シンボリルドルフに逆らえないトレーナー君の話   作:くまも

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ひとときの寄る辺

「トレーナーさんウマ娘といちゃいちゃし過ぎじゃないですか!!」

 

かぁんと高らかな金属音を打ち鳴らして、空になった缶チューハイをテーブルに叩きつけると、たづなさんは据わった目で対面に座す私を指差してくる。

ほんのりと紅潮した頬に、どこか落ち着きなく頭を揺らすその姿は、どこからどう見ても酔っぱらいのそれだった。

本来であれば、こういう手合いは関わらずに放置しておくのが吉なのだが、流石に風呂と寝床を借りている身としては家主をそう無下に扱うことも出来ない。

 

びしっと突き付けられた人差し指をそっと退かして、つまみとして広げていたさきいかの先っぽを一口囓る。

……彼女がここまで荒れているのを見るのも久し振りだった。滅多に酔わないぶん、一度酔うと滅茶苦茶タチが悪くなるのだ。思うに、こうして精神のタガを外さなければ満足に不平不満を吐き出すことも出来ないのだろう。

クソ真面目というか、どこまでも不器用というか。公私をはっきり区別しているのは素晴らしいことだとは思うが、それには適度なストレス発散が不可欠だ。それを酒に頼るのが悪いことだとまでは言わないものの、見ていて心配になることには変わりない。

 

それでも日々をやりくりしているのは、理事長秘書という仕事に対する遣り甲斐と、彼女の誇る圧倒的なバイタリティのおかげか。

後者はとりあえず置いておくとして、遣り甲斐だけで身体を使い潰すのは如何なものか……などと、それを中央トレーナーが口にしても全く説得力はないかもしれないが。

六平トレーナー曰く、これでも数十年前と比べれば私たちの負担は大幅に軽くなっているらしい。昔は理事会やURAとの折衝まで課されていたところを、生徒会の設立によってそちらに一任されたからだとか。

 

そういう部分でもまた、私は彼女に感謝しておくべきだろう。

逆に、シンザンを筆頭とした生徒会のお歴々からはそこそこ恨まれていそうではあるが。

 

「なに黙ってるんですか!!もう、聞いてるんですかトレーナーさん!!」

 

「こんな時間に大声出したら迷惑ですよ。ここ集合住宅なんですから」

 

「ご心配なくー!!防音完璧ですから!!」

 

寝巻きの穴から飛び出した尻尾が、ばしんばしんと力強く床を叩いた。運悪くその射程範囲内に転がっていたぱかプチが、勢いよく撥ね飛ばされてバウンドしながら壁に激突する。よく見れば、生地の部分に斬り裂いたような一筋の傷痕が走っており、おもわず背筋を震わせた。

主に飛んで来る虫を叩き落とすのが役目だとか言われているウマ娘の尻尾だが 、それにしてはえらく威力過剰な気がする。あるいは彼女だけが特別なのだろうか。

 

「そう言われましても。別に、誰ともいちゃついてなんかいませんが」

 

「現在進行形で二人も自分の家に泊まらせているじゃないですか。同棲ですよ同棲。まったくふしだらな」

 

「仕方ないでしょう。彼女らには帰る場所がないんですから」

 

まぁ、それも自分たちから破壊したのだが。

 

先輩から連絡を受けた翌日私もその現場を覗き、実際なんとも筆舌に尽くしがたい凄惨な有り様だった。それでも風の噂によれば、あと数日で復旧も完了するということなので、たづなさんが同棲と呼ぶこの生活も残り少しの付き合いである。

 

「甘いですね。私が現役の頃ならああいう跳ねっ返りは容赦なくお外に放り出していましたよ」

 

「あんまり昔の話をするもんじゃありませんよたづなさん。歳がバレますからね」

 

「なんだとぉ……!!」

 

ぐしゃりと、まるでいらないペーパーでも丸めるように彼女の手の中で小さくなっていくビール缶。ピンポン玉大のサイズにまで圧縮されたところで、ノールックで部屋の隅にあるゴミ袋の中に投げ込まれる。

その手際の良さから察するに、これまでにも数え切れない程の空き缶が同じ憂き目にあってきたのだろう。とりあえず、先の発言については謝っておくことにした。

 

「すみませんでした。次からはちゃんと言葉を濁します」

 

「ふん、いいですよ。えぇ、どうせ私は年増ですから、若い人のトレンドなんて理解出来ませんとも!!」

 

ぶつぶつとぼやきながら、彼女は延長コードでコンセントに接続した1ドアの小型冷蔵庫を開き、おもむろに次を取り出しにかかる。

 

