の方針等が全て振り出しに戻ることからあまり一般的ではない。すなわち、最初の出会いをモノに出来なければ望みが潰えてしまう。故に、スカウトを仕掛ける方はなりふり構わなくなる。

『後腐れなく断る』というのは、スカウト活動における基本にして最難関の課題なのだ。たとえ今回失敗しても次があるトレーナーとは異なり、まさしくバ生に一度きりの舞台に臨むウマ娘の本気度は常軌を逸していると言っても過言ではない。とことんまで拗れた結果、傷害沙汰にまで発展してしまった事例も両手の指では足らない程だ。

逆にそれをそつなくこなしてこそベテラントレーナー足り得るのだが……言うまでもなく、私のトレーナー歴はまだ1日にも満たない。

 

「ですが、トレーナーとして生きていくからにはいずれ経験しなくてはならないことです。それは貴方もよく理解している筈」

 

「まぁ、母さんがまさしくそうだったと聞いていますが……」

 

しつこいウマ娘共を毎年のように千切っては投げ千切っては投げしていたとかなんとか。

三冠バを排出した名トレーナーともなれば、それは引く手あまただったことだろう。

 

「まぁ、私は未だに経験がありませんけど」

 

「無い癖によくもそんな真似を……」

 

「とはいえやることは簡単です。声をかけてくる輩をきっぱり追い払えばいい。幸い、貴方にはシービーとの契約という盾がある」

 

「簡単に言ってくれますね」

 

厳密には、シービーとはまだ担当契約は成立していない。あくまでも予約という形に止まっている。これから一定期間を共にした後、本年度における最初の選抜レース実施の翌日に正式なものとなるのだ。

とはいえ、成立するのはほぼ確実と言ってもいい。推薦移籍の認証自体が理事会を通じて正式に決定されたものであるし、なによりこれを辞退すれば教官と移籍対象のウマ娘の顔にも盛大に泥を塗ることになる。貴女と貴女の育てたウマ娘よりも、自分でもっといいウマ娘を捕まえられますよと言ってるも同然なのだから。

破門で済めば良い方で、学園における実力者を一度に敵に回すぶん、この先まともにトレーナーとしてやっていくのは厳しいだろう。そもそもそんな前例がないので、はっきりしたことは言えないけれども。

 

要するに、私はもう既にシービーと契約を交わしたも同然なのだ。勿論、なんの実績もない私がチームを組むことも出来ない。

だから、その事実を盾にしろというシンボリフレンドのアドバイスは確かに正しい。

……それが通用する相手であれば。

 

「なら、逆に先生の場合はどうなんですか?あの子を、シンボリルドルフを体よくかわす事が出来ますか?」

 

「……」

 

あ、黙った。黙ってしまった。

それはそうだ。だって姉妹として十年以上共に暮らしてきた彼女が、私でも知っているルドルフの気性難について知らない筈がないのだから。

いや、姉妹と言うならそもそも。

 

「そもそも、彼女が今年入学してくることも知ってましたよね?」

 

「……」

 

……無言で差し出される空のジョッキ。

 

それに新しくビールを注いで、そのまま目の前で飲み干してやる。

師弟の上下関係がなんだ。そもそもこれは無礼講だ。だいたい、目の前の女は知ってて私を地獄に叩き込んだ張本人である。

 

シンボリフレンドはそんな私に口元を歪めながら、新しく瓶の栓を開ける。グラスを取り返しもせずそのまま一息に飲み干してみせた。

かなり自棄になっている……ということは恐らく、彼女にとってもルドルフのかかりっぷりは想定外だったのか。それはそれで、全く洒落になってないが。

 

「だいたいシービーだっていきなり放り出されても困るでしょう。これからクラシックが控えているというのに」

 

「本人が望んだことです。それに心配しなくとも今年一年間は私もサポートしますよ。そもそも皐月賞の段階ではまだ私が担当ですからね」

 

「なら、シービーが抜けた後のチームの穴については……」

 

「それも目処がついています。と言うより、貴方は物事の順番を根本から勘違いしているのですよ」

 

それはどういう意味なのか。チームで一番強くて最も実力があるからシービーを移籍に出したのではないのか。

しかし彼女はその考えを、首を振って否定する。

 

「この一年間、何故貴方とシービーを積極的にくっつけていたと思っていますか?貴方をサブトレーナーとして受け入れた直後にシービーをスカウトした理由は?全てこの時のためだったのですよ。どのみち移籍させるなら、それを前提として二人を育成した方が合理的だと私は考えました」

 

