私の寮で、シービーの誕生日会を開いた翌日のこと。
早々に仕事を切り上げ職員用の駐車場で愛車に乗り込むと、スマホから現在の時刻を確認する。
ちょうど18時を過ぎたところ。学園における活動が一段落つくタイミングであり、ルドルフと待ち合わせのために約束した時間でもある。いくら外出届を提出するとはいえ、あまり夜遅くまで連れ出したくない身としてはなんとか妥協できる範囲か。
いくら学園所属のトレーナーとはいえ、自身の担当でもないウマ娘二人とプライベートで行動を共にするのは非常に体面が良くない。ましてやそれが、学生には到底釣り合いそうもない高級レストランでの会食ともなれば尚更だ。
今の私は、世間からの注目もそれなりにある。おまけにそれはかなり不安定であり、ふとした拍子で勢いよく燃え上がりかねないのだから。身の振り方は、よく考えなければなるまい。
ルドルフが私の寮部屋に転がり込んできた翌日、いつの間にか電話番号で追加されていた彼女のウマインに準備が整ったという旨のメッセージを送る。ものの数秒で既読がつき、こちらに向かっている最中だという返信がきた。
時間にはシビアな彼女のことだ。たった数分とはいえ、待ち合わせの18時に遅れてくるのは珍しい。おおかた、同伴者として指定されたビゼンニシキとの足並みが揃わなかったのだろう。
二人が到着するまでの時間稼ぎも兼ねて。
昨晩シービーが提示してきた、その条件について少しだけ思考を巡らしてみる。
私とルドルフの二人きりで、という内容に反発するのはごく自然なこと。故に第三者をその場に同席させるという妨害を行うのも理解できる。
分からないのは、その実行者としてビゼンニシキを指名してきたことだ。
会食にシービー自身が同席できないのは仕方ないとしても、ならば彼女の代役として送り込むべきは彼女により近しい立場の人物であるべきだ。
中立を表明している先生については最初からアテにならないものだと除外しておくにしても、他にいくらでも候補はいるだろう。それこそ、彼女が支配する生徒会の構成員とか。
マルゼンスキー……は昨夜の様子からして引き受けてはくれないだろうが。だとしても、生徒会は別にシービーとマルゼンスキーの二人だけで機能しているわけではない。
ヒラ会員ならいくらでも動かせる者はいるだろう。それがなんだって、ただのペアに過ぎないビゼンニシキなんかに。
いや……そうか。そういうことか。
強引だが、生徒会長の権限なら不可能ではない。
もしかしたら、そのビゼンニシキこそが―――
コンコン、とガラスを叩く音で我に返る。
運転席の窓を挟んだ向こう側から、ルドルフとビゼンニシキがこちらを覗き込んでいた。
ドアロックを解除し、ジェスチャーで後部座席に座るよう指示をする。
「あぁトレーナー君。すまない、少し遅れてしまったな」
「失礼します」
落ち着いた足取りで乗り込んでくる二人。
シートベルトを下ろし、ちょこんと行儀よくならんで座っている。こうして見ると、本当につい数週間前まで小学校に通っていたのだなと納得できる幼さだ。
ルドルフやシービーと関わっていると、自分の中の感覚がおかしくなってくる。
それを言ったらマルゼンスキーも相当だが、彼女と違って所々で年相応の仕草を見せてくるのがいやらしい。
「気にしないでくれ。たかだか数分程度の遅れだろう」
「いや、こちらから指示しておいて言い訳は出来ないよ。ビゼンニシキの仕度が手間取ってしまってね……」
「いや、言い訳してんじゃん。しょうがないでしょ、ああいう立派な場所で食事することなんてそうそうないんだから」
「そう肩肘張るようなものでもないさ。君はゲストなのだから、これもせっかくの機会だと思って楽しんでくれれば幸いだな」
「その余裕がまたムカつくのよね。ねぇ、そう思いませんトレーナー?金持ちはこれだから……」
後ろでにわかに喧しくなる二人はひとまず無視して、カーナビを操作し目的地へのルートを呼び出す。
向かう先は東京の一等地。
……まったくもって、この三人で訪れるにはほとほと似つかわしくない場所だな。同じ子供でも理事長との相席ならまだ格好がついたものを。
まぁ、今更ああだこうだ言ってたところで仕方ない。下手に誰かに見られても厄介だ。せめて穏便かつ迅速に済ませることとしよう。
