シンボリルドルフに逆らえないトレーナー君の話   作:くまも

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芝の演出家

マルゼンスキーと別れた後、忠告に従ってシャワーを一浴びした私は、いつも通り先生のチームの指導に加わった。

 

どのチーフトレーナーに師事しようと、基本的にやることはそう変わらないサブトレーナー時代からは一変し、こうしてデビューした後はそれぞれのトレーナーによってやるべき事にも違いが生じるようになる。

 

その最たる原因といえば、やはり特別移籍の有無だろう。

移籍のないトレーナーはこの時期だとスカウトの準備が主な活動となる。ウマネットから各学生のデータを閲覧して担当の目星をつけたり、そこから直接本人に声をかけてみたりなど。正式に担当契約が成立するのは、来月のはじめに行われる選抜試験以降のこととなるが、実際にはそれ以前から内々に決まっていることも珍しくないらしい。

逆に私のような、移籍の提示があるトレーナーについては、対象となったウマ娘のトレーニングをチーフトレーナーと共同で行うことになる。こちらも現時点では契約締結の内定でしかなく、書類上の担当トレーナーは未だにチームトレーナーのままだというのが理由だった。

 

といっても、先生はもうシービーについては殆ど私に任せっきりにしているが。

事実、皐月賞に向けた調整については粗方終わっており、本番までそれを鈍らせないことが中心だった。これなら、下積みを終えたばかりの私でも出来る。仮にも一年間、最も近くから彼女たちを見てきたわけだし。

 

「ほらシービー、前のめりになり過ぎだ。現時点の君のスタミナならあと一周半こなせる余力があるはずだろ。上を向け」

 

「了解!」

 

威勢のいい返事と共に、柵の向こうを駆け抜けていくシービー。

ターフの土を蹴り上げて、あっという間にコーナーを曲がっていく背中を見送った後、膝の上で立ち上げたラップトップの画面を覗き込む。

弥生賞以来のシービーの基礎能力をデータ化したグラフと表。走りにおけるパフォーマンスは無数の要素が絡んでくるものであり、バ体の仕上がりについても正確に把握することは困難であるが、ここでは便宜的に数値を用いて育成の経過を記録してあった。

 

彼女の得意とする戦法は追い込みである。

ラストスパートで他のウマ娘を一気に蹴散らすことが求められ、そのためにはなにをおいてもスピードが不可欠である。いざスパートに持ち込んだところで、前方を追い越せるだけの速度を確保出来なければまるでお話にならない。

もっとも、シービーに限っては全く問題にならないだろう。彼女の脚力、レースで叩き出すスピードにおいてはこの学園でも指折りだった。稀代のスピードウマ娘であった母の素質を受け継いだ、などとかつて本人が言っていた通り、たんなる努力の範疇に収まらない天凛の才を確信させる。現状、彼女にとって最大の武器であると評するに異存はない。

 

ただ、私がミスターシービーというウマ娘について最も驚異を抱いている点は、その豊富なスタミナについてである。

通常、終盤まで後方で足を溜める追い込みウマ娘においては、スタミナはそこまで重要視されない。勿論決して軽んじられるものではないが、しかし常に集団の前方を走り体力の消耗が激しい逃げや先行と比較すれば相対的に重みは下がる。そのぶん脚力や瞬発力の向上に注力するのがセオリーであり、私も先生もそのような方針で育成してきた筈だった。

にも拘らず、彼女はどうにもスタミナに恵まれていた。流石に生粋の逃げウマ娘には届かないだろうが、追い込み戦法のウマ娘としては十二分だろう。

 

これもまた天性の素質というべきだろうか。スカウト時から才能溢れるウマ娘であったが、今となっては完全にトレーナー陣の構想からも逸脱している。これなら追い込みに拘らずとも、育成次第で別の戦法でもこれまで以上に通用するのではないだろうか。

 

鞄から取り出したUSBを挿し込み、中に保存してある上級生のウマ娘から提供された基礎データを呼び出してシービーのそれと比較する。

やはり、同じ追い込みスタイルを取るウマ娘と比べても、シービーのスタミナは群を抜いていた。やりようによっては前方でのレース展開も十分に望めるだろう。

 

「やっぱり迷うな……これは」

 

別に、追い込みウマ娘にスタミナがあったらいけないということはない。むしろあるならあるだけ良いだろうが、それを最大限まで発揮出来ないことにどうしても引っ掛かりを感じてしまう。

端的に言ってしまえば勿体ない。取り得る選択肢が多ければ多い程、それを最初から狭めてしまうのは如何なものだろうか。かといって、あちこち手を出した挙げ句に全て中途半端で終わってしまっては目も当てられないので、本当に悩ましい。

