シンボリルドルフに逆らえないトレーナー君の話   作:くまも

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その影はゆっくりと

タキオンの研究室(ラボ)は、本校舎の一階の片隅にある。

スタッフ研修生の講義室が並び、一般のウマ娘やトレーナーにとっては殆ど馴染みのない区画をさらに一回曲がった突き当たりだ。

 

偶然辿り着くということはほぼあり得ず、その存在すら知らない生徒も多い。知っていたら知っていたで、そこがタキオンの根城である以上やはり自ら足を運ぶことはない。

友人であるカフェや担当トレーナーである先輩といった極僅かな例外を除いては、だが。

 

あとはルドルフもそうか。

個人的な交流というのもあるが、なにより生徒会長として定期的に視察に取り組むのも仕事なのだ。タキオンは学園の生徒であることから、彼女の研究に対する予算配分の許可並びにその中身について検討するのは生徒会の管轄である。

その多忙さ故に、全ての予算申請に対して現地調査を行っているわけではなく、実績と信頼性のある活動については原則書面のみで審査が通るのだが、生憎タキオンの実験はそれに当てはまらない。

ルドルフの視察に同行して、私もまたここに顔を出すことは度々あった。

 

今日のように、タキオン自身に引っ張ってこられるのは久し振りだが。

天井から降り注ぐ、真っ白で無機質な蛍光灯の瞬き。乳白色をしたリノリウムの床は、埃一つなく清潔に保たれている。その上を、部屋の主は忙しなく行ったり来たり。

太く長く、しなやかな尻尾を規則的に揺らしながら、窓際にぽつんと据えられたデスクの中をごそごそと漁っている。私の記憶が正しければ、あそこに入っていたのは紅茶のパウダーだったな。

 

「ふぅむ……トレーナー君、君はどれが好みだったかな……」

 

「ご親切にどうも。悪いがなにを出されても口をつけるつもりは毛頭ないよ」

 

「なんだい。せっかくの私の好意を無下にするつもりかい……まったく、私が手ずからもてなす事なんてそうそうないのだから、この際ありがたく受け取れば良いものを」

 

「恩着せがましいな。善意でもない、本音ではただのごますりの癖して」

 

今日に限らず、タキオンは初対面から一貫して私に友好的だった。

 

ただしそれは友誼から来るものではなく、たんにトレセン学園生徒会長シンボリルドルフのトレーナーという肩書きに阿っているだけである。

個人的な恩義というのもあるが、なによりタキオンにとってルドルフは自身の研究における資金調達の要だ。その担当である私を介して、少しでも彼女の心象を良くしておきたいというのが本心だろう。

とどのつまり、重要なのは予算を握る生徒会長からの評価だけなので、今朝みたく私とルドルフが対立した際にはあっさりと私を切り捨てていく。

 

もっとも、仮に私とタキオンが親密な間柄だったところで、差し出される紅茶を受け入れるか否かはまた別の話だが。

彼女が寄越してくる飲食物に口をつけてはならないというのは、このラボにおける暗黙の了解である。

 

「どう受け取ってくれても君の勝手さ。まぁいい。とりあえず、そこの寝台にでも仰向けになってくれたまえよ」

 

引き出しを閉じて、タキオンは壁にくっつけて広げた折り畳み式ベッドを指差す。

研究に熱をあげてそのまま寝落ちすることも多い彼女のために、クリスマスかなにかでカフェが用意してやったものだ。曰く、こうでもしないと翌日体が痛いと喚いて五月蝿いからだとか。

 

「……ん?」

 

言われた通りベッドの隣に立つと、気のせいか掛け布団が不自然に盛り上がって見える。

 

珍しい。誰も寄り付かないこのラボに二人も客人がいるなんて。

まぁ、どうせカフェか先輩のどちらかだろうとあたりをつけつつ、綿の潰れた布団の裾を掴んでえいやと引っぺがしてみる。

 

「……カフェか。どうした、こんなところで」

 

「………………ああ、兄さん……ですか……………」

 

ベッドの上で膝を抱いて丸まっているカフェの姿がそこにはあった。

 