「……最初から、シービーを推薦移籍に出すつもりだったと?」

 

「言うなればまっさらな粘土であった貴方たちを、ぴったり噛み合う形にこね上げたようなものです。実際、貴方とシービーの相性はすこぶる良かったでしょう?」

 

その方があの子のためにもなりますからね、と彼女は続ける。

私とシービーがいずれ契約を交わすことを前提として、そのための育成を施してきたと。言うなればシービー専用トレーナーとして教育をされたのか、私は。

そう言われて思い返してみれば……確かに納得出来る部分もあった。

 

「どうして……それを黙っていたのですか」

 

「万が一にも貴方の気が緩むことを恐れたので。もっとも、あの子は気付いていましたよ?私の方から口止めしましたが」

 

「そうだったんですね……」

 

「だいたい、仮に伝えていたところで今の状況は変わらなかったでしょう」

 

淡々とシンボリフレンドはそう語る。

本当に、今までの全てが彼女の手のひらの上だったのか。そして、そこからこぼれ落ちたものが一つ。

 

「どうにかルナをいなすにせよ、ひょっとしたらあの子を受け入れるにせよ……まぁ、上手くやりなさい。これが私からの卒業試験です」

 

「……難易度の調整間違えてません?」

 

「獅子は我が子を敢えて千尋の谷に突き落とすと言いますからね」

 

その突き落とされた先にも獅子が待ち受けているのだが……それではただの狩りではなかろうか。

途方に暮れかけた瞬間、何者かに強引に肩を組まれた。

 

「残念だったなァ?ここに来るのがあともう一年遅ければ俺が拾ってやれたのに。そしたらこんな目に遭わずに済んだかもな?」

 

「流石に浪人は厳しいです。というか、かなり酔ってますね先輩」

 

既に始まってから1時間半は経過しているので仕方ないか。

首に回された腕から伝わってくる体温は高く、口調がおかしくなっている。何故か血走って見開かれた双眸も相まって、成る程これは確かにサンデーサイレンスの再来だろう……悪い意味で。

思えば母のあの人相の悪さも、微妙に発音がおかしいのも気性や訛りのせいではなく常に酩酊していたからではないかと今更ながらに思う。

 

「この子と違って次席にすらなれなかった貴方は黙っていてくれません?」

 

「うわ、出たよ席次マウント。主席は死ぬまで古き良き修習生時代を引き摺るって噂はガチなンだなァ……アホくさ」

 

「あ"ぁ"……?」

 

こちらもアルコールが回ったのか、ガラにもなく耳を引き絞っていきり立つ先生とそれを嗤う先輩。

幼い頃から殴られ慣れてきた彼は、ウマ娘の挑発というこの学園における最大の愚行すら躊躇しない。もしや、その素行不良のせいで内申を削られたのだろうか。

いや、あの母がちゃんと卒業出来てる時点でそれはないか。

 

「大体な、あんな序列なんてトレーナーとしての実力の有無とは全く関係ねェンだよ。考えてもみろ、あの樫本さんだって……」

 

「私が……どうかしました、か?」

 

先輩が口火を切った直後、私たちのすぐ横の通路からぬぅと顔を出してくる樫本トレーナー。

元URA幹部にして現在でも学園屈指の成績を誇る名トレーナー。その特殊な立場故か、さっきまでずっと理事長と同じテーブルについていた筈であるが。

……それにしても様子がおかしい。

 

「か、樫本さん……!?」

 

「舐めないで、下さいよ……私とて、筆記の、点数は……満点でした。席次が下から二番目なのは……実技が0点だったからで……うぷっ」

 

誰だ、この人に酒を飲ませたのは。

真っ赤な顔だけはこちらに向いているが、目の焦点が全く合っていない。足も生まれたての小鹿のごとく震えており、通路脇の柱にすがり付いてどうにか立ち上がっている有り様。

その手には大ジョッキが力なくぶら下がっているが、しかし中身は空っぽだった。まさかこの人、これを全て飲み干したのか。

 

最早靴を履くことすら出来ないのか、靴下のまま通路を彷徨っていたらしい。

最悪の事態に備えつつも、極力彼女を刺激しないよう恐る恐る優しく穏やかに慎重を期して声をかける。

 

「樫本さん……どこに行きたいのですか?おトイレ?」

 

「いえ……新しいのを、取りに行こう、かと」

 

「ドリンクバーじゃないんですから。そもそも駄目ですからね。これ以上飲んじゃ」

 

「ふぁい……」

 

