「爆発って………え。いや、知りませんけど」
初耳だ。
今朝は学園から離れていた私とたづなさんがそれを把握している筈もなく、シービーからもなにも聞いていない。
そしてウマネットのお知らせ欄にもその情報はなく、職員個人のメールボックスにもなにも届いていないし緊急速報のアラートも発令されていなかった。まさか、この程度は事件の内にも入らないと言うのだろうか。
単純に、学園始業前の出来事であるから事態の解明と処理が遅れているだけなのかもしれないが。というか、そうであって欲しい。
この先何十年と働き続ける職場が爆発上等の火薬庫だなんて絶対に認めたくない。
「な、なんで……?」
「いや、なんでも鍋パで引火からのガス爆発だとかなんとか……と当事者二人は供述しているそうだが。とりあえず、私用のウマインに現場の写真を送ってやる」
「あ、お願いします」
鍋パ……?
それはなんだろう、可愛がりみたいな隠語だろうか。歓迎会として鍋、というのは確かに王道ではあるだろうが、たった二人でパーティーと呼ぶには些か語弊があるし、そもそもあの二人は招き招かれの間柄ではない。
わだかまりを同じ釜の飯をつついて解消しようとしたというなら可愛いものだが、その結果がこれでは全く笑えないのだ。
だいたい頭と要領の良いあの二人が、ガスと火の扱いなんて料理の初歩の初歩を本当に間違えるだろうか。
ポン、と軽快な着信音がプライベートのスマホから鳴る。
部屋の玄関から踏み込んで撮影したらしき、夜明け直後の現場の画像が何枚も送られてきた。というか先輩、焦ってるのか個人トークじゃなくて家族のグループウマインの方に投下してるし。案の定、即座に始まったスタンプと大喜利の荒らしで流されていってしまった。
とっさに保存したものを観察してみるが、やはり写真だけでははっきりとしたことは読み取れない。地震と台風が一度に襲来したかのごとき惨状で、とりあえず既に人がまともに暮らせる環境でないのは一目で分かるが、果たして本当にこれがガス爆発によるものかどうか。
そもそも爆発現場というものを現実に見たことがないので判断のしようがない。そういう事故だと言われればそのようにも見えるし、他方でウマ娘同士の抗争の余波だと言われても納得出来てしまう。
「警察はなんと言ってるんです」
「ああ、警察は呼んでいない。幸い怪我人もなく、部屋の修繕だけで事足りるから新年早々に事を荒立てたくないとかなんとか」
「えぇ……」
本当にそれで良いのか、トレセン学園。
外面だとか大人の事情だとか色々あるのだろうが、言ってしまえばそれは隠蔽である。
「まぁ、学園側もそんな話を鵜呑みにしちゃいないんだろう。だがな、証拠がないんだ。あの二人がその、揉めてたっていう証拠がな」
「周囲のウマ娘の証言などは」
「当然、隣室にも裏は取った。だが直前に口論してた声とかは聞かなかったらしい。だいたい学園の防音は鉄壁だ。知ってんだろ」
「えぇ、はい。まぁ」
上質な居住性の確保もあるし、部屋で歌や躍りの練習に励むウマ娘もいるからだ。
余程の大声や振動を意図的に鳴らさない限り、外部に音が漏れることはない。そして、ルドルフはともかくとしてシービーはたとえ激昂しても声を荒げないタイプなのだ。
各部屋には緊急用のコールボタンもあるし、内線も備え付けられているものの、それらは内部から発信しなければ無意味なわけだし。
「それとここからがキモでな。アイツら、他の連中の前では仲良しそのままだったんだと。実際、歓迎会そのものについても信じてる奴は多い」
「いや、あんな状況でそれは……」
「お前とシービーの関係を皆が皆知ってるわけじゃないぞ。だいたい、俺以外のトレーナーは基本アイツを避け続けてきただろ」
「それはそうでしょうけど、だとしてもあの空気感は和やかからは程遠いでしょうに」
「それこそお前の主観だろうが。まぁ、俺たちトレーナーからしてみりゃなんとなく勘づくところはあるけどな。それを生徒…ましてや一年坊に求めるのは流石に無理があるぜ」
先輩の話の最中、ふと気付いて隣に佇むシービーの全身を確認する。
つまらなそうな表情で私を見上げる彼女について、少なくとも外から見える範囲の肌には傷一つない。もしかしたら不自然な汚れがあったのかもしれないが、それも入浴とクリーニングで完全に落とされてしまっていることだろう。もしや、学園に戻らずここで身なりを整えたのもそれが目的だったのか?
