①
「いい加減に罪を認めるといいです」
空中をぷかぷかと浮遊するその女は、俺を見下して嘲笑った。
この女の正体は悪魔である。しかもただの悪魔ではない。俺に引導を渡しに来た、地獄の悪魔なのである。
この悪魔に目をつけられてしまったのは、今から半年前のことである。高校からの帰り道、ボロクズのようになって捨て置かれていたのが、こいつだった。俺は自他共に認めるお節介だから、こいつにもお節介を焼いてやったわけである。具体的には俺の家に居候させてやることにした。毎日飯も食わせてやったし、風呂にだって入れてやった。
だというのに、この仕打ちは何だろうか。
俺は件の悪魔によって全身を簀巻きにされ、床に転がされていた。
「芋虫のように蠢いていて実に滑稽。愉快ですね、
悪魔は悪魔らしく微笑んで、俺の頬を指先で抓りやがる。痛い。
「待て、落ち着け、俺がお前に一体何をしたというんだ」
「あッ、呆れますねぇ~ッ。人間ごときが悪魔の柔肌に触れようだなんて、不敬にも程がありますッ!」
とは悪魔の弁である。
まったく、まったくだぜ。俺がお前に何をしたよ?ただお前の背中を流してやっただけじゃないか。家族として当然のスキンシップだろうに、それの何がいけないんだか。
「答えは今ぜんぶ自分で言いましたね?死んでください」
悪魔め。鬼畜、畜生、地獄の使者!
「全部正解で私は悪魔ですけど、名前で呼んでくれますか?」
誰が貴様の名前なぞ呼ぶか、下級悪魔。
「私には
はてさて、そうだったか。覚えてないな。
「あぁー!何ですかそれ!もう恂一郞なんて知りません!今日はそこで一人寂しく過ごしていてください!」
「は?ちょっとおい待て!俺を置いて何処に行く!?何処かへ行くならせめてこの簀を外してからにしてくれ!頼む!漏れてしまう!」
「知りません!」
「あぁ~ッ!」
その後何が起きたのか、想像は難くない。なので多くは語らない。というか、語りたくはない。ともかく我が家には凶子という名の悪魔が居て、居候しているのは確かなことであり、これは日常だった。そしてそれはこれからも続く予定なのである。
●
「何が悲しくて、こんな苦行をしなければならないんだ」
翌朝、やっと簀巻きから解放された俺は、床を雑巾で拭いていた。何を、という質問には回答できないが、ともかく俺が惨めな思いをしているのは確かだ。
「身から出た錆というやつです。受け入れなさい」
そしてそんな俺の傍らで俺を監視するのは、我が家の居候悪魔こと、凶子である。寝起きなのかぶかぶかのシャツ一枚だけを羽織ったその姿は、無い乳目ロリ科悪魔族のクセして扇情的だった。なんかエロい。具体的にはその短く切りそろえられた髪をハスハスしたい。しかしそんなことをするわけにはいかず、悶々とした気持ちは螺旋状に溜まりゆくのだった。
チクショウ、ちょっと顔が可愛いからって調子に乗りやがって。昨日の恨みはこの先一生忘れんぞ。すっごい寒かったんだからな。
「ああ、認めよう。俺が悪かった。だが、お前も俺に謝れ。昨日はとても寂しかった」
「そうですか。それがあなたに対する罰なので、謝るもクソも無いですが、自分の非を認められるとは、恂一郞も成長しましたね。私、涙が出そうです」
「クソ、俺のベットを占領した罪は重いからな」
「昨日は快適に寝させて貰いました」
「チクショウ」
バケツに張った水に雑巾を漬け、絞る。水が冷たく、手がかじかむ。ああ、惨めだ。
「お腹が減りましたね、早く朝ご飯を用意してください」
「凶子よ、わがままを言うんじゃない。そんなに飯が食いたいなら、お前が作ったらどうなのだ」
「嫌です」
ふざけんな。たまには自分で何とかしろ。俺はお前のかーちゃんじゃねぇんだぞ。
エプロンに着替えた俺は、台所で卵を焼いた。なに、決して凶子のためにやってるわけではない。俺も腹が減ったから、そのついでで奴の分も飯を作ってやっているだけだ。
「恂一郞は頭が悪くてスケベなのに、料理だけは得意ですよね」
「取り消せよ。俺はスケベではなく、紳士だ」
「頭の悪さは否定しないのですか・・・・・・」
うるせぇ。
「ただ焼いただけの卵が、どうしてこんなに美味しいんですかね」
そう言って冷蔵庫からとんかつソースを取り出した凶子。
おいおい、ちょっと待てよ。
「お前、まさかかけるのか?それを、目玉焼きに?」
