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解放された両手に握らされた業務用スマホには、警備部とのホットラインが設けられている。
ルドルフがそれを把握しているのかは知らないが、番号を入力せずともタップ一つで救助要請が可能である。いくら反射神経の優れるウマ娘といえども、その一動作を阻止することは不可能だろう。
実際、物理的には完全に詰まされたこの状況で、私に出来ることなど発報しかない。
かつ、それで事足りるのだ。現状危機に瀕しているのは私であるが、それを見られて最も困るのは他ならぬルドルフである。困るというか、そのまま破滅に直結することとなる。
なにも伊達や酔狂でわざわざ一人に一台最新の端末が支給されているわけではないのだ。
通報が入った瞬間、発信端末の職員IDとGPSですぐさま身元と所在が割り出され、速やかに学園中が厳戒態勢に突入することになる。待機中の警備ウマ娘のみならず、同時に警察にも報告が上がり場合によっては騎動隊すら現場へと派遣される念の入れようだ。
少なくとも現時点における行為については未遂で処理されるだろうが。しかし警察の調査が入る以上、必然的に朝の爆発事故まで芋づる式に掘り起こされることになる。一日に二回もU(ウマ娘)事案を引き起こしたとなれば、世間からの風評の悪化は免れないだろう。
だいたいそうなったら学園側も黙っちゃいない。結果的にどういった処罰が下されるかについては私の知るところではないが、ルドルフの競技ウマ娘としての将来が閉ざされることは疑いようがないだろう。
それを分かった上で、なお彼女は引き金を私に託したのだ。
自ら崖の縁に佇むルドルフ。私自身の手でその背中を押してみろと、助かりたいなら引き金を引いてみろと。旧知の仲であり、誰よりも競技ウマ娘としての才能に恵まれた彼女をターフから叩き出せるのか。他でもない、私自身の利益のためだけに。
「ズルいやり方だな、ルナ」
「チャンスをあげているだけだろう」
ずいと顔を寄せてくるルドルフ。
睫毛が触れ合いそうな至近距離で互いの視線が交差する。
あのにたにたとした笑いはすでになりを潜めていた。この窮地にすらなんの感慨も抱かないのか、微塵も焦りや不安の見当たらない落ち着いた瞳で淡々とそう告げた。
相手がウマ娘だったからと、力で敵わないから拒絶出来なかったのだという言い訳すら許さないつもりなのか。
ルドルフの言うとおり、恐らく最初で最後のチャンス。私が本当に彼女を拒みたいのならば、この場でシンボリルドルフの競争ウマ娘としてのバ生に幕を下ろしてやる他ない。
そんなこと、出来るわけがないと分かっている癖に。
それは私への信頼か、あるいはルドルフ自身の優れた観察眼による賜物か。いずれにしても同じことで、彼女にはこちらの気質と性格をほぼ完全に看破されている。
「トレーナー君は私を拒めないさ。私がただの部外者で、勘違いしているだけの女だと考えているのなら……それは間違いだ」
しばしの間、前髪が重なる程に密着して見つめあった後。
結論が出たと判断したのだろう。私の手からスマホを抜き取るとルドルフはゆっくり上体を起こす。
乱れた髪を軽く手櫛で整えた後、高らかにそう宣言した。
彼女が身をどかしたことで、蛍光灯の光が直接顔に射し込み目がチカチカする。
何度か瞬きを繰り返してそれを振り払った後、私もソファから上半身だけをもたげるとちょうど腰の上に乗っかったルドルフと向かい合う形になった。
こちらの方が身長は高いので、目の前ではルドルフのウマ耳のてっぺんがゆらゆらと揺れている。それらは正面ではなく斜め後ろ、廊下へと続く扉の方を真っ直ぐに捉えていた。
「…そこにいるんだろう、ミスターシービー。そんなところで立ち聞きしてないで、さっさと入ってきたらどうなんだ」
先程までの落ち着いた声音から一変、まるで挑発するような誘いを投げ掛けるルドルフ。
その直後、堂々とジャージ姿のシービーが扉の向こうからその姿を見せた。
