今にして思えば、いささか不自然だったかもしれない。
いくら街角にある、ちょっと小洒落たカフェテリアだとしても、私以外の来客全てがウマ娘というのは妙だ。日々年頃のウマ娘に囲まれている職業柄、それを当たり前の光景だと見過ごしてしまった。
タキオンに至っては入店以来、ずっとテーブルとにらめっこしていたからそもそも周りを見ていない。
「不味いねぇ……囲まれてしまったねぇ……」
「油断したな。あぁ、こりゃ滅茶苦茶だ」
その過ちを悔やんだところで時すでに遅し。
学園の生徒らしきウマ娘たちはわらわらと、通路を塞ぐように前後から詰め寄せて、着実に包囲網を完成させつつある。
流石にこれは店にとっても邪魔ではないかとカウンターの方を見やれば、そこにいる店員もまたウマ娘の少女。そういえば、トレセン学園では生徒のアルバイトも認められているんだったっけか。
完全に場所選びを間違えたなぁなんて、呆けた頭で周囲を見渡している最中、包囲の先頭に歩み出てくる黒鹿毛のウマ娘。
丈の長いコートに身を包み、マキアートのカップを片手にじとっとした目で私たちを見上げてくるマンハッタンカフェ。その尻尾は脱力し地面に頭を垂らしている。
「よりにもよって……タキオンさんと組んだんですか。本当に、よりにもよって……」
「違うんだ。なにも好き好んで一緒にいるわけじゃない。タキオンが無理やり…」
「な、なんだいトレーナー君。仮にもあの部屋から逃がしてやった恩はないのかい!?」
「そのまま森に返してくれていたら感謝していたさ。徹頭徹尾タキオンの我田引水じゃないか」
「私だって相応のリスクを払っているんだ。まさしくこれがその証明だろう」
「………む~~~………」
私とタキオンがあれこれ言い合っている間にも、仲間外れにされたことが不服なのかみるみる機嫌を損ねていくカフェ。
周囲の制止を押し退けてこちらに一歩踏み出してきた瞬間、そんな彼女をさらに退かしてルドルフとシービーが姿を見せた。
二人揃って友好的な笑みを浮かべているが、よく見れば目が笑っていない。
尻尾や耳のサインこそ完璧に制御されているものの、滲み出る気迫は十数人ものウマ娘が堪らず息を呑んでしまう程。
当然、それを正面からぶつけられた私とタキオンは心中穏やかでいられるわけもなく。
お互い争っている場合ではないと、轡を並べて目前に迫った脅威に対峙する。
「アタシはちゃんとトレーナーとの約束通り、ルドルフのお仕事止めてきたのに、キミはいい子にしてくれなかったんだね。酷いと思わない?」
「自分の家にペットよろしく繋いでおく方がよっぽど酷いと思うけどねぇ」
「だって、トレーナーを無理やり掻っ払うウマ娘がいないとも限らないし。キミみたいにね……タキオン?」
私の脱走に気づいたということは、破壊された足枷についても既に確認済みだということ。
ヒトである私にあんな真似が出来る筈もなく、タキオンが手を貸したことは誰の目にも明らかである。
彼女にとって最悪のシチュエーションであることに間違いないが、それでも怯まず言い返すのは流石といったところだろうか。
ちなみに双方の目的が完全に衝突してしまっているので、互いに妥協し合うことは出来ない。
それ以上に、どちらが勝っても私にとっては不利益にしかならないというのが極めて厄介である。
「仕方ない。こうなったら最後の手段だ。さぁトレーナー君、今こそあの奥の手を使う時だよ!!」
「はやっ!!もうちょっと粘れない?」
「なら強行突破だ。
「まぁ、そう早まるんじゃないタキオン。君とトレーナー君は呉越同舟かと思っていたのだが、どうやら違ったらしい」
そう宣言して、タキオンが臆せず一歩踏み出しポケットに腕を突っ込んだ瞬間、それを遮るように同じく一歩こちらに踏み込んでくるルドルフ。
いつも通り。それはすなわち、このカフェテリアに文字通り火種を投下することすら厭わないという脅迫に他ならない。
良くも悪くも融通が効くトレセン学園内とは異なり、ここは市街地の真っ只中。当事者として、なによりも生徒会長としてルドルフがそれを看過出来る筈もなく。
「落ち着いてくれ。我々は少し早とちりをしてしまったようだ……君が、行方不明のトレーナー君を見つけて保護してくれていたわけだな」
「そうだとも。私にも一つだけ、君にお願いしたいことがあってね。さて、報酬は期待できるのかな?」
「言っただろう。応相談だ……後で、生徒会室まで来るといい。歓迎させてもらうよ」
「会長ともあろう者が不躾だねぇ。君が私のラボまで来たまえよ。心を込めて歓迎するとも」
ルドルフが白々しくも提示した建前に、にんまりとほくそ笑みながら乗っかるタキオン。
早々に計画の失敗の悟り、ここは一先ず私を売り渡すことに決めたらしい。
