シンボリルドルフに逆らえないトレーナー君の話   作:くまも

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夢の終わり

最初は、パッとしないヒトだなと思った。

 

目の色とか髪の色が、普通の人間とは少し違って。だけど別に、それは大して珍しい話じゃない。

でも語るべき点はそこしかないぐらいで、あとは他の職員と同じような格好、同じような受け答えをする金太郎飴みたいなサブトレーナーだった。

 

思えば当時は研修期間だったのだから、目立つ言動など控えているのが当たり前なんだけどね。

ただ、勝利に飢えているというか、どうにも存在感の強いシンボリフレンドの隣にいることもあってか、妙に影が薄かった。

名前を出されたら、とりあえず顔は思い浮かぶけど、声については少々記憶が追いつかないというか……うん、そんな感じかな。

トレーナーという仕事の中身からすれば、それが正しい在り方なのかもしれない。少なくとも、彼自身はそう考えているらしかった。

 

だからかな。

トレーナーには申し訳ないけど、アタシは彼との最初の出会いというものがあまり印象に残っていない。

 

日付は覚えている。ちょうど一年前のことだ。

あの日はぼんやりと薄く雲がかかっていて、日が射しているにも関わらず雨が降っていた。天気雨とか、狐の嫁入りとか言われる天候。大きく虹が架かっていたっけ。

 

物心ついて以来、アタシにとって大事な節目にはいつも雨が降っていたんだ。

視界を塞ぐ雨粒と、普段よりも少しだけ重くなった芝で皆が思うように全力を発揮できない中、アタシは一番にゴール板を駆け抜ける。

 

入学試験も一番で突破したアタシのことだから、すぐに大勢のトレーナーに囲まれた。

その中から、シンボリフレンドを選んだ理由も大したものではない。

ただ単に、他よりちょっと目立っていて、担当になれば面白そうだと思ったからだ。それなりの腕利きだということもある。

 

……うん、だからゴメンね?トレーナー。

正直に言うと、キミのことは最初は彼女のおまけだったんだ。少し酷い言い方をするなら、そもそも眼中に無かった。

 

それなのに、いざチームに入ってみれば、アタシを担当していたのは殆どキミだったね。

勿論、シンボリフレンドもちゃんと監督していたし、必要があれば助力していたけど。

全体的に見れば、今のミスターシービーを育てたのはキミだと言っていい。キミのことだから、否定するかそもそも自覚すらしていないだろうけど。

 

いくら推薦移籍が前提にあったとはいえ、本来サブトレーナーに本格的な育成を委ねるのは与太では済まされない。そのラインをあえて踏み越えたのは、既にキミにそれだけの力量があったからだ。

そうでなければ、アタシだってずっと昔にチームを見限っていた。アタシたちがレースに向ける情熱は、そこまで軽いものじゃない。

 

でも、そうはならなかった。

最初は目立たないと考えていたトレーナーは、一皮剥いてみれば紛うことなき天才だった。その上、相性も良いとくれば、アタシが彼に懐くのもそう時間はかからなかった。

といっても、別に特別ななにかがあったわけじゃないけどね。本当にごくありふれた、最初の一年だった。

 

毎朝、ターフに行けばトレーナーがいて。

トレーニングはずっと付きっきり。終わった後もしつこく絡んで、自販機でなにか奢ってもらったりもした。

たまにはプールで泳いだり、神社の階段でうさぎ飛びしたり、レースビデオを観たり教本を読んだり。時には息抜きでカラオケやダーツにもくり出したっけか。

夏になれば合宿で初めて海で遊んだり、秋になれば駿大祭にファン大感謝祭。昔、両親にねだって遠路はるばる訪れたそれに、今度は主催者として参加した。

冬は生徒会のクリスマスパーティーにトレーナーを連れ込んで、年が明ければいよいよ重賞への挑戦。乏しい情報、慣れない環境の中で、お互い切磋琢磨しながら上を目指す。

 

