シンボリルドルフに逆らえないトレーナー君の話   作:くまも

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一人暮らしだと判明したので。




ミスターシービーのお引っ越し(前編)

ほとんどウマ娘の姿も見当たらない、ソファの立ち並ぶ早朝の美浦寮のロビー。

毛の長い真っ赤な絨毯敷きの床に、電球色の優しい灯りが天井から降り注ぐ。

 

それを一身に浴びながら、土間に降り立ったシービーはふわりと、儚げに私たちに向かって微笑んでみせた。

 

「じゃあね、バイバイ……トレーナー。それにルドルフ」

 

その腕に抱えられた段ボールをよく見れば、かつてルドルフが入寮した際に勿体ないからととっておいたもの。

どこか色褪せたそれは、二人が共に暮らした時間の長さを目に訴えかけてくる。

 

離別の言葉に、なにか感じ入るるところでもあったのだろう。

私の後ろに控えていたルドルフが、一歩踏み出てゆるやかに腕を組む。そのままこてんと首を傾げて、落ち着いた笑みをシービーへと向けた。

 

「会者定離。とは言え、これからは寂しくなるな。四年間もこの寮で寝食を共にしてきたのだから、当然の話なのだろうが」

 

「そうだね。とっくに覚悟していた筈だったんだけど。それでもやっぱり……いざお別れとなると寂しいかな」

 

「初めこそぶつかり合いもあったにせよ、私にとって、既に君は日常の一部となっていた。ここに至って、ようやくその事をしみじみと実感しているよ」

 

「アタシもね。それにしても、ぶつかり合いか……その後が強烈すぎて忘れかけてたけど、うん。懐かしいね、やっぱり」

 

「昨年には寮長がヒシアマゾンに代替わりしたが、彼女はあの事件のことを知らない。そもそも入学すらしていなかったのだからな。……ふふ、私ももう古参と言うことか」

 

一言一言、噛み締めるように内心を吐き出していくルドルフ。

基本的に過去を振り返らない性分であるから、彼女のそんな姿を見るもの珍しい。天窓から射し込んだ日の光が、伏せられたその顔をふんわりと包み込む。

 

人気のない、静謐を湛えた夜明け直後のロビー。

淡い光に包まれながら微笑み合う光景は、隣で見守る私の心を容赦なく掻き立ててきた。

 

慌てず、それにしっかりと蓋をしておく。

 

「そうそう。キミはもうぴっかぴかの新入生じゃない。とっくに上級生なんだからさ、だから、アタシがもう居ないからって泣いちゃダメだからね?」

 

「まさか。むしろ清々しているぐらいだ。気ままに一人部屋を満喫させてもらおう」

 

「まったく、可愛げのない後輩だこと。それはそうと……ねぇ、トレーナー。キミからもなにか言っておくことはなぁい?」

 

こつこつと靴先で石畳を小突きながら、こちらに水を向けてくるシービー。

 

飄々と唇を吊り上げながらも、その尻尾はそわそわと、右に左に揺れていた。新しい船出を前にして、期待と興奮でさぞ胸を膨らませているのだろう。

 

 

今日。

シービーは青春時代の大半を過ごした、この美浦寮から巣出っていく。

 

 

 

引っ越すのだ………………学園から、徒歩三十分圏内にあるマンションへと。

 

 

 

「……三十分後にはトレーニング始めるからな。遅れるなよ」

 

「えっー!!もっとこう、なんかあるでしょ?情緒的な別れの言葉が」

 

耳を倒し、ぷんすこと頬を膨らませる我が担当ウマ娘。

ひどくご立腹な様子だが、しかしそんなことを言われたところでこちらとしては困るだけ。

 

「いや、だって、私にとってはこれまでもこれからもそう変わらないし」

 

数年間、一つ屋根の下で暮らしてきた同居人であるルドルフはともかく、寮への侵入を『原則として』禁じられている我々トレーナーからしてみれば、担当ウマ娘の私生活はさほど関知するところではない。

例えばテイオーにしたって、そのプライベートについては私よりもマヤノトップガンの方がずっと詳しいだろう。

 

もしこれが、車で何時間もかかる新居からの通学であれば多少は違っただろうが。

現実にはせいぜい学園まで数キロ程度であり、ウマ娘の足なら十分もかからずに行き来が可能な範疇である。正直、トレーニングのスケジュールを練る上では、寮にいられるのと大して変わらない。