「ええ、かけますが何か?」
「我が家ではとんかつソースを目玉焼きにかける行為を、禁止しているハズだが?」
「味変ですよ。毎日毎日塩と胡椒ばかりでは舌がおかしくなってしまいます」
「何を言うか。塩は最強だぞ?何にでも合う。生魚だろうと焼き魚だろうと、何でも塩をかければたちまち旨みが増すのだ。それを何だお前は。そんなゴテゴテとしたドロドロのソースで目玉焼きを塗り固めやがって。悍ましい!そんな物を俺の視界に入れてくれるな!」
「恂一郞の塩信仰もここまで来ると病気ですね。関西人と名古屋人に遭遇したら三つ巴の戦争を起こしそうです」
呆れ顔になった凶子は、俺の目玉焼きにまでソースをかけやがった。
「あーッ!お前、お前まえお前ッ!俺の神聖なる朝食に何てことをォ!許せんッ!」
「ふッ、やるというのですね恂一郞。
「いざ参らん!」
言うが早いか、俺は目玉焼きを急ぎで頬張って食卓を勢いよくなぎ倒し、聖剣ソルトブレイド(Amezon価格500円)を構える。対する凶子は指先の爪をナイフのように伸ばして、腕をクロスさせていた。
「「クルセイド・オン!!!!」」
説明しよう!ダークテーブル・クルセイドとは、古代アランビスナ時代、暗黒食魔神《オナカ・ヘッタルーダ》によって催された、美食家のための聖戦である!徒手空拳で競ってもヨシ、武器を使ってもヨシ、じゃんけんで勝敗を決めてもいいし、料理対決で争っても良い。そしてそんな何でもありの聖戦を勝ち残った者は、暗黒食魔神から万能の卓上調理器《グルメ・スパウザー》を報償として与えられるのだ。
ちなみに今の説明は全て嘘なので、今回のこれは突発的なただの喧嘩である。勝ち残っても、部屋の修理代が請求されるだけの、損な争いである。
だがそれでいい!
これは喧嘩であると同時にストレス発散を兼ねている。悪魔である凶子は、クソ雑魚のクセしていっちょ前に悪魔由来の闘争本能を持ち合わせているから、週に一度は暴れないと発狂してしまうのだ。そのための闘争!遊戯!俺は凶子のためならば、部屋の修理代だって踏み倒してやる!
凶子と俺の実力は拮抗していた。凶子は名も無き下級悪魔なので、ぶっちゃけ成人男性にワンパンされるくらいに弱い。対する俺は年齢相応の平均値よりも若干下回る筋力のヒョロガリなので、普通に良い試合になっていた。
「やりますね!恂一郞!」
「これでもエリート帰宅部だからな。これくらい何てことはない!」
「ならば私は無職エリートです!同じエリートなら、恂一郞だって倒せます!」
いや、無職エリートは誇れたことではないが、まあいい。
「そろそろ決着をつけようか、凶子」
学校に間に合わなくなってしまうからな。
「そうですね。私もこの後ネトゲの集会があるので!」
お前俺が学校に行ってる間そんなことしてたのかよ。
「「アクセラレータップ!マーシャルアーツリベレイション!!!!」」
この文字列に意味は無い。俺の黒歴史ノートから凶子が面白がって引用しているだけだ。
「うおぉおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
「てやぁああああああああああああああ!!!!」
「うるせぇええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!!!!」
突然、頭部に鈍痛。
俺はたまらず頭を押さえて悶えた。それは凶子も同じだったようで、彼女も同じように頭部を押さえ、涙目で蹲っていた。ちょっと可愛い。
「朝からズンチャラバンバンと元気ねあんたら。アタシはあんたらのせいで頭が痛いよホント」
その声に振り向けば、セーラー服姿の少女がそこに居た。その少女の拳は赤く擦れており、先の鈍痛はこれに殴られたからなのだとわかる。
「何をする、瑠希」
「何をする、はこっちの台詞なんだよ。なんだいこの惨状は、めちゃくちゃじゃないか。頭がおかしいのかあんたらは。この前ここ修理したばっかなの、あんたも知ってるよね」
「知っている、が、それがどうした」
「うん、いいよ、お前はいつもそれだものな。アタシもとうとう諦めたよ。だからまあ、茶番は程々に、はいこれ」
このセーラー少女の名は、
そんな我が友である瑠希が俺へと寄越したのは、何やら薄い紙切れだった。
「何だこれは」
「請求書」
請求書・・・?