少なくとも、ウマ娘を自分の部屋に招くのはトレンドでもなんでもないことは確かだった。

とは言えルドルフとシービーにも居候の自覚はあるのか家事については手伝ってくれるので、意外と言っては失礼かもしれないが、結構助かっている部分もある。

中等部ぐらいのウマ娘ともなれば、見た目の細さに反してそこらの成人男性よりよほど腕力と体力を兼ね備えている。そこに彼女たちの人並み以上な器用さが加わることで、一人暮らしについて回る面倒な作業も簡単に片付けられるのだった。

 

袋のチャックに引っ掛かっていた、最後のさきいかの破片も咀嚼して飲み込んだところで、床に手をついてリビングの中をぐるりと見渡す。

 

なんとも生活感のある部屋だ。

几帳面なたづなさんらしく、全体的に見ればかなり綺麗にまとまってはいるものの、所々に手が回りきらなかったらしき妥協の結果も垣間見える。それこそ、折角用意されたスタンドにかけられるわけでもなく、剥き出しのまま口を開いて放置されているゴミ袋とか。

たしか府中市は空き缶はカゴに入れて出す規定だった気がするし、そうなると二度手間のような気もするのだけれど……いや、人様の生活スタイルに口を挟んでも仕方がないか。

 

その横を、のっそりとマイペースに這っているのは、黒塗りの全自動ロボット掃除機……通称ルンバである。

なんでも、ウマ娘はヒトと比べて毛の抜け変わりが著しいぶん、こういった機械のサポートが大変重用されるんだとか。思えば今は換毛期であり、私の寮部屋も二人ぶんの抜け毛が目立っていたような記憶がある。

 

いかにも仕事人らしい、とりたてて目立つものもない至って普通の部屋だ。が、逆にその目立つものがないことが妙に引っ掛かる。

彼女のことだから、てっきりトロフィーや賞状の一つぐらいは飾ってあると思っていたのだが。全て目につかない奥にしまってあるのだろうか。とても名誉なことであるから、ああいうものは誰かに見せつけるように置いておくのだと思っていたのだけれど。

 

単純に、彼女がそういう自己顕示を嫌う性格なだけなのかもしれない。

しかしどうしてか、私はそこに得体の知れない慙愧じみた念を見出だしていた。過去を顧みないというよりは、過去そのものに蓋をしているかのような――――

 

「トレーナーさん?聞いてます?」

 

「えっ……あ。はい。そうですね、私もそれには賛成ですよ」

 

「やっぱり聞いてない……もう、これじゃあいつも通りルンバに話しかけているのと変わらないじゃないですか」

 

「すみません。ええっと、たしかシービーとルドルフがどうとか」

 

右から左に受け流していた中でも、一応その名前が出されていたような記憶が薄ぼんやりとある。

 

「そのお二人のどちらを選ぶつもりなのかって話ですよ。なあなあで誤魔化せる話ではありませんよ」

 

「それは、そうでしょうが……」

 

そんなことは十分に理解している。

だとしても、ここですんなりと答えを出せるようならここまで苦労していない。ただ、なんとなくの道筋については一応頭の中にはあった。

 

「……とりあえず、皐月賞の結果次第でしょうか。指揮を取るのは先生ですが、そこで己の実力の多寡を測ることは出来るでしょう」

 

「クラシック戦線においての、ですか」

 

「はい。やはりG1ですから、同じ重賞とは言え弥生賞や共同通信杯とはわけが違いますし」

 

「共同通信杯。あれももう二ヶ月前ですか」

 

どこかしみじみとした様子でたづなさんは頷く。やはり彼女のことだから、特別思いを寄せているものなのだろうか。

 

かくいう私にとっても、共同通信杯はかなり思い入れのあるレースだった。

新バ戦、黒松、ひいらぎと来てようやく挑んだ重賞であり、同時に私にとってもシービーにとっても初めてとなる重賞制覇となったからだ。前走における雪辱を果たしての堂々たる勝利であり、思えばシービーに対する評価もあれが決定づけたのかもしれない。

 

「ひいらぎ賞は口惜しい限りでしたね」

 

「勝負とはそういうものですから。それにある意味では、シービーの難点を早々に発見出来たわけですし」

 

それこそクラシックの舞台で初めて露呈するよりは、あそこで対策を済ませられたぶん意味があったと考えるべきだろう。

 

彼女の言うとおり、史上初の無敗三冠の夢が夢幻に立ち消えたことは今でも歯痒くて堪らないが。

シービーにそのポテンシャルがあるとなれば尚更のこと。それでも、一年目というのは本来そうして敗北と調整を繰り返し、担当の特性を把握していく時期である。二年目以降を見据えた投資期間と言ってもいい。

