シンボリルドルフに逆らえないトレーナー君の話   作:くまも

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記者たちのロンド

皐月賞。

 

クラシックにおける初戦であり、最も速いウマ娘が勝つと称されるレースでもある。

本年度における最初の関門として、ついに私たちはこの日を迎えていた。

 

四月も第三週を折り返す手前だというのに、朝から降り続いている雨のせいかどうにも肌寒い。

スーツの上から袖を通したレインコートの裾をぴったりと身体に巻き付けつつ、東京レース場の観客席の間を縫って歩く。ぱしゃぱしゃと、コンクリに溜まった雨水が跳ねてズボンの端を濡らしてしまった。

 

「転ばないでくださいよ。ここでは、貴方も見られる側なんですから」

 

「はい、先生」

 

私の足取りがあまりにも見ていて拙かったのか、左手に並んで歩く先生にそう釘を刺されてしまう。

彼女も同じくレインコートを羽織っているが、その頭頂部に開けられた穴から飛び出したウマ耳が、ぴょこぴょことせわしなく周囲の様子を窺っていた。同じく外に解放された尻尾もまた、気忙しく縦に横にとゆらゆらしている。

 

「これまた大した人の数ですね。荒れた天気だというのに」

 

「悪天候である程度人の捌けた結果が現状だということでしょう。これでもまだマシな方なのだと思いなさい」

 

「分かりました」

 

私たちの歩いている通路は、スタジアムのちょうど真ん中あたり。

見上げても見下ろしても、興奮冷めやらぬ観客がところ狭しと席を埋めている。屋外のレース場ですらこれなのだから、中継越しに観戦している者も含めれば一体どれだけのファンが注目を寄せているのだろうか。

先生の見られる側という言葉の意味が、今さらながらに現実のものとして重くのし掛かってくる。

 

フードですっぽりと頭を覆っていることもあってか、目の前を行く私たちの正体について気づく者はいないことだけが幸いだった。

やや顔を伏せがちにしつつ、足早に最後の一ブロックを通り抜けて、関係者以外立入禁止と大きく書かれた鉄扉に辿り着く。

脇に控えるURA直属の警備員に身分証を提示すると、すんなりと中へ通してもらえた。

 

「ふぅ……」

 

目深く下ろしていたフードをはね除けて、水滴の絡みつく前髪を掻き上げながらほっと一息。

先生に至っては、ぶるぶるとプールから上がった犬のように全身を盛大に震わせている。やはりウマ娘の肉体的構造上、レインコートによる窮屈さや不快感はヒトのそれとは比べ物にならないのだろう。

 

しばらくそうして水気を払った後、下へと長く伸びる階段を肩を並べて下っていく。

続く先は、レース場の地下一階にある控え室だ。パドック入り直前の出走者たちは、そこで最後の調整を行うこととなる。

調整といっても、せいぜい作戦の最終確認や衣装の点検程度しか出来ることは無いのだが。あとは、最後にトレーナーが激励の言葉をかけてやるぐらいか。

 

「そう言えば、シービーのオリジナル勝負服は今日が御披露目でしたね」

 

沈黙がどうにも居心地悪く感じて、数段先を進んでいく先生の背中にそっと声をかけた。

 

共同通信杯はG3であり、皐月賞へのステップアップである弥生賞はG2の格付けである。

競技ウマ娘が固有の衣装を身につけて走れるのはG1レースだけなので、シービーにとっては今日こそがその初舞台となるのだ。

これだけファンが詰めかけたのは、彼女に限らず出走者の大半が初めて披露することとなる衣装を直接見たいという思いもあるのだろう。なにせ、汎用勝負服の頃からずっと応援してきたわけだから。

 

もっとも、私たちは既にシービーのデザインを知ってしまっているのだが。

というよりデザインの考案から採寸、届けられた実物の調整にライブを想定したリハーサルに至るまで全て携わってきたのだから、嫌でも記憶にこびりつている。

 

「競技ウマ娘にとっては、固有の勝負服を着て走れることそのものが誉れですからね」

 

「そういえば、先生も皐月やダービーに出走していましたっけか。どんな衣装か一度見てみたいです」

 

