シンボリルドルフに逆らえないトレーナー君の話   作:くまも

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奇跡を願うのなら

 

「たづなさん……!?」

 

私とシービーの声が重なった。

かの理事長秘書と、まさかこんなところで出くわすとは。

 

いや、出くわすという言葉は正しくないか。偶然ではなく明らかに彼女は私たちを目的としてここまで来たのだから。

しかもその言い分から察するに、これまでの会話の中身も聞き取られていたのだろう。通路を挟んで、彼女との間の距離はおおよそ10メートル。声を抑えていたとはいえ、喧騒のないホールであれば決して不可能なことではない。

 

たづなさんは神経質そうにハンチングを深く下ろして位置を整えると、手を腰にあてて呆然と見上げる私たちを睥睨しつつ、どこかうんざりした様子でため息を吐いた。

 

「……熟慮というのも時として厄介なものですね。あれこれ理屈を捏ね回していながら、感情だけで動くからこうして拗れるのです」

 

たんたんと、つま先で大理石の床を小突きながら、まるで聞き分けのない子供に言い聞かせてやるようにゆっくりと彼女はそう語る。

いや、事実私たちは子供なのだ。その癖あれやこれやとろくでもないことを企てたものだから、こうして事態が自らの手の平から転がり落ちてしまった。

 

「どうして、貴女がこんなところに」

 

「匿名で通報があったんですよ。ルドルフさんとシービーさんが、こんな夜遅くになって学園の外で落ち合っていると」

 

「外出届はしっかりと提出していますが」

 

「念には念を、です。お二人は、今現在の学園における重要監察処分の対象ですから」

 

そういえば、そんなことを一度だけ仄めかされた覚えがある。

結局のところ、どういった処分なのかはいまいち判然としなかったが。自分なりに解釈するところによれば。どうやら学園の側からトラブルメーカーだと認識されたということらしい。そのわりには行動を制限されたり監視がつくということもなかったので、すっかり頭から抜け落ちてしまっていたが。

 

「おかげでこんな時間まで私も張り込みですよ。まったく、厄介ごとならせめて学園の敷地内だけに収めて欲しいものですね」

 

「特に周りに迷惑はかけていませんよ。あくまでトレーナー君と一緒に食事をして、それからシービーと話をしていただけです」

 

「ええ、そうでしょうとも。いっそのこと、目に見える衝突の一つでもあれば、かえって我々としてもやり易いのですが」

 

ゆるゆると首を振りながら、中々にとんでもないことを言い出すたづなさん。彼女のような管理する立場の者からすれば、裏でこそこそとやられるよりも目につく場所で動いてくれた方が扱いは簡単なのだろうが。

 

同じく管理者であるシービーといえば、少々ふて腐れた様子で頬を膨らませている。子供扱いされたことに拗ねているのか、それとも生徒会長である自分が完全に事務方の管理下に置かれていることへの不満か。

そんな彼女に一瞥をくれると、たづなさんはその襟首をむんずと掴んでソファから立たせ上げた。床にほっぽられた鞄を押し付けると、同様に私もまた力ずくで引っ張り上げられる。

ただでさえ女性としてはそれなりに背丈に恵まれた彼女であるが、それ以上に膂力が半端ない。いくら同じウマ娘といえども、まだ本格化も迎えてすらいない私たちでは片手で制圧されてしまった。そのままずるずると、ホールを横切って出口へと連行されてしまう。

 

「た、たづなさん……まだお話は終わっていないんだけど……」

 

制服の襟元を絶妙な力加減で絞められたシービーが、息も絶え絶えに辛うじてそう抗議した。

最初こそどうにかたづなさんの拘束を外そうともがいていたが、その内抵抗すればするほど逆に圧力が強まると悟ったらしく、今は大人しく流れに身を任せている。それでもせめて、なんとか口だけでも文句を言っておきたかったというところだろうか。

 

「必要ありません。言ったでしょう、詮無きことだと。これ以上なにを話したところで無意味ですから」

 

「だ、だけど。せめて、今後の方針ぐらいは擦り合わせておかないとさ……」

 

「擦り合えば良いですけどね。果たして今日中に決着がつくのかさえ不明ですが。それに……そもそもそれについても、やはり先程申し上げた通りですよね」

 

好奇の目でこちらを見送るフロントに会釈をくれた後、たづなさんは私たちを引き摺りつつ地下駐車場へと続くエレベーターへと向かう。

途中、それを察したシービーが陸に打ち上げられた魚の如く猛烈に抵抗したことで、仕方なく私たち一行は遠回りのエスカレーターを使うことになった。正直この状態でトレーナー君と顔を合わせるのも大変気不味いので、私としても極力ゆっくり移動するのは賛成だったが、しかしそれもただの問題の先送りに過ぎないのだと思い直して反省する。