そもそも贅沢な悩みなのだけれども。一本道しかないならそれだけを極めればいいのだが、道筋が多いと最適解を見つけ出さなければならなくなる。こういう時最も参考になるのは経験なのだが、しかし私にはその積み重ねがなかった。

 

あれやこれやと首を捻っていると、ふと画面の上から影が落ちた。

見上げると、若干息を乱したシービーが横から画面を覗き込んでいた。念のため、他のウマ娘についてのウィンドウは閉じておく。

 

「走り込み終わったよトレーナー。あとストレッチも。なにこれ、アタシの測定記録?」

 

「ああ。他の生徒のものと見比べていたところだ」

 

「へぇ。普段こうやって数字に出してるんだね……ちょっと見せて」

 

こちらの返事を待たずにシービーは私の隣に座ると、ラップトップを取り上げて揃えた膝の上で操作する。

スクロールしながら順番にグラフを眺めているが、流石に中等部生には些か難しかったのかすぐに頭を振って返してきた。

 

「……よく読み取れるね、そんなの。選抜とか身体測定とかで貰える記録表とは全然違う」

 

「扱ってる情報の量と質が段違いだからね……特級の個人情報だよ。だからサブトレーナーには閲覧が禁じられているわけだし」

 

こうして本人に見せるぶんには許容範囲だが、まかり間違ってもこれが学園の外に流出した日にはとんでもないことになる。なにせ病院のカルテの比じゃない中身が詰まっているのだ。冗談抜きで学園そのものが揺らぎかねない。

こうした記録の採取と編集、分析に加えて適切な利用と管理方法、そして一般的な情報リテラシーを身に付けさせるために、二年間にも及ぶ修習生およびサブトレーナーとしての研修課程があるのだから。

 

「でもどうせ記録を採るなら、アタシたちだって知りたいよね。ほら、自分の身体についてのデータならさ、自分で知っておいても損はないわけだし」

 

「まぁ、自己分析には役立つだろうけど。ただそのためにカリキュラムを組んだら負担がバカにならないぞ?」

 

ただでさえ、一般的な教育機関と同等以上の講義が行われている上に、そこからさらにレースのトレーニングとライブの歌や振り付けの練習があるのだ。

彼女のように特別な役職に就いている者はその仕事もこなさなければならない他、海外挑戦するウマ娘の場合だと語学の習得も必要となる。レースを引退し、卒業を間近に控えた生徒は次のステップに向けた準備も整えなければならない。

 

トレセン学園といえばトレーナーの激務が有名だが、実際には生徒もまたタイムスケジュール的にかつかつなのだ。ヒトの学生にとっては体力的精神的に過酷極まりないそれを、ウマ娘としての強靭さで以てやりくりしているに過ぎない。

お出かけで街に繰り出したり、夏合宿で海まで連れていったりするのも、そうでもしないと中々リフレッシュの時間が作れないという事情がある。

一部の生徒は、その上でさらに副業をこなしているというのだから全く恐ろしいという他ない。いくら心身ともに頑強なウマ娘の中から、さらに選りすぐりの体力自慢を集めた学園だといってもだ。ここはあらゆる意味で体育会系の極北なのである。

 

「違う違う。変えるのはアタシたちじゃなくてそのデータの方」

 

「具体的には?」

 

「えっと……たとえばRPGのステータス画面みたいにさ。ざっくりと項目に分けて、それぞれに数値とかランクがふってあると頭に入ってきやすいでしょう?」

 

「ふふ、そうなると私たちからしたら本当に"育成"になってしまうね。うん、でもそのアイデアは面白そうかも」

 

「ホント!?」

 

「ああ。応用の幅も利きそうだ」

 

彼女のいう通り、育成に関連したデータについては担当と共有出来れば色々と捗る。こちらからのトレーニングの指示や、そこに込められた意図についてもより深い理解と納得がもらえるだろうし、作戦を練る場面においてもこれまで以上に建設的な議論が可能となることだろう。

トレーナーとて絶対ではないし、実際にレースで戦うのはウマ娘なのだ。担当ウマ娘ならではの観点もあるだろうし、それに基づいた意見は尊重に値する。

あとはトレーナーを育成する場合においても、分かりやすい物差しがあった方が双方にとって便利となるだろう。かくいう私自身もまた、複雑怪奇な数字の塊には内心辟易していたことだし。

 