「構いませんが、引っ張り出すのも手間なんですよ。勝負服はウマ娘にとって魂そのもの。そうそう無下に扱うわけ………に、は……」

 

はた、と階段を下りきった彼女の足が止まった。

 

蛍光灯で明るく照らされた廊下の先、なにやら影が伸びている方向をどこか唖然とした様子で見つめている。

やや遅れてそこに合流してみると、一体なにを見つけて固まっていたのか私にもようやく理解出来た。

 

「おっ、二人とも。雨の中お疲れ様ね」

 

そうウインクを飛ばしてくるシービーは、まさしく白と緑を基調とした専用の勝負服を着込んでおり、そして全身から盛大に雫を撒き散らしている。

いつもなら毛先が跳ねているはずの彼女の長髪は、たっぷりと水気を含ませたことで身体に張りついてしまっていた。

 

両の手はがら空きで、雨具の類いをどこにも携帯している様子はない。

いや……台風の真っ只中でもないんだから、たとえ雨ざらしで歩いていたとしてもこうはならないだろう。

さてはこいつ、走ってきたな。ぐっしょりと濡れそぼり、白地に泥を跳ね散らかしたその姿はまさしく。

 

「……捨て猫ですよ。ああ、グッドルッキングホースガールの面影がこれでは……」

 

「………………」

 

レース後に勝負服が汗と泥に汚れるのもそれはそれで激闘の華があるし、シービーの場合であれば殊更絵になるであろうことは間違いないのだが。

しかし、こんなレースが始まる前から、ここまで滅茶苦茶になってるのは前代未聞だ。ましてや彼女は本日一番の注目株だというのに、この有り様でどうパドックに出せと。

 

そう嘆く私を他所に、黙り込んでしまった先生。

ゆっくりとその耳が倒れ、にわかに肩を震わせながら二歩三歩と距離を詰めていく。やや表情を強張らせながら後退りするのを見届けた直後、さらに大きくもう一歩。

 

あと数メートルで手が届く距離まで詰め寄ったところで、突然泥んこシービーの背後からなにかが飛び出してきた。

あっという間にシービーと先生の間に割り込むと、逆にこちらに向かってずんずんと距離を詰めてくる。

 

「シンボリトレーナー!ご無沙汰しております乙名史です。本日のレースの展望について、少々お時間を頂ければと!」

 

「久し振りですね。ええ、構いませんが、その前に私はこの子と大事なお話をしなければ……」

 

「なるほど。カツラギエースさんにミスターシービーさんにと、パドック入り前の僅かな時間すら逃さず全ての担当に闘魂注入のエールを入れ熱い抱擁を交わすのだと!素晴らしいですっ!!」

 

「え、ええっと……」

 

手帳とペンを振り上げながら、なにやらいたく感極まった様子で咆哮を上げる女性と、その気迫に圧されてたじたじと私の前まで後退してくる先生。

 

おお、凄い。

この乙名史とかいう人物、恐らく記者なのだろうが、あそこまで掛かった先生を真正面から打ち破り圧倒するとは。

シービーもまた、目の前で繰り広げられる光景を目を丸くしながら見守っている。ふと目があったので、とりあえずシャワーで泥を落としてくるようジェスチャーで指示すると、颯爽と廊下の反対側まで走っていった。角を折れ曲がり、私たちの視界からいなくなる。

 

それを見送っていたところ、くいと先生にシャツの袖口を引っ張られた。

両腕でどうにか乙名史記者の進撃を食い止めながら、顔だけをこちらに寄せてそっと耳打ちしてくる。

 

「……とりあえず、貴方は上階の観客席に戻っていなさい。ここは私がどうにかします」

 

「ですが、記者対応なら私も同席するべきなのでは……?」

 

「その通りですが、しかし今の貴方の手に負える相手ではありません。とんでもなく厄介なのです。いつぞやの不良記者とはまるで年季が違いますから」

 

行きなさい、と肘で私を突き飛ばす先生。その一瞬の隙を決して見逃さず、さらに半歩踏み込んでくる乙名史記者。

猛者同士の叩き合いに、私が割り入る余地など最初から存在しないらしい。

 