どれもこれも、アタシが幼い頃からお母さんに聞かされて、ずっと憧れ続けてきた学園生活そのもので。

代わり映えはなく、されどたしかな幸せに満たされた、微睡みの最中に見る夢のような。そんな毎日が、これからもずっと続いていくものだとアタシは信じて疑わなかった。

 

 

だけど、それは慢心だったのかな。

 

与えられたものに胡座をかいて、それが当然の権利であると傲っていた。

 

ここは勝負の世界。なら、欲しいものは全て自分の力で勝ちとらないとね。

この選抜レースで、アタシは遺憾なき勝利を目指す。

 

 

―――ぐんぐん前を行くミスターシービー!!後続は荒れている!!まさかの大逃げに掛かってしまったか!!

 

 

仮設テントのスピーカーから放たれる実況。先頭を走るアタシにとって、重要なレース展開にまつわる情報に耳を傾ける。

公式のレースとは異なり、リアルタイムで走者にも届くからこそ使える戦法だ。これもなしに、完全に自らの感覚のみで後続を窺う逃げウマ娘は大したものだと内心舌を巻く。

 

 

アタシが今回、このような大逃げを打った理由は二つ。

 

 

一つ目は、皐月賞におけるトレーナーの作戦の正当性を証明するため。

 

外部の記者も大勢集うこの機会を使って、アタシが逃げや先行でも安定して戦えるウマ娘であることを世間に見せつけてやる。本来、不良バ場の東京レース場ではこのように戦うべきだったのだと分からせてやるつもりでいた。

アタシとトレーナーの実力不均衡が槍玉に上げられている以上、この選抜レースで花を持たせるべきは自分ではなく彼の方である。

 

 

そして二つ目は……最終コーナーまで、ルドルフの駆け引きを封じ込めるため。

 

 

アタシは生徒会長だ。一般には公開されていない、入学試験における模擬レースの映像についても閲覧する権限があり、彼女の走りを予習出来た。

そして脅威と見なした。

序盤から中盤におけるルドルフの戦術。後方からプレッシャーを放ち、全員のパフォーマンスを狂わせて、終いにはバ群そのものを崩壊させるデバフについて。

 

いつもの追い込みで位置を取れば、アタシは間違いなくそれに捕まる。きっと彼女もそのつもりでいたことだろう。

デビュー前のウマ娘の妨害が、完璧にアタシに通用するとは思えない。しかしテープを見る限り、たとえ半分の効果しかなかったとしても、こちらの足を削るには十分だろう。

それを防ぐには、ルドルフから最も遠く離れたポジション……すなわち先頭に位置取るしかない。万が一にも彼女が前に上がってこれないよう、ゲート出の瞬間にわざとスパートをかけてポジション争いの出鼻も挫いた。

完全にルドルフに向けたメタ張りだ。でもそれでいい。アタシは競り合うためではなく、このレースに勝ちに来たのだから。

 

 

そして今。アタシはその判断が正しかったことを実感している。

 

 

「む、無理ぃ………!!」

 

そんな哀絶の叫びを残して、アタシの半歩後ろについていた栗毛の差しウマ娘(・・・・・)がみるみる後ろに流れていった。

 

そりゃそうだろう。

まだ第三コーナーを曲がりきってしばらくといったところなのに、十秒近くスパートをかけていたのだから。彼女だけじゃない。

先程からひっきりなしに、差しや追い込みの子たちが前に上がっては沈んでいく。それに引き摺られたか、先行や逃げの集団も完全に自分を見失っていた。

 

 

「あははっ………」

 

 

もう笑うしかないよ。

 

戦法もなにもあったものじゃない。

アタシたちは羊の群れだ。一頭の放牧犬に追い立てられて、前へ前へと進むより道はない。いや、追い立てているのは犬ではなく獅子だったか。ならこれは放牧でもないただの狩りだね。

正直、他の子たちには御愁傷様という言葉しか見つからない。アタシたちの勝負に巻き込んでおいてなんだけど、この第11レースはまさしく魔境だった。

 

