シンボリルドルフに逆らえないトレーナー君の話   作:くまも

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急転直下の道すがら

着席するや否や、テーブルに新しく大ジョッキが運ばれてくる。タイミングからして、元々たづなさんが頼んでいたものだろうか。

それを受け取り、乾杯を交わして口をつける。弾けるような麦の香りと、舌を刺す苦味をまとめて味わいながら喉の奥まで一気に流し込んだ。

ついこの間までは、ビールの味わいと言うものが全く分からなかったし、正直なところ苦手だった。しかし喉越しを楽しむなんて事を教わって以来、なんの不自由もなく飲めるようになったと思う。

 

「あら、いい飲みっぷり。どうです、そろそろ慣れてきましたか?」

 

「慣れた慣れないで言うならとっくに慣れていますけどね。良し悪しが分からないだけで」

 

そうですか、とどこか満足げに頷くたづなさん。

思えば私が成人したその日の夜に酒を教えてくれたのがこの人だった。曰くヒトなら肝硬変まっしぐらなライフスタイルに浸っている母の背中を見て育った私が心配だったらしいが、正直彼女もそう変わらないと思う。

違いを挙げるとするなら、彼女は目利きが出来るという事だろうか。たびたび家に招かれる機会もあるが、そこに保管されていた数々の銘柄は素人の私にも一目で逸品だと察せられるものばかり。たしか理事長室のセラーについても、到底酒を嗜める年齢ではない秋川理事長に代わって実質的にたづなさん専用となっているらしい。

有力者の側近として、時にはその手の知識も必要なのだろうが、彼女の場合は完全にマニアの領域に足を踏み込んでいる。理事長秘書としての業務の過酷さや身にのし掛かる重責、日常におけるストレスの程度を鑑みれば、そこに至るきっかけや経緯についていささか生臭い所はあるけども。

 

他方で私と言えば、そういった知識もなければ味の良し悪しについてもよく分からない。

単純に年季が浅いという部分もあるが、それ以上に酔えればなんでも良いだろうと思っているからだ。なんならこんなビールでなくとも、コンビニにある安価で手軽に酔える酎ハイで満足できてしまう意識の低さ。そういう所は確かに母の悪癖を受け継いでしまったのだろう。

たづなさんから誕生日の祝いとして贈られた、恐らく私の月給の三倍を優に上回るであろう一瓶についても、畏れ多くて未だに栓を開けられずにいる。

いつかそれに相応しい舞台が来たら手をつけようとは思っているのだが、果たして私の生きている間にそのいつかは訪れるのだろうか。

 

「しかしまぁ、随分とお疲れなご様子で。本日の主役なのですから、貴方も羽目を外してみたらいかがでしょう?」

 

「いや、貴女がそれを言いますか。誰よりも事情は良くご存知の筈でしょう?」

 

「えぇ、まぁ……」

 

苦笑しつつにわかに肩を竦める理事長秘書殿。

 

なにせ私が理事長から辞令を交付された時にもあんな近くにいたのだから、あのルドルフの抉るような殺気に気付いていない筈がない。

それを言うなら秋川理事長だって私の目の前にいたのが、微塵も動揺を見せず溌剌とした笑顔を終始崩さないままだった。彼女は気付いていなかったのか……いや、分かった上でスルーしていたのだろう。

たづなさんの側で仰向けに寝息を立てる彼女を見る。まだまだ幼い少女に過ぎないが、それでも学園の長という地位を立派に勤めるだけあって、その小さな体には並々ならぬ胆力が詰まっている。

 

そんな幼き上司の頭を撫でながら、たづなさんはあっという間にジョッキを空にする。

いつの間まにか用意されていた新しいものに指をかけながら、酒の肴とばかりにしばしお互い言葉を交えた。前年度の禊らしく、主に私が修習所を卒業してからサブトレーナーとしてチームに所属し、そして卒業が認められるまでの思い出。これは丁度、彼女と過ごした時間とも一致している。

