きっぱりと、なんの臆面もなくそう言い切ってのけるルドルフ。
シービーへの対決姿勢を、事ここに至って微塵も抑えることすらしなくなったか。
いよいよその名を口にしたことで、この会食における駆け引きもいよいよ大詰めを迎えたことを悟る。
シービーは学園側に半ば担当契約を公認されたウマ娘であり、一方でルドルフはほんの一週間ほど前に学園に入学したばかりの新入生。現状において、どちらが優位かなど最早比べるまでもないこと。
然しものシンボリ家の神通力といえど、トレセンの内部にまで介入出来るわけではない。となると、彼女がそのような言動に出るのも当たり前の話か。
「よくもまぁ、はっきりと言うものだな」
「勘違いしないでくれ。私はシービーのことはとりわけ優れたウマ娘だと評価している」
だからこそ、とルドルフはやや身を乗り出してこちらを見上げた。
「トレーナー君の手に負える相手じゃない。現時点においては、だが」
「私に実力が足りていないと」
「……忌憚なく言ってしまえば、そういうことになるだろうな。それは君だって理解しているところなんじゃないのか」
「……」
それはついこの間、シービーのトレーニングを監督している中で実感していたものだ。
ルドルフはシービーの特性について、具体的なことはなにも知らない筈だが。やはり同じ才能に恵まれたウマ娘として、彼女なりに理解できる部分があったのだろうか。
それとも、この一週間ほど私の寮で共同生活を送ったことで、私とシービーの在り方についてなにかしら感じるところがあったのかもしれない。
……あるいは、そのどちらでもないのか。
優れた観察眼も、共に過ごした時間も関係なく……ただ、誰の目から見ても私たちの不釣り合いが明らかなだけなのだろうか。
それこそトレーナーでも、チームの関係者ですらない完全なる部外者ですら、こうして屹然と断言できてしまう程に。
「トレーナーさん、コイツの言うことをそんな真に受けてどうするんですか。ただのはったりかもしれないのに」
数瞬の沈黙のあと。
これまで黙ったまま様子を見守っていたビゼンニシキが、横から口を挟んでくる。
「だって、こんな状況でトレーナーさんと会長さんがお似合いだなんて言うわけがないでしょう。本当はそうだとしても……だったら尚更、ルドルフはそれを否定しなくちゃいけない立場なんですから」
「私にとって都合の良い、恣意的に歪められた発言であると?」
ルドルフがやや憤慨したような、それでいて嘲るような口調で横槍を入れた。
まるで、そんな反応もまたとっくに想定済みだと言わんばかりの様子に、それでもビゼンニシキはたじろぎながらも言い返す。
「そうでしょ。実際、アンタにとってはそうであってくれた方が都合が良いもんね。でもあの移籍は、理事会が承認したものであって……」
「理事会が審査するのは、あくまで手続きにおける要件を満たしているか否かだ。不備がなければ判を押すしかなく、すなわちそれは能力面での妥当性を担保するようなものではない」
「だけどそんな、お互い破滅するなんて無茶な移籍を通すわけがないじゃない」
なおもしつこく食い下がるビゼンニシキに、あくまで淡々と反論を重ねるルドルフ。
両耳や尻尾にも苛立ちのサインすら見せず、冷静に言葉を打ち返していく。逆に、問い詰めている側のビゼンニシキの方が、どこか焦りを滲ませているように見えた。
「事実通っているじゃないか。無茶かそうでないのかを判断するのは、移籍元のチーフトレーナーと移籍対象であるウマ娘の役割だろう。だいたい、URAからの出向組に過ぎない理事に現場のなにが分かるというんだ」
「その理屈なら、会長さんの移籍だって会長さん本人とそのトレーナーは納得しているってことじゃない。それで充分でしょうが」
「そうだな。あの二人が真面目に判定するつもりがあったなら、の話だが。なぁ、トレーナー君」
「……ああ」
それについては、私も彼女の主張に頷くしかなかった。
正確に言えば、なんの審査も判定も行わなかったというわけではないだろう。そもそも推薦移籍を申請するにおいては、チーフトレーナー自らの見解をしたためた推薦書を理事会に提出する必要があるわけだし。
仮に私とシービーの相性がよくなかったり、素行が悪かったり、あるいはトレーナーとして著しく実力が乏しかったりした場合は、容赦なくその措置も見送りになったものだと考えられる。流石にあの二人も、そこまでレースに対して無責任ではない。
