投稿が安定しなくて申し訳ないです。
引き摺るように立たされる。そのまま、乱暴に空き教室へと放り込まれた。
一気に突き飛ばされ、たたらを踏みながら辛うじて静止する。そうしている間に、背中では荒々しく扉が閉められる音。
トイレと階段に挟まれ、廊下からは見落とされがちな部屋。
会議に用いられているらしく、後方に折り畳み式の長机が数列に並んで固められており、私達以外に気配はない。
最も活気溢れる時間帯の本校舎ではあるが、人の配置はかなり偏っている。今この瞬間にも生徒の大勢が一階中央食堂へと移動し、あと数分もすればここら一帯から人は捌けるだろう。
乱れた制服を整えながら振り返り、その原因を睨み付ける。
教室のカーテンは閉め切られていて薄暗い。ぼんやりとした視界に収まるシルエットは五人。その内でも筆頭格らしき、一番手前のウマ娘が私を睨み返してきた。
「なに、その目。あんた、自分の状況ちゃんと分かってんの?」
「……分かるわけ、ないだろ。私が貴女達になにかした?」
「見ていて気分が悪いのよ、あんた」
耳を倒し、ローファーの靴先で苛立たしげに床を叩いている。その後ろに固まった連中もまた、そわそわと落ち着かない様子で首肯した。
暗さにも次第に目が慣れてきて、彼女達の容貌が鮮明となる。全員、その顔に見覚えがあった。
昨年末、今年度のチーム拡大を見越して逆スカウトをかけてきた大勢のウマ娘の中の一部。既に専属トレーナーがついているにも関わらず声をかけてきた者もいたが、少なくとも彼女達はいずれもフリーだったと記憶している。
決して箸にも棒にもかからないというレベルではなく、特にリーダーらしき手前のウマ娘は選抜レースでも何度か入賞するだけの実力は備えていたが、中々担当を捕まえられないらしい。
結果さえ残せれば、必ず良いトレーナーがつくとも限らないというのが選抜レースの難しさだ。それが基本であることには違いないが、他にもトレーナーから見た印象やトレーニングにおける相性、方針の一致、気性、脚質の向き不向き等々、数多くの要因が複雑に絡み合っている。
あのルドルフでさえ、逆に荷が重すぎると敬遠するトレーナーも多い。ともすればG1レースより過酷という評価も、決して大袈裟ではないのだと思う。
結局のところ巡り合わせと言う他ないのだが、それで納得出来るか否かはまた別の話。
なまじ見込みがあるぶん、燻っている今の自分に我慢ならないのだろう。
それが理解出来るからこそ、ここまで敵意を向けてくる理由も察しがついてしまう。
「研修生の癖して三冠ウマ娘と同じチームなんて。シンボリのなにだか知らないしどうでもいいけどさぁ……調子乗りすぎじゃない?」
「仕方ないでしょ。そう決めたのはウチのトレーナーなんだから」
「ほんっと生意気。あんたみたいなのがコネで拾われて、なんで私だけが……」
床を小突く動きはやがて、ざりざりと本格的な前掻きに発展する。
私がチームに加入したという部分はさておき、彼女達の逆スカウトに応じなかったちゃんとした理由はあるのだが、しかしここでそれを説明することは出来ない。
話を主導していたウマ娘がヒートアップしていくに従って、後ろでこちらを睨んでいる取り巻きの雰囲気も変化していく。耳が倒れ、尻尾を苛立たしげに左右に揺らし、より剣呑なものへと。
「っ………」
私が彼女達と言葉を交わした時間はそう長くはないものの、受けた印象ではそこまで好戦的でも暴力的でもなかった。
勿論猫を被っていたのもあるだろうが、それを抜きにしたところで、良くも悪くもここまで大それた手段に訴えられるようなウマ娘ではなかったように記憶している。
おおかた同じ境遇の者同士、恐らくは私への妬み嫉みを媒介として連帯を強め、それに背中を押されたといった所だろう。
数が揃った場合、一人の時と比べて先鋭化しがちになるのはヒトもウマ娘も同じこと。ましてや彼女達は日陰で燻り続けたことで、精神の安定を欠いている。
常に勝負のプレッシャーと周囲の期待に晒され続ける特殊な環境である上、思春期の少女が多数集まるこのトレセン学園においては珍しくない暴走であり……同時に極めて危険な状態でもある。
「……なに。私に、今のチームから出ていけとでも言いたいの?」