入浴を行えている時点で、服の下にも出血を伴う負傷はないのだろう……いや、冷静に考えれば怪我自体が無くて当然か。皐月賞を目前に控えたこの時期に、そんな真似をするバカはいない。なによりルドルフがただじゃ済まなくなる。
とりあえず、直接相手への実力行使は無かったと見て良いだろう。自身の体面を繕うという点では二人の利益は一致し、先輩の言によればあまつさえ協力すらしていたというわけか。
ほっとすると同時に、ことここに至ってもなおそこまで頭の回る二人に胃が痛くなるような思いが募る。いっそのこと、感情に振り切れてしまえばかえって対処は楽なのだが。
「で、どうすんのお前。俺がお前なら今日は休み取って学園の外にいるけどな……って、今見たらお出かけ中になってるけど」
「ええ。シービーと外にいます」
「そうか……まぁ、それでもせめて今日ぐらいは学園から逃げておいた方がいいかもな」
「ルドルフがそっちで待ち構えているからですか?」
「それもあるけど、ちょっとした大騒ぎになってるから。今日休みの連中がこぞって401跡地を見に来てる。これは新しく学園の名所になれるかもな」
負の遺産かなにかだろうか。縁起でもないから即刻止めていただきたい。
マルゼンスキーに呼ばれたとかなんとか言って、先輩はそのまま電話を切ってしまった。
改めてウマネットのホームに戻ると、たった今の会話ログをダシにして早速トレーナー陣が会議ペースで盛り上がっている。少し覗いてみると、真っ当に善後策を練ってくれる者から実況紛いのことをしている者まで多種多様。
共通しているのは、新年度早々の大事件……それも生徒会長と新入生総代の衝突であり、かつそこにトレーナーも絡んでいることに相応の危機感を抱いているということ。自分たちも他人事ではないと理解しているのだろう。
相変わらず大した学習能力というか、そもそもそれが出来ないトレーナーはここで生き残れないということだろうか。
両方のスマホをそれぞれ元あった場所にしまい、とりあえずフロントで二人ぶんの精算を済ませる。
これも業務の一環であるから、領収書さえ切ってもらえば後で会計課から経費が降りるのだが、次にそちらに顔を見せるのが本当に憂鬱だ。少なくとも本件については私が申し訳なく思う必要はないのだが、とはいえ原因の一端であることは間違いないのだから。
自動ドアを抜けて、すぐさま学園の方向に進路をとる。と、横から物凄い力で袖を引き留められた。
「ちょっと、どこ行くのかなミスタートレーナー。まだお出かけは始まったばかりだよ」
「いや、でも、あんなことが起きたとなると流石に……」
「大丈夫。アタシもあの子もちゃんと言われた通り反省文は提出したからさ。今から行ってもかえって邪魔になるだけだって……電話でもそう言ってたでしょ?」
盗み聞き……というわけでもないか。
別にスピーカーにせずとも、あれだけ密着した距離で並んでいればウマ娘の聴力ならギリギリ聞き取れる範囲だったのだろう。
やたら不服そうにしていたのも、この話を私にだけは知られたくなかったからか。知ってしまえば、こうしてお出かけも中止になりかねない事が分かっていたから。
もっとも、それも全て彼女たちの身から出た錆。自業自得だろうが。
旧知とはいえ書類上はなんら繋がりのないルドルフは置いておくとしても、シービーとは殆ど担当関係と相違ない状態に落ち着いてしまっている。私にはどうあがいても回避不可能な事件であり、責められる咎は無いとはいえせめて顔ぐらい出しておくのが筋ではなかろうか。
「あれは先輩個人の意見であって、別に同意したわけじゃないからね」
「そう。でも管財課なら今行ったところで相手にされないと思うよ。忙しいだろうし」
「それ全部君らのせいだからな。なにを他人事みたいに……というか、君にもちゃんと頭を下げに行くつもりはあったんだな。意外」
管財課はその名の通り、学園にとっての財産を維持管理することを内容とした部門であり、そこには当然美浦寮も含まれている。
つまり本件の事後処理において中核となる存在であるから、こんな年度始め早々に手間をかけさせることについて謝意を示さなければならないだろう。彼らのことだから、とっくに慣れたものだと諦め混じりの笑みを返してくれるだけだと思うが。
「ううん、あそこにはもう散々頭を下げてきたところ。そうじゃなくて、寮部屋の組み合わせを変更してもらわないと」
「変更って……どうやって?」
「どうやってって、それは、こんな大事が起きちゃったから……」