セキュリティ云々の事情についても、それは事務方の掌握する業務であって、トレーナーからしてみれば全く関係がなかった。

 

「そこをなんとかさ。ほら」

 

「そうだな。強いて言うなら私も清々しているよ。これでもう、爆発と懲戒の恐怖に怯えながら夜を迎えることはなさそうだから」

 

先輩を見てみろ。あまりにもタキオンがやらかし過ぎたせいで、先日とうとう中央諮問委員会にまで出頭を命じられていたぞ。

 

ましてやこの二人、タキオンよりもさらに世間からの注目が高いのだから。

なにかが起きた場合、流石にクビは切られないとしても、監督不行き届からチームトレーナーとしての資格を剥奪されるぐらいは十分あり得る。なにしろ、彼女たちには前科があった。

 

……まぁ、先輩や沖野トレーナーのチームが未だに解散に至ってない辺り、私の気にしすぎかもしれないが。

いずれにしても、これにて私の胸のつかえがようやく取れるのだ。ああ、本当に清々する。

 

「もういいよ!トレーナーの意地悪!そんなに言うなら、お望み通りさっさと出ていってあげる。新居にだって絶対に招待してあげないから!」

 

ぷりぷりと、肩を怒らせつつ大股で玄関から去っていくシービー。その尻尾も「アタシ怒っていますよ」と言わんばかりに、盛大に毛を逆立てて振られている。

 

「……まったく、トレーナー君も人が悪い。いくら時間が押しているとは言え、あんな突き放すような言い方は感心しないよ」

 

「ああでもしないと、いつまでも出ていかないだろう。名残惜しいのは分かるが、かれこれ一時間も渋っていたわけだし」

 

「それはそうだが………」

 

「気持ちは分かるんだけどね」

 

トレセン学園の生徒にとって、学生寮とは特別なものだ。

殆どの者が初めて経験する親元から離れた暮らしであり、競技ウマ娘としての青春における一つの象徴に他ならない……と、かつて誰かから聞いたことがある。

それにシービーは一人っ子。群馬に生まれ、北海道に引っ越したというが、どちらでも集団生活には縁が無かったらしい。だからこそ、ここでの日常にはかなりの思い入れがあったとか。

 

そう言えば、栗東との対抗レースでも率先して前に出ていたな。それだけ美浦への帰属意識が強かったのだろうか。

 

「三冠バが抜けたとなると、今後の寮対抗はまた不利になるか。まだルドルフがいるとはいえ」

 

「向こうもブライアン一人なのだから、これでようやく釣り合いがとれるということさ。それはそうと、"また"とはどういう意味かな?」

 

「ああ。君が入学する前年にも、マルゼンスキーが美浦を抜けてね。あの時は阿鼻叫喚だった……それと比べれば、今回は随分穏やかだったものだな」

 

元々、美浦は栗東と比べて勢力が弱い。

だからこそ、これまでエースを張っていたシービーの離脱は大損害なのだが。それでも落ち着いているのは、やはりルドルフの存在感故だと思う。

史上唯一の無敗三冠かつ七冠ウマ娘、尚且つ現役の生徒会長という肩書きは、この中央においても唯一無二。それが美浦に籍を置いているだけでも、寮生の間に一定の安心感が生まれるのだろうな。

 

勿論、シービーとて引き留められるには引き留められたが。

しかし彼女は、自分自身の意思によって、それらの制止を振り切り出ていってしまった。

 

本人から伝えられたところによると、一人暮らしそのものはずっと昔から意識していたらしい。曰く、マルゼンスキーからあれこれ話を聞く中で、その自由っぷりに憧れを抱いたとか。

ただ、思い立って即実行という程のものでもなかったらしく、計画を立てつつも面倒くささやらが先んじて何年も塩漬けになっていた。それが先月になって急に目処がたち、遂に実行に移したのだと。

 

「それはそうと、彼女の後釜については聞いているのかな?」

 

「いや、聞いていないよ。候補がいるのかも分からない……テイオーも栗東に行ってしまったからな。だから当分の間は、私も一人暮らしとなるだろう」

 

「そうか」

 

なら、私がここに足を運ぶ機会もだいぶ減るだろう。

 