私が話すたびにしきりに相槌を繰り返し、時には質問や感想も口にするたづなさん。その職務故に培った技術か、それとも生来の彼女の才能か。彼女はやけに聞き上手というか、相手から話を引き出す能力が高い。若干話が脱線しすぎたような気もするが、それでも彼女は嫌な顔一つせず聞き役に徹していた。

 

ちなみに、その間も飲み進める手だけは止まらない。微塵も無理している様子もなく、当たり前のように次々とジョッキを空にしていく姿を見ているとこちらの認識がおかしくなってしまう。厄介なことに、それに引き摺られて私の飲むペースも上がっていた。ひょっとしたら、ここに転がっている亡骸たちもこうして潰された結果なのかもしれない。

 

「…それで、これからの方針はどうなさるつもりなのでしょうか。流石に行き当たりばったりではかえって拗れてしまうだけですが」

 

そうして取り留めのない話をしばらく続けた後、先日までの振り返りを終えたあたりで、いよいよとばかりにそう切り出された。

思えば、ここまでの回顧は全てこの質問に繋がっていたのだろう。おかげで私も、昨年の間にあった様々な出来事について頭の中で整理する事が出来た。それは主にシービーとの間における思い出、先生に用意されていた布石であったが。

 

新年度において、トレーナーとウマ娘が正式に契約を結ぶのは月を跨いでからの事となる。とはいえ、それ以前における接触やアピールについては禁止されているわけではない。

間違いなく、ルドルフは私に接触してくる筈だ。当然、シービーはそれの妨害なり排除なりに打って出ることだろう。なんなら明日にでも起こりうるそんな事態について、今夜の内に方針だけは定めておく必要がある。

たづなさんの言うとおり、行き当たりばったりの見切り発車でどうにかなるものではないのだ。なにぶん向こうから形振り構わず突っ込んでくる以上、後手に回されたら手の打ちようがない。

 

「……とりあえずは、シービーとルドルフを接触自体させないことでしょうね。あくまで私を介した関係ですから、あの二人に顔を合わせてやり取りさせる必要もない」

 

前提として、どちらか片方に対してですら今の自分では手を焼く以上、二人まとめて相手にするのは無謀の極みに他ならない。最悪、そのままヒトの手では制御不能な事態に発展する恐れもある。

もしもそんな大惨事でも引き起こされれば、私と彼女ら三人のこの中央におけるキャリアは軒並み閉ざされてしまう。今だけは絶対に危ない橋を渡るつもりはなかった。

 

「………」

 

「たづなさん?」

 

そんな私の、ある意味で当たり前の回答を前にして、しかしたづなさんは堪えきれない渋面を作る。

淀みなくジョッキを傾けていた手も止まり、逡巡しながら顔を伏せること数十秒。やがて意を決した表情を見せながら、懐からそっとウマホを取り出す。

黒く無骨なそれは、彼女の私物ではなく公用で用いてるもの。トレセン学園理事長の右腕として辣腕を振るう彼女のそれには、およそ私なんかでは到底知り得ない情報が詰まっている筈だ。学園における組織構造から構成員、施設の全貌、人事の評価やら経理の定期報告やらなんやら、そして生徒の学園生活における子細について。

嫌な予感が背筋を駆け巡り、否応なくジョッキを握る指を震わせる。

 

彼女は端末を起動し、手早く操作すると一度だけ座敷に倒れる秋川理事長の方を見る。

彼女に意識がないことを確認したところで、「秘密ですよ」と一言添えながら呼び出した画面をテーブル越しに見せてきた。

そこに映し出されていたのは、ある三つの数字の並びと二つの名前の組み合わせ。中心を境として左右に二つに区切らており、それぞれ栗東に美浦と振られているあたりこれは寮の部屋割りについてか。事務方の重鎮である彼女には、今年度の新入生を含めた新しい構成についても一足早く知らされているらしい。

 

「各寮の組み合わせについてですね。これでもう確定ですか」

 

