幻影の空   作:やどりぎカレー

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File1 死神

 プラズマ団の演説をニュースで見たことがある。人間たちはポケモンをモンスターボールで縛りつけ、自由を奪い、操り人形にしている。ポケモンから自由意志を奪い、傷つけ、戦わせる。そのような非道な行いは、ただちにやめるべきだ、と。

 彼らは巧みに真理を唱える。個人的に、正しいと思う。だが、それはポケモンだけに当てはまる話じゃない。人間だってそうだ。哲学的な議論ではない。事実そうだと思い知らされた。

 それを知ってしまった今、俺は命よりも大切なものを失った。もはや何もかもが、どうでもいい……。

 

 

 *

 

 

「……あんた名前は?」

 

 暗い部屋に、宙吊りの電球がひとつぶら下がる。テーブルを挟んで、ふたりの男が向き合っていた。

 ひとりは中年の危機を迎えた太っちょの刑事。くたびれたジャケットを羽織り、口周りには剃り残しの無精髭、髪は短くモジャモジャで、いかにもくたびれている様子だった。

 もうひとりはさらに悲惨だ。顔は伸びきった髪と髭に覆われて、黒ずんだ目元だけがかろうじて覗いている。瞳は虚ろで生気がなく、厚手の黒いコートは薄汚れて、いかにも家なき浮浪者の振る舞いだ。

 刑事は戸惑っていた。とてもこんな男が、街で手がつけられないほど大暴れしたようには見えない。駆けつけた警官の話では、ガーディ3匹に囲まれても叩き伏せたらしい。

 どんなスーパーマンかと思いきや、まるで萎んだ風船のように小さく見えた。

 

「寝床はどこだ? 身元引受人は? 誰かお前を知っている奴は? ひとりぐらい誰かいるんだろ?」

 

 聞いても、ホームレスの男はダンマリだ。答えるのが恥だと思っているのか、はたまた警察をナメているのか。

 刑事はため息を吐いた。

 

「これだからホームレスは、まったく」

 

 手元のファイルから紙を出して、黒の朱肉を添えた。指紋の登録書だ。

 浮浪者は初めて顔を上げて、口を開いた。

 

「指紋を取るのか?」

「自分が何やったか分からないのか? 暴行にポケモン窃盗は立派な犯罪だ、それに公務執行妨害のオマケを付けてやる。おめでとさん、これであんたも犯罪者データベースの仲間入りだ。さっさと指を置け」

 

 この期に及んで、名無しの男は渋っていた。できればやりたくないと言いたげに。しかし刑事が頑なに朱肉を指し示すので、いよいよ観念して指を出した。

 ひとつひとつ、丁寧に指先を染めて、紙に捺していく。その傍ら。

 

「聞いてくれ」

「俺は悪くないって? その椅子に座った奴はみんな同じことを言う。毎日毎日うんざりなんだよ」

 

 初めてお願いをされて、刑事はここぞとばかりにほくそ笑んだ。

 

「イーブイのアザを見ただろ」

「あんたが乱暴したからな」

「俺じゃない」

 

 名無しが何のことを言っているのか、刑事には心当たりがあった。浮浪者に殴られた被害者の青年だ。事情聴取のとき、被害者の所有しているポケモンをひと通り見たが、どれも屈強なポケモンばかり。その中に一匹だけ、ひ弱なイーブイがいた。

 その体には、打撲の痕が痛々しく残っていた。

 被害者が言うには、浮浪者の男が突然イーブイに暴力を振るったので、止めようと立ち向かったところ、返り討ちに遭ったそうだ。

 刑事は苦々しく眉間にシワを寄せた。

 

「面倒な仕事を増やすんじゃない、黙って大人しくしてろ」

 

 指紋の捺印が終わると、刑事は用紙を引ったくって、逃げるように取調室から出ていった。

 ちょうど部屋の前を通りがかった警官を捕まえて、刑事は声を落として言った。

 

「やっこさんから目を離すな」

 

 他に誰も取調室に入らないように。話を混ぜ返されると厄介だ。どうせ頭のおかしい浮浪者が、突然キレて暴れただけ。それで処理が簡単に片付く。

 ひと息入れようと休憩室に訪れると、先約がコーヒーメーカーの前にいた。ひと回り若い女性警官だ。

 お疲れ様です。ご苦労さん。挨拶を交わして、淹れたてのインスタントコーヒーを受け取る。ひと口飲んで、刑事は深呼吸した。

 

「被害者の男性が呼んでいます」

「待たせとけ」

「あなたが来なければ帰るって言われました。無理には引き止められません」

「せっかちな野郎だ」

 

 ちらりと時計を見上げる。もう夕方の4時過ぎだ。じきに退勤時間がくる。さっさと仕事を切り上げられるなら、このまま帰しても……バカな考えを振り払って、コーヒーを飲み干した。

 ガラスに区切られた待合室を軽くノックして、刑事は笑顔を貼りつけた。

 

「どーも、待たせたな」

 

 大義そうに座っていた青年の男は、あからさまに舌打ちした。チャラチャラした格好で、いかにも最近の若者らしい。膝には丸まったイーブイを乗せて、そのふさふさな背中をさすっていた。

 

「ねえ、俺もう帰っていい?」

「慰謝料欲しくないのか? こっちの質問に答えてからにしろ」

「もういいよ、めんどくせぇ」

 

 その生意気な口を力ずくで閉じさせたい欲求を堪えて、刑事は尋ねた。

 

「そのイーブイを捕まえたのはいつ?」

「関係あんの?」

「いいから答えろ」

 

 青年は再び舌打ちを添えた。

 

「友達からイーブイのタマゴを貰ったんだよ。そいつ、ブリーダーやっててさ」

「じゃあタマゴの頃からずっと一緒に?」

「あぁ。今じゃマブダチだぜ」

「ぶ、ぶいぃ……」

 

 優しく撫でると、イーブイが引きつった笑みを浮かべていた。震える手足から怯えが見える。

 ああ、これだから嫌なんだ。刑事は頭を掻いて嘆いた。イーブイを見れば一目瞭然、誰から暴力を振るわれたか分かる。

 分かったところで憶測だ。証拠は何もない。警察にできることは何もないというのに、刑事は後で絶対に後悔することを口にした。

 

「……やっぱりポケモンセンターに連れて行ってやるよ」

「は? いいって、そんなの」青年の顔が嫌そうに歪む。

「お前がよくてもイーブイが可哀想だろ。ちゃんと診てもらった方がいい、内出血してたらどうする?」

「余計なお世話だ、おっさん。俺もう帰るわ」

 

 そう言って青年はイーブイを抱え、早々に立ち去っていった。

 ほらな、無駄だった。警察に疑わしきを止められる力はないのさ。暗い面持ちで待合室から出ると、先ほどの女性警官と鉢合わせた。

 不満たっぷりの青臭い眼差しが訴えかけてきた。

 

「あのまま帰していいんですか?」

「お前、新人だな?」

「配属されて2ヶ月です」

「なら安全に昇進するコツを教えてやる。面倒ごとには関わるな、抜け出せなくなるぞ」

 

 すれ違って去ろうとする彼の背中に、女性警官は毅然として言った。

 

「彼の証言が正しいとしたら?」

「ホームレスの言葉を誰が信じるんだ」

「人々とポケモンの安全を守るのが我々の仕事じゃないんですか」

「だから男を逮捕しただろ」

「あのイーブイ、また虐待されますよ。今度は殺されるかも」

「そうだな、事が起きたらトレーナーを逮捕するさ」

 

 それが限界だ。しかも事件性がなければ、捜査すらされないだろう。あのイーブイは救えないところにいる。運が悪かったものとして、諦めるしかないのだ。

 なのに女性警官は、唇を噛み締めて足早に刑事を追い越した。

 

「どこ行くんだ?」

「もう一度取り調べてみます。あなたが信じなくても、私が信じる」

「……ご勝手に」

 

 警察の通過儀礼だ。しっかり無力感を味わってこい。刑事は視線を切って、肥えた腹を揺らしながら歩いていった。

 さて、理不尽を覆そうと果敢にも一歩を踏み出した女性警官であったが、その出鼻はあっという間に挫かれた。取調室のドアを開くと、いるはずの浮浪者が影も形もない。空っぽの部屋が出迎えた。

 慌ててすぐ近くのデスクで事務処理にあたっている男性警官を呼び止めた。

 

「ここにいた男は?」

「移送されました」男性警官はキョトンとした顔で答えた。

「誰の権限で?」

「ポケモンGメンの特別捜査官です、移送指示の書類がありましたので」

 

 つい一時間前に捕まえたばかりのホームレスを、こんなにも早くポケモンGメンが嗅ぎつけてくるなんて。

 訳も分からず、女性警官は目眩に襲われた。

 

「いったいどうなってるの……」

 

 

 *

 

 

 取調室に突然やって来たその顔を見た瞬間、浮浪者の男は僅かに目を見開いたが、すぐ諦めたように平静を取り戻した。

 自分がこれからどこへ連れて行かれるのか、容易に想像がつく。どこかの山奥で、人知れず殺され、暗く深い穴に埋められるだろう。彼の従えるドリュウズほど、死体処理に優れたポケモンはいない。

 手錠をかけられたまま黒塗りのバンに乗せられ、その隣りに先の男が乗り込んできた。

 男の名は、シモンズ。洒落たスーツを着たポケモンGメンの特別捜査官だ。少なくとも、表向きは。

 

「やあ、ジョン。あれから少しやつれたな」

 

 偽りの名を呼ばれて、ジョンと呼ばれた浮浪者の男は自分を嘲るように笑った。

 シモンズはあからさまに作り込んだ不気味な馴れ馴れしさで続けた。

 

「虐待されたポケモンを見るに見兼ねたか、お前には昔からそういうところがあった。情に弱い。諜報員には致命的だな」

 

 意味のない会話に、答える気すら湧いてこない。

 まだ生きているのは、ここで殺すと座席が汚れるからだ。走り始めた車の窓から外を伺い、最後のドライブを目に焼きつけることにした。

 カロス地方の中枢都市、ミアレシティ。煌びやかな中心街から外れるにつれて、違う街の顔が浮かび上がってくる。イッシュ地方から移り住んできたマフィアの縄張り。寂れて人の寄りつかなくなったかわりに、野良ポケモンが闊歩する区画。荒れた道を走るにつれて、バンの揺れる数が増えた。しかし、バンが街の外に出ることはなかった。

 ドライブはたった十数分で終わった。車が停まったのは、治安の悪いことで有名なスラム街のど真ん中だった。

 

「餞別だ。退職金代わりに受け取れ」

 

 シモンズから差し出されたものは、死ではなかった。モンスターボールだ。

 冒険に旅立つ子供もこうして初めてのポケモンを受け取るだろうが、死を待つばかりで受け取れる訳もない。

 

「俺には必要ない」

 

 当然のことをキッパリ告げると。

 

「中身が何か気にならないか?」シモンズはいやらしく笑って言った。

「どうでもいい」

「困るんだよ、ジョン。我々は国家機密を知る人間に街をうろついて欲しくない。だから上層部はすぐにもお前を退場させろと言ってきたが、私は反対した。お前のことは好きだ。死なせたくない」

「その条件が、これか」

 

 中身はおそらく、訓練されたポケモンだ。人殺しさえ厭わない、冷酷なロボットのように遂行する。

 殺し屋にでもなれと言うのか。すべてを失った俺に。いや、すべてを失ったからこそ……。

 

「こう思えばいい。これは切符だ、おまけの人生を送るために与えられた。列車に乗るか、退場するか、どちらかを選べ」

 

 ふふふ。笑いが込み上げてくる。

 おまけの人生という肩書きが妙にしっくり来た。俺は既に一度死んでいる。死亡証明書だって作られたし、なんなら自分で自分の墓の前にも立った。人としての人生は終わっている。望むべくは、せめて有意義な死を迎えたい。この数ヶ月、それをずっと探していた。己の死に場所を。これがそうだと言うのなら……。

 ジョンは、しばらくそれを眺めた後、とうとうボールを受け取った。

 バンのドアが開く。ちょうど日が暮れて、明かりの灯った街灯に、目の前の道が照らし出されていた。

 人は所詮ポケモンと何も変わらない。示された道をただひたすら進むしかない。死に場所でさえ、掌の上にしかないのだから。

 

「またな、ジョン」

 

 バンから降りた彼の背中に、シモンズはささやかなエールを送った。

 またな、か。どうせボールには発信機が仕込まれているはずだ。どこに隠れたところで突き止められるだろう。

 しかし参ったな。野宿をするにも、この地域では襲われる。既に近隣の古びたマンションから怪しげな視線が集まっている。イッシュ・マフィアの縄張りだ。彼らは他所者をひどく嫌う。

 仕方ない、中心街まで