シンボリルドルフに逆らえないトレーナー君の話   作:くまも

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決戦

日本全国から個性豊かな猛者が集う、ここトレセン学園では毎日が賑やかだ。

 

少し注意してあたりを見渡せば、大小を問わず様々な事件やイベントが矢継ぎ早に繰り返されている。

体力の有り余った年頃の女子が一堂に会し、そこに自由な校風が加わればさもありなんと言ったところだろう。選りすぐりの一流アスリートたちがしのぎを削る場所であるから、むしろ活気づいていなければ困る。

それ故に、時たま生じるトラブルもご愛敬だろうか。早々に大勢に迷惑をかけてしまった私が、そんなことを言えた義理ではないのは重々承知しているが。

 

そんな学園生活の中においても、とりわけ空気が浮わつく瞬間が三つあるらしい。

秋のファン大感謝祭、卒業式、そして最初の選抜レースが開催される、五月の第一週である。今日はその当日だった。

 

「天候は晴れ、バ場状態も良好。私にとってはベストなターフだ。環境ではこちらにツキが回ってきたかな」

 

「あまりアタシだけを意識するのもどうかと思うけどね。良バ場に喜んでいるのは他の子も同じだから」

 

「ふふ、気炎万丈なのは私だけではないと」

 

「そうそう。下手なG1よりよっぽど気合い入ってるよ」

 

それもそうだろう。

 

トレセン学園に入学することと、実際にレースへ出走することはまた別の話である。

競技ウマ娘として活躍するためには、とにもかくにも担当トレーナーを捕まえないといけないが、実はそれこそが最初にして最大の関門なのだ。

 

担当契約というのは本当に重い。

 

ひとたび交わしてしまえば、バ生で一度きりのチャンスを相手に託すこことなる。トレーナーにとってもまた、トゥインクルにおける三年間、ドリームトロフィーリーグに進めばさらにそこから数年間という、決して短くない時間を私たちに捧げなければならない。

巷では結婚のようだと揶揄されることもあるらしいが……実際、その契りとほぼ変わらない責任を伴うのではないだろうか。

学園を卒業した後、トレーナーと元担当は様々な形で一生の付き合いとなることが多いというのも、その証左ではないかと思う。

 

だからこそ、相手はしっかりと選ばなければならないわけだが。ただ、たとえ相性が悪くても担当トレーナーがつくだけまだマシだというのが現実である。

一番悲惨なのが、選抜レースで結果を残せずいつまでも担当契約を結べないというパターンであり、これによってメイクデビューすら出来ないまま学園を去っていくウマ娘も決して珍しくはない。

トレーナーの数からして絶対的に足りないのだ。いくら成果を上げたトレーナーはチームを組めるといっても、それにだって限界はある。かといって安易に人数を増加させれば、質の低下は目に見えているのが難しい話だ。

 

ようするに、ただでさえ引く手あまたなトレーナーの中から、最も有能かつ自分と相性のいい者を見定めて一本釣りするのが理想であり、選抜レースはそれを成し遂げるための戦場である。

シービーの言うとおり、下手なG1より余程苛烈なものだ。ここでの結果はこれからのレース全てに波及するのだから。

 

「おっ。ビゼンニシキは一着でゴールか」

 

「ああ、流石だな」

 

後続に3バ身ほど差をつけて、ゴール板の少し先でギャラリーに大きく手を振っている。

彼女がアピールしている相手は、やはりやり手のベテラントレーナーたちだった。

本バ曰く、学園で最も勢いのあるリギル入りを狙っているらしいが、あの実力ならそれも叶うだろう。

 

ほとんどのトレーナーが戻ってきたビゼンニシキに群がる中、二番手の白毛のウマ娘に駆け寄っているのは…たしか、トレーナー君の同期だったか。

なんでも修習を首席で終えた才女らしく、以前から彼と親しげにしている危険分子。気に食わないが、今は注意している場合ではない。

 

「知ってる?彼女、これまでのレースは一度を除いて全て負けなしなんだって」

 

「それは奇遇だな。私も、生まれてこのかたレースでは一度しか負けたことがない」

 

「へぇ、わざわざ覚えてるなんてよっぽど悔しかったんだ。ここにいる誰かかな?」

 

「いいや、トレーナー君さ」

 

そう告げると、シービーはぱちぱちと瞬きして小首を傾げた。

そのまましばしの間、私の顔を眺めた後。どうやら冗談ではないと悟ったらしく、ますます傾きを深くする。彼女の認識では、そもそも彼は走ること自体が出来ない筈なので無理もないだろう。

 

「……まぁ、最近はソフトレースってのもあるからね。あれはあれでかなり技巧的だけど」

 

なにやら一人で納得しているシービーは置いておいて、もう一度石段にひしめいているギャラリーの方を眺める。

ほとんどがトレーナーで、その中にちらほらと野次ウマの生徒が混ざっている感じか。ワッペンを腕につけて、カメラと三脚を脇に抱えた学園の広報が集団の隙間を縫うように走り回っている。

 

トレーナー君や姉さんの姿はそこにはない。学生側の混乱を防止するために、選抜レースでスカウトを行う予定のないトレーナーは原則として顔を見せないという暗黙の了解があるそうだ。

まぁ、それでも別に構わなかった。今回の勝負について私はトレーナー君に助力を乞うつもりはない。

シービー自身は好きにすれば良いなどと言っていたが、賭けられているのが自分自身である以上、彼もそれを引き受けてはくれないだろう。中立を宣言している姉さんも同様だ。

 