「あ、もう入っていいんだ。お疲れトレーナー。災難だったね、こんな厄介者に目をつけられて無理やり襲われちゃってさ」
私に流し目を寄越しながら、やれやれと呆れた様子で肩を竦めるシービー。
いつからそこにいたんだ……まるで気づかなかった。ルドルフの言い様からしてかなり前から様子見していたらしいが。ただでさえ防音設備の整った環境に加えて、今の今までウマ娘にのしかかられていたのだから、そこまで意識が回らなかったのか。
シービーの手には彼女のウマホが構えられている。
すぐに突入せず待機していたのは、おおかた決定的瞬間を押さえようとでも考えていたのだろう。
「無理やりなんかじゃないさ。ちょっとした挨拶だよ。昔からの友人として、お互い積もる話もあるのだから」
鼻を鳴らすと、ルドルフまるで見せつけるように私の首へと腕を回してもたれかかってくる。
あれだけの事をしておいて、いけしゃあしゃあとそう言えてしまうのは流石だ。ふてぶてしいを通り越して、心臓に毛が生えている。
本当にこれがつい数ヶ月前までランドセルを背負っていたウマ娘の姿だろうか。
シンボリの英才教育とやらに、若干の疑念が生じた瞬間だった。
「昔からの友人ねぇ……。残念だけど、トレーナーにとってはキミも過去の思い出の一つに過ぎないらしいよ。御愁傷様」
「それは君の願望だろう。現実であって欲しいと思う気持ちは分からなくもないが……」
「現実なんだよね、それが。だってこの前、他ならぬトレーナー自身がそう言ってたし」
「ほぅ」
シービーの方へ向けていた顔をぐりんと回転させ、再び至近距離でアメジストの瞳と視線がかち合う。先程の落ち着いた様はどこへ消えたのやら、今度はひどく不機嫌そうに揺らめいていた。
そこでショックを受けたり、哀しみに暮れた反応を見せるなら可愛げというものがあるのだが。
こうして瞬時に攻撃性を顕にされると、申し訳なさより先に緊張と恐怖が心を支配する。本当に、膝の上にライオンの子供でも乗っけている気分だった。
見た目は愛くるしい少女だというのにまるで気が抜けない。伊達にシービーと正面からやり合っていないということか。
「やめて。こっちに流れ弾飛ばさないで欲しいんだけど」
「流れ弾もなにも、トレーナーだって当事者じゃん。私もね、その子には同情していなくもないんだよ。キミと昔馴染みなのは確からしいし」
ウマホを懐にしまい頭の後ろで手を組んで、あーあと気の抜けた嘆息を溢しながらシービーはこちらに近づいてくる。
射殺さんばかりに自分を睨みつけるルドルフの方は見ようともせず、私から見てやや後ろの背もたれにぽすんと腰かけた。
「トレーナーったら酷いんだ。ちょっとアタシがいなくなったら未練も愛想も尽かすんでしょ。そこの昔の女みたいに」
ルドルフに乗っかられたこちらが動けないのをいいことに、わしゃわしゃと思う存分私の髪の毛を撫で回してくる。
昔の女という言葉に反応して、向かい合って座るルドルフの眉間に激しく皺が寄った。ギリギリと、強く強く砕かんとばかりに歯を食い締めている。
振り回された尻尾がバシバシと私の手をひっぱたいてとても痛い。
「うりうり。うわ、すっごいサラサラ。男の人の髪の毛もバカには出来ないね」
「シービー……本当に頼むからやめてくれ。ルドルフが冷静さを欠くと私の胴が吹っ飛ぶんだ」
「やめて欲しいなら、まずはその子を下ろしなよ。キミたちが抱き合ってるのを見るのは全然面白くないんだけど」
「私の家で私がなにをしようが勝手だろ」
そうだ。
ここはあくまで私に与えられた寮部屋であって、彼女たちはなんらかの不正を用いてここに踏み入った侵入者に他ならない。
当局への通報は控えるとしても、ここにおいて私の意思は最大限に尊重されるべきである。
「ならアタシがトレーナーの恋バナを復唱するのもアタシの勝手だよね」
「分かった。ルドルフ、もういい加減降りてくれ。満足しただろう。代わりにそこの、空いたところに座っていなさい」
そう指示すると、ルドルフは渋々といった様子で床へと飛び降り、私が身を起こしたことで出来た隙間へと行儀よく腰かけた。