「いや、通らないだろう。流石にそれは」
「え?」
よっぽど意外だったのか、目を真ん丸くしながらピンっとその尻尾を立てるシービー。
本気で言っていたのか……彼女らしくもない。
「たづなさんから聞いた話だと、よほどの問題が起きなければ後から部屋割りの変更はないらしいな。その二人を同室にし続けることで、看過できない悪影響がおよそ回避出来ない程の問題」
「だから、それが今朝起きた『爆発』なんだってば」
「あれは『鍋パに起因したガス爆発』なんだろう?つまりはうっかりミスで生じた事故だ。事故が起きる度に部屋替えしていてはキリがない。特に目撃者の証言によれば、君たちはとても相性が良いらしいからな」
「そ、そんな詭弁……通る筈が……」
ついに詭弁と言ったか。
吃りながらなんとか言葉こそ繋げるものの、そのウマ耳は左右バラバラに動きっぱなし。ウマ娘が不安や緊張、焦りを覚えた時に見せるサインである。
追い詰められた経験の乏しさ故か、一旦歯車が狂うと一気に崩れてしまいがちなのがシービーの弱点だった。そもそも、まだ中等部二年ということを考えれば無理のない話だろうが。
「その詭弁を学園側は受け入れたんだよ。ここで部屋割りの見直しでもしたら、『あれは実は生徒同士の喧嘩でした』と認めることに他ならない。それが嫌だから警察だって弾いたんだろうに」
「それはそうだけど……で、でも」
「諦めようシービー。後輩のために歓迎会を開いてやる君は立派だ。願わくはずっとそのままでいて欲しい。でないと、次こそは反省文じゃ済まされないぞ」
「う"ぅ~」
「そもそも皐月賞直前にこんな騒ぎを起こすんじゃない」
とうとう抗弁も尽きたのだろう、シービーは悔しそうに唇を噛んで自らの影に目を落とした。
そうか、あれに乗じてルドルフとの同居状態を解消しようと目論んでいたのか。
あるいは、最初からそれを目的としてルドルフと共謀していた……なんて事は流石にないか。いくらなんでも、その為だけに学園の施設を破壊するほどルドルフもシービーも自分勝手ではない。
大方、お互い感情の制御が効かないまま大惨事となったものの、奇貨居くべしと言わんばかりにそこから更にあわよくばを狙っていたと、そういう所だろうか。
正直、学園側からしても引き剥がしたいのはやまやまなのだろうが。しかしここでそれを認めてしまうと、同じく同居人との仲がよろしくない学生たちがこぞって真似をしかねないのだ。
特例の濫用。悪しき前例が生まれるのを恐れているのだろう。恨むのなら、彼女ら二人を巡り合わせたダイスの神様を恨むことだ。
まぁ、ここまで来たからにはもう諦めて和解を目指して欲しい……なんて、当事者に他ならない私が言うには無責任に過ぎるか。
ただでさえヒトより闘争心や独占欲の強い競争バのこと。それに自らの欲求やままならない現実と折り合いをつけてやっていける程、彼女たちはまだ成熟していない。
「こら、シービー。袖を引っ張るなと言ってるだろう。私は学園に行くんだから」
「行かせるわけないでしょ。こうなった以上、アタシがあっちに戻る理由なんてなに一つないんだから」
そうか。私の迂闊さも大概だったな。
指摘せず上手いこと口車に乗せれば大人しく着いてきてくれたかもしれないのに。
そう若干の後悔を噛み締めていると、不意にシービーが袖から指を離す。
そのままひょいと二、三歩後ろへ下がり、試すようにその両腕をやや広げて見せる。
「まぁ、別に行ってもいいけど。でもアタシは絶対にここから動かないからね。いいのかな。お出かけ中にアタシから目を離しても」
「う……」
「もしアタシにナニかあったらさ、全部トレーナーの責任になっちゃうよ?せっかく独り立ち出来たばっかりなのに、こんなところで傷をつけるのは勿体ないと思うけどな」
制度の規則と私のキャリア、それから自身の身の安全を全てひっくるめて脅迫してくるとは。
なんとも形振り構わない、往生際の悪い姿だが……それをここで披露したという事は、シービーはもう絶対に退くことはない。飄々とした自由人を気取っていながら、彼女はその実かなり頑固なのだ。
お出かけ中である以上、やむを得ない場合を除いて常に担当と行動を共にしなければならないのは事実であるし。彼女に与えられた地位と権限を鑑みれば、下手に機嫌を損ねれば後々その隙を容赦なく刺されることになるだろう。
「……ああ。もういいよ。分かった」
結局、私は折れることにした。
臆病とでも軟弱とでもなんでも言えばいい。私だって人事の評価は気にするのだ。管財課並びに学園の上層部には、終業後に頭を下げに行くこととしよう。