そもそもの話、彼女は今現在の自らの環境が失われることを恐れていたわけで。
善後策を練るならルドルフの機嫌を過度に損ねることは下策も良いところである。支離滅裂に思えるタキオンの行動原理も、その根底には自己保身という揺るがない軸があった。
まぁ、元々仲間でもなんでもなかったし、なんなら私を先輩の身代わりに捧げようと目論んでいる敵だったので、特に裏切られたとも思わないが。
ただ、このまま事態が進めば、再びあの監禁部屋へと収容されることは避けられない。
無理やり連れ出されたとはいえ脱走したことには変わりなく、ここで捕まれば再び日の目を拝める時が来るかも怪しいものだった。
「さて、皆よくやってくれた。このままでは店にも迷惑になるから帰るとしよう」
「あ、あの……会長さん。さっき言ってた、お願い聞いてくれるって本当なんですか?」
「勿論、出来る限り希望には沿わせてもらうよ。ああ、心配しなくとも、今ここにいる全員の顔は覚えているからね」
色めき立つ生徒たちに纏わりつかれながら、踵を返して悠々と出口に向かうルドルフ。
その背中にもウマ娘の群れが続き、それに押し流されるようにして私も連行されていく。
タキオンもルドルフもシービーも全て敵だ。
せめて一人でもいいから味方が欲しい。
最後の頼みの綱……私の半歩後ろをのそのそと歩いているカフェにひそひそ声で助けを求める。
「カフェ。このままだと私はまたルドルフたちに閉じ込められてしまうよ。ここの全員から逃げるのに手を貸してくれないかな」
「………………………」
「頼むよ。もう頼れるウマ娘は君しかいないんだ」
「……ッ………………」
長く垂らした前髪の隙間では、凍えるような満月の瞳が酷く狼狽えたように揺れている。
私とルドルフたちを交互に見比べ、何度か口をぱくぱくとさせた後、結局なにも声に出さないまま力なく首を横に振ってしまった。
タキオンを睨み付けていた時と比べてえらい態度の変わり様。心情的に私には同情しているものの、結局のところルドルフたちと同意見なのだろう。
よく考えれば、ルドルフやシービー以上に私や母さんと深い付き合いである以上、無理やりにでも彼女から遠ざけるという結論に至るのもむべなるかな、と言うしかないか。
むしろタキオンとは違って、私を実兄の身代わりとしないぶん有情なのかもしれない。
完全に孤立無援だ……こうなればもう、私一人でやり遂げる他ない。
ルドルフは先頭、タキオンとシービーも前方。カフェは俯いていて、周囲のウマ娘も談笑に興じている。
私が逃げられるわけないと信じ込んでいるのだろう。油断している今がチャンスだ。
「シービー。悪い、ちょっとトイレに行きたい。ほら、朝からずっと出せてなくて…」
「なぁに、おしっこ?生理現象だからしょうがないけど、せめて家まで待てないかな?」
「なんならそこの路地裏で済ましたまえよ。この辺りはコンビニも少ないからねぇ」
すっかりいじけた様子で、頭を掻きながら適当なことを言うタキオン。偶然だろうが、いいアシストだ。
「なら、お言葉に甘えて」
「え……いや、ちょっと……本気かい?立ち小便は市の条例違反だよトレーナー君…」
「ちょっ、待ってよトレーナー!捕まっちゃうって!どうしても無理ならアタシがおぶって運んであげるから…」
「トレーナー君……!?」
取り乱す二人を無視して、私はルドルフを抜かしつつ前方に口を開けた路地裏へと回り込む。
この先を十メートルほど進めば、さらに人通りの多い商店街へと出られる筈だ。ただ、この走れない足では振り切れずに捕まってしまうだろう。
やや進んだところで入り口に背中を向けて立ち止まり、手早くズボンのベルトを外してチャックを限界まで下ろす。
さしものルドルフも異性の放尿の現場に立ち会う勇気はないらしく、集団ごと恐る恐る私の背中を見守っているだけだ。
素早く、後ろから見えないようポケットから注射器を取り出してキャップを外す。
そのまま露になった大腿部の前外側に垂直に打ち込んだ。
職業柄、幸いにしてこの手の医療器具に関する知識もある。だからこそ、タキオンはこれを私に寄越したのだろう。
エピペンに倣って太ももに打ってみたが、どうやら正解だったらしい。元々足に効能をもたらす薬なだけあって、急速に両足の鈍痛が和らぎ、軽くなってきたような気さえする。
囲まれた際に使用を促してきた辺り、極めて強力な即効作用を持つのだろう。
ただ、先輩への治験に言及した際の歯切れの悪さからすると、この効果もそう長くは続かない。急いでキャップを嵌めてポケットへと戻し、ズボンとチャックを上げてベルトを締めた。
それはそうとタキオン、まさか君、あのカフェテリアの中で私にズボンを脱がさせるつもりだったのか……?