「降りるのは構わないが、その話後で私にもしっかり聞かせてもらうからな。トレーナー君」
「はい…」
ああ、みるみるうちに土壺に嵌まっていく。
もう観念しよう。これも自衛が足りなかった私自身の落ち度として甘んじて受け入れるしかないということか。
ようやく全身が解放されたので、しつこく髪を撫で触ってくるシービーの手を振り払うと対面のソファへと移動する。
何故かついてきたシービーがちゃっかりと私のすぐ隣に座ろうとしてきたので、慌てて元いた場所へと追い返した。ルドルフからやや距離をとりつつも、大人しくすっぽりと収まっている。
変なところで反抗的で、変なところで素直というか。二人とも行動の指針がまるで分からない。これがこちらの言うことになんでもかんでも反抗するのなら、それはそれでかえって扱いやすいのだが、彼女たちにはそれぞれ独自の行動原理が存在するらしかった。
レースにおけるその豪快な走りっぷりと時折見せる奇抜な行動から、自由人だなんだと人から評されるシービーだが、先生曰く自身が納得出来ない事は絶対にやらない頑固さも併せ持っているらしい。私の目から見てもそれは正しいと思う。
その辺りの線引きをもっと隅々まで解明すれば、こうして振り回されることもなくなるのだろうか。しかし、そこに至るまでには一体どれ程の月日が必要とされるのやら。
「なぁに、そんなにアタシのことをじっと眺めて。ああ、駄目って言ってるわけじゃないよ。ちょっと恥ずかしいけど」
「シービー、ちゃんと生徒会室には行ったんだろうな。君と別れてからまだ三十分も経っていないぞ」
「うん、ちゃんと顔は出したよ。キミに言われた通り真っ直ぐ生徒会室に向かって、顔を見せて、そうしてすぐにここまで帰ってきたの」
けろりとした顔でそんなことを宣うシービー。
すぐにというか、さてはコイツ本当に顔を見せてきただけだな。もっとも彼女が大人しく生徒会長としての職責に励むとは思えなかったから、マルゼンスキーがそこをどうにか引き留めてくれることを期待していたのだが空回ったらしい。
一応は次期生徒会長候補の筆頭だったわけだし、マルゼンスキーでも問題なく回せるのは事実なのだろうが……仮にも先輩に投げっぱなしなのはいかがなものだろうか。
「というか、"帰ってきた"ってどういう意味だ。ここは君の家じゃないぞ」
「昨日まではね。今日からここはアタシの家でもある。前にそろそろ同棲したいって話もあったから丁度いいよね」
「それ君一人が勝手に言ってただけでしょ」
「なんだっていいでしょ。もう、細かいな。それになにを言ったところで、アタシたちの部屋は戻ってこないんだからさ」
やれやれと困り顔で首を振って見せるシービー。
その隣では、ルドルフもまたうんうんと腕を組んで頷いている。
「そうだぞ、トレーナー君。残念だが、私たちはもうとっくに家なき子というわけだ」
「自分たちでぶっ壊したんだろうが」
「それはその通りだが、しかし現実として私にはもう帰るところがない。学園からは、一先ずは自分で用立てて欲しいとのこと」
まぁ、自業自得だからなと呟きながら、ルドルフはズボンのポケットから一枚のカードを取り出す。
そこには私の氏名と生年月日、職員IDが記載されており、顔写真の欄だけはご丁寧にもルドルフのものに差し替えられていて……これも、どこかで見たような展開だな。
「どうして、君がそれを」
「流石に学園の敷地でテント暮らしというわけにもいくまい。緊急避難ということで申請したら支給してもらえたよ。連絡が届いているはずだが……ああ、預かりっぱなしだったな。返そう」
テーブル越しにスマホを受け取り、急いでウマネットを立ち上げる。
今日になってもう何度目にしたかも分からないホーム画面。その左上にあるメッセージボックスには、確かに一通のメールが届いていた。
開いてみると、確かに彼女にスペアキーを貸し出した旨の報告と、有事における責任の所在について簡潔に記載されている。
管財課……!!やってくれたな!?