そんな半ばなげやりな気持ちを抱えながら。
私はゆっくりとアクセルを踏み込んだ。
◆◆◆◆◆◆
案内されたホテルは、それはまぁ立派なもので。
豪華、という表現すらあまりにも陳腐に思えるほど。
通されたのは最上階のレストラン。その中でも一段と奥まった所に設けられた個室。
壁から天井に至るまで全面がガラス張りとなっており、夜の都心を心行くまで堪能出来る絶景だった。
下は首都高を何列にも走る車のランプから、上は高層ビルに掲げられた障害灯まで。宝石を散らしたように目映い光景は、まさしく壮観と形容するに相応しい有り様といえよう。
それを売りとしているからか、店内の照明もまたやや暗めに設定されていた。
鬱陶しくもなく、かといって寂しくもない絶妙な案配で施された装飾も相まって、この夜景を立ててどこか一歩引いた印象がある。
これだけのシチュエーションでありながら、なおも客に安らぎを与えるよう計算され尽くしている。その上で料理も極上となれば、なるほど最高級と評されるわけだ。
「わぁ……すっごい……」
ビゼンニシキときたら、食事を終えてからずっと窓の方に張り付いている。
ここは個室で、私たち三人しかいないためかまるで遠慮がない。その尻尾がゆらゆらと、興奮を湛えながら落ち着かなく左右に揺られている。
そんな彼女を窘めることもせず、私の向かいでゆったりと食後の一杯を堪能するルドルフ。
制服姿のビゼンニシキとは対照的に、彼女はドレスコードだった。深い紫色をしたシックなドレスで、落ち着いたレストランの雰囲気と完璧に調和している。
まだ未成年なので、口をつけているのは白ブドウのジュースだが。これがスパークリングワインだったらさぞ絵になったことだろう。
……私の服装は大丈夫だろうか。
このホテルの格式や内装に付いては今朝のうちに調べをつけていたため、場違いにならない程度の身支度は整えてきたつもりだ。
仕事を終えた後、一度寮に戻ってから身を清め髪もまとめいる。職業柄、相応の着こなしについて準備があったのも幸いだった。
ただ、目の前のルドルフと比べると些か華やかさに欠けるような。落ち着いてはいるのだろうが、どうしても地味な印象が拭えない。
素材の差だと言ってしまえばそれまでだが。会食での装いについて、中等部生を相手に引け目を感じている自分が情けない。
「なにかな?トレーナー君。さっきから私の顔をずっと眺めて」
こちらからの視線に気づいたのか、傾けていたグラスをことりとテーブルに置いて、ルドルフはふんわりと微笑んでみせた。
色気……としか言い様のないそれに、無意識に息を呑む。
ビゼンニシキを交えつつ、先程までお互いかつての思い出と別離後の体験について花を咲かせていたところだった。彼女もまた、この二年間で大きく成長したのだろう。
「いや、随分落ち着いているなと思ってね。歳によらず……なんて、そんなこと君に言うのも今更か。綺麗だよルドルフ」
こんな、夜景を望むレストランの席で、成人男性が仮にも女子生徒を相手にかける言葉じゃないだろうが。
それでもこのルドルフを前にしては、誰であってもそう賛美せざるを得ないだろう。
ルドルフはその褒め言葉に気を良くしたのか、ふふっと口に手をやりつつ満足そうにしている。心なしか、その頬がほんのりと色づいたように見えた。
「ふふ、ありがとう。幼い頃からこういう経験も積まされていてね。積土成山、両親の教育の賜物だろうな」
「そうか。流石、天下のシンボリといったところかな」
トレーナーとしての初出勤日、シービーとお出かけした際に彼女からかかってきた電話。そこで言っていた通り、このホテルもかの家の影響下にあるらしい。
入り口からの案内がやけにスムーズだったのも、恐らくはその恩恵なのだろう。問題は、それが私にとってどう転ぶかということだ。
「天下と呼ぶにはまだ早い。それは私たちがこれから掴みとるものだろう」
「私たち……」
「そうだ。私とトレーナー君でね」
ちゃぷちゃぷと。
グラスの中身を揺らしながらそう告げて、ルドルフは一息でそれを飲み干した。
これで、共された食事は全ておしまいだ。
さて、それでは学園に帰ろうか……などと、そうは問屋が下ろさない。むしろ、これからが本番といったところだろう。
