シンボリルドルフに逆らえないトレーナー君の話   作:くまも

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誰よりも速く

 

「展開ですか」

 

「おん!せやねん!ボクの勝手な推測やけど、この皐月賞、ミスターシービーに采配下してるんはトレーナーさんなんやろ?今後のことを考えたら、まぁそうなるやろな」

 

推測と口では言いつつも、藤井記者はその事について確信に近いなにかを抱いているようだった。

先程の話の流れから察するに、彼はまだ先生への接触を果たしていない筈であるが。いや、たとえそれがブラフだったとしても、先生がチーム内における指揮系統について外部に漏らす真似をするワケがない。

となると、根拠は彼自身が独自に掴んだ情報か、あるいは記者としての勘といったところだろうか。

 

実のところ、その予測は正しかった。

 

本日の皐月賞において、チームからはミスターシービーのみならずカツラギエースも出走している。すなわち同門対決となる。

 

通常、こういったケースにおいてトレーナーはどちらにも必要以上に肩入れしない。いくら同じチームに所属する仲間といえども、いざレースで相まみえればライバル同士なのだから。

しかし、先生は弥生賞の翌日、今日についてはカツラギエースの方に肩入れすると明言していた。メニューの構築から作戦の立案に至るまで、自分が主に面倒を見るのはエースであると。

私が初日から己の裁量でシービーをお出かけに連れ出せたのも、先生がこちらに彼女の指導を一任していたからである。もっとも、先月までは指導教官として先生がマンツーマンでついていたから、実質私が担当したのは最終調整と作戦の指示ぐらいであったが。

 

「ミスターシービーと言えば、やっぱり最後尾からぐわっとしかける追い込みやろなぁ。それに待ちに待った勝負服の初披露さかい。ここに詰めかけた連中だってみぃんなそれを期待しとる」

 

「……いえ。このレースについては、これまでよりも前方に展開させるつもりです」

 

「ほぉ……クラシック初戦にきて随分思い切ったことをするんやね。鉄板をあえて外すんか。そん理由はなんやろなぁ?」

 

「天候ですよ。バ場が重すぎる」

 

欄干から手を伸ばし、指を揃えて器を作ってみれば、そこにはあっという間に水が溜まっていった。

どしゃ降りという程の規模ではないが、それでも朝からしつこく降り続けた雨によって、ターフはぬかるみ水を含んだ芝はさぞかし重くなっていることだろう。

それは重バ場よりもさらに含水率の高い、不良バ場と評価される状態であり、終盤の加速が肝となる追い込みウマ娘にとっては不利となる荒れ具合だった。

 

「あー……まぁ、それはそうやろなぁ。シービー戦法にはちと厳しいか」

 

「ええ」

 

「せやけど、ミスターシービーはもともと雨の日がおきになウマ娘だったやろがい。せやから勝負服かてズボンにしたんやろ」

 

「重バ場であればこれまで通りにやらせたでしょうが。今日は少々……いえ、あまりにもバ場状態が悪すぎる」

 

「なるほどなぁ。思い切ったというよか、むしろ安全策をとる感じやんな」

 

一人で納得したように頷く藤井記者は脇に置いておき、私は準備の完了した発バ機に続々と近づいていく出走者たちの姿を眺めた。

 

そこには当然、シービーの姿もある。

ここ数週間の調整を念入りに行っていたこともあってか、威風堂々とした佇まいはまさしく絶好調といったところだろうか。

一歩一歩と歩みを進めるたび、蹴り上げられた芝から水飛沫が飛び散っている。重いなんて表現も生温い。それは、水張りを終えた田んぼさながらだった。

 

安全策というのは事実である。

はっきり言って、私としても大いに迷うところではあった。クラシックの幕開けとして、本日一番の注目株となったいたこともあり、シービー自身が追い込みに拘っていた部分もあったのだから。