 

しかし、そんな私の内心が顔に出ていたのか、即座にたづなさんによって否定されてしまった。

 

「トレーナーさんならもうここにはいませんよ。ビゼンニシキさんと一緒に、既に学園へと戻ってもらっています」

 

「そうですか、ビゼンニシキと……。なら、私たちはどうして駐車場に……」

 

「私の車があるからに決まっているでしょう。いくらウマ娘といっても、中等部の学生を二人きりで帰らせるつもりはありませんから。その点では、私もトレーナーさんの考えに賛成です」

 

「あ、ありがとうございます……?」

 

「どういたしまして」

 

にこりと、あのいつもの営業スマイルで微笑んでくれるたづなさん。

 

ところで、そろそろ私も呼吸がキツい。

わりと余裕のある制服のブレザーならいざ知らず、今身に付けているのは体にぴったりと張り付いた形のドレスなのだ。こちらもまた力加減こそされているものの、そのままずっと歩くとなると流石に苦しい。

 

「た、たづなさん……そろそろ、離してくれませんか?逃げませんから」

 

降伏の意を込めて襟を掴む腕をタップすると、ようやくそれから解放される。

まぁ、元から逃走する気などさらさら無かったのだが。ただでさえ地力が違う上に、どう見ても向こうの方が走りやすそうな格好だし。それにたとえ逃げ切れたとしても、学園に戻れば否が応にも顔を付き合わせる羽目になるのだから。

 

地下一階のホールに降り立ち、私とシービーに一息入れさせるたづなさん。

ジャケットの懐からウマホを取り出し、なにやら片手でタップを繰り返している。理事長にでもメッセージを送っているのだろうか。そういえば、彼女はあくまで仕事としてここに来ているのだったな。

 

普段から残業上等な理事長秘書という仕事ではあるものの、それでも22時を目の前に控えたこの時間であればとっくに終業している頃合いだろうに。それをわざわざこんな場所まで出張させられたというのだから、ちょっとぐらい扱いが厳しくなるのも甘んじて受け入れるべきなのかもしれない。

私と……きっとシービーもちゃんと届け出はしてあるので、手続き上は責められるべき謂れはないのだけれども。ただ、いざ自身の言動を振り返ってみて、清廉潔白だと胸を張れるかと言われれば大いに疑問は残る。

 

一通りの報告も終わったのか、たづなさんがウマホを元に戻したところで、完全復活したシービーが彼女に食って掛かった。

 

「それで、さっきの続きだけど。走れば良いってどういう意味なの?」

 

「そのまんまの意味ですよ。速い者勝ちです。担当のスカウトという観点でいえば最も妥当な決着ではないでしょうか」

 

手荒な扱いに憤ったのか、尻尾を逆立てながらいきり立つシービーを涼しい顔でいなしながら、たづなさんはあっけらかんとそう言い放った。

 

確かに、ウマ娘はより技量のあるトレーナーを、そしてトレーナーはより実力のある……競争で勝てるウマ娘を狙うというのがスカウトにおける大原則だ。それに基づいて、定期的に学内選抜レースが執り行われているのだから。

当然そこには例外もあり、他ならぬ私とシービーがまさにそれだったのだが。しかし行き詰まってしまった今となっては、いっそのことその大原則に立ち戻ってみるというのも一つの考え方ではある。

 

「来月の始めに、今年も最初の選抜レースが開催されます。ルドルフさん、伴走という制度は知っていますか?」

 

「はい。走者が希望し相手方の同意があれば、ペースメーカーとして別のウマ娘を伴走バにつけられる制度……ですよね」

 

選抜レースにおける特殊ルールの一環として、学園入学前に予習していたものである。

 

トレセンに入学してくるウマ娘であれば、既にレースを走るという経験そのものは済ませている場合が殆どである。

とはいうものの、入学後における選抜レースで走者にのしかかるプレッシャーは、トレーニングとして行う並走や地区大会程度の競争とはまるで別次元のものなのだ。

なにしろそこで結果を出せない限り、担当トレーナーがつかずデビューすら叶わないのだから。入学試験という日本最難関を乗り越えた直後の試練であり、その結果次第でこれまでの努力も競技ウマ娘としての将来も全て水泡となると考えれば、緊張するなというのは土台無理な話である。

 