どうやら眠ってはいないようで、虚ろな目を彷徨わせつつ寝返りをうち、落ち着かなさげにシーツへと顔を擦り付けている。

真っ黒な尻尾はずるりとベッドの端から滑り落ちて、枯れ枝のように力なく下を向いた。普段から活気には程遠い子であったが、今は完全に魂が抜けきってしまっている。

異常事態だ。とは言え、別に驚くには値しない。誰がどう見ても、犯人は一人しかいないだろう。

 

「タキオン」

 

「えー!!いきなり私のせいかい!?よしておくれよ、なにも根拠なんてないだろう」

 

「じゃあ、どうしてカフェがこんな有り様で君のベッドに横たわっている?どうせまた変なものでも飲ませたんだろう」

 

「言いがかりだよ。数時間前ここに来たときからそんな様子だった。仕方ないからベッドを貸してあげていただけさ。まだそこにいたとは思わなかったが……」

 

眉尻を下げながら、困り果てたように頭を掻くタキオン。

開き直りもしないということは、どうやら彼女の弁明は真実らしい。

 

改めてベッドに横たわるカフェを観察するも、やはり息を吹き返す兆候はなさそうだった。

光のない目でここではない遠くを見ながら、ぐったりと薄い胸を上下させている。血色は良好で、体調を崩しているようには見えないが、それでも正常な思考力はとっくに手放してしまったのだろう。

そうでなければ、数時間もここで無防備に身を晒しているわけがない。

 

念のため、シャツの胸元を緩めて露になった首筋に手を添える。

脈拍は異状なし。体温はやや高く感じられるが、ウマ娘であるから正常の範囲内だ。となると、カフェの不調は精神に起因するもので……やはり、母さんが出戻ってきた心労だろうか。なにせ、あのタキオンですらあそこまで狼狽する程だったし。

 

そうしていると、ふとカフェの黄金の瞳が焦点を取り戻して私を見上げる。

 

「ああ、兄さんも寝たいんですね………一緒に寝ますか、久し振りに………同じベッドで…………」

 

「寝ない。それよりもカフェ、母さんとはもう話をしたか?」

 

「……………??……………いえ……してません……」

 

質問の意味が分からないといった顔で、ふるふると頭を横に振るカフェ。

あの人が学園の敷地を跨いだのは恐らく昨晩の事なので、まだ直接顔を合わせていないのはおかしくもないか。わざわざ自分から挨拶しに行くことは絶対にしないだろうし。

 

となると、彼女の心労のタネはサンデーサイレンスではなく、全く別の事柄だということになる。

これ以上心理的に負担をかけたくはないので、母の話題についてはひとまず脇に置いておくとしよう。

 

「そうか……だったら、どうしてこんな脱け殻になっているんだ」

 

「………お友達が………いないんです。もう、朝から……ずっと………」

 

途切れ途切れにぼそぼそ声で理由を吐き出すカフェ。そのまま、肺を絞り込むようなため息を溢す。

 

お友達がいない。そう言われると、確かに心当たりがある。

今朝あのカフェテリアでかち合った時、店内のどこにもお友達の姿は見当たらなかった。あれだけ人数がいたものだから、ひょっとしたら見逃していただけなのかもしれないと思っていたが。

 

そして今もまた、ラボにはかの幽霊の影も形も見当たらない。普段であればカフェの隣なり部屋の隅なりでぽつんと立ち尽くしている筈なのに。

もっとも彼女とて四六時中カフェにぴったり引っ付いているわけではなく、時には自分の意思で行動するため今回もそうなのだと一人納得していた。まさか行方不明とは。

 

「だからと言って、私に頼ってこられてもねぇ……流石に幽霊捜索は身に余るよ。それよりもカフェ、早くベッドを空けておくれ」

 

そう言いつつも、端からカフェが自分で動けないと悟っているのか、抱き抱えて強引にベッドから引き剥がすタキオン。

おろおろと周囲を見渡して、さしあたり実験台前の椅子に座らせた後、今度は私を無理やりベッドへと押し倒してきた。こういう時ばかりは本当に手際が良い。

 

初めて寝かせられた折り畳みベッドは、既にだいぶ使い倒されているのか新品のような柔らかさは感じられない。

代わりに今の今まで横になっていたカフェの体温が残り、妙にほかほかと温かかった。慣れない感触にあれやこれやと体の位置を調整している最中、不意にチクリと首筋に走る痛み。