俺はその紙切れを裏返してみる。
そこに書かれていたのは、細々とした文字列。その中でも俺の目を引いたのは、一番下側に記されていた、ある数列だった。
「おい!ななな、何だこの数字は!」
「バカか。前回のこの部屋の修理費、全額に決まってるじゃないか」
「ナにぃ!?」
前回の修理費、全額ゥ!?
そうか、どうりで0がいっぱいなわけだ。ふざけんな。払えるかよこんなもん!
「いや、いや、おかしい。今回の破壊行為に対する弁償ならともかく、前回のことまで追求されるのはおかしいぞ!」
「阿呆め。その前回もあんたらが部屋を破壊したから修理するハメになったのだから、請求して当然。それとも何か?これまで滞納してきた家賃に、今回の損害賠償もプラスで請求されてぇのか」
そう言われてしまっては立つ瀬が無い。取り繕う島も無い。
慌てた俺は、未だ悶え地面に蹲る凶子の頭を掴み、共に土下座スタイルをとる。
「ヴァーッ!恂一郞!そこを触らないでくださいッ。酷く痛みます!」
先ほどの拳骨で瘤でも作ったのか、凶子は自身の頭部を掴む俺に抗議の声を上げるが、知らん。こちとらこれからの生活が懸かっているんだ、少しは我慢しろというんだ・・・!
「ははぁ!瑠希様神様大家様!きっと全額支払いますので、どうかそれ以外の請求はご容赦を!」
恥もプライドも捨て、同級生に頭を下げる俺。端から見なくても惨めだった。
「あっそ、まあいいや」
許された。許されたので俺はバネが如く飛び起きて、凶子の尻を蹴飛ばした。
「いっつァ!?ちょ、何をするんです恂一郞!!!!」
頭と尻を押さえて叫ぶ凶子。忙しい奴だなお前は。
「今回の聖戦は俺の勝ちだぁ!」
「はぁああ!?巫山戯ないでくださいッ、どうしたらそうなるんですか、お馬鹿なんですか!?」
フッ、俺のパーペキな頭脳から弾き出された戦術が、彼奴には理解できぬらしい。哀れよのォ、凶子。お前はとても可哀想な奴だ。
「とことん阿呆だねあんたらは。それより恂一郞、時間はいいのかい?」
呆れ顔の瑠希が指さした方には、辛うじて聖戦の被害を免れた時計が、7時半を指していた。ふふふ、知っているさ。知っていたさ。これこそが我が狙い。
凶子も何かに気がついたようで、ハッとした顔で時計を見る。
「ま、まさか・・・・・・ッ」
「そう、そのまさかだッ!!!!」
俺は学ランをバサリと羽織り、キメ顔で言ってやった。
「
「うがあああああああああ!!!!やられたぁああああああああ!!!!」
しくしくと涙を流して部屋のフローリングを殴る凶子。その衝撃に床材は耐えきれず、ベこりと歪んだ。
その様子を見ていた瑠希は、何やらメモ帳に記入しているようだった。
おい瑠希、何をメモしている。ちょっと、見せろおい!
「凶子ちゃん、付き合う男は考えた方が良いと思うよ」
瑠希は俺の
「相も変わらず強烈な女です。悪魔である私が遅れを取り、さらには一発モロに喰らうとは」
「それはだってお前、俺にだって勝てねぇようじゃ、アイツにゃ勝てんよ」
「はぁ?昨日は私の勝ちでしたが?今回はまぐれなんですよバーカ」
「わざと捕まってやったのさ。そう何回も部屋を壊されてしまっては困るからな」
「それって手加減したってことですか?ムカつきますね、殺しますよ」
残された俺たちはそのような意味の無い台詞を言い合う。これもいつものことだった。こいつと出会った半年前は、これ以上にジェットコースターのような日々で、気が狂うどころの騒ぎではなかったから、こんなの何てことないんだ。毎日のように起こるハプニング。頭のおかしい連中を追い返し続け、何とかようやく、一段落が付いたのだ。
それでもまだまだ超常的な日常だが、まあ、しかたない。
え?どうやって凶子と出会い、今に至ったか?
しかたないな、特別だぜ?教えてやるから耳をかっぽじってよく聞きやがれ。
それは、高校一年生の夏休みのことだった――――。
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