 

実況はああ言っているが、別にアタシの大逃げが掛からせたわけではない。

 

 

そもそも、ルドルフ以外の走者にとってアタシは競う相手ではないのだから。そりゃあ先着出来れば嬉しいだろうが、そのためにわざわざ無理をする理由なんてどこにもない。

アイツだ。シンボリルドルフ。ただの映像記録ですら脅威を抱いたそれに、実際のレースで直面するとこうなるのか。

重賞での走りを経て、ある程度平常心を保つ術を身に付けているアタシですら正直キツイ。対策として追い込みから脱却してみたはいいものの、逃げは逃げで独自のプレッシャーがある。後ろを見たくて見たくて堪らないが、それでは思う壺だと言い聞かせることでなんとかペースを維持していた。

 

 

それでも先頭は一度も譲らないまま、いよいよ第四コーナーへと至る。

焦りや動揺を見せるわけにはいかない。せめて表面上だけでも平静を演じなくては。

 

―――さぁ、ここで上がってきたぞ!!19番シンボリルドルフ!名高きシンボリの超新星が逃げも先行もまとめて差し切っていく!!まさに独壇場!!

 

 

「……来たね」

 

猛威が、ついにこちらへと上がってきた。

どす黒く燃え盛るプレッシャーに汗を滲ませながら、両耳を後ろに向けてその気配を探る。

 

アタシと彼女の間に挟まるウマ娘は五人。

決して少なくはない人数。しかし走りのが精一杯の今となっては、最早壁となるのも期待出来ないだろう。

もしここにエースがいたら……なんて。そんなどうしようもないたらればを言うのはつまらないか。

 

「5」

 

「4」

 

「3」

 

「2」

 

「1」

 

「0」

 

ほら、大外からみるみる差し切って。

獅子はついに、アタシの背中へと肉薄した。

 

ああ、心臓が跳ね上がる。まるで目隠しをして線路に立たされているかのような、尋常ではないプレッシャー。

あまりにも後ろが気になって、肩越しにちらりとそれを見やった。

 

 

はは、本当に酷い姿だね。

せっかくの美人が台無しだよ、ルドルフ。

 

風で乱れた髪に、飛び散った泥を顔に貼りつけて。目を見開いて歯を食い縛った凶相は、正しく獣のそれだった。

 

そうだよね。体面なんか気にしていられる程、生易しい勝負をキミはしていない。

知ってるよ。あんな申請書なんて関係なく、この勝負に敗れたらキミはここを出ていくつもりだったんでしょ。

 

 

かつて、キミとトレーナーの間になにがあったのかをアタシは知らない。

 

 

ここまで大立ち回りを繰り広げたことだ。

さぞかし鮮烈で枢機な思い出だったんだろう。それと比べたら、アタシの一年間なんて至極ありきたりで朧気なものなのかもしれない。

 

だけど。

 

そうだとしても、アタシにはそれがなによりも価値のある宝物だったんだ。

 

 

たとえそれが、泡沫に消える夢だったとしても。

 

 

「勝負だ!!ミスターシービー!!」

「来なよ!!シンボリルドルフ!!」

 

 

ぱりん、と。

空間が罅割れて崩壊する。

 

それは、アタシとルドルフの間にあった半バ身。

 

 

―――おおっと、ここで抜け出したぞシンボリルドルフ!!驚異の末脚で最後の直線へと突入する!!