そもそも、選抜レースとは本来そういうものだろう。

トレーナーを獲得するために己の基礎能力を披露する場で、トレーナーから作戦を授けてもらっては本末転倒だ。レースでの駆け引きにおいて一日の長があるシービー相手なら別としても、なにより他の走者たちに対してフェアじゃない。

 

ふと、シービーが空を仰いで鼻をならす。

 

「さて、本番だよルドルフ。楽しいレースをさせて欲しいな」

 

「ああ……そうか。ようやくだな」

 

ビゼンニシキの組が撤収し、さらにその次の組のレースも決着がついて、気がつけば私たちの番が回ってきていた。

出走者は二十名。係員の誘導に従って、発バ機まで肩を並べて前進する。

 

ぎしぎしと、シューズの裏から伝わってくるターフの感触。これまでになく芝が軽い。

大地の香りが鼻をくすぐり、雲一つない青空からは心地よい日光がさんさんと降り注いでいる。どこまでも理想的な、まさに走るにはもってこいの快晴。

 

私たちがコースに差し掛かった瞬間、グラウンドにいる全員の目がこちらに向けられるのが分かった。

このレースにおける目玉は私たちだ。ビゼンニシキを抑えトップの成績で選抜試験を突破した私と、皐月賞で劇的な勝利を収めたばかりのシービー。トレーナーだけでなく、既に走り終えた同期たちもまたこの一戦に注目している。

好奇心と羨望がない交ぜとなったような視線。誰もがシービーと同じレースで走りたがっていたのだから当然だろう。学園において指折りの実力を誇るシービーと、同じ戦いの舞台に立つこと自体が狭き門である。公式戦でそれを実現するには、G1にまで上り詰めることが前提条件なのだから。

 

そんな彼女たちを一瞥しながら、私はいよいよゲートに入る。

 

「君への伴走申請は通るだろうとは思っていたが、まさか同枠とは。これも生徒会長の神通力かな?」

 

「まさか。アタシはなにもしてないよ。それに伴走バの枠番は大外で固定だからね。キミから寄ってきたんでしょ」

 

私たちが身に付けているのは、学園から指定された体操服。

その上から提げたゼッケンには、シンボリルドルフという名前と十九の数字。二十人立てでこれだから、私にとっては少々厳しい展開となっただろう。

 

まぁ、それで遅れをとるつもりはさらさらないが。

申し訳ないが、今回走る同期の中に私の敵となり得そうなウマ娘は見当たらなかった。ビゼンニシキやスズパレードのような競合は、上手い具合に組がバラけてしまっている。

 

故に、私が頭に叩き込んだのはシービーの動き。序盤から中盤にかけて最後方で足を貯め、最終コーナーで一気に強襲を仕掛けるというシービー戦法。

強豪ひしめく世代において、彼女はその悉くを追い込みで蹴散らしていた。唯一の敗北も、その敗因が明らかだったことを考えれば、恐らく万全の彼女を振り切れるウマ娘は現状において存在しない。

加えてこのレース……彼女の役割は伴走といえども、どう走るかについては一任されている。冷静に走れるウマ娘をペースメーカーとして用意することが趣旨であるから、各々の十八番を披露するのが鉄板だ。ある意味、後輩へのファンサービスという側面もある。

 

となると、私が対シービー戦において警戒すべきはやはり追い込みだ。

彼女がその十八番(追い込み)で打ち倒しにくるというのなら、私も私の十八番(差し)差しでもって確実に仕留めなければ。

 

「考えてるねぇルドルフ。キミは頭がいいから、そうやって知恵を巡らせるのは正しいと思うよ。もっとも―――」

 

揺れる耳の隙間から、彼女の帽子がちらりと覗く。

それは皐月賞の残滓だろうか。飛び散って乾いた泥が、僅かにリボンの端にこびりついていた。

 

こちらに横顔を向けたまま。サファイアの瞳だけは私をしかと捉えて。

シービーは獰猛に、笑う。

 

 

「――― キミに"次"はないけどね」

 

 

「…………」

 

その宣戦布告を前にして。

私はなにも返さず、そっと右耳に提げた飾りに手を触れた。

 

なぁ、トレーナー君。

夢を、見ていたんだ。懐かしい夢を。

 

あの身を焦がす真夏の太陽の下で、ただひたすらに君だけを待っていた。

 

だけど、もういい加減に目覚める時だ。

前に進まなければ叶わないのだ。

擦りきれた夢をここで終わらせて、これからは君とその続きを見よう。

 

 

だから消えてくれ。ミスターシービー。

 

私が現実に帰るために。

 

 

『各ウマ娘の準備が整いました!これより第11レースを発走致します!』

 

 

アナウンスの声と同時に、係員が一斉にゲート前から退避した。

 

耳飾りから手を離し、構えを取る。

 

緩やかに息を吸い込み、肺に新鮮な空気を流し込んだ。

視線はずっと向こう、第一コーナーの入り口を見つめて。不規則だった胸の高まりが、再び落ち着いたものへと戻っていく。

世界から音が無くなり、極限の集中の中では風すら色がついて見えた。

 

がしゃん、と大きな音を立ててゲートが開く。

それを認識するより早く、勝手にターフへと飛び出す身体。これまでになく完璧な滑り出し。

 

 

そうして次に目にしたのは。

そんな私を、あっという間に横から追い抜いていく一つの影。

 

 

「………ッ!?」

 

 

大外から一気に集団の先頭に躍り出る、ミスターシービーの背中だった。

 

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