そのために設けられたのがこの伴走制度。

中等部二年以上の生徒が伴走バとなり、選抜レースを走る走者たちのペースメーカーとしての役割を果たしてくれるものだ。それによって新入生にとっては"いつも通り"の走りを思い出すことができ、スカウトする側のトレーナーもまた、ウマ娘たちの本来の実力についてある程度見極めがつけられるというメリットがあった。

選抜レースでは複数の新入生が同時に走ることとなり、それぞれが希望を提出するので、食い違いがある場合は学園の側が調整を挟むこととなる。故に、必ずしも希望通りの伴走バにあたるとは限らないのだが、私の場合は心配いらないだろう。

こういう時にこそ席次が優先されるわけだし、先導となる以上、並走バは新入生と比較してより高い実力が求められるのだから。本年度の総代たる私には、昨年度の総代であり尚且つ現状において同期のトップであるシービーがあてがわれるのが自然だろう。

 

「はい、その通りです。直接対決としてはお誂え向きでしょう。なにしろ学園中のトレーナーに実力を見せつけるための場において、その勝敗がはっきりとするわけですから」

 

「アタシが負ければルドルフに担当の座を譲るってことね。推薦移籍を反故にして」

 

後半をやや強調しながら、シービーはたづなさんからの提案を反復する。

 

「そうなります。シービーさん、推薦移籍における第三要件を覚えていらっしゃいますか」

 

「たしか、『当該移籍を行うにおいて、対象となるウマ娘が十分な能力を備えていること』だったっけ?」

 

「正解です。流石は現生徒会長ですね……そう、そして例えばの話。貴女がつい先月、学園に足を踏み入れたばかりの新入生にレースで敗れたとしたら」

 

「……言い訳はきかないだろうね。他の子ならともかく、アタシの場合だと」

 

選抜レースにおいて、新入生が伴走バを追い抜かすという事例は、珍しくはあるものの決してないわけではない。

それは単純にモチベーションやレースプランの問題で、とにかく担当を捕まえるために全賭けしている新入生と、今後に別のレースを控えている上にそもそも選抜で結果を残す意味もない伴走バでは全く事情が異なるからだ。

新入生にとっては、いくら相手が全力ではないといえど、上級生に先着出来ればこれ以上ないアピールになることから真剣に一着を狙いにいく。逆に伴走バの場合、下級生に負けたくないというプライド以外に勝利に拘る理由がない。

 

それこそかのシンザンの場合、毎回最後の直線は流して新入生に譲っていたという噂すらある。ただし、それでも彼女の格がちっとも落ちなかったのは、やはり戦後初の三冠という揺らがない実績の賜物だったのだろう。

この計画に沿うとして、シービーが私と直接相対するのは皐月賞のみを終えたあとのこと。そこで彼女が一冠を手にしていたとしても……いや手にしていたなら尚更のこと、デビューすらしていない私に負けるわけにはいかない。なにしろこのクラシック戦線において、彼女は瑕疵なき最強を狙うのだから。

 

たづなさんの言葉はあくまで脅しである。

走者として挑むならともかく伴走として付き合うに過ぎない選抜レースで負けたとしても、それだけで推薦移籍の効力が失われることはないだろう。そもそも、理事会が既に要件の充足を認めて判を押しているわけなのだから、そんなことで覆る筈もない。

それでも、シービーにとっては致命的なダメージとなる筈だ。ただでさえ、トレーナー君と組んだ先のレースに自信を持てないでいるわけだから。

 

「まぁ、そんな細かいことは別に気にしなくてもいいです。より速い者、一番でゴール板を駆け抜けた者が全てを手に入れる……それが競技ウマ娘の世界でしょう。なら、それに殉じてみては如何でしょう」

 

「随分とまた、割り切ったものの考え方をするものですね」

 

「そういった生き方を忘れられないものでして。私とて、自分を負かした相手、自分より速いウマ娘の言うことには従います」

 

それは本心か冗談か。

彼女の飄々とした態度からは、残念ながらその本心を汲み取ることが出来なかった。

 

ただ、その提案については悪くないと思う。

どうしようもなくぐちゃぐちゃに絡まった糸の塊は、ほどくよりいっそのことすっぱり切ってしまった方が最善なのだとかつて母も言っていた。その方が後腐れがないのだとか。

今のまま私とシービーがにらみ合いを続けたとして、来月までに落とし所が見つかるとは到底思えない。そもそもこれはレースと一緒だ。定員一名、勝者総取りの戦いであるから、最初からwinwinの結末など在りはしないのだ。

いずれ決着をつけないといけないならば、担当契約を争う選抜レースはそれに相応しい舞台だと言えよう。

 