 

 

「………くっ!!」

 

抜かされた。

 

アタシがこれまで稼いだ距離は全てなくなり、今ここに先頭は入れ替わる。

最後の直線は短い。ここで差しに逆転されることは、すなわち逃げウマ娘の敗北を意味する。

 

「逃がさない!!」

 

開放された爆発的な末脚。

それによって生み出された一バ身の差をどうにか詰めようと足掻く。

 

前を走る背中は、まるで稲妻を放ち輝いているかのようで。競技ウマ娘として別次元の存在へと成ったかのような変貌。

 

アタシはこれを知っている。

一時代を築き上げる器のウマ娘が、血の滲むような修練と極限の集中の果てに至る領域。

皐月賞で、アタシは確かにその取っ掛かりを掴んでいた。彼女もまた、それを見てなにかを感じ取ったのだろうか。

 

 

でも、まだまだ未完成だよルドルフ。

 

 

キミが才能に溢れるウマ娘であることは認めよう。

神に愛されたかのような、その天稟によっていずれはキミの時代を築き上げる日が来るかもしれない。

 

だけど、それは今日じゃないんだ。

 

 

「はぁぁぁぁぁあああ!!!!」

 

 

直線の軌道に乗り、ゴール板を真正面に捉えた瞬間。

息を入れ替え、雄叫びをトリガーに全身の感覚を強制的に叩き起こす。

 

血液が沸騰するように熱くなる。

音が飛び、時間が止まり、毛先の一本に至るまで神経の通るかのような集中力。それで以て、ただひたすらに目の前のウマ娘を追う。

 

開いた差は僅か。

手を伸ばせば届くようで、しかし一向に埋まることのない永遠の一バ身。

 

必要なのは最後の一押しだ。

皐月賞で指をかけたあの感覚をもう一度呼び起こし、今度はさらにその先へと――――

 

 

 

びしり、と罅が走った。

 

 

右足の先端、爪先に痛み。

 

 

「………くっ……そ」

 

 

ああ、そうだ。爪はアタシの弱点。

無茶をすれば、全てそこに返ってくる。

 

皐月賞を終えてまだ二週間足らず。

初のG1を終えた直後に、それ以上の全力を捻り出すのは厳禁。それでも、まだデビューすら果たしていない新入生相手なら十分だと思っていたのだが。

でも、まだ動く。痛みにさえ目を瞑れば、この直線でもルドルフは十ニ分に射程圏内だ。このまま領域を出しきれば勝てるだろう。依然として、実力はこちらが先を行っていた。

 

 

そうしてアタシが勝って、トレーナーを自分のものとして……その後はどうなる?

 

 

今月の終わりにはクラシック二戦目、日本ダービーが控えていた。

ここで爪を壊してしまえば、それまでに完治させるのは無理だろう。世代の頂点を争う戦いだ。治療の最中に勝ちを奪うなど不可能であり、十九年振りの、クラシック三冠の道は潰えることとなる。

 

その責任を取らされるのは、他ならぬトレーナーだというのに。

 

そうか。

結局……アタシは振りきれないんだ。

 

それでも勝たなければならなかった。その実、ハンデがあるのはアタシの方だったんだね。

でも、それに気づいたところでもう。

 

 

――― 強い強い!!シンボリルドルフがさらにその差を広げていく!!

 

 

衰える末脚。

 

一バ身の差が、徐々に開いていく。

 

手を伸ばせば届きそうだったそれは、しかしあまりにも遠くかけ離れていて。

 

アタシの指の間から、零れ落ちてしまった。

 

 

 

――― シンボリルドルフ!!一着でゴールイン!!二着にはミスターシービー、三着には………

 

 

 

無茶な加速の代償か。

小刻みに両足を震わせながらも、決して膝をつくことはなく唇を噛んでターフを後にするルドルフ。

早速大勢のトレーナーに囲まれたその背中に、ただおめでとうと一言だけ呟いた。

 

 

 

冷たいなにかが頬を流れる。

 

 

なんとはなしに下を向くと、ぱた、ぱたと芝を叩く水滴。

 

 

……ああ。雨か。アタシのバ生の節目にはいつだってこれがあった。

空はあんなにも晴れているというのに。これも狐の嫁入りというやつだろう。

 

 

 

 

口元をつたうそれを、ぺろりと舌で舐めとってみる。

 

アタシの大好きな雨模様も、今だけは堪らなくしょっぱかった。

 

 

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