 

健闘を祈りつつ、下りてきた階段を再び引き返す。

地上に向かう途中、あの「素晴らしいですっ!!」の雄叫びが何度も背中から響いてきた。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

びゅうっと、湿った一陣の風が正面からぶち当たる。

下ろしていたフードがふわりと捲れ上がりそうになって、慌てて深く深く目もとまで引きずり下ろした。親指と人差し指で強く抑え込んで、どうにか突風をやり過ごした。

危ないところだった。このスタジアムで自らの顔を晒す危険性を、私はこの数十分の間に骨身に染みて理解していた。

 

あの乙名史とかいう記者は、かなりのやり手であったらしい。そして有名人でもあるそうだ。トレーナー界隈だけでなく、マスコミ界隈においても。

 

なんでも、ネタを巡る嗅覚が鋭い上にやたらと目立つものだから、彼女の後を追うとかなりの確率でスクープに出くわすのだとか。

実際、今回も厄介な先生を乙名史記者が捕えたことで、フリーになった私が一斉に他の記者に群がられることとなった。話を聞く限り、どうも彼らは最初から私を標的としていたらしい。

それも当然か。一筋縄ではいかない先生の相手をベテラン記者にやらせて、自分たちは新米のひよっ子をつついた方が成果がデカいに決まっている。しかもソイツは、最近になってやたらと衆目を集めているのだから。

 

「疲れた…」

 

なにが私を苦しめたのかといえば、それは群がってくる記者一同もまたベテランだったということ。

皐月賞に限らず、このレベルのレースとなるとマスコミがハイエナのように集ってくると聞いてはいたが。あれは屍肉漁りではなく狩りそのものだ。ここは彼らの猟場だったのだ

 

欄干にもたれ掛かり、着々と発走の準備が整えられていくターフを見守る。

既にパドックでの御披露目は終わっていた。あの様をよくどうにかしたもので、小綺麗になったシービーがポーズを決めた瞬間、はぜるように湧いた歓声が今でも耳にこびりついている。

出来ればもう少し落ち着いて眺めたかったが、これでもかと食い下がる記者をどうにかかわしていたため叶わなかった。

 

一応、完全に撒けただけ良しとしようか。

さしもの彼らでも、これだけごった返した観客席の中から、一度見失った相手を特定するのは至難の業だろう。レース中に水を差されては堪らないので、このままやり過ごすとしよう。

 

そうして、水の溜まった欄干から少しだけ身を乗り出した瞬間。

どんっと、真横から突っ込んできたなにかに胴を捕えられた。

 

 

「トレーナー君。探したよ」

 

先っぽの黒ずんだウマ耳をぴょこぴょことさせる、紺色のレインコートに身を包んだ少女。

全身がすっぽりと覆われてしまっているが、その深く落ち着いた声だけはいつも通りだ。

 

「ルドルフ。そうか、君もいたんだな」

 

「なにしろクラシック初戦だ。テレビの液晶越しでは我慢出来なかったものでね」

 

「だろうね」

 

ルドルフにとってシービーは遠からず競う相手であり、同じくクラシック三冠に挑む身としてはやはり中継などでは満足出来ないだろう。

そもそもここ東京レース場は府中市内にあり、学園と直近なので彼女に限らず大勢の生徒が観戦に訪れている。きっと、探せばマルゼンスキーあたりも見つかるだろう。

故に、ルドルフが来場していること自体に問題はないのだが。

 

「どうしてここが分かった」

 

ようやく一人になれたと思っていたのに。

こうもあっさりと見つかってしまうようでは、身の隠し方に根本的な問題があるのかもしれない。逃走という手段が選べない私にとって、それは極めて不都合な話だ。

 

しかし、どうやらそれは杞憂だったようで。

ルドルフはぐいぐいとこちらの横腹に押し付けていた顔を上げると、その人差し指で軽く自らの小鼻をつついて見せてきた。

 

「匂いだよ。といっても、流石に入り口から真っ直ぐ追ってこれたわけじゃないが。この階に上がってきたとき、たまたま君の匂いを感知した」

 

「この人混みと雨のなかで?凄いな」

 