最早ゾンビも同然の彼女だが、ぎりぎり周囲の声とその内容は理解出来ているらしい。

よたよたとその場で転回し、なんとか元いたお座敷へと戻ろうとしている。

理事長のおわすテーブルまで、おおよそ10メートル……彼女をこのまま見送ると、後々なんらかの罪に問われそうな気さえする。

流石に不味いか。急いで靴に履き替えて樫本さんに追いつき、その体を抱き上げる。先生と先輩は、とりあえずそのままでいいだろう。

 

「軽っ……」

 

「当然、です。トレーナーたるもの、運動だって、ちゃんと……」

 

「していませんよね!?」

 

これは引き締まった軽さではなく、そもそも存在そのものが希薄な軽さだ。脂肪のみならず筋肉まで削ぎ落とされてしまっている。

とにかくバイタリティが必要不可欠なトレーナーという職業において、彼女が極めて優秀な結果を残せているのはこの学園における最大の謎の一つだった。根性と賢さに全ての数値を割り振っているとは誰の言葉だったか。

見習いたいが、それ以上に見ていられない。

 

元々小柄であることに加えて、その尋常でない軽さもあって体格の乏しい自分でも難なく運ぶことが出来る。

限界を迎えたのかとうとう寝息まで立て始めてしまったが、少なくともこの体勢のままぶちまけられるよりはよっぽどマシなのでそっとしておく。

飲み会における恒例行事なのか、周囲の職員もそんな私たちを慣れた様子で見送っていった。

あっという間に、理事長のお座敷の前まで辿り着く。

 

「ほら樫本さん、下ろしますよ」

 

「……」

 

「ああ、手伝いますよ」

 

一人ジョッキを傾けていたたづなさんが、私たちに気付いて慌てて手を貸してくれる。

既に返事がない彼女の両脇と両膝を二人がかりで抱えて、まかり間違ってもテーブルの角にぶつけるなんて事が起こらないよう慎重に座敷の上に寝かしてやる。

完全に全身が下ろされるや否や、樫本さんはつつかれたダンゴムシのように丸まってしまった。自己防衛本能だろうか。

 

「しっかし、また派手にやりましたね」

 

「無理もありません。普段から気を張っておられる方ですから、こういう時ぐらい羽目を外したいのでしょう」

 

「いえ、樫本さんの事では……いやまぁ、確かに彼女もそうかもしれませんが、貴女のことですよ。たづなさん」

 

「?」

 

こてん、と首をかしげてみせる理事長秘書。

その周りには何人もの職員が倒れており、まさに死屍累々といった有り様だった。

よく見ると、埋もれるようにして秋川理事長の姿も見える。たしかこの人、家業を継いだだけで実年齢自体は見た目相応だとかなんとか前に言っていたような。

 

「まさかとは思いますが、飲ませていませんよね?」

 

「当然です。理事長はこのような場だとすぐにダウンされてしまわれるのですよ。雰囲気酔いとでも言いましょうか」

 

のんびりとした口調で解説しながら、たづなさんはゆったりと膝の上に乗っかった理事長の猫を撫でる。

わざわざペット同伴可の店を選んだのは、ひとえにこのためだ。真偽の程は不明だが、理事長がポケットマネーでルールをつけ加えさせたとかなんとか。

 

そのまま大ジョッキをゆっくりと傾け、もう何杯目か想像もつかないそれをするすると呷っていく。

ピクリともしない残骸たちは、おおかた彼女に勝負を挑んだ勇者たちといったところか。何人かの顔は見覚えがあるが、いずれも大の酒好きとして知られている者である。それでも、学園きっての酒豪と謳われる理事長秘書には手も足も出なかったようだが。

人間はともかくとして、エタノール含めた毒性にある程度耐性を持つウマ娘ですら潰れているのは与太では済まされない。彼女らの奮闘と明日に訪れであろう地獄に対して、そっと心の中で手を合わせる。

 

「せっかくの無礼講なのに、一人で飲むのも味気ないものです。ご一緒して頂けますか?」

 

突っ立ったままの私を見かねたのか、ジョッキを片手に相席を提案するたづなさん。

あまりの惨状を前に若干気後れするが、しかし断ったところで今度は後が怖い。なにより今年なにかにつけて彼女に手助けしてもらったのだから、この場で挨拶の一つもなしというのは失礼だろう。

 

「飲み比べはやりませんからね……」

 

「ご心配なさらず。自分から仕掛けた事はありませんので」

 

「いいでしょう」

 

テーブルに突っ伏した屍を、揺らさないようそっと押し退けて。

ようやく出来た少しのスペースに私は尻を沈めた。

 

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