シンボリルドルフに逆らえないトレーナー君の話   作:くまも

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予定が詰まってしまったので今回は短めです。



再出発

 

幽体である筈の"お友達"には、確かな肉体があった。

 

すり抜けられず、いとも呆気なく私の進撃は阻まれてしまう。

それはあたかも、ベランダに飛び出そうとした瞬間、ぴかぴかに磨かれた透明な窓ガラスにぶち当たったかのような。

 

「?????」

 

行く手を遮られた以上、差し当たっては後退すべきなのだろうが。

衝撃と困惑でネジの外れた私の脳みそは、壊れたコードのように前進の司令だけを繰り返す。

 

しかしどれだけ力を込めたところで先には進めず、ごそごそとコートの中でもがき続けるばかり。

よく考えれば、全力で衝突してもたたらを踏むことすらなかった彼女が、静止したこの状態からいくら押したところで動く筈がない。

深く地の底に根付いた大樹と相撲を取っているようだった。ウマ娘であることを差し引いてもなお凄まじい体幹である。

 

「あァ、そうかいそうかい。熱烈なハグってわけだな。静かな日曜の路地裏で、親子の再会を祝して」

 

取って付けたような優しさを孕ませた、不気味な猫撫で声と共にそっと彼女の両腕が私の背中に回される。

そのまま有無を言わさぬ勢いで、力強く引き寄せられた。感じられるのはウマ娘特有の高い体温と、引き締まった筋肉の弾力、高らかな鼓動。

 

男性にしてはやや小柄な私よりも、さらに頭一つ下回る矮躯でありながら、獰猛なまでの生命力のうねりがひしひしと伝わってくる。

端から見れば、可憐な女性に抱きつかれている羨ましい絵面だろうが、現実にかかるプレッシャーは猛獣に組み伏せられた手負いの草食動物さながら。

 

この期に及んで逃げ出そうと、ようやく足が後ずさりの動きを示すものの、当然彼女がそれを許すわけもなく。

男女の睦事のごとき抱擁も束の間、凄まじい締め付けが私の胴に襲いかかる。

 

相手の腰をとり上から圧力をかけ、膝を突かせる鯖折りと呼ばれる技。

しかし強靭な腕力の賜物か、逆に宙に持ち上げつつ胃と肺から空気を絞り出させてくる。必死に口を開けてもがいたところで肺は膨らまず、急速に意識に靄がかかってくる。

 

「なんだ……もう終わりかい?」

 

くつくつと、ウマ娘はせせら笑うように喉を鳴らす。

それに返す言葉もなく、脱力して腕を垂らし、ずるずると地面にへたり込む瞬間。

 

彼女のコートの内側に、鈍く輝くバッジの姿が見えた。

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――――――はっ!!!」

 

 

目を覚ますと同時に、反射的に息を呑み込んで。

私は腹までかけられたシーツを盛大にはね除けながら、転げ落ちるようにしてベッドから飛び降りた。

 

落ち着け。落ち着くんだ私。

この程度の災難はこれまで何度だって乗り越えてきただろう。

 

走り疲れた犬のように、短い呼吸をせわしなく繰り出しながら部屋の中を見渡す。

部屋の隅に設置された大きいベッド、その横にはアーチ型の出窓。床にはウールのカーペットが敷かれ、天井にはスピーカーが一つ。

 

見間違える筈もない、トレーナー寮の寝室だった。

今日は休日。自室で惰眠を貪っていたのだろう。

 

「…………夢か」

 

そうだ、全ては悪い夢。

 

引っ越したシービーの荷解きを手伝いに訪れてみれば、何故か彼女の寝室に監禁されてしまったことも。

錯乱したタキオンに助け出されて、そのままサンデーサイレンスの元に連行されかけたことも。

どうにかカフェテリアに連れ込んで話をしてみても、いつの間にかルドルフたちに見つかって包囲されたことも。その際、タキオンやカフェにすら見捨てられてしまったことも。

それでもどうにか逃げた先には、件のサンデーサイレンス本人が待ち構えていたことだって。

 

トレーナーとして独立した一年目の春、担当の椅子を賭けた熾烈な戦いがルドルフとシービーの間で繰り広げられた。

今となっては笑い話だが、それでもこの時期を迎えるとやはり心のどこかに引っ掛かってしまうらしい。

失敗を克服することの重要性については、サブトレーナー時代に先生から散々言い聞かされたことだというのに。一番弟子の私がこの有り様では、師にも妹弟子たちにも言い訳出来ないな。