「別にそんなことまでは言わないわ。だいたいあんたがチームにいようがいまいが、私にとってはなんも関係ないんだし。それより……あんた、あのトレーナーに口利きしなさい。シンボリのウマ娘が言うことなら無視できないだろうから」
「トレーナーは、別にシンボリお抱えっていうわけじゃない。それに、今は私とテイオーだけで手一杯だよ」
「それはあんたが決めることじゃないでしょ。話にならないわね……もういい。さっさとトレーナーの所まで案内しなさい」
「それも無理。今は療養中で遠隔業務。学園には出勤していない」
「へぇ……なら、暫くは直接あんたの様子も見に来れないわけだ」
リーダーの生徒はにやりと笑うと、再び私の胸を力一杯に突き飛ばした。
窓枠に背中から叩きつけられ、どうにか受け身を取った瞬間、首を片手で締め上げられる。もう片方の手は私の肩を押さえつけ、こちらの身動きを封じていた。
「な……にを……」
「前言撤回。やっぱりあんたには椅子を譲ってもらう。力試しでここに来たんなら、怪我の一つでも貰えばいる意味ないもんね?まだここに来て一週間も経ってないなら、トレーナーともお互い情はないでしょ?」
「そんなの……貴女達がただじゃすまないよ。そんな前科がつけば、私のトレーナーだけじゃない。この学園の全員からそっぽを向かれて……」
「うっさい!!それなら結局、今までと同じことじゃない!!……いいわ、ならそんな告げ口も出来ないように……」
首を絞める力が一段と強くなる。気道が閉塞し、会話はおろか呼吸すら覚束ない。
いくらデビュー前とはいえ、腐っても中央に籍を置くウマ娘。全体重でのし掛かられ、力づくで振りほどく事も叶わず視界が靄がかったように薄暗くなっていく。
後ろの四人は参加せず、おろおろと狼狽しながらこちらを見守っているだけだが、それでも数の有利は向こうにある。いくらウマ娘の身体を得たと言っても、相手もウマ娘であるならなんのアドバンテージにもならない。
いや、むしろマイナスか。これがもしヒトの頃だったら、ここまで直接的な実力行使はされなかっただろう。双方の種族が一致しているぶん、かえって容赦がなくなっていた。
「ぐっ………」
抵抗するべきなのだろうが、どうしても体が動かない。
ここで騒ぎを起こしたくないというのもあるし、なによりウマ娘の力を振るうという感覚を私は知らない。勢い余って、やり過ぎてもしまえば最悪だ。
そう躊躇っている間にも、締め上げる力は一向に緩まず、むしろますます勢いを増してこちらの意識を削ぎ落としにかかる。ここで気を失ってしまえば、その後どうなるかなんて……考えたくもない。
ああ、早く決断しなければ。
いや……もう既に手遅れなのか。もう、はね除けられるだけの気力は奪われ、手足から力は抜けていく一方。
限界を迎え、腰から床に崩れ落ちかけた間際… …不意に、首にかけられた指の感覚が消えた。
解放された……わけではないか。
私とリーダー格の生徒との間に割り込むようにして、その手首を掴んで捻り上げているウマ娘が一人。
私をそっと抱き起こしつつ、五人の顔を睥睨する。
「なぁにやってんだぁ、お前ら」
「……シリウスシンボリ……!!なんで、あんたがここに……」
「ここは私のお気に入りの場所でな。人目がねぇからフケるにはお誂え向きだ。たまに、お前らみたいな連中が沸いて出てくんのが珠に傷だが」
のんびりと欠伸を噛み殺しつつも、鋭い視線は決して外さないシリウス。
五対一の状況にも関わらず、全く緊張した様子がない。それどころか突っかかるのはリーダー格のウマ娘だけで、他の子達は完全に顔を青くしてしまっている。
シリウスは札付きで有名だ。なにか暴力沙汰を引き起こしたという話こそないが、学園内で独自の勢力を築き上げ、尚且つそれがあぶれ者揃いとなると、やはり黒いイメージがついて回る。
なまじ本人が名門の出であり、G1レースでも結果を残しているぶん、その反体制的な言動にもある種の説得力が生まれ、それが彼女自身のカリスマに繋がっていた。
姿を見せるや否や、あっという間に場の空気を掌握する異才。
クリーム色のカーテンに閉ざされ、薄暗い部屋の中で、あたかも恒星のごとく強烈な存在感を放っている。見る者全てを惹きつけて放さない、妖しくも美しい一等星。
「で、ウチのになにしてくれてんだって聞いてんだけど。今日は随分穏やかじゃねーな、テメエら全員」