ただ、分かりやすいということはイコールで不実にも繋がることには注意が必要か。

これだけの膨大なデータを、たった一つの数字や文字にまとめてしまえば必然的に粗が出る。見やすさとある程度の正確性の両立については、仮にも参考とする以上、しっかりと吟味することが欠かせないだろう。

私一人では難しいだろうから、せめて他のトレーナーと協力するか……いっそのこと学園そのものを巻き込んでも良いかもしれない。

 

……なんて、尻が青いもいいとこなトレーナーが一体なにを真面目に考えているのやら。

 

そういう立派なことを真剣に検討する前に、まずは一人前の結果を残さなければ。

やるべきことは他にあるだろう。

たとえばさっきから、楽しげに私の横顔を眺めているウマ娘の相手とか。

 

「さっきからにやにやとなんだシービー。私の顔になにか付いているか」

 

「なんか、そうやって真剣になってる顔がカッコいいなって。もうちょっと見せてよ」

 

「駄目、もうおしまい。そういえば、君と話したいこともあったからね」

 

「アタシの戦法についてでしょ?」

 

いきなり図星をつかれ息を呑む。

そんな私の反応を前にして、またしてもシービーは面白そうに微笑んだ。

 

「やっぱりね。こんな調整も終わってる時期に、アタシのデータを見て悩むことなんてそんなところだろうし」

 

「なら話は早い。シービー、君は戦法を変える……たとえば逃げや先行の手も控えておく考えはないか?」

 

「ちなみに聞くけど、どうしてトレーナーはそれを提案するの?別に、今のままでも不足はないと思うけど」

 

「今はね。将来、強い逃げウマ娘が出てきた場合、これまでの後方から急襲するスタイルだと通用しなくなる懸念がある」

 

現時点においては、少なくとも同期の中では彼女の追い上げを振り切れる逃げウマ娘は存在しない。

だが晩成型の逃げウマ娘が、いずれシービーと渡り合えるまでに覚醒しない保証もないのだ。所詮一年目を終えたばかりなのだから、今後誰がどのように成長するかなどあれこれ予想したところで意味はない。

 

別に今すぐ戦法を変えろというつもりはなかった。

追い込みから差しへの移行ならともかく、序盤から前方に展開する逃げ、先行への切り替えは大きなリスクを伴う。ペースについてまるで勝手が異なり、バ群からのプレッシャーもまた別次元となる故にだ。とりあえずクラシック戦線においてはこれまで通りの戦法を貫くつもりである。

ただその後、古バ戦線においては別の切り口を探っていくのも一つのやり方だと思う。メインは追い込みでいくとしても、保険となる手札は用意しておきたい。なにしろ、それが許されるだけの素質が彼女にはあるのだから。

 

「うーん……どうだろ。トレーナーの言いたいことも分かるけど、アタシはあまり気乗りしないな」

 

「楽しくないからか」

 

「つまらないってわけじゃないけど、やっぱり後ろからガーッて捲ってった方が楽しいし。見ている方も面白いでしょ?自分でいうのもなんだけど、それがアタシのレースの持ち味だしさ」

 

「そうか……」

 

その言葉の通り、レースの終盤に前方集団をまとめて一気に切り捨てる彼女の走りは「シービー戦法」と世間から名付けられていた。

その豪快な演出は確かに見ていて気持ちがよく、現時点におけるミスターシービーの莫大な人気を下支えしている要因でもある。それを目当てにわざわざレース場まで足を運ぶファンも多く、シービー自身もまたそのことを自覚していた。

 

シービーは"魅了"という言葉をたびたび口にする。

楽しいレースがしたいと語るシービーだが、その根底にあるのは自身の走りへの自負だ。観るものを喜ばせるというのも興行たるトゥインクルの役割だが、彼女は殊更それに重きをおいている。

シービーにとって追い込みのレースそのものに価値があるというのなら、きっとそれを捨てることはしないだろう。いい意味で、彼女は自らの理念に忠実で頑固なウマ娘だった。

 

黙り込んだ私を前にして不安を覚えたのか、シービーが眉尻を下げながらこちらを覗き込んでくる。

 

「トレーナー……ねぇ、怒っちゃった?ごめんね。アタシもレースで勝ちたいのは同じなんだけど」

 

「いや、謝る必要はない。君がそういうなら、たぶんその選択が正しいんだろう」

 

「そうかな。かなりキミの方針とは合ってなさそうだから……」

 

「君が扱いづらいウマ娘なのはとっくに分かっていたことだろう」

 

担当トレーナーとしてシービーを相手にするのは、実は結構難しいことなのだ。

気性自体は穏やかかつ自由気ままで、いわゆる気性難を扱うような大変さはない。ただ本人の気質や思考、競技ウマ娘としてのレースにおけるスタンスがかなり定石外れで、その実態を正確に捉えることが極めて困難なのだ。

