『最後の障害を、飛越いたしまして、リゲルロードスターが先頭で直線に向いて参りました!』
障害競走は馬にかなりの負担がかかる。競走の高速化を抑制し安全競馬に努めるため、負担重量は重い。障害競走の性質上、距離が長く、持久力が必要なのに飛越の際は後脚の瞬発力と前脚の柔軟性を必要とする。結構な高さの障害なのに勝つためにはギリギリの飛越をしなければならないため人馬共に精神をすり減らす。
ロードスターは最終障害を飛越したあとにもう安心とばかりに脚を緩めていたため、まだレースは続いているぞと鞭を見せようかと思ったが、ロードスターはかなり疲労しており一度息をいれてから直線に入るべきと考えて、直線までそのまま馬なりで走らせた。
3馬身後ろには二番手の牝馬と女性騎手。私と同期の紅一点。私と同じくコーナーで息を入れる作戦のようだ。だが、彼女はおそらく知らない。その牝馬にナメられていることに。息をいれようと手綱を緩めたが最後、二度と速度を上げることはないだろう。
『リゲルロードスターが逃げる!リゲルロードスターが逃げる逃げる逃げる!リードを一気に6馬身とりました!ムチは入れません!ただ馬を信じて追う飼葉慧騎手!』
一方、こちらは絶好調。初めて乗る背中なのに信じられないほど気の合う馬である。先頭にたって後ろに差をつけたら軽やかに走るだけの競馬。人馬ともにスッゴク気持ちがいい。
『後続はもう届かない!リゲルロードスター一着でゴールイン!』
手綱を引いて、レースの終わりを告げる。ゆっくり、ゆっくり減速させて歩調を見る。よし、大丈夫だ。安心して国江田先生に返せる。
しかし、なんだろうかこの歓声は。この競走はオープン競走であって、こんな重賞競走のような歓声が沸き上がるはずがないのだ。
「ブルルル」
「あっごめんよ。早く帰ろうか。」
ヘリオスの時と同じく、ロードスターに促されて検量室へ向かう。ロードスターは、勝ったのだから早く帰って美味しいリンゴを食べようと思っていたのだろう。レース後の楽しみを奪うわけには行かない。
この後私は2レースに騎乗したが、第6レースを勝利、第7レースを2着で終え、ジョッキールームで休む。さすがに七連闘すると18歳の若い体も悲鳴を上げる。第7レースに至っては競走後に脱水症状を起こしているのを必死に隠していたことが、鞍下のオトコマエにはバレバレだったようでレースが終わるとすぐさま振り落とし、馬体の影を歩かせてもらう始末。情けない限りである。体調管理という今後の改善点が見つかった。
夕方、東京に向かう新幹線の中で、私は今までの騎乗をノートにまとめていた。
今日の戦績は7戦4勝、2着3回。2着の際の勝利馬との着差はどれも一馬身以内。…デビューからわずか9戦ではあるが、なにげに私はデビューから連対を外していないことに気づいた。
これの要因は、おそらく馬とコミュニケーションを積極的にとろうとしていたことでは無いかと考えた。
馬とコミュニケーションがとれるというのはジョッキーにとって最大の武器となり得る。馬がどう走りたいかと、騎手がどうやって勝たせたいかをすり合わせ、折り合いをつけるのにコミュニケーションがとれていることは非常に有利である。かの馬事公苑花の十五期生の一人、福長祥一騎手はこの能力に秀でていたから、大量の勝ち星を上げることができたとも言われている。その能力をてにいれかけているのだから、これは一層努力せねばと思った。
しかし、それでは折り合いがついていたのにハナ差で負けた初騎乗レース、リアルヘリオスの未勝利戦の説明がつかないことに気がついた。あのレースでは終始リアルヘリオスと折り合いがついていたが、トマトマトマトを差しきれなかった。これはなぜだろうか。
普段のリアルヘリオスの様子から、馬に「気安く関われる優しい人畜生」だとおもわれているのではないか、と仮説をたてた。しかし、今日騎乗したマサコゴールドとオトコマエ(どちらもサッカーボーイ産駒)からは、ヤンキーで言うところの「信頼できるけどお前は手下」の扱いを受けていた気がすることからこの仮説は否定できる。行き着いた結論は、「馬に下に見られている」ということ。もしそうだとしたらそれはなぜなのか。
考えに考えた結果は悲しい結論であった。私の今のスペックは、
18歳男性
職業:中央競馬騎手
身長:183cm
体重:47kg
である。これの何が馬に下に見られる原因になるのかというと、身長と体重である。女性ならスレンダーで美しいのだろうが、私は男性なのでひょろひょろのもやしというイメージが先行しがちである。馬から見るとそのイメージが先行逃げ切りを決めてしまったのではないだろうか。
まずは明日に向けてこれを改善しよう。馬には一度「気が合うひょろひょろ」のイメージを中団に控えてもらって、「頼れる若いの」のイメージをもってもらおう。
『次は終点、東京、東京でございます。山手線、京浜東北線………京葉線はお乗り換えです。』
まずは降り遅れないように荷物をまとめなくては。筆記用具が展開された机を見て、まだまだ名手の夢は遠いなあ、と考えてしまう私であった。