「はうっ」
鬼龍は飛び起きざま、自分に首が付いているかどうかを確かめた。
頸椎がへし折られる音を確かに聞いたはずなのに、痛みすら残っていない…。
まさに“狐につままれた”ような感覚だった。
「どや、まだまだ活法ではワシのほうが上やろ」
声の方向に振り向くと、静虎が何事もなかったかのように眼鏡の手入れをしている。
上着のポケットに入っていたはずのそれは片方の蝶番が折れてしまっていたものの、レンズには傷ひとつ付いていなかった。
「なにをした…」
「“
「俺の首落としは完璧に決まっていたはず」
「ワシがボーン・トルネードを使ったのを見てわからんか?」
トン、静虎が右の脇腹を指で叩く。
そこには、針で刺したような小さな傷跡があった。
「ボーン・トルネード…すなわち岩鉄捻りを使うためには針で“禁断のツボ”を突き、“第三の筋肉”を覚醒させることで関節の可動域を広げる必要がある。かつてお前がガルシアにしたようにな」
よく見ると首筋にも、同じような針の傷が付いているのが見える。
「禁断の“
「こうでもせんとお前には勝てんからな」
数ミリでも突く場所がずれれば死に至る禁断のツボを2回突き、さらに1度“殺される”ことによって完全に油断した兄の首を取る。
静虎にとってはまさに紙一重の勝利だった。
「ふん…。死ぬ覚悟で挑んできた割に最後は幻魔拳モドキの寸止めか。キサマの言うケジメとやらは随分手ぬるいな」
「お前には一度命を救われとるからな。これであいこにしたるわ」
「へっ」
のそりと巨体を起こして車に向かおうとする鬼龍を、静虎が呼び止めた。
「なんだ、もう気は済んだろう」
「そうはいかん」
「優希ちゃんの件が決着してから…5対5マッチが終わってからでええ。ガルシアの墓参りに来い」
「なにっ」
「場所はワシらの生まれ故郷や。負けたんやからひとつくらい言うことを聞け」
「………ちっ」
鬼龍はばつの悪そうな顔で目を逸らしただけだったが、静虎はそれを了承と受け取った。
「約束やぞ」
兄の背中が車内に消え、レクサスが爆音を立てて走り去る。
その音が木霊となり、山々の陰に溶けて消えるまで、静虎はそこに立ちすくしていた。
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「歪みがとれましたね」
道場を訪れた千早を見るなり、手に箒と塵取りを持った静虎はそう言った。
優希ちゃんが手術のために渡米したため、しばらくは広い道場を1人で管理しなければならなくなったのだという。
「“言いたいことを言えずに悪いものを溜め込むより、発散して気持ちをぶつけあったほうがずっといい”……静虎さんに言われた通りでした」
「そうですか」
「私、本当はずっと父のことが気になってたんだと思います。それなのに無理やり全部忘れようとして、幸せだった記憶も否定して…。けっきょく、自分の本心に嘘をつき続けてたんです」
「人間、誰しも自分自身のことは案外よくわかっていないものです。だからそれを解き明かすために様々な努力をする。体を鍛えるのも、歌う技術を磨くのも、けっきょくは自分が何者なのかを解明するための過程なのだと…私は、そう思います」
「……そうですね。そのとおりだと思います」
言いながら、千早がカバンからカラフルな封筒を取り出した。
「これ、年末のライブのチケットです。本当は、優希さんにも渡したかったんですけど」
「いやあ、私のような年寄りを招待する必要は――」
「是非来てください。私、静虎さんに出会わなかったら、また歌えなくなっていたかもしれない。だから、感謝を込めて歌います」
チケットを手に押し付けた瞬間、静虎の顔がリンゴのように赤くなった。
厳つい外見とは裏腹に、感情がすぐ顔に出るタイプらしい。
「ありがとうございました。静虎さんのおかげで――」
頭を下げようとした千早を、静虎が制した。
「いえ、お礼を言わなければいけないのは私のほうです」
「え?」
「やっと気づけたんです。如月さんに偉そうなことを言っておきながら、結局私も兄に対して本音をぶつけられないでいるじゃないかと。いったい何様のつもりなんだと。……おかげさまで、ようやく兄弟ゲンカをすることができました…すべて、如月さんのおかげです」
深々と頭を下げる静虎に対し、千早は恥ずかしいようなじれったいような、奇妙な感覚を覚えるのだった。
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道場を出ると、ちょうど曇り空が途切れて太陽が顔を出すところだった。
眩しさに目を細め、静虎と出会った日のことを思い出す。
それからの様々な出来事が胸に去来し、まるで走馬灯のようだ、と可笑しくなった。
もう、悪夢は見ていない。
過去は辛いことばかりだったと思い込んでいたが、今は違う。
自分は愛されていた。
あの日繋いだ、父の手のひらの記憶は、決して忘れることはないだろう。
(…帰ろう。765プロへ)
深呼吸をして一歩踏み出すと、乾いた風が背中を押す。
冬が、すぐそこまで来ていた。
前回はヒーローとしての鬼龍を書いたので、今度は悪役としての鬼龍を書こう!
→なら鉄拳伝最終章のオトンとの決戦をリメイクしてみよう!
→どうせなら前々からやりたかった家族愛の要素も絡めてみよう!
そんな思い付きで書き始めた今作でしたが、結果的にSSを書き始めて以来経験したことがないレベルの難産に…。
とにかく台詞が思い浮かばない、千早のドラマとオトンのバトルパートを同時進行で書くのが難しい、なにより千早の家族関連の設定については曖昧なところが多いので、「これでいいのかな?」と悩むことの繰り返しでした。
あと、意外と困ったのが鬼龍の技レパートリーが案外少ないこと。
ほとんど霞打ちか普通に殴る&蹴るばかりなんですよね…。
書いている最中は本当にキツかったのですが、なんとか完成させられて良かったです。
ラストシーンで千早に深呼吸させながら自分もほっとしていましたね。
キャラクターが辛い思いをするのは見ていて苦しいし、自分で書くのはもっと辛かったですが、それを乗り越える姿にこそ人は惹かれるのだと思います。
それが如月千早というキャラクターの魅力であり、彼女が長年愛され続けている理由のひとつなのだな、と今回実感しました。
おこがましい願いではありますが、自分自身のトラウマに立ち向かい、乗り越えた彼女の姿を見て勇気づけられた、励まされたという人がいれば、こんなに嬉しいことはありません。
最後まで読んでいただきありがとうございました。