ただ、その判定基準についてはやはりハードルが低かっものだと言わざるを得ないだろう。
一応、移籍の要件として、学園からトレーナーとして一定以上の資質が見込まれているというものもあるにはある。
だがこれもあくまで、トレーナーとして能力のみを主眼に据えたものであり、移籍対象となるウマ娘の実力と比べてどうこうという話ではない。
学園にとっては、私がサブトレーナー時代の定期考査で全て優秀な成績を修めていたという事実だけが重要なのであって、そんな私がミスターシービーに相応しいか否かについては全く別の話なのだ。
そもそもルドルフの言葉の通り、たかだが3年間の腰掛けに過ぎない理事たちにそれを検討する術もない。彼らの役目はあくまで学園の運営であり、事務方のスペシャリストでしかないのだから。
「ビゼンニシキ。君が疑問に思うのも分かるが、そもそもシービーの移籍自体が、本来制度に想定されていないことなんだ」
「……どういうことでしょう」
「あり得ないんだよ。シービーほどのウマ娘が放出されるのは。トレーナーにとって、強いウマ娘はまさしく金の卵だ。ましてやそれが、三冠を期待される逸材とあれば尚更」
「あぁ……たしかに」
実際、元から特別移籍を見込んでいたという事情さえなければ、先生も彼女を手放していたとは思えない。
今回だってそうして当たり前というか、誰も文句は言わなかっただろうに。かつてシービーとどういう約束を交わしていたのかについてはとんと知らないが、意地でも当初の計画を曲げなかったあたり、律儀というべきか頑固というべきか。
「それにトレーナー君。君とシービーが組むには時期尚早だというのは、なにも私だけの見解ではないと思うがな」
それがどういう意味かはすぐに察しがついた。
なにせ、なんら関係のない生徒たちの間でも話のタネになっていたのだ。当事者であるルドルフなら当然、全てを把握していることだろう。
「……ルドルフも読んでいたか。あの雑誌」
「ああ、君たちの記事について見させてもらったよ。あそこはなにかと良くない噂の目立つ出版社ではあるが、今回に限ってはその主張も妥当に思える」
「そういう声もよく見かけるな。ウマッターでも覗いてみれば盛り沢山だ」
「まさしく問題となるのは、そういった世間の声だよ。想像してみるがいいトレーナー君。シービーを担当して以降、一敗でもしたら果たしてどうなるのかを」
今更そんなこと言われるまでもない。
新任式からずっと、しつこく頭にこびりつかせて反芻してきた可能性だった。
いやしくもトレーナーである以上、始まってもない勝負について負けることばかりを考えるのは愚の骨頂だが。それでも私とて人間である以上、楽観的なばかりではいられない。
「シービーにとっては悲劇だろう。だが、それ以上に悲惨なのはトレーナー君だよ。そら見たことかと、君に向けられた銃口は大義を得て一斉に火を吹くこととなるだろうな」
「ああ、そうだろうな。目に見えるよ」
「分かっていて何故地雷に飛び込む?君たちにも相応の言い分があるのだろうが、世間はそれを聞いてはくれないぞ」
「それが君のいうデメリットか」
「そうだ。彼女と組むなら君はこの先、負けることなど許されない。それが、かのミスターシービーを預かる新人トレーナーに課される『最低限の』ハードルとなる……なってしまったんだ。もう既に」
「そう……かもしれないな」
それは、歴史に名を残すような名バを担当してきた全てのトレーナーが直面してきた問題だ。
レースを観る者は、程度の差こそあれ走者に自らの夢を託している。だからこそ、それを支えるトレーナーには相応の実力を求めるのだ。ウマ娘の実力が高ければ高いほど、そのハードルは上がっていく。
より適切な、もっと彼女に相応しいトレーナーを寄越せと。
そんなもの、現実を知らない外野の妄言だと切り捨てるのも一つの方法かもしれないが。しかし観客を魅了することに価値をおくシービーにとっては、そんな在り方は到底受け入れられるものではないだろう。
「だがルドルフ。その台詞は君にも返ってくることを分かっているのか」
「うん。だが私と君なら、共に力を伸ばす時間の余裕はある。初年からクラシック戦線に放り込まれるよりずっとマシな筈だ。その間、君への世間からの目も逸れるだろう。『三冠バ』ミスターシービーが、いい避雷針となってくれるに違いない」