二年前から原則トレーナーは立入禁止だというのに、私の場合は今でも頻繁にこの玄関を行き来している。言うまでもなく、その原因の大半は二人の結託にあった。

お陰でもう、ここの廊下を歩いたところで誰も気に留めない有り様。新入生ですら同様な辺り、どうやら寮全体で私の存在が周知されてしまっているらしい。

 

断れば逆に向こうからトレーナー寮へと侵入してくのだから手に負えない。

しかしこうして片割れが姿を消した以上、ルドルフとてそう無茶は出来なくなるだろう。めでたしめでたし。

 

「さて、厄落としも済んだことだし。さっさとグラウンドに行くとするか。テイオーだって待ってることだろう」

 

「了解した。ところで、先程のあの言葉……やはり本音だったんだな………」

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから数日が経った、土曜日のこと。

 

朝一番に、私のウマインにシービーから自宅に誘う旨のメッセージが届いていた。絶対に招待しないのではなかったのか。

とは言え、私としてもちゃんと自活出来ているか心配ではあったので、今こうして彼女の新居へと向かっている。

 

知らされているのはマンションの名前と部屋番号だけだが、それで迷うこともない。

なにしろ、その行き先はこれまで数え切れない程訪れた、駿川たづなが居を構えているマンションなのだから。

 

この度の引っ越しにおいて、シービーに部屋を紹介したのがたづなさんだった。

中央に所属するウマ娘は、いずれも学園にとってかけがえのない生徒であるが、やはりミスターシービーともなると一層の保護が必要となる。彼女自身を守るためだが、一方でそれがシービーの新居探しにおける大きなネックとなっていた。

だが理事長秘書が紹介し、本人も実際に暮らしているここなら不足はないだろう。そのぶん高くつくものの、シービーの稼いだ賞金だけで余裕で賄える範疇である。

 

 

むしろ気がかりなのは、新生活の中身である。

 

シービー自身かなり器用で、大体のことは自分でこなせる能力はあるのだけれども。ただ少々、ずぼらと言うか、手を抜きがちな部分があった。

良くも悪くも他人の目がない一人暮らしにおいて、健全に自立出来ているのかどうか。余計なお世話かもしれないが、なにかあってからでは遅いのだから。

一応、学園でのここ数日間は至って変わりなかったので、きっと杞憂なのだろうけども。

 

 

目的の階でエレベーターを降り、告知されていた部屋番号を目指す。

401。奇しくも美浦寮の時と同じ数字の並びであり、ここでは駿川たづなと同じ階層でもあった。出来ればたづなさんに様子を見て欲しかったし、彼女自身そのつもりで紹介したのだろうが……生憎、この一週間は理事長と共に出張中なのだ。

 

 

無事扉の前に辿り着き、インターホンを鳴らす。

 

「シービー?来たぞ」

 

 

 

……出ない。

 

 

 

もう太陽が完全に顔を表している時刻とは言え、休日にしては早すぎたか?

念のためもう一度ボタンを押すが、やはり応答がない。

 

……仕方ない。

 

出禁宣言に反して、初日のうちに合鍵は渡されていた。これを使おう。

 

「入るからな」

 

そう添えて扉を開けてみれば、チェーンが掛かっていないことに気づいた。

 

不用心だなと思った直後、それ以上の違和感に目の当たりにする。

 

 

物が少なすぎる。

必要最小限。生きていく上での、本当に最低限のものしか廊下に見当たらない。

余りにも生活感が無さすぎる……彼女が引っ越して、既に何日も経っているのに。

 

「…………シービー?」

 

無性に嫌な予感がして、速やかに鍵を閉めて中に上がる。

脱ぎ捨てた靴を揃えることすらしないまま、足早に廊下を抜けてリビングの中へと駆け込んだ。

 

「なっ………!?」

 

 

そこで私を出迎えてくれたのは、あまりにも衝撃的な光景。

 

 

部屋一杯に散乱した段ボール。

開封済みの物もあれば、ガムテープで封じられたものまで。割合としては、後者の方が大きい。

 

部屋の隅には家具が放置されており、まるで使われた形跡がない。

乱雑そのものだが、窮屈さを感じないのはそれ以外に殆どなにも見当たらないからだろう。

 

例外と言えば一つだけ。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

「………………………くぅ……」

 

 

段ボールの山の中……少しだけ空間を作り、そこで布団に丸まるシービーだけだった。

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