優が眠る墓地のはずれには、一本の楓が植えられている。
いつ、誰が植えたものなのかはわからないが、その脇にぽつんと備え付けられたベンチは先代の管理人が自費で設置したものらしい。
利用者の憩いの場になればとの好意で作ったはいいものの、墓地の隅っこで紅葉を楽しもうという物好きはそう多くはなく、もっぱら鳩と野良猫のたまり場と化している。
そこに腰かける父の姿を見たとき、千早はずしりと胃が重くなるのを感じた。
意を決して足を進め、こちらに気づいた父と目が合った瞬間、誰かに胃を握られたような感覚を覚えた。
「………千早」
ようやく正面から向き合うことができた父の姿は、記憶のなかのそれよりもひと回り小さくなっているように見えた。
形の整った目と鼻、薄い唇。大きく突き出した喉仏――そして、すらりとした手。
ついこの前までは怖ろしくてたまらなかったのに、今はその全てが小さく、頼りなさげに見えた。
「傘、届けてくれてありがとう」
「……ああ」
父の隣に座った瞬間、驚くほど素直に声を出せた。
逆に父のほうは少しうろたえた様子で、次の言葉が返ってくるまでに少々の時間を要した。
「あの管理人さん、ちゃんと伝言を伝えてくれたんだな」
「うん」
「正直、来てもらえると思ってなかったよ」
「だろうね」
思わぬ邂逅を果たしたあの日、父は千早が墓地に放り捨ててしまった傘を管理人に届け、今日再びこの場所に来ることを伝えて欲しいと頼んでいた。
「その―――」
再び言葉を詰まらせた父の唇が小刻みに震えているのがわかる。
千早は思わず目を逸らした。
次に発せられる言葉がなんなのか、それを直感してしまったからだ。
「ごめんな」
「………………なにが?」
「2年前に…お前が大変だったとき、俺…」
「別にいいよ」
「なにもしてやれなくて、それが――」
「いいってば!」
つい口調が荒くなる。
千早にとっては一番聞きたかった言葉であり、同時に一番聞きたくない言葉だった。
「私、気にしてなかったよ?もう完全に赤の他人で、私のことなんてどうでもいいんだから、もう関係ないんだからって、ずっと思ってたから」
「ごめん――」
「謝るくらいなら!本当は気にかけてくれてたなら!」
「助けてほしかったよっ……!」
隣を見ると、父は俯いて髪を鷲掴みにしていた。
赤の他人になったはずの男の苦悶が、大嫌いだったはずの人間の苦しむ姿が、自分のことのように苦しい。
「ごめん……ごめんな…」
今にも消えてしまいそうなか細い声で、何度も、何度も、同じ言葉を発する。
「怖かったんだ…俺は……自分のことしか考えられなかった………。もし、本当のことが世間に知れたらと……そればかり………」
「本当のこと?」
「俺が……」
「俺が、あの日、優を死なせたことが――」
――――――――
――――――
――――
H県某所“夜叉河原”。
山に囲まれ、知る人ぞ知る現代の秘境。
川のせせらぎと微かに吹く風だけがそこにあった。
「……………………」
目を閉じて河原に正座する静虎は、自らの精神を周囲の空間に溶け込ませていた。
大自然と一体となり、感覚を共有することで、視覚に頼らずとも周囲の様子が“視える”ようになる。
灘神影流の歴代当主のなかでも、この技術を有するのはほんの数人であると伝えられている。
―――ロロ…
遥か彼方で、大気が揺れるのを感じた。
―――――ロロロ…
揺れが次第に大きくなる。
何かが大気を引き裂き、真っすぐこちらに向かってきている。
――――――――――ロロロロロロロロロロロロオオオオオッツ!!!!
正面の茂みから、爆音を纏ってレクサスが飛び出してきた。
自分めがけて猛スピードで突っ込んでくるそれに対し、静虎はよけるどころか目を開けるそぶりすら見せない。
ガガァッ!!!
間一髪、衝突まであと数センチの距離でレクサスが停止したところで、ようやく静虎の目が開いた。
それと同時に運転席のドアが開き、怒りに満ちた表情の鬼龍が姿を現す。
「手紙は読んだか?」
問いかけへの答えとばかりに、鬼龍が静虎の膝元へ『果たし状』と書かれた紙を投げつけた。
「なんのつもりだ、静虎」
「そこに書いたとおりや。優希ちゃんが心臓の手術を受ける権利を賭けた米国エージェントとの5対5マッチ…その大将は引き受ける。が、お前のこれまでの所業に対するケジメはつけてもらう」
すっ、と立ち上がった静虎が眼鏡を外し、丁寧に畳んで上着のポケットにしまう。
「ワシと戦え。鬼龍」
「バカか。俺がお前をボコボコにしたら5対5マッチはどうなる。優希の命が懸かってるんだぞ」
「
「なに?」
「ワシになにかあったときは、日下部さんが代わりに出場してくれるよう、話をつけてある」
灘神影流と発祥を同じくする古武術、幽玄真影流――
既に老齢でありながら「究極の当身」と称される神業“
かつて神影流と幽玄流の間で抗争が勃発した際、静虎は覚吾と、鬼龍は覚吾の弟子と戦い、あえなく敗れている。
「ふうん、そういうことか…」
アゴを撫でながら何やら考えている様子の鬼龍だったが、徐々にその目が不気味な光を帯びていく。
「なら、話は別だ……要するに…今から愚弟をぶちのめせば、かえって娘が助かる可能性が高くなる、と……」
「そういうことや。ここでワシに負けて、
「なめるなっ!!」
鬼龍が静虎に突進し、顔面に向けて左ストレートを放つ。
それを防御した静虎の掌との間でぱあん、と破裂音が響き、川辺で羽を休めていた水鳥たちが一斉に飛び立った。
「うぬぼれるなよ。俺が呪怨を放棄したのは負けを認めたからではない。お前ごときを仕留められない奥義など習得する価値もないからだっ!」
左拳を引く間に右、右拳を引く間に左、と休む間もなく鬼龍の打撃が静虎に襲い掛かる。
パン、パン、パン、パン――
静虎が掌で攻撃を防ぐ音の間隔が徐々に早く、短くなっていき、まるで鈴なりに連なった爆竹が一斉に破裂したような音になっていく。
鬼龍の得意技、“
両腕を極限まで脱力させることにより、常人の目ではとらえることが困難なほどの速度を生み出す高速連撃である。
パン、パン、パン、パン、パン――
しかしその攻撃に対し、静虎は1発も被弾することなく両手だけでいなしている。
「奇遇やのぉ」
ふいに静虎が頭を突きだし、鬼龍の拳を額で受け止めた。
細い骨が組み合わさってできた拳と分厚い頭骨とが衝突すれば、破壊されるのは当然拳のほうになる。
本来は顔面や顎を狙った攻撃に対して行う緊急手段で、見ることすら困難な霞打ちに対して自分から仕掛けるようなものではない。
「なにっ」
たまらず鬼龍が間合いを離す。
ダメージはさほどでもないが、絶対の自信を持っていた技に対して正確に額を合わせられたことで、明らかに面食らっている。
「ワシが霞打ちを習得しなかったのも同じ理由や。
「キサマ…」
周囲の空気が淀む。
鬼龍の放つ殺気と、それを押し返す静虎の気が衝突している。
一卵性双生児の2人はこの僅かな攻防でお互いの思考を理解した。
これは“殺し合い”なのだと。
龍継ぐで「霞打ちは鬼龍のオリジナル技」と明言されたけど、今回はガン無視で話を書くんだ
うーんガバガバだけど仕方ない、本当に仕方ない