渋々ながら、シービーに促されるままに学園とは正反対の方向へと足を向ける。
学園通りと名前の付けられたこの道を真っ直ぐ向かえば、たしか公営体育館や運動公園があった筈だ。学園を離れこそしたものの、彼女もまた完全にオフの日とするつもりではないらしい。
「あんまり激しいのは駄目だよ。あくまで軽く流すだけだからね。既に調整は一段落ついているんだから」
「うんうん。りょーかい」
こちらの歩みに合わせているのか、妙に調子の外れた鈍いステップを踏みながら弾むように前を行く小さな背中。
それを追いかけていると、またしてもスマホにコールがかかる。今度は私用の端末だった。
開いてみると、そこに表示されているのは知らない番号。営業では無さそうだが、だとしたら相手一体は誰なのか。
「うん、またお電話?そっちはプライベートのだから、知り合いかな?」
「え、ああ……まぁ」
「いいよ、出なよトレーナー。待っててあげるから」
シービーのその言葉に発破をかけられて、僅かな逡巡の後に応答の欄をタップする。
だいぶ長いこと呼び出しを粘っていたから、勧誘ではないのだろう。たぶん。
「もしもし」
『ん……ああ、やっと出てくれたねトレーナー君。ふふ、君とこうして言葉を交わすのも久し振りだね。どうだろう、元気にしていただろうか?』
「ル……」
ルドルフと思わず声に出しかけて、寸前でどうにか食い止める。いや、食い止められたのかこれは?
猛烈に判定を確かめたかったが、ここでシービーの様子を確かめるという、疑惑を確信に変えるような野暮はしない。
音量を下げるのも止めておこう。なんとか短い会話に抑え込んで、話なら後でじっくり聞けば良いのだから。
『聞いたところによれば、修習も次席で卒業する快挙だったとか。私にとっても我が事のように嬉しいよトレーナー君。君と幼い頃からの友人である私にとってはね。とはいえ緊褌一番、君のトレーナー人生においてはまさにこれからが本番だ。特に、最初に担当するウマ娘については軽率短慮になってはならず、熟考に熟考を重ねて過剰になると言うこともない。なにせ、君の始まったばかりのキャリアを大きく左右する最初の一歩でもあるのだから。そこでどうだろうトレーナー君。私なら必ずや、その船出を輝かしいものにする礎になれると思うんだ。勿論君だって、私の覇道を誰よりも近くで支えてくれる大事な杖となってくれることだろう。まさに比翼連理、私は君がいてこそそして君も私がいてこそ真に満ち足りるのではないかな。私の祖母も母も妹もカストルも皆そう期待しているんだ。口にこそ出さないが、きっと君のお母様もそのように考えておられるのではないだろうか。そこでどうだろう、一度トレーナー君と直接顔を合わせる機会でも設けてもらえると幸いなのだが。幸いといえば、府中もまた当然にシンボリの影響力が強くてね、私の名前を出せば最高級のサービスを提供してもらえるホテルがいくらでも……』
「待って、待ってくれ。長い長い」
そんな、言葉の洪水を一気に浴びせかけてくるな。
私の制止でいくらか冷静さを取り戻したのか、やや恥ずかしげにすまないと咳払いするルドルフ。
とりあえず、彼女の思いは痛い程よく伝わった。どこかで話し合う機会を設けようというのもひとまずは賛成しよう。
ただ、タイミングがタイミングなのだ。ルドルフには悪いが、せめて今日一日はこれ以上職員の業務の邪魔にならないよう、大人しく学園で待機していてもらう必要がある。そう伝えなければ。
「いいか、今から私が言うことを落ち着いてよく聞いて欲しい。ルドルフ、君は邪魔」
『えっ』
……あ、スマホの電源が落ちた。
充電切れか……いや、違う。神速で距離を詰めてきたシービーに落とされたのか。
どうしてそんなことを。ああ、そうか。私がうっかり名前を呼んでしまったからか。これは油断した。
それにしても、最後にルドルフがなにか言いかけていたような。
私の言葉を遮って……というか、私は最後になんと言っていた。なにか、これ以上なく最悪な所で通信が切られたような気がするのだが。
「さ、行こうか。トレーナー」
「……はい」
奪ったスマホを私のポケットに突っ込んで、シービーは歩みを再開する。有無を言わせぬその気迫を前に、私もまた彼女に従った。
これ以上火に油を注ぐと、いよいよ取り返しのつかないことになるだろうから。
ポケットの中で、絶えず振動を繰り返す私用のスマホ。
ああ……戻りたくないな。トレセン学園……。