「ト、トレーナー君……ほ、本当か?本当にやってしまったんだな?その……音とか、匂いとか、そういうのはよく分からなかったんだが……」
ベルトを締め終わったのを見計らって、怖々と声をかけてくるルドルフ。
まるで凄惨な殺人の現場でも目撃したかのように、その声音は張りつめて震えていた。
「なら来て確かめてみるといい」
「えぇ……!?…………えっ…………!?」
「冗談だよ」
だんっと。
勢いよく地面を蹴って走り出す。
最後に一度だけ、後ろを振り返って見てみれば、ルドルフは呆気に取られたまま固まっていた。
直前の会話に加えて、私の足の具合についても熟知していた彼女のことだから、目の前の現実らしくもなく思考の処理が追いついていないのだろう。
本来すぐさま追いかけるべきこの場面において、走るどころか周りに指示すら出せていない。
それを確かめて視線を前に戻せば、その瞬間に出口へと飛び出した。
ウマムスコンドリアがどうのと説明されていたが、流石に注射するだけでウマ娘と同等の脚力を得られるような、夢の薬というわけではないらしい。
ごく一般的な、成人男性と同等のスピードだろうが、今はこれで十分だった。
日曜の昼過ぎという、最も人通りの多い商店街を縫うようにして駆け抜けていく。
このような人で溢れかえった道では、ウマ娘の脚力の優位もほぼ完全に潰える。駆け足で他人にぶつかって怪我でもさせれば大事だからな。
十数人も引き連れたところで、その全員が機動力を失えばかえって邪魔なだけだ。
逆にあの路地裏のような、人がいない真っ直ぐな直線はまさにウマ娘の独壇場なわけだが。
そこを切り抜けられた以上、流れは完全にこちらにある。最早ルドルフと言えども追いつけまい。
さて、これからどうしようか。
勿論シービーの家には帰らず、しかし学園に戻るつもりにもなれない。
今日は休日なのだし、明日の朝まではどこかで時間を潰すこととしよう。それまでに事態が改善されていることを祈る。
どうせ今回の事件は、サンデーサイレンスの帰還に伴う一過性のショック症状だ。消極的だが、時間の解決に委ねるのが一番な気がする。
「はぁ…………ぐん、はっ……………」
息が乱れる。
羽の生えたかのように軽い足取りは一転して、再び鉛を流し込まれたかのように重くなってきた。蘇る鈍痛。
走り始めてからおおよそ一分少々。そろそろ薬の効果が切れかかってくる頃合いか。
最後の力を振り絞って、目についた路地裏へと飛び込む。
ふと地面に伸びる影に気がついて顔を上げると、路地の中程には漆黒の髪を長く伸ばした、猫背で目つきの悪い、野良犬のようなウマ娘が立っている。
"お友達"か。
どうしてここに……ああ、そうか。実体がないから、人混みの中でもすり抜けて走れるのか。そうして待ち伏せしていたと。
「くっ………!!」
回り込まれてしまったが、今は構っている場合じゃない。
相手は幽体だ。かわすこともなく、全速力でそこに突っ込んだ。
「……………ッ」
返ってきたのは確かな手応え。
衝撃に耐え、不愉快そうに顔をしかめるウマ娘。
「!!!!!!!?????」
コイツ、実体が…………ある!!!!