「はい、そうなります。それよりも、こちらを見て頂けますか」

 

示されたのは美浦の401号室。最上階の真ん中に位置する部屋だった。何回か呼び出されて訪れた事があるのでよく覚えている。本来相部屋である筈のそこには、相方が昨年末に卒業したために自分一人しかいないとシービーが言っていたな。そして、今年度に新たに入ってくる新入生待ちだとも。

 

まさか。

 

たづなさんの指先には、知っての通りミスターシービーの名前がある。そして、その隣に並んでいるのは"シンボリルドルフ"。

その二つの名前がペアとして、美浦401の欄に記載されている。何度目を凝らしたところで、しかしその無情な現実は決して変わらない。

 

「いや、どうしてこうなるんです」

 

「申し訳ございません。組み合わせ自体、厳正なる抽選の結果でして……」

 

その抽選の結果、数多くの新入生の中から見事シービーはルドルフを一本抜きしたと。

厳正なる抽選の結果。それは間違いない。事実、メジロ家のウマ娘とて同門同士で組み合わせられる事もないのだ。部屋の相方については完全に巡り合わせである。

その上で、みごとにシービーとルドルフはかち合ってしまった。寮部屋というプライベートにおいては、いくらトレーナーと言えどそう易々と干渉することは出来ない。彼女たちは正真正銘二人きりで一日の半分近くを過ごすことになるのだ。恐らくはこれから先、最低でも五年間はずっと。

 

「その、たづなさん?今からこれを変更してもらうってのは……」

 

「一度決められてしまった以上、原則として覆る事はありません。とりわけ相性を理由に変更がなされることはないかと」

 

「……絶対に?」

 

「仮に、なんらかの事態(・・・・・・・)が生じた後なら……ともすれば、一考の余地ぐらいはあるかも知れませんが」

 

「冗談でしょう……」

 

その万が一を起こさないために、こちらは四苦八苦しているのだが。

確か、新入生が入寮するのは学園に転入した初日の夜。つまり今まさに、彼女たちは美浦の401で顔を付き合わせているという事になる。私物の搬入の都合も考えるなら、実際にはあの入学式兼新任式の直後か。

 

慌ててスーツの内ポケットから自分のスマホを取り出して起動してみるも、メッセージや不在着信の類いは一つもなかった。

ここで、きっと和解して何事もなく初回の顔合わせを終えたのだろうと考えるのは間違いだ。シービーの性格からして、久々の同居人を迎えたのならその旨を自撮りでも添えてこちらに送ってくる筈。そうでなくとも一言ぐらいの報告はあって然るべきであり、沈黙を保ったままというのがそもそも異常なのだ。

それはつまり、シービーは相方について最早話題に出したくもないと言うことであって。今現在、あの部屋は冷戦の真っ最中であることは想像に難くない。

最悪だ。私の預かり知らぬ所で既に取り返しのつかないまでに事態は進行してしまっている。それは一向に止まる事もないだろう。

 

「不味い……」

 

「トレーナーさん!?」

 

今更私がそこに向かったところで意味もないだろうが。

それでも居ても立ってもいられなくて、思わず座敷から腰を上げる。しかし思いの外酔いが回っていたのか、満足に前進も出来ずにあえなく尻餅をついてしまった。

 

「ぐ………」

 

いかん。頭が思うように回らない。手足の先端から力が抜けて、心地よい倦怠感が全身を苛む。

どうやら完全に酔ってしまったらしい。私とてアルコールにはかなり耐性のある方だが、たづなさんのハイペースに巻き込まれたか。ほろ酔いの範疇をゆうに逸脱している。

言うことを聞かない四肢をなだめすかしていると、後ろからたづなさんに抱え上げられた。両腕が腰に回され、そのまま立ち上がらせられるかと思いきや両足が地面から浮いてしまう。彼女の肩に担ぎ上げられたまま店の出口まで連れ去られていく。

 

「たづなさん……」

 