 

「………っ」

 

見上げれば、案の定にやけつつ注射器を構えるタキオンの姿。シリンジの中身は空っぽで、あの一瞬で正確に血管へと打ち込んだということ……あぁ、本当に手際が良い。

 

「……なにをした?」

 

「そう怖い顔をしないでくれたまえよ。別に怪しいものじゃない。ただの麻酔さ……じきに効果が現れるだろう。そちらの方が私としてもやりやすいからねぇ。悪いが我慢しておくれ」

 

「一応聞いておくが、君は麻酔を扱う………いや、やっぱりなんでもない」

 

免許を取得しているのかと尋ねかけるも、やはり止めておくことにする。

免許を所持しているだろうと信頼したわけでは勿論ない。単純に、「君がそんなこと気にする必要ないだろう」などといった答えが返ってくるのが怖かっただけだ。

どのみち結果が変えられないのであれば、現実から目を背けてでも心に優しくしておくのが得策である。

 

麻酔が効いてきたようで、ものの数秒で思考が鈍くなってきた。

それはすぐさま認知の阻害へと置き換わり、目に映る光景が情報として脳へと届かなくなる。

 

直後に瞼も落ちてきて、私の世界はあっという間に閉ざされてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

眩しい。

 

闇に閉ざされた視界に直後、目映い光が射し込んだ。

 

瞼越しに受け取る蛍光灯ではない……例えるならば、恒星が爆発しているかのような。

私の手前……トンネルを抜ける直前のように、遠くから長く長く光の柱が伸びている。

 

なんとなく、それに呼ばれているような気がして。

一歩踏み出した瞬間、横を駆け抜けていく一つの影。

 

 

………誰?

 

 

呼び掛けても返事は来ない。

いや、違う。そもそも声が出てこない。

 

顔は見えなかった。髪型も……逆行の中で、みるみる遠ざかっていく背には尻尾があって。

 

あれは勝負服だろうか。

マントを翻したシルエットは、どこかで見たような気がしてならない。

 

 

待って。

 

 

声に出ない。駄目だ……言葉では駄目なんだ。

追いかけないと……走らないと。

 

 

小さくなった彼女を目指して、腕を振って走り出す。

踏みしめる大地の感触はない。ふわふわと宙に浮いているようで、しかし際限なく加速していく。

 

 

ああそうか。これは夢なんだね。

 

 

 

距離感の掴めなかった光は存外に近かったようで、瞬きの間に目の前へと近づいてくる。

 

理解の及ばないそれに、不思議と悪い感覚はしないまま……私は思い切って身を踊らせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

「………………ん」

 

 

目を開けると、そこは見知った天井だった。

 

落ち着いた寒色の壁紙に、中央には埋め込み式のスピーカー……私の寮部屋か。

 

上体を起こしつつ、ベッドの感触を確かめる。弾力に富んだそれは、やはり折り畳み式のそれとはまるで別物。

たしかタキオンに麻酔を打たれて、そのまま眠りに沈んで……目覚めたらここか。データの採取とやらが終わったので、そのままここに投げ込んだのだろう。

一声かけてくれれば良いものを。いや、麻酔が効いている以上、それをしたところで無意味だったか。

 

 

ベッドから降り立ったところで、ふと出窓から射し込む柔らかな陽射しが目に止まる。

 

薄暗い室内、そして明らかに夕焼けからはかけ離れた光。

嫌な予感を胸に抱きつつ、枕元の充電コードからスマホを取り外して立ち上げてみれば、案の定時刻は月曜の朝六時だった。

 

「うわ……」

 

あのまま麻酔で半日と一晩眠りこけたわけか。えらく即効性と持続が強力なものだ。

無事に帰れたことそれ自体は結構であるが、結局あの騒動だけでまるまる休日が潰れてしまったのは残念でならない。

本来の予定では、土曜はシービーの荷解きの手伝いにあてて、日曜は久々にゆっくりするつもりだったのだが……これでは全く休んだ気にもなれなかった。

 

まぁ、仕方ない。

トレセン学園でトレーナーとして生きる以上、こういった些細な不幸に囚われていては身が持たない。

 

 

さっさと気持ちを入れ替えて、再び一週間……仕事を頑張るとしよう。

 

 

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