最初から完全な存在などありはしないのだ。だからこそ、誰もが無敗という在り方に惹き付けられるのだろう。未だ前人未到の境地ではあるものの、そこに指をかけたウマ娘は確かに存在した。

 

そう考えると少しだけ面白くなってきて、どこか揶揄うように彼女へ問い掛けてみる。

 

「やはり貴女にも拘りがありますか。遺憾なき常勝、無敗の三冠という称号には」

 

「さぁ?生憎、私は事務方一筋。レースを走ったことなどありませんので」

 

いつもの誤魔化し文句を宣いながら、たづなさんはちびちびと缶を傾ける。

 

その背後。

カーテンが開いたままの大窓の向こうには、ぽつぽつとした街並みの灯りが揺らめいている。蒼白い光が漏れこんでくる中で、バケツをひっくり返したようなどしゃ降りは既に鳴りを潜めていた。このぶんなら、あと数時間も経てば収まるかもしれない。

 

この時期だから、やはりトレーニングは屋外でやっておきたい。

春らしい陽気も悪くないが、シービーの好みを考えると多少天候が崩れバ場も荒れていた方がかえって捗ることだろう。豪雨は御免被りたいが、このぐらいの小雨だったらもうしばらくは続いていて欲しいものだ。皐月賞の本番もまた、こんな調子だったらありがたいことこの上ないのだが。

 

念のため、屋内と屋外の両方のメニューについて頭の中で見直しと再構築を行っていたところ、いつの間にか、テーブルの下に潜っていた彼女の尻尾が、するりと私の足首に絡みついてきた。

さらさらとした毛ではあるものの、あまりの締めつけの強さに脱出することは叶わない。

 

「なんですか」

 

「逃がしませんよ」

 

……言われなくとも、既にシャワーも浴びたこの状況で学園まで帰れるはずもあるまいに。

 

とりあえず足を封じられてしまった私は、どうにか上体だけを伸ばして小型冷蔵庫から新しい一本を取り出す。

途中、電流のような痛みが左脇腹から腹直筋にかけて走り、思わず顔をしかめて呻いた。

 

「大丈夫ですか?」

 

「はい……ちょっと、つっただけです。多少無茶しただけでこうなるなんて。これは私ももう歳ですかね」

 

「嫌みですかそうですか」

 

「違いますって……」

 

お互い缶を片手に言い合う。

そんな私たちの少し隣を、ルンバがマイペースに通過していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ"~………」

 

翌朝。

私はばさばさと頭を掻きながら、ネクタイを揺らしつつ玄関へと向かう。

 

眠気が残っているわけではないが、どうにも頭が重たい。懐かしい……以前にもこんなことがあった気がする。

 

起きてからもう一度シャワーを浴びたことで、僅かに残っていた酒精については完全に洗い落とすことは出来た。

ただ、起床時間があまりにも早すぎる。まだ朝陽が顔を覗かせてすらいないのだから。一応は他人の家ということもあって、緊張や遠慮の気持ちが私の中にも残っていたのだろうか。風呂場を二回も使ってる時点で今さらだと思うのだけれど。

 

「たづなさん……は、いいか」

 

せめて、挨拶ぐらいはしておくのが礼儀だろうが。

しかし、ただでさえ忙しい彼女をこんな朝っぱらに叩き起こす方がよっぽど失礼に思えてならない。とりあえず戸締まりだけはしっかりとしておいて、後で学園で見かけた時に声をかけておけば十分だろう。

 

リビングと廊下を抜けて、玄関へと向かう。

 

チェーンを上げて、鍵を回してノブを引いた瞬間、反対側から強い力でドアを引っ張られた。

 

「なっ!?」

 

バランスを崩し、突き飛ばされるように部屋の外へと倒れ込みかけたと思ったら、不意に柔らかいものに抱き止められる。

 

「ふむ。おはようトレーナー君。こんな朝早くから元気だな」

 

「ね、だから言ったでしょ。この時間ならちょうど起きたところだって」

 

上から降ってくるのは二人ぶんの少女の声。

私を抱き締めているのはルドルフか。そのすぐ隣に立っているシービーが、なにやらこちらを囃し立てている。

 

とにもかくにも、このままでは息苦しいのでルドルフを突き放そうと試みた直後。かえってウマ娘の膂力でますます強く抱き締められ、もっと呼吸が苦しくなった。

 

 

……ああ、こんなことも以前あったような気がするな。

 

 

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