芝の重さについても、彼女にとってはレースを魅せる演出の一つとして歓迎すべき要素なのかもしれない。

 

「議論は何回も重ねました。行き違いもありましたが、最後はシービーが折れてくれた」

 

以前、トレーニング中に少しだけシービーと話したこと。

あの内容をさらに突き詰めた形となる。

 

本音を言えば、シービーの好きに走らせてやりたいところではあるが。

それでも私の頭にこびりついていたのは、ひいらぎ賞での出遅れによる体力消耗だった。

 

いくらスタミナに恵まれたシービーであっても、状況次第では終盤まで足を貯めておけない状況は当然に起こりうる。あの時はゲートでのトラブルがイレギュラーとなったように、今回はこの荒天が容赦なく彼女の体力を削ることとなるだろう。

 

基礎固めの時期であった昨年は異なり、今年のシービーは絶対に負けるわけにはいかないのだ。

初のG1という大舞台、そこに初めて袖を通す勝負服に不良バ場という不安要素が積み重なったこの状況では、せめて戦法だけは堅実にいきたいという思いが強い。

 

 

私たちがこうして話している間に、ターフでは全ウマ娘のゲート入りが完了していた。

 

人気順に各ウマ娘が紹介されていき、各々の応援する名前が呼ばれるたびに、観客席から大きな歓声が飛ばされる。

その中でも、やはりシービーに向けられる声は一段と目立っていた。

 

「お、そろそろ出走みたいやな。ほな約束通り撤収させて頂きますわ。おおきにありがとうございます」

 

「どういたしまして」

 

「ルドルフちゃんもまたな。ボクも自分には期待しとるからな」

 

「……ふん」

 

一言も喋らず、私の背中に張り付きつつじとりと藤井記者を睨み上げていたルドルフは、彼の挨拶も鼻を鳴らして受け流す。

対する藤井記者もやはり堪えた様子はなく、慌ただしく手帳を内ポケットにしまうと、小走りに地下へと繋がる階段に姿を消してしまった。

いい加減乙名史記者の密着取材も終わったところだろうから、先生の捜索を再開するのだろう。それが仕事とはいえ、なんとも精力的なものだ。

 

「騒々しいものだな。やはりクラシックともなるとこういう苦労がついて回るものなのだろうか」

 

「これでも日本ダービーと比べればだいぶマシな方だ。まぁ、それでも今年は去年よりも賑やかな気はするけれど」

 

「それもシービーのおかげなのかな」

 

「ああ、間違いない。普段レースにはあまり関心のなかった層も、シービーだけが目当てで席を取ったというぐらいだし」

 

世間を賑わせ、アイドルホースなどと称されたウマ娘は過去にもいた。

明確な定義こそないものの、シービーもまたそれに含まれるのではないだろうか。

 

流石にハイセイコーのような、レース競技の枠を越えた社会現象、一大ブームを巻き起こしたというわけではないが……そもそもあれは異常だからな。

この先十年間、ともすれば私が死ぬまで同じものは見られないかもしれない。地方から編入したウマ娘が中央の頂点を取るとか、そんな滅多なことでも起こらない限りは。

 

閑話休題。

 

一通りの紹介も終わったところで、誘導員が一斉にコース外へと退避する。

雨の日でのゲート入りということもあってか、いつもと比べて随分用意が早かった。

 

ガシャンと勢いよくゲートが開き、割れるような大歓声の中、二十人が一斉に芝へと飛び出した。

シービーに与えられたのは五枠の十二番。滑り出しは悪くない。

ひいらぎ賞において直接の敗因となった出遅れがなく、ひとまずほっと胸を撫で下ろす。

 

―――さぁ!!各バ一斉にスタートしました!!スタンド前での先行争い、まだ殆ど横一線です!!