「ほとんど紛れかけていたけどね。だからたまたまと言ったろう。偶然だ」

 

謙遜しながらも、フードから飛び出たウマ耳は満更でもなさそうにぴこぴこと弾んでいた。

 

なら、ひとまずは安心出来るだろうか。

ウマ娘とヒトでは嗅覚から受け取る情報もまさに別次元であるから、私にはルドルフの見えている世界については全く理解が及ばない。

とはいえ、彼女たちとて別にファンタジーの生き物というわけでもないのだから、その能力にだって限界はある。確かに、最低でも同じ階にまで接近しなければ捕捉することは不可能だろう。

 

少しだけ胸を撫で下ろす。

しかしそんな私の安堵は、次の瞬間呆気なく崩れ落ちた。

 

 

「よく言うなぁルドルフちゃん。さんざんトレーナーさんのこと探してあっちこっち走り回ってたところやんか」

 

 

私の真横に立つルドルフの、さらに横から飛んでくる朗らかな声。

ひしめく観客たちを器用に掻き分けながら、一人の男性が傘をすぼめて真っ直ぐこちらへと向かってくる。

 

「下がっていろ。ルドルフ」

 

「………ああ」

 

訝しそうに男を見定めていたルドルフを、咄嗟に背中へと庇う。

何者かは知らないが、彼はルドルフの名前を知っている。しかしルドルフは彼のことを知らないとなると、つまりはその筋の情報収集に長けた……要するに記者なのだろう。

 

あからさまに警戒されているにも関わらず、男はまるで気にした様子もなく飄々とした笑みを見せた。

あっという間にパーソナルスペースぎりぎりまで詰めてくると、ライトアウターの内ポケットから名刺を一枚取り出して、慣れた動きでこちらに手渡してくる。

 

「あんたとは初めましてやな!ボクは藤井泉助!フリーの記者をやっとります!」

 

分け目で流した髪に、黒縁の眼鏡が特徴的な男。

姿勢がよくかなり上背もあるためか、この人混みの中においても一際存在感を放っていた。親しげな、ともすれば馴れ馴れしいとすら思える口調と、常に頬を引き上げたその表情からは、どこか軽薄な印象があった。

垂れ気味の瞳は、笑みを型どりながらも抜け目なく私たちの様子を観察しており、それに感づいたらしきルドルフが、威嚇するかのように尻尾の毛を鋭く逆立てて唸る。

 

藤井と名乗ったその記者は、私が名刺を受け取ったことを見届けた後、今度は手帳とボイスレコーダーを懐から取り出してそれぞれ準備を始めた。

 

「いやぁ!フレンドさんがなかなか見当たらなくてえらい困ってたんですわ!そしたらそん妹が走ってるのを見かけてなぁ。これはチャンスや思うて追いかけてみたんや」

 

「先生なら恐らく下にいますよ。乙名史記者の相手をしている筈です」

 

その名前を引き合いに出した途端、彼もまたあの記者のことはよく知っていたのだろう、大きく頷きを返してくる。

 

そんな仕草を見て、またしても唸りを上げるルドルフ。

知らない間にまんまと後を尾けられていたとあっては怒りを覚えるのも当然か。面白くないのは私も同じだが、しかし記者にとってはそれが仕事なのだから咎めたところで仕方がない。

 

「流石。乙名史ちゃんの嗅覚も一級品やね。せやけど、それはもうええんですわ。今ここででっかいアタリを引けたわけやからな!」

 

「まだ取材を受けるとは言ってませんが」

 

「ま、ま、そうつれないこと言わんといて下さい!出走まであと三分。その間だけでも」

 

こちらの事情を顧みず、一方的に懐へと潜り込んでくる点ではいつぞやの記者と同じだが。

しかしこの男には、場の流れそのものを強烈に支配する力があった。私の目から見れば、やもすると乙名史記者に劣らないぐらい厄介かもしれない。

 

起動したボイスレコーダーを首に提げると、代わりに握ったペンでとんとんと手帳の頭を叩きながら、藤井記者は急かすように口火を切った。

 

「さ、聞かせてもらいますわ。自分、この皐月賞の展開について、どのように考えてるかについてな」

 

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