彼女自身もまた、そういった自らの内面を言語化することにかなり苦労しているようで。能力の面では申し分ないのだが、コミュニケーションについてはある程度の手探りが求められるあたり、本質的には玄人向けだといえよう。

 

基本的に従順なウマ娘ではあるので、かなり強く手綱を握れば一応セオリー通りに動かすことは可能である。

素質が恵まれているだけあって、それでもある程度の成果を残すことはできるだろうが……逆にいえばある程度止まりだ。彼女の本領を十分に引き出すことは無理だろう。

実力に叶う成績を叩き出すには、セオリーに縛られない柔軟な思考とそれを実現する技量が必要となる。そういった意味でも、やはり彼女は玄人向けか。

 

「トレーナー?また黙っちゃった」

 

「ん……ああ、ごめんね。この話はもう終わり。インターバルも済んだことだし、あともう一セット頑張ろうか」

 

「うん、分かった。行ってくるね」

 

たたっと軽快に駆け出していくシービーを目で追っていると、胸の奥からとめどなく疑念が湧き上がってくる。

 

今の私に、果たしてミスターシービーのトレーナーが務まるだろうか。

 

薄々感じていた予感が、改めて現実のものとなって浮かび上がってきた。彼女は、私のような新人が使いこなせるウマ娘ではない。

強いウマ娘によくありがちな、誰がトレーナーになっても結果を出せるというタイプではなく……むしろ、優れた手腕と豊富な経験を積んだトレーナーのもとではじめて真価を発揮できるウマ娘だ。

仮に私と組んだとして、それでもあの才気なら一定の成果は残せるだろうが。しかしそんな意気込みでクラシックに挑んで三冠をとろうなどあまりにレースを舐め過ぎている。

 

そしてなにより、私はシービーの思考を完全に理解できていない。元々こちらの方針との間にズレがあるのだろう。

私は、華やかさよりもまず勝つことを優先に考えている。たとえそれがつまらないレースだと評されようとも、勝利への最適解であるなら躊躇なく実行させるだろう。ファンの期待など容易く移ろいゆくものだが、残される記録は永遠だ。どちらかを優先するなら、後者に重きを置くのが私というトレーナーの考え方だった。

シービーの言っていることも理解できる。が、共感しきることができない。そういった担当との価値観のすれ違いを弁えた上で、相手の思考を読み取れるだけのトレーナーとしての技量が私にあれば……。

 

一年。せめてあと一年あれば、なにをしてでもそれに指をかけたのに。

彼女の入学がもう一年遅かったら、あるいは私の着任があと一年早かったら……シービーの担当トレーナーとして、自身を変えることができた。

私とて、決して昨年を怠惰に過ごしてきたわけではない。だが所詮、修習を終えたばかりの現場もろくに知らない半人前にできることなどたかが知れている。今の状態で、もう一度あの一年間をやり直せたなら。

 

私とシービーは、お互い巡り合わせが悪すぎたのだ。

互いの入学と新任の年度がぴったりと一致するような、そんな運命的な歯車の噛み合いがあればまた結果も違ったのだろう。

 

「はぁ………」

 

……そんなどうしようもない、たらればの話をしても仕方ないか。

 

トラックを駆けるシービーの姿を見ていると、またしても不毛な思考に襲われる予感がしたので少しだけ視線を外す。

そのままベンチの左手の先にある、本校舎の周辺を眺める。

 

昼の手前ということもあってか人通りが多い。

玄関から出てそのまま歩道を走っていく桐生院の姿があった。彼女の場合は自力で担当を確保しなくてはならないから、そのための作業に追われているのだろう。ペアで行動している生徒へと積極的に声をかけているあたり、セオリー通り狙いとしているのは新入生か。

そんな彼女と一言二言交わしながら、横を抜けていったのはルドルフとビゼンニシキ。正直かなり危うい組み合わせだと思っていたのだが、意外にも和やかに打ち解けた雰囲気で、談笑に興じながら桐生院と入れ違う形で玄関へと向かっていく。

 

まぁ、平和そうでなによりだ。

とりあえず心も落ち着いたので、再びシービーへと視線を戻した。コーナーを曲がって最後の直線へと差し掛かったところだ。

 

USBを抜き、ラップトップを畳んでどちらもカバンへとしまう。

シービーのストレッチに付き合おうと、そう思ってベンチから立ち上がりかけた瞬間……不意打ちで、何者かに背後から肩を叩かれた。

 

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