「このっ……!!運良くトレーナー見つかったからって調子にのって……!!」
「ハッ。お前らも私にはいはい言ってついてこられるだけの可愛げがあれば、今頃まとめてアイツの世話になれたってのに。下手にプライド拗らせると大変だな」
いきり立つウマ娘相手に一歩も退かず、シリウスは尊大な態度を崩さない。
手慣れた動きで私の肩をさりげなく抱き寄せ、頭をそっと擦り付けてくる。それはあたかも、他の男に自分の女を見せびらかすような仕草。
それを見せつけられ、一斉に怯んだように一歩二歩と後退りするウマ娘達。
その仕草の意味するところ、それに直前のシリウスの言葉を繋げてようやく理解に至ったらしい。
「良かったな。今ここに来たのがあの皇帝サマじゃなくて。まぁ、私としてもただで済ますかどうかは怪しいとこだが」
「………チッ!!もういい。行くよ皆」
それでも数に任せて力に訴える程、冷静さを欠いていたわけではないようで、五人組は文字通り尻尾を巻いて会議室から出ていった。
その背中にシリウスはしっしと手を払う。追いかけないあたり、ただで済ます云々もあくまで脅しだったのだろう。
もっとも仮に本気だとしても彼女のことだから、家の力を借りず自力で叩きのめすことに拘るのだろうが。
「……ありがとうシリウス。助かった」
最後の一人が扉を閉めて、会議室が再び静寂を取り戻した頃。
ようやく意識もはっきりとしてきた私は、シリウスにすがり付くのを止めてなんとか自分の足で立ち直った。流石に部屋の外でもう一度襲いかかってくることもないだろうと踏んで、一人扉へと向かう。
と、突然後ろから押し倒された。
「待ちな」
「……シリ、ウス?」
胸の下に腕を回され、背中から抱きつかれる格好。それに目を白黒させていると、その隙を逃さず仰向けに転がされて両手首を頭上で一纏めにされてしまう。
「せっかく助けてやったってのに、ありがとう一つで済ませようとは随分薄情じゃねーか。なぁ、パーフェクト?」
「いや、でも、それとこれとは」
「ルドルフから離れたモンだから心配して様子を見に来てやれば、案の定バカ共に絡まれるときたもんだ。仮にもシンボリを名乗っていながら……いや、名乗ってはいないか……とにかく、ろくに用足し一つこなせないとは笑い話にもなりゃしない」
「う………」
「出来の悪い末っ子には、家族としてしっかり面倒見てやらねぇとな。仕方ないから、私が守ってやるよ」
私の腹の上にウマ乗りになりながら、シリウスはそっと顔を寄せて、艶かしく舌舐めずりを見せつけてきた。
切れ味の鋭い深紅の双眸は、ルドルフとはまた違った輝きを湛えていて、影に包まれたこの部屋の中で不気味に存在を主張する。あたかも彼女の薄皮一枚下で炎が燃え盛っているかのように、爛々と妖しく揺らめいている。
寄せられた首筋から漂ってくる、妙に甘ったるい香り。ウマ娘の嗅覚でより一層濃く感じられるそれは、暴力的に思考を蕩けさせてくる麻薬のようで。
「でも、私にはルドルフが……」
「肝心な時に近くにいないアイツと違って、私にはこうして助けてやった実績がある。なぁ、お前だって、ホントは悪い気はしてないんじゃないか?」
「………………」
人を惹き付ける、という点で優れるウマ娘は多い。
例えばシービーのように、常に人々が求める自分を演じられる者。ルドルフのように、比類のない実力と人格で以て、己の背中に従わせる者。あるいはオグリキャップのように、ただただ圧倒的な夢を見せつける者。
シリウスはそのどれでもない。
どこまでも自分勝手に一人で煙を上げていながら、見る者全てがそこに飛び込まざるを得ない炎。誰が灰になろうとも、彼女だけは消えることもない。その色香は破滅を帯びていて、傾国の素質に満ち満ちている。
彼女に心酔するウマ娘の気持ちがよく分かる。そして性質の悪いことに、恐らく本人は意図的に誑かしているわけではない。それがなにより恐ろしかった。
「ま、不服なら力でどうにかしてみな。聞けば昨日、審査用に提出した模擬レースの記録、相当良かったらしいな」
「あくまで研修生用の基準において、だけどね」
「それはつまり、本来地方の上澄みだとか、名門で英才教育受けた連中が対象ってわけだ。成ったばかりのアンタがクリア出来たなら上出来だろ」
まぁ、快挙と言えば快挙かもしれない。