いや、こうなった原因は分かっている。
新年度に向けた設備の点検と寮の振り分け、そして今朝の爆発事件のせいだろう。その業務は多忙を極め、言うなれば彼らもまた被害者の一員に過ぎない……それは分かっている。
だとしても、寸前まで残っていた申し訳なさが急激に色褪せていくのは止められない。
これもまた、事務方と現場の認識のすれ違いの結果なのだろう。
どうも彼らは、我々トレーナーに対する信頼が過剰というか……直接ウマ娘に関わることは、困ったらとりあえずトレーナーに投げておけば良いと思っている節がある。
トレーナーという職業の専門性、あるいはライセンスの持つ社会的な知名度と信用性故だろう。餅は餅屋と言わんばかりに、私たちならウマ娘相手でもどうにでもなるという妙な期待があるのだ。
要注意ウマ娘二人が下手に学園外の施設を拠点に据えてトラブルを起こしたり、逆に事件に巻き込まれるぐらいなら、一応は学園の管轄下にあるこの寮に留まっておいてくれた方が安心できるという心情もあるのだろう。なにせウマ娘の側がそれを希望しているわけだし。
なんというか、文面だけはやたら申し訳なさそうにしているのがかえって腹が立つ。とりあえず、なにを置いても速やかな復旧を成し遂げて欲しい。
「そういうわけだ。今晩から世話になるぞ、トレーナー君」
「は?え……なに。ルドルフもここに泊まるわけ?定員は二人なんじゃないかなぁここ。ほら、ソファだって二つしかないし」
「だとしたら君が出ていくべきだな、シービー。さっきも見せただろう?トレーナー君が私を拒むことなどあり得ないのだから」
「ああ、あれ。たんにトレーナーの優しさにつけこんだだけに思えるけど。そうやってなんでも都合よく処理して生きてられるのは幸せだよね」
「羨ましいか?どうしてもというなら、廊下で寝るぐらいは許してあげよう。また私たちの営みを一人寂しく眺めているがいい」
「キミが出ていってよ。管財課が許してもアタシが許さないから。廊下にもいさせないからね。悪いけどアタシは同担拒否だからさ」
スマホと睨めっこする私を他所に、ぎゃいぎゃいとお互い噛みつき合いながら騒ぎ出す。
ブンブンと凄まじい勢いで振られる尻尾の風圧で近くの観葉植物の葉が一斉にざわめいた。ウマ娘の尻尾の用途はよく分かっていないが、一説には虫除けという機能があるらしい。しかしこれは最早虫どころかヒトにとってすら明らかに脅威だろう。
一見ふかふかと毛に覆われた柔らかそうな器官だが、その根元に秘められているのはただただ強靭な筋肉の塊に他ならない。
つくづく我々の想像を絶するというか、規格外な生き物である。ヒトにとって最も身近な隣人でありながら、同時に最も謎と驚異に満ちた存在。それがウマ娘なのだ。
まだ中等部の時点でこうももて余すのだから、彼女らが高等部に進級した後の事を考えると頭が痛い。これがただ早熟なだけならまだマシなのだが、恐らく……いや、十中八九彼女らは成長の余地を多分に残していることだろう。
将来が楽しみなのは間違いない。とはいえ、私にとって最も重要なことは今である。
「あー……もういい。やめろ二人とも。分かった、とりあえずは受け入れよう。美浦401が復旧するまでは」
「おや、いいのかいトレーナー君?自分で言っておいてなんだが、てっきり拒否されるものかと」
「さっきあり得ないとか言っておきながら……まぁ、シービーはともかくルドルフならどうとでもなりそうだけど」
それこそ、シンボリ傘下のホテルとやらにでも寝泊まりすればいい。
宿を借りる金に苦労するような身分ではないのだから。
しかしどうせなら、この際に二人の共同生活を少しずつでも成立させておくべきだと私は考えた。
たとえ部屋が元通りになったところで、彼女たちの関係性が今のままでは元の木阿弥。今朝の事故自体がそもそも過失であった以上、いつまたうっかり破壊に至ってもおかしくないのだから。
復旧までの仮処分の期間を使って、同じ部屋で寝泊まりすることに慣れてもらうべきだろう。他人の家を借りており、第三者も同居しているという状況であれば、彼女らにも一定のセーブが期待できる。
勿論美浦寮に戻った瞬間に自制心を失ったり、なんならこの部屋もまた破壊されるリスクだってなきにしもあらずだが。少なくとも、なんの対策もせず復旧作業の完了を待つよりはよほど有意義だろう。
「じゃあ、まずは部屋割りだな。君たちのベッドはこのソファだ。ちょうど二つあるし、中等部生の体格なら十分な大きさだろう」
「トレーナーは?」
「寝室のベッドを使う。当然だろう。家主なんだから」
「むぅ……トレーナー君。確かにこのソファは大きいし柔らかいが、しかし眠るとなると落ち着かないな」
「罰だと思って諦めてくれ。どうしても広々とした場所が欲しいなら床で寝るといい。カーペットもあることだし」
音を吸収するためにこの学園のカーペットは総じてふかふかと毛が長い。まぁ、これは冗談だが。
リビング一部屋にベッド代わりのソファが二つ。テーブルを挟んで程ほどに隙間があり、それは奇しくも学生寮の間取りと酷似していた。共同生活トレーニングの第一歩としては許容範囲だろう。
「オッケー決まりね。じゃ、アタシはお風呂に入ってくるから。トレーナーはともかくルドルフは邪魔しないでよ」
「言われなくとも」
颯爽と立ち上がり、リビングを飛び出して玄関に……ではなく、その途中の扉に指をかけるシービー。
「こら。おい待てシービー。どこへ行く」
「どこって……お風呂場だけど。使っちゃダメ?」
「駄目に決まってるだろう。寮の大浴場に行きなさい大浴場に」
…………本当に大丈夫だろうか?