少なくとも、目の前の彼女はそのつもりでいるらしい。このレストランがシンボリのテリトリーであることを考えれば、応じないことには先へと進めないだろう。
「なぁ、ルドルフ……どうして私なんだ?この際はっきり言わせてもらうが、君が私に固執する理由が分からない」
「それを聞いてどうする?」
「経験のある、ルドルフと適性のありそうなトレーナーを紹介しよう。君ほどの実力者なら断る者などいまい」
現段階におけるルドルフの実力について、詳しいことは私も知らない。実際に走っているところは見ていないし、そのデータが開示されるのも来月の選抜を終えた以降となる。
しかしその生来の素質と才能、数年前における彼女の競技ウマ娘としての完成度から推察するに、少なくともトレーナーを選べる側であることは間違いない筈だ。
この二年間でなんらかの事情により伸び代がなくなったという可能性も0ではないにしろ、今期の総代として入学を果たしている限りほぼあり得ないだろう。未だに本格化も迎えていないのだから、成長が限界に達したということも考えられない。
それだけ恵まれたものを持ちながら、どうしてベテランでも中堅ですらないこんな新人に執着するのか。
昔馴染みということで、最初からお互いの相性やコミュニケーションの勝手が分かっているというのが、強いていうなら私がルドルフを担当するにおいての唯一のアドバンテージだろうか。とはいえ、それも技量や経験の差を覆せる程のものではない。それに彼女なら、よっぽどの事がなければ誰が相手でも上手くやっていけるだろうから。
しかし、そんな私の考えをルドルフは真っ正直から否定してくる。
「たしかに、君よりも腕のいいトレーナーは沢山いるだろう。それは仕方のないことだ。君は数日前にデビューしたばかりで、まだなんのキャリアも積めていないのだから」
「なら……」
「それでも!!……それでも私には、君しかいないんだトレーナー君。他がどうこうの話ではない。君でなければ駄目なんだ」
きっぱりと、力強くそう言い切った。
……他がどうこうの話ではない。
つまりルドルフは、彼女のトレーナーを選ぶにおいて、その能力について全くなんの勘定にすら入れていないというのか。
きっと彼女の中で重要なのは、私が私であることなのだろう。
たとえ私が何人ものウマ娘をG1で勝たせるような凄腕だろうと、逆に一人も重賞に出走すらさせられないような落ちこぼれだろうと関係なく。実際、現在における私のトレーナーとしての評価は、およそ論ずるにすら値しない圏外なわけだし。
余りにも異常なこだわりだ、それは。
トレーナーの存在意義そのものを根本から否定しているといっても過言ではない。極論してしまえばルドルフは、誰をトレーナーにつけようが変わらず勝利出来ると、そう高らかに宣言したも同様なのだ。
競技ウマ娘にとって、自らの3年間を託す担当トレーナーを吟味することは義務である。そこから既に戦いは始まっているのだ。そんなことすら理解出来ないルドルフではないだろうに。
「…理想なんだよ、トレーナー君。私には使命があるんだ」
「理想…?」
「そう。私には全てのウマ娘を幸せにするという、そんな世界を作るという理想があるんだ。そしてその過程には、君が私の隣にいてくれなければならない」
どうしようもない混乱の最中。
助け船のつもりだろうか。
とうとうその理由が彼女の口から語られる。だがそれは、どうしようもなく私の理解の範疇を越えたものだった。
とうに冷静さを欠いていたからか……目の前のウマ娘が理想と語ったそれを、私は反射的に否定してしまった。
「…いや、そんな不可能なことを……そんなもののために、君は…」
「……そんなもの、か。覚悟していたこととはいえ、トレーナー君自身にそう言われるのは流石に堪えるな」
「あ、いや……すまなかった」
傷ついた様子で眉を下げるルドルフに詫びを入れる。それがどんな内容であれ、せっかく明かしてくれた内心を貶めてはいけなかったな。
そう後悔すると同時に、気落ちしたルドルフの姿に戦慄を覚えた。
彼女は、なにも冗談や酔狂としてあのようなことを口走ったのではない。心の底から、かの理想郷の実現に邁進するつもりなのか。
これが例えば、極度の世間知らずや夢見がちの言ならそういうものかと流すことだって出来ただろう。しかし私の知る限りにおいて、ルドルフは堅実なリアリストだった筈だ。
伊達に幼少期から、支配層としての英才教育を受けてきたわけではない。それが何故。
夢中で窓にへばりついていたビゼンニシキもまた、わけの分からないといった顔でルドルフの方を振り返っている。
「それが、君のトゥインクルシリーズにおける目標か」
「違う。私のバ生における命題だ。トゥインクルシリーズも、ドリームトロフィーリーグも、さらにその先についても……全てはそのための礎。私にとっては轍でしかない」
「レースはあくまで、その理想を実現するための工程の一つに過ぎないと……?」
「無論、手を抜くつもりは毛頭ないよ。史上初の無敗の三冠も、歴代最高の五冠も越えてさらにその先へと至ろう」
彼女の紫の瞳が激しく揺らめいた。
本気だ。彼女はそれを大真面目に成し遂げようとしている。この何十年……いや、この国において、レースというものが生まれてから全てのウマ娘が焦がれたそれを、自らにとってはただの過程だと言い切ったのだ。
信念を越えて、最早狂気の域にすら足を踏み入れている。
一体何が、シンボリルドルフをここまで狂わせたというのだろう。走マ灯のように彼女との記憶が脳裏を駆け巡り、しかし一向に答えは出てこない。
「……まぁ、それがルドルフの夢だとしてもだ。それなら尚更、私ではなくベテランの腕利きを側に置くべきじゃないのか」
無敗三冠にしろ、シンザンを越えてさらにその先を目指すにしろ、私なんかよりも優れたトレーナーをつけた方がいいに決まってる。
「いや、トレーナー君には一番近くで見届けてもらう。シンボリルドルフの覇道は、君がいなければ始まらないんだ」
「だから、それがどうして私なんだ!」
「……どうしてって、私をここまで狂わせたのは他ならぬトレーナー君じゃないか」
「なにを……」
「君にそう誓ったからさ。この理想も、将来もなにもかも」
「……」
「覚えてないだろうね。無理もないことだ。そしてその性質上、私からも詳しく語ることも出来ない。心底口惜しいことだな」
私に困惑の目を向けてくるビゼンニシキに、そっと首を振って返す。
私は、読み違えたのだろうか。
ルドルフがしつこく私にアプローチをかけてくるのは、ひとえに昔馴染みの縁だとしか考えていなかった。しかしどうやら、彼女の執着は想像もつかない程根深いところから端を発しているらしい。
ルドルフの言葉について、狂人の世迷い言だと切って捨てるのは簡単だ。しかしどうしても、私には彼女が虚偽を述べているようには思えなかった。
それについて説明が欲しいが、彼女はそれが出来ないと言っている。性質上というからには、思い出すことで私とルドルフのどちらか一方…否、私にとっては必ず不利益が生じる事柄だということなのか。
昨晩、誕生日という題目でルドルフとシービーを同席させたのは、それによってなにかしら煮詰まった現状に変化が起きて欲しいという、言わば苦肉の策だった。
期待どおり一定の成果があったように思えたが、その結果飛び出してきたのがこれだというのか。ルドルフの行動原理が、私が忘れてしまったかつての出来事に絡んだものであり、しかもそれを思い出すことすら許されないというのなら……私にはもう、彼女を説得する手立てはない。
「ここからは、もっと現実的な話をしよう。トレーナー君」
「……ああ」
このままあの話を続けていてもなにも変わらないと悟ったのだろう。
完全にイニシアティブを握られてしまった形になるが、とりあえずそれに肯定しておく。
「現実的というのはね、ようするにメリットとデメリットの話だ。トレーナーとウマ娘が、担当契約を締結することにおいての」
「私が、ルドルフを担当につけるメリットについてか」
「そう。それから、シービーを担当につけるデメリットについても提示しておこう。それをどう受け止めるかは君次第だが」
シービーと、この会食において初めてその名前を口にしたな。
そうだ。彼女はここに過去を懐かしみにきたわけでも、旧交を温めにきたわけでもない。私を籠絡することを本懐としているのだから。
「断言しよう。