「私の悪目立ちは仕切り直しということか」
「無論、その翌年に話題を浚うのは私たちだ。大人しく身を引いたトレーナー君と、そんな君が一から育てた皇帝シンボリルドルフの二人でね」
それはそれで荒れそうというか、結局新人が運良く力のあるウマ娘を引き当てたという評価は変わらないだろうが。それでも、現状のままよりかは幾分マシか。
やはり途中から引き継ぐというのと、一から捕まえて育成するのとでは印象も違うわけだから。
「……随分とまぁ、呑気な話ね。結局、会長さんよりマシってだけじゃない。正直ルドルフじゃなくても良いんじゃないの」
「ほう、なら誰が候補となるんだ」
「そうね……ねぇトレーナーさん。どうです?こんなわけの分からない女よりも私の方がずっと安牌ですよ。お互い既に見知った仲ですし……」
「ビゼンニシキ」
「……はいはい。分かったよ、もう」
疲れたように息を吐いて、ビゼンニシキは大きく伸びをする。
尻尾の毛先までピンと真っ直ぐ伸ばして、最後にもう一度ため息を溢すと、気だるそうに椅子から立ち上がった。
「飽きたわ。私はもう先に帰ってるから」
「いいのか?"生徒会長"にどやされるぞ」
その瞬間、びっくりしたようにこちらを振り返るビゼンニシキ。
ややあって私を見つめたあと、誤魔化すように頬を指でかく。
「あ、あはは……あれ、気づいていたんですか。私が生徒会の一員だってこと」
「確証はなかったけどね。その様子を見る限り当たりのようだけど」
「ああ、カマかけでしたか。私もまだまだですね……まぁ、大丈夫です。会長さんに命じられたのは『食事中』の見張りですからね」
それでは、と一礼して颯爽と彼女は個室の外へと消えてしまった。
なんとも投げやりなものだが、しかし責められるべき謂れもない。いくら生徒会長とはいえ、全く業務と関係しない仕事を命じたシービーが悪いのだし。
と、そんな後ろ姿を見送っていたところ、不意に袖を引っ張られた。
顔を戻せばルドルフが、目を丸くしながら固まっている。
「トレーナー君……どういうことだ。ビゼンニシキが私の監視を……?」
「いや、シービー本人が来れないならその手の者を寄越すだろう普通」
「だが、彼女はまだ入学して一週間だぞ。それがヒラとはいえ、生徒会の一員なんて……」
「在校年数は全く関係ないって、マルゼンスキーも言ってたじゃないか。他ならぬシービーがまだ二年次なんだし」
ならどうしてルドルフの生徒会入りが許されなかったかといえば、万が一にもビゼンニシキの正体が露見するのを警戒したためだろう。
もっともそれも、たった今こちらが暴露したせいで台無しになってしまったが。
「意外だな。君のことだからとっくに看破しているものかと」
「いや……だとすると、ビゼンニシキが私のペアになったのも」
「偶然じゃないだろうね。おおかたシービーの仕込みだろうな」
ルドルフに対抗心を燃やすビゼンニシキは、抱き込んでスパイとさせるにはうってつけの人材だ。
シービーの目が届かない昼間においては、彼女を通じてルドルフの思惑や行動を把握しようという魂胆だったのだろう。それが上手くいったのかは不明だが。
ルドルフといえば、仲がいい(と勝手に思い込んでいた)ビゼンニシキに裏切られたことが大層ショックだったのか、ぶつぶつと剣呑な言葉を呟いている。
そういえば、ペア行動は今月いっぱいはずっと続く決まりだが。明日からどうなるんだろう……この二人。
「まぁいいか。とりあえず、話を元に戻すけど。やってることの悪どさで言えば君も大概だからな、ルドルフ」
「うん?どういうことかな、トレーナー君」
「どうもなにも、今このシチュエーションそのものだよ。まず一つに、君の格好かな」
紫のシックなドレス。
なるほど、この場の雰囲気と見事に調和しているものだ。普段よりドレスコードを意識した私の格好と相まって、お互いテーブルを挟んで向かい合ったこの光景はさぞ画になることだろう。
ようするに、かなり目立っている。悪目立ちといってもいい。
そもそも担当ですらないトレーナーとウマ娘が、平日の夜にこうして正装しながら食事に興じているのも不自然だ。きっとその気になれば、いくらでも不穏な憶測が立てられるぐらいには。