 

もっと気を引き締めなければと、一人決意を新たにしたところで……ふと、ベッドから対角の位置に据えられたクローゼットが目についた。

新品同様の、傷一つない真っ白なクローゼット。妙だ。私の寝室にあるこれは、数年にも渡る担当ウマ娘との攻防の末に、いよいよ臨終の刻を目前に控えているところなのに。

 

ノブに両手をかけて、えいやとばかりに大きく開け放つ。

 

果たして中に納められていたのは、どこからどう見ても私にはサイズの合わない、真っ黒なスーツ一式。

それを丁寧に横に退かして、さらに奥を探ってみれば、ふと他とは毛色の異なる衣装に辿り着いた。

 

 

そっとハンガーから外して引き出してみれば、下げられていたのは袖にラインの入った漆黒のロングコート。

さらにその下には、同じく真っ黒な膝上までのトゥニカと肩掛け。モチーフとなったのは修道服だろう。ただし、日曜のミサに着ていくためのものではない。

 

これは競技ウマ娘の勝負服だ。

ただ形状だけを比べるなら、あのスーツ一式とかなり似通っているだろうが……纏う雰囲気、オーラが明らかに違う。数多の激闘、死闘を演じてきた気迫がひしひしと手元から這い上ってくる。

ルドルフやシービーの衣装から受け取られるものと同じ。持ち主の魂そのものと言い換えても大袈裟ではない。

 

なんならこうして勝手に取り出して眺めているだけでも逆鱗に触れかねないと思い至って、慎重に元あった場所へと戻す。

この時点で僅かながらも私の匂いが移ってしまっているだろうから、今さら手遅れかもしれないが…。

 

 

 

そのままゆっくりとクローゼットの扉を閉じて、何食わぬ顔でリビングへと足を運ぶ。

 

中央に向かい合って並んだソファには、案の定こちらに背を向けて腰かける母の姿があった。

ばさばさの長髪を無造作に背もたれの後ろに流し、組んだ膝の上に開いたラップトップから閲覧しているのは学園のイントラネット。在籍生徒の記録を読み漁っているらしい。

 

「おはようございます。ああやっぱり、本当に来てしまったんですか。来てしまったんですね」

 

「悪いか?文句なら秋川のガキに申し立てろよ。言っておくがな、俺だって乗り気じゃなかったんだぜ」

 

「あの孤児院とサンデー教室の経営はどうなったんです」

 

「シンボリに召し上げられちまったよ。ったくアイツら、裏でコソコソと結託しやがって……」

 

ぶつぶつと呪詛を吐き散らし、苛立たしげに頭を掻くサンデーサイレンス。

その格好はネクタイを緩めただけのスーツ姿で、コートはソファの台座に丸まって放り投げられている。どうやらこの部屋に戻って以来、そう時間も経っていないらしい。

 

せめてコートは皺にならない内にハンガーに下げてしまおうと近づいたところで、その下に横たわる紙袋に気がついた。

外側に印刷されたロゴを見る限り、どうやら街にある百貨店で買い物をしてきたらしい。

 

「またお酒でも買ってきたんですか……」

 

ため息と共にそれを覗いてみると、驚くべきことにそこには酒瓶の姿もミントキャンディの影もなく、あるのは新品のストップウォッチとセラポアテープ。

 

「バカか。トレーナーやるってんのに酒なんざ買ってくるわけねェだろ」

 

「…………………………」

 

「てかお前も飲んでるなら止めた方がいいぞ。とりわけ鼻が効く連中の中には、酒精を毛嫌いする奴もいるからな。面倒くせェが、ウマ娘第一がこの学園のモットーだ」

 

「……………はい」

 

マジか。

私が、私たちがあれだけ手を替え品を替え対策を講じたところで、ついぞ成し遂げられなかった彼女の禁酒がこうもあっさりと。

 

「おい、いつまでつっ立ってんだよ。早くそこ座れ。一つだけ話がある」

 

向かいのソファをしゃくって示され、私は素直にそれに従った。

浅く腰を下ろし、前屈みに向き直ったところで、サンデーサイレンスは気だるげにラップトップを閉じる。

 

「それで、なんですか。話というのは」

 

 

「レースの告知。秋川理事長が思いつきで考案したチーム対抗レース……仮称『URAポスト・ホース』について教えてやる」

 

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