そう考えてシービーの方を窺うと、彼女もまた私の方を眺めていた。こちらの覚悟が決まったとみるや、僅かに頷きを寄越してくる。

そうだったな。彼女は私から挑戦を受ける立場に他ならないのであって、引き下がるという選択肢そのものがないのだろう。

シービーはここで私をきっちりと負かし、たとえ周りがなんと言おうが、トレーナー君に相応しいウマ娘は自分しかいないのだと証明しなければならない。他の誰でもない、自分自身に対して。

 

きっと、かつてのシービーであれば、こんな勝負に乗らずとも自分こそが彼の担当ウマ娘に値すると、そう自信を持って宣言出来たのだろうが。

その自信が揺らぐきっかけとなったのは、きっとあの雑誌で示したどうしようもない現実だ。だとすれば、あの拙い策略にも一定の成果はあったのかもしれない。

 

「決まりですね。ルドルフさんには不利な勝負となるでしょうが……それも、推薦移籍に割り込む代償だと思って下さい」

 

「逆にアタシとしては、一度内定の出た移籍に茶々が入って散々なんだけどね」

 

「内定はあくまで内定です。辞令はあくまで移籍の許可であって、それを強制するものではないのですから」

 

トレーナーとウマ娘の担当契約など、どこまでいっても当事者同士の問題なのだ。

相性というのは分からないもので、一見不釣り合いでもウマが合うような場合もあるし、その逆もまた然りである。故に理事会であろうともそれを強制は出来ず、推薦移籍でも特別移籍でも、あるいは通常の移籍でもその全てが許可という形に収まっているのだ。とどのつまり、その後の状況如何によってはいくらでも覆る余地はある。

 

それは移籍先との関係の悪化だったり、古巣との兼ね合いだったり、今回のように世間からの反発だったり。

たづなさんの言うとおり、内定はあくまで内定であり、シービーとトレーナー君へ許可したに過ぎない。それが正式に行われることまでを保証するようなものではなく、実際に私という邪魔者が出てきてしまった。彼女はトレーナー君との契約を得るために、いま一度勝負に臨まなくてはならなくなった。

 

それに対して、シービーに申し訳なく思う気持ち確かにはある。

 

だが、ここで譲るつもりはさらさらない。

以前、トレーナー君に語ったように。なにもかもを踏みにじってでも、私は絶対に彼を手に入れると決めたのだから。

いや、とっくの昔から私のものだったのだから、手に入れるというのもおかしな話か。ここは手放す気は毛頭ないと言うべきだろうな。

 

「ふぅ………」

 

丸く収まる兆しが見えて安心したのか、ほっとした様子のたづなさんを尻目に私は大きく嘆息する。

ずっと、鉛のように肩と胃にのし掛かっていた重みが少しだけ軽くなったような気がした。

 

とりあえず、シービーについてはなんとか突破口を抉じ開けることが出来た。

言うまでもなく彼女は強敵だ。格上という未知の相手。いつだって私は誰かの挑戦を受ける立場で、自分自身が挑む側に立たされたのはこれが初めてとなる。かたや19年振りの三冠を期待される学園のエースであり、かたやつい先日入学してきたばかりの無名の一年生。あまりにも勝ち目の薄い戦いだが、それでも勝つしかない。

まだまだ肩の荷を下ろすことは出来ないものの、彼のサブトレーナー時代を共に過ごし、既に移籍の許可までをも得ていた彼女と勝負の土俵に上がれただけでも上々だろう。

 

あと問題となるのは、トレーナー君の翻意をどう促すかだ。

これについてはもうやれる事はない。こちらの気持ちは十分に伝えた。あとは夕食の席で訴えたことを、彼がどのように受け止めるかに賭かっている。

あの記事による世論操作もあるにはあるが、あまり効果は望めないだろう。世間は関心を持ちながらも、取り立てて熱くはならず静観の立場を崩していない。私自身がそうなるように調整したのだから。

 

結局、最後はトレーナー君次第となる。

たとえ私がシービーとのレースに勝ったところで、それにより引き下がるのは彼女だけであって、トレーナー君自身の意思にはなんの関係もない。それでも彼がシービーとの契約を熱望するなら、彼女はきっとそれを拒めないだろうし、そこに私が割って入れる余地もないのだから。そうならないことを、私は天に祈ることしか出来ない。

 

 

「さ、いい加減帰りますよ。寮の消灯まで猶予がありませんからね……ああ、これは貴女方には関係ありませんでしたか」

 

そう告げて、さっさと駐車場へ出る自動ドアを抜けていくたづなさん。

その背中に気のない返事を投げかけながら、私とシービーは後に続いた。

 

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