 

数秒間だけ一列に肩を並べたあと、五番のニホンピロウイナーを筆頭に何人かが前に抜け出してきた。

同時に四番のカツトップメーカーが内側からも上がってきており、そこで先頭争いを繰り広げる。

 

 

やはり、バ場の状態が悪い。

 

 

集団の足元では、巻き上げられた水飛沫が霧のように広がっていた。まだ第一コーナー手前だというにも関わらず、激しい叩き合いの中で顔や衣装にも泥が飛び散っている始末。

重いターフに足を取られる上に、視界も遮られてはさぞ走り辛いことだろう。それでも流石G1というべきか、どのウマ娘も全く脚色の衰えは見せていない。

 

その中に、バ群の内側を駆けるシービーの姿もあった。

白い衣装は前方から飛来する泥で汚れ、それすらも巻き上がる飛沫と叩きつける雨粒によって洗い流されていく。

霧のような靄のような水飛沫に集団が包まれた結果、まるで景色に溶けたかのようにその輪郭は朧気となる。

 

その位置取りは、二十人立てのうちおおよそ一七から十八番手といったところ。

最序盤での競り合いも片付き、それぞれのウマ娘が自らの戦法に沿って展開していく。そんな中で、シービーが陣取った場所は集団のほとんど最後方。

 

 

……シービーのやつ、このレースも追い込みで戦うつもりか!!

 

 

「トレーナー君!シービーの位置が……」

 

「ああ、分かってる!心変わりがあったんだろう。このまま見守るしかない!」

 

既に最初の位置取りは終わってしまった。

ここから前方に上がってポジションを維持していくのは無茶だ。

こんな荒れたターフの前では、いかにシービーといえどもあっという間にスタミナが尽きてしまう。

 

―――第一コーナーを回ったところ、先頭はカツトップメーカー!二番手にはカツラギエース!その外をついて上がってきたのはニホンピロウイナー!

 

右曲がりのコーナーを回って、向正面の直線を抜ける。

逃げウマ娘であるエースは当然、このタイミングで前へと出てくるだろう。すぐ前を走るニホンピロウイナーに先頭争いを仕掛け、それを制して新たにバ群を率いていく。

 

大きく縦に伸びていく集団。

前方、中団、後方の三つに大きく分かれ、シービーは後方からじわじわと先行バを捉えるために位置を上げている。

 

そのまま第二コーナー、第三コーナーを経てようやく中団あたりについたシービー。

先頭は変わらずエースがややリードを広げている。前方に誰もいないぶん、視界を良好に取れるのが彼女の強みだろうか。

逆にシービーの場合、普段よりもいっそう体力を削り取られるターフの中で、泥や雨風の飛び散る中から仕掛け時を探ることとなる。追い込みウマ娘が不良バ場で不利とされる所以だ。

 

「いや……それでも、問題はないのか……?」

 

それでも今のところ、シービーの動きに目立った不調は見られない。

むしろ、これまで以上に正確にレースを運んでいるように思える。冷静に足を貯めて、後半に差し掛かった時点で中団やや前方の外側へと位置取り、仕掛け時を見計らっているようだった。

 

私はあらかじめ、各バ場状態ごとに予想される戦局と、そこでとるべき戦法についてシービーに伝達している。

彼女のこの動きは、良から鞘重のケースを想定した作戦に従ったものだ。今日が不良バ場であることを除けば、私の指示から逸脱しているものでもない。

加えて、これまでのレースの展開もまた、私が予想していた戦局とほとんど同じだ。それに照らし合わせれば、シービーのレース運びは十分に安定していると言える。

 

結局、私がとった安全策というのは、諸々の不安要素によっていつもの走りが出来なくなった場合に備えての作戦であって。

シービーが普段通りのパフォーマンスをここでも維持できるのであれば、それは完全に意味を失くす。

 

 

私は、ミスターシービーというウマ娘を見くびり過ぎたのだろうか。

 

 

どれだけ特別だと口にしたところで、内心では不良バ場に翻弄される程度のウマ娘としか思っていなかったのか。

その実力を把握出来なかったから、彼女の求めるレースをさせてやるという選択肢も取れなかった。それがこの作戦無視に繋がったのだとしたら。

皐月賞で己の実力の多寡を測ると、この前たづなさんに言った。その結果がこれだとしたら、やはり今の私にシービーに見合うだけの実力など―――

 

 

―――一気に来た!ミスターシービーが来る!さぁミスターシービー単独先頭だ!!