実際、並走に付き合ってくれたルドルフやシービー、それから審査を行った理事長も褒めてくれた。トレーナーとしての知識があるとしても、コースの選択やコーナーの切れ味、体運びには目を見張るものがあると。
一応、素質があるという部類には入るのだろうが、正直全く安心感はない。そもそもこの学園において才能があるのは当たり前で、それだけでやっていける程甘い世界ではないのだから。
今この状況においても、私はそのことを痛感していた。
「ほらほら、のんびりしてるとあっという間に食われちまうぜ」
背筋と腹直筋に限界まで力を入れて、どうにか脱出しようともがいてみるものの、当のシリウスは涼しい顔のまま私の両手首を片手で抑えつつ、もう片方の手でゆっくりと頬を撫で上げてきた。
伝わってくるその体温はやや冷たくて、彼女が拘束に全く本腰を入れていないことが、否が応にも伝わってくる。私の両手を縛るのも、尻で胴の動きを封じ込めるのも、全て彼女にとっては片手間だった。
ポジションの違いやシリウスが女性にしては体格に恵まれているということもあるが、それ以上に全身に備わった筋肉やその使い方、体幹の強さや関節の柔らかさといった諸々の要素において、組伏せられた私とは圧倒的な開きがある。
ここ暫く担当がおらず、公式試合に出ていなかったと言えども、トレーニング自体は欠かしていなかったのだろう。それは才能では到底埋められない程の、あまりにも歴然とした差であった。
「ん……はは。いつぞやのチンチロを思い出すな。まぁ、あん時より多少マシな抵抗は出来てるんじゃないか」
「ふざ……けるな。これじゃあ、さっきの連中となのも変わらない……!!」
「アイツらと変わらない?いいや、違うね」
頬を撫で上げていた手をぴたりと止めて、シリウスはじっと私の瞳を見つめる。その瞳の奥にある、妖艶な揺らめきを見せつけるかのように。
それが無性に恐ろしくて目を逸らした瞬間、彼女は頬に当てていた手をすっと私の首に添えてきた。
そのままやんわりと力を込めていく。
ゆっくり、ゆっくりと皮膚を押して沈んでいく長くほっそりとした指は、気道も血流も塞がず軽い圧迫感だけを私に伝える。
あのウマ娘の締め上げとは全く違う、殆ど添えるだけに等しい力加減。ひんやりとした彼女の体温が、脛椎までじわじわと染み込んでいくかのようで。
「だって、アンタにとっちゃ私の方がずっと怖い。……そうだろ?」
「……っ」
とっさに息を呑む。
それは明らかな肯定の証であり、喉の動きと胸の上下から、のし掛かる彼女にも正直に伝わってしまう。
シリウスは首にかけていた手を離すと、今度は私の制服の裾へと潜り込ませ、臍から上に上にと直に素肌を撫で上げていく。
胸元に到達すれば、下着の内側、乳房のさらに下へと指を滑り込ませる。彼女の手の平に伝わってくるのは、とっくに冷静さを欠いた私の鼓動。
優しく添えられたシリウスの手に、まるで心臓を直接握り締められたかのように錯覚してしまい……私の意思に反して、それはどんどん足を速くしていく。
「あーあ……これはちょっと良くないな。従順にさせたいが、かといって怯えられちゃ話にならねえ」
シリウスはそう呟くと、差し込んでいた手を抜き取り、ついでに頭上で固めていた手首も解放する。
自由になった両手を私の両脇に差し込んで、そのまま抱き締める形で上体を持ち上げた。
ちょうどシリウスが私の太ももに股がったまま、お互い抱き合う格好となる。
背丈の差から、私が彼女の肩らへんに顔を埋める形となった。シリウスはやや背筋を丸めると、私の鼻先を肩ではなく自らの首筋に押し当てる。
鼻腔を突き刺すのは、あの濃艶な匂い。麻薬を通り越して毒かなにかにすら思えるそれは、暴力的なまでに私の思考を犯していく。
「犬は家に自分の匂いを擦り付けることで安心するらしい。今のうちからアンタに私の匂いを覚え込ませておけば、邪魔なアイツを省く上でも都合が…………チッ。時間か」
両耳をぴくりと反応させ、丸めていた背筋を伸ばすシリウス。
それでも私の太ももの上から退くことはなく、逆に痛いぐらい抱き締める腕の力を強くしながら、扉の方向を睨み付ける。
その瞬間。
けたたましい音と共に、飛び込んで来る一人のウマ娘。
「助けに来たぞ。トレーナー君」
そう宣言したルドルフは、爛々とした紫の瞳で、目の前の一等星を射殺さんばかりに睨み付けた。