ヒットマンに憧れて   作:エタノールの神様

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おいおい、冗談はよしてくれよ

『各馬3コーナーの坂の上を駆けて行きますが…おおっと!飼葉騎手ムチをズボンに押し込んで手綱を長く持ちました!センリノヒメに対する絶対の自信の現れか!』

 

ここからはヒメの自由だ。前を追っていくもよし、直線まで待つもよし。ただしこれ以上待つと勝てないってなったら私が追うけどね。さあヒメ、競走が嫌で早く終えたいなら一番先にゴールして見せろ!

 

『先頭はローリングフローラ未だ3馬身のリードがあるが一杯になったか、追い上げてくるのはマリモアクセルでありますがセントラルドガマも追いかけてくる!続いてセカンドインパクト的馬均!出遅れた一番人気センリノヒメは未だ最後方から三番手を追走しています!』

 

10頭の選ばれしサラブレッドたちが坂を下っていく。ヒメは坂の下りを利用して速度をあげたがちょっと外に膨れた。仕事を放棄するな。ちゃんと誘導しろ。お前はジョッキーだろ?それとも馬で興奮する変態なのか?ヒメはそう主張するようなコース取りで駆け下りていく。

 

ヒメが一瞬だけ、白目を剥いてディクタスアイでこちらを睨む。わかった。追う。だが4コーナーまで待ってくれ。調教を見ていたからわかる。ヒメにはスタミナがない。その上、コーナーから仕掛けるとかなりズブい。仕掛けるのは直線に入ってからだ。

 

手綱を短く持ち直し、ズボンの奥深く…とまではいかないがズボンに突っ込んだムチを引っ張り出そうとする。またヒメが一瞬ディクタスアイでこちらを睨む。そうだよな。尻に触れたムチで打たれたくないよな。ということで私はムチをもう一度ズボンにしまった。

 

馬群は縮まってきて、10頭だてのくせして17馬身もあった先頭との差が8馬身まで近くなった。ここで追えば先頭に立てる。しかし我慢だ。ここで仕掛けてはヒメの末脚を鈍らせてしまう。ここはなんとしても我慢だ。ジョッキーがかかって何になる。負けにしかならないだろう。直線まで我慢だ。今抜いたってゴールで先頭じゃなきゃ意味がないんだ!

 

『さあ残り600メートルの標識を通過して最初に4コーナーを回ってきたのはマリモアクセルとセントラルドガマ!セカンドインパクトも追ってきているが各馬曲がりきって最終直線に入って参りました!』

 

ヒメ、いくぞ。

一気に追う。ムチは使わず己の手で叩く。ヒメは私の指示に珍しく応え、一気に加速していく。コーナーでかなり膨れてしまって観客席ギリギリを走っているがほとんど荒れていない馬場をヒメは足取り軽やかに駆けて行く。おそらく実況席から見たら黒山の人だかりに隠れてしまって見えていないのではなかろうか。しかし我々には関係ない。ヒメはこの直線で全てを斬り捨ててオープン馬になるのだ!

 

ドスン、ドスンと足音が響く。とても大きなストライドで、ちょっと遅めのピッチで駆け抜けるヒメの姿はさながら千里の馬。

 

 

 

しかし、しかしである。

 

 

私の左の鐙は加速の衝撃で壊れていた

 

それでも、私は右の鐙に7割の体重を載せ、左の鐙の残った部分に小指の付け根付近をおもいっきり押し付けて残り3割の体重を載せる。そしてヒメと前の馬を追う。

 

正直言って左足が痛い。すぐにでも競走中止したい。底の半分を失った鐙は残った部分をブーツに食い込ませて間接的に私の足を痛め付ける。とんでもない激痛だ。でもゴール前だ。ヒメがオープン馬になるチャンスだ。これを私の都合で奪うわけにはいかない!

 

『マリモアクセル懸命に逃げる!セントラルドガマも懸命に追う!しかし後ろからセカンドインパクトだ!セカンドインパクト来ている!しかし外埒一杯をなにかが移動している!栗毛の馬体と紫ベースの勝負服!おそらくセンリノヒメです!おそらくセンリノヒメ!』

 

ヒメは最高速に乗って駆けて行く。先程まで絞っていた耳は完全に風になびくのみ。風圧がすごい。ゴーグルをしていなかったら目が乾いていただろう。そのゴーグルを通して斜め前に見えるのはゴール板ただひとつ!

 

『全てを抜き去ったセンリノヒメ!センリノヒメ先頭でゴールイン!』

 

やった!勝った!やったぞヒメ!お手柄だ!

 

私は興奮のあまり、ヒメの首筋を軽く叩く。やったぞ、お前は勝ったんだぞ、と。癖馬にしてはやるじゃないか!

 

そして、ふと思い出す。鐙が壊れていたことを。改めて足元を見ると、左の鐙は完全に底を失い、私の左足は鐙ではなくヒメの馬具に体重を預けていた。恥ずかしい限りである。もうイギリス製の安いのに頼るのはやめよう。

 

このままヒメに騎乗するのは難しいので、下馬してヒメの手綱を引いて後検量に向かう。できるだけ内埒近くを通って、実況席からも見やすいように。

 

『下馬した飼葉騎手が、レースに勝利したお姫様をエスコートして、今、優雅に歩いて帰っていきます。』

 

ヒメはさすがにあの激走で疲れたようだ。なぜか僕のほうが歩くスピードを合わせて、ゆっくりと、ゆっくりと歩いて行く。

 

後検量にいくと、生添騎手が隅っこでしょぼくれていた。なんでも3コーナー下りでローリングフローラ号が一杯になった後、気を悪くして4コーナーで逸走、競走中止の上に振り落とされたのだそう。幸い人馬共に怪我はないそうだ。

 

また、セカンドインパクト号に騎乗していた憧れのスーパージョッキー、的馬均騎手からお祝いの言葉をいただいた。

 

騎手免許交付に際してのメディアのインタビューで「目標のジョッキー」に挙げたからだろうか。「まずは1勝、おめでとう」の一言のみだった。それでも私にとっては憧れのジョッキーになにか言われるというのはとても嬉しいものだった。

 

しかし状況は一変。レースが確定し、いざ表彰式へ…となると、ヒメが表彰式を拒否しだしたのだ!

必死に引っ張る厩務員をズルズルと引きずって馬房へ向かって一直線!意地でも表彰されてやるもんかという強い意思を感じた。

 

仕方がないので表彰式は中止。

 

先に私がインタビューを受けることになった。

 

デビューしてわずか二戦目で初勝利だの、癖馬をよく卸しただの、コース取りの理由だのたくさん聞かれた。ちょっと聞かれ過ぎて疲れたが、競馬はスポーツであると同時に巨大なエンターテイメントであることを思いだし、笑顔を装ってインタビューを終えた。

 

ジョッキールームに戻ると、私は疲れがどっと押し寄せてぐったりしてしまった。たまたま出会った田中克春騎手に「あんまり悪い姿勢でだらけてるといい馬に乗れんようになるよ」と言われてしまった。仕方がないので迎えのタクシーが来るまで姿勢をただして椅子で寝るのだ。むにゃむにゃ…ミスターチービー…サンデーサイザンス…

 

 

 

 

 

 

 

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