 

最終コーナーを回り、直線に差し掛かった瞬間、あっという間にカツラギエースから先頭を奪っていくシービー。

重たいターフをものともせず蹴散らしながら、観客席からの大歓声に背中を押されてみるみると速度を上げていく。

天性のスピードに、鍛え上げられた心肺から生み出されるスタミナがあわさって実現した脅威の末脚が逃げも先行もまとめて後ろに置き去りにする。

 

それはあたかも、天を駆けているかのように軽やかで。

およそ半バ身、必死に追いすがる後続がつけるもその差が埋まらない。手を伸ばせば届いてしまうその距離が、まるで無限の彼方まで続いているかのようだった。

 

―――ミスターシービー先頭、ゴールイン!雨のなか堂々たる走りでした!皐月賞であります!!

 

一つ目の冠を今ここに戴いて。

身を焦がされた者の熱狂を一身に受け止めながら、ついに激戦を制した泥だらけの演出家は、堂々と手を振って見せる。

 

クラシック初戦。皐月賞。

このレースは、最も速いウマ娘が勝つ。

 

ああ、ならば彼女の勝利もまた当然のことであったか。

十九年ぶりの三冠へと一つ駒を進めたこの瞬間、誰もが彼女に夢を抱いた。

このレース場にいる全員、いや、この国にいる全ての人間が彼女に魅せられている。

 

 

……そんな中でも、誰よりも心を奪われているのは、やはりこの子だろうか。

 

「ルドルフ。私は今からシービーを迎えにいくつもりだが、君はどうする」

 

返事もなく、ルドルフは欄干に取りついたままひたすらにシービーを見つめて動かない。

他の観客のように、賛辞や拍手を送ってやるわけでもなく。静かに佇むその口元には、常ならぬ獰猛な笑みが浮かんでいた。

 

水を滴らせる黒茶色の前髪の下。不気味に揺らめく紫の瞳が映しているのは、来年にここで行われるレースか、はたまた来月に学園で行われるレースか。

どちらにしても、この圧巻の走りを見せられた後でなおそのような表情が出来るあたり、彼女も大概だろう。現時点ではデビューすらしていないというのに。

 

「行くからね」

 

動かしようもないルドルフはその場に置いておこう。

私は通路の反対側、あの地下へと続く階段の入り口へと向かって歩き出す。

 

レースは終わった。だがやることはまだ多い。

勝利インタビューについては、先生が受け持つこととなっている。今はまだ彼女がシービーのトレーナーであるからだ。

私はその間、関係各所とのライブの打ち合わせに衣装やメイクの手直し、それから今後のスケジュールについて改めて点検をしなければならない。むしろこれからが、私たちトレーナーにとっては本番なのだ。

 

なにを置いても、まずは帰って来たシービーを讃えてやらなければ。

がさつなところもある彼女の身繕いも欠かせない。カメラに囲まれるよりも先に、控え室で綺麗にする必要があるだろう。

頭の中で、淡々とやるべきことの見通しと優先順位を組み立てていく。勝利の直後だというのに、まるで陶酔も熱も感じなかった。

 

そもそも、私は勝者なのだろうか。

 

自分の実力不足で、担当にあんな博打を打たせておきながら。

 

「失礼」

 

控えていた警備員を退けて、鉄扉を押し開く。コンクリートの階段に反響する喧しい金属音。

 

 

……駄目だ。今はそんなくだらないことを考える時じゃない。

 

担当の凱旋を前にして、しけた顔は見せられないからな。

 

 

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