「そんなフラフラの体で、今から学園に戻った所でどうしようもないでしょう。丁度お開きのようですから、残念ですが今日はここまでですね」

 

「………」

 

はっきりしない頭で周囲を見渡せば、確かに他のスタッフやトレーナーもまた続々と席を立ち上がっていた。

自力で動ける者が潰れた者たちに肩を貸したり担いだりしながら、緩慢な動きで出口を目指す。今の時刻を確かめる事すらままならないが、どうやら今年の親睦会もこれにて終了らしい。

それにしても、たづなさんは相変わらず力があると言うかなんと言うか。半ば腕力のみで抱え上げられている状態であるにも関わらず不思議と安定感があった。それでも揺れるには揺れるのだが、不快感はなくかえって心地よい振動となって目蓋をますます重くしてくる。

 

「………」

 

こういう飲み会の場では、とりわけ異性の前で意識を潰すのはご法度であるが。しかし男性である私がそこまで意識するようなものでもないだろう。

なにより相手はあの理事長秘書だ。送り狼がどうこう言うこともあるまい。

 

どこか浮わついた思考に溺れながら、私はゆっくりと意識を闇の中に沈めていった。

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

目を醒ますと、そこは知らない天井だった。

……違う。一応見覚えはある。あまり見慣れてはいないけれども。

 

のっそりと体を起こし、かけられたシーツを払い除ける。カーテンの隙間から外を覗いてみるものの、生憎日の光は見えない。若干空は薄明かるくなっているものの、鳥の鳴き声もなく夜明けまで多少待つ必要があるだろう。

 

やや重たい頭を揺らしながら、近くのハンガーに掛けられていたジャケットに袖を通す。

寝室を抜けてリビングに向かうと、そこにはソファの上で丸まっているたづなさんの姿。やはり、ここは彼女が居を構えるマンションの一室だったか。職員である彼女も学園の寮を利用する権限はある筈だが、それを辞退してわざわざこのやや離れた賃貸を借り受けているらしい。彼女もまた、職場とプライベートを空間的に切り離したい一人なのだろうか。

 

そっと、起こさないようにリビングを横切り玄関へと向かう。

途中、スマホを立ち上げてディスプレイに映し出された表示を見ればまだ時刻は朝の5時ちょうど。

たづなさんにとっては早すぎる時間でもないだろうが、そもそも本日4月2日はどの職員も慣例として始業が遅い。彼女とて例外ではないのだから、せめて今日ぐらいはゆっくり寝かせておくべきである。

多少小腹は空いているものの、いくら勝手知ったる他人の家でも流石に冷蔵庫を漁るわけにはいくまい。学園に向かう道中でコンビニにでも寄れば良いか。幸い、時間だけはたっぷりあるわけだし。

 

そんなことをつらつらと頭の中で思い浮かべながら、私は土間で革靴に履き替え玄関のチェーンを上げて鍵を外す。そうしてノブに指をかけ、下に引いた瞬間……勢い良く外側に引っ張られた。

 

「おっと危ない」

 

完全な不意打ちの結果、ものの見事に体勢を崩して前に倒れ込んでしまう。

しかし浮遊感は一瞬のこと。柔らかく、温かいなにかに優しく包み込みように抱き止められる。彼女はそのまま、ぎゅうっと適切な力加減で抱き締めてきた。それを振り払うことも出来ず、ただただなすがままにされる私。

 

「全く、おっちょこちょいだなぁトレーナーは」

 

「君が引っ張ったんだろう。それよりどうしてここにいるシービー」

 

ここは私の寮部屋ではなくたづなさんの家だ。本来君が知っている筈もないのだが。

そう訝しむ私を前にして、しかしシービーはなんら後ろめたさを感じさせない花の咲くような笑みを披露しいてくれた。

 

「決まってるじゃん。朝のお出迎えだよ。これから毎日、こうしてキミを迎えに来てあげるからね!」

 

 

……まぁ、良い笑顔だこと。

 

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