「私がマスコミに標的されかかっていることも、既に君は知っていたのに。シービーでもないウマ娘と、こんな格好でプライベートに落ち合っていたと知られたらどうなるか」
「そこは配慮しているとも。言っただろう、ここはシンボリの系列だと。私と君にとっては都合のいい場所だ」
「ちょっと違う。君にとっては……だろう」
全てはルドルフの胸三寸。
この会食を世間の目から隠匿することも可能だろうが、逆に言えば写真付きで流出させることだって可能なのだ。
そのことを私に自覚させることで、彼女の言葉に逆らうことも難しくなり……つまるところ、無言の脅迫としての意味合いを含むことになる。
そう告げると、ルドルフは再び目を丸くしながらぶんぶんと首を横に振った。
そのまま狼狽した様子で必死に頭を下げてくる。
「いや、違うんだ!決して君を脅そうだとか、そういう意図があったわけでは……うん、すまない。私の配慮が足りていなかったな」
「私の穿ち過ぎだったと」
「ああ……いや。君がそう思うのも当然だろう。だが、考えてみて欲しいトレーナー君。私には、そうやって君の信頼を損ねるメリットなんてないじゃないか」
「まぁ、そうだな」
現実として、ルドルフはこちらの機嫌を損ねるわけにはいかない立場だ。
シービーとの移籍が反故になったとしても、その後は絶対に彼女と組まなければならないというものでもないのだから。どれだけトレーナーにとって喉から手が出るほど欲しい逸材といってもだ。
前に言っていた、『今回ばかりは手段を選ぶつもりはない』という言葉がやけに引っ掛かっていたのだが……気にしすぎだったのかもしれない。
「悪かったね、ルドルフ。もう行こうか。いつまでもここに居たら迷惑だろう」
「あ……ああ。そうだな」
彼女の言いたいことはあれで全てだったのだろう。存外にもあっさりと従ってくれた。
スマホで時刻を確かめると、21時をだいぶ回ったところか。かなり時間は遅くなってしまったが、ならば尚更すぐに学園へと戻らなければならない。
今から行けば、ビゼンニシキにも追いつけるだろうし。ウマ娘の足なら踏破できない距離ではないにしても、こんな夜中に一人で夜道を走らせるわけにもいかないのだから。
◆◆◆◆◆◆◆
ホテルから出ると、春の夜風が私とトレーナー君を撫でていった。
つい先日まで、骨身に突き刺さるような冷たさだったものだが。
やはり月をまたげば幾分か和らぐそうで、目を細めてしばしその余韻に浸る。
そうしていると、ぎゅっと隣のトレーナー君が私の肩に手を回して引き寄せてきた。体温の高い私たちウマ娘とは違って、ヒトである彼にはやや冷たすぎたのかもしれない。
私の心配など必要ないのだが。でもせっかくなので、されるがまま身を委ねることにした。
まったく、トレーナー君ときたら。
こんな密着して出歩いているところを見られたら、それこそ言い訳なんて出来たものじゃない。
つい先程まで、まであれだけ周りの目を警戒していたというのに、それよりも私なんかのことを優先してくれるのだな。
きっと、シービーも彼のそういう部分に惚れたのだろう。飄々とした自由人を気取ってる癖して、根っこは随分と単純なものだ。なんて、私が言えた義理でもないか。
寄り添って駐車場に停めた車へと向かう。
途中、私たちの隣をツバメが低く掠めていった。
それにしても、彼に詰問された時にはひどく焦った。
せっかくの再会を祝して気合いを入れたつもりだったのだが、完全に裏目に出てしまったな。
ここで不興を買うわけにはいかないのだ。となると、彼の疑いがさっぱり身に覚えのないことだったのは不幸中の幸いだった。
てっきりバレてしまったのかと覚悟したよ。
悪どい、というの君の評価はなにも間違いではないのだから。
私は形振り構ってなどいられないのだ。
現状において、シービーと私とでは全く立ち位置が違いすぎる。
こちらがたった今ゲートを飛び出した直後だとするなら、向こうは既に最終コーナーへと差し掛かっている最中。
尋常でないその差を埋めるには、やはり尋常ではない手段が必要となる。
「トレーナー君…?」
はた、と彼の歩みが止まった。
どうしたものかと見上げてみると、私ではなくはるか前方を見据えている。その先を辿ってみれば、こちらに歩み寄ってくる影一つ。
学園の制服に薄手のコートを羽織って。頭に乗っけているのは白い小さな帽子。
「こんばんは。二人とも楽しめたみたいだね。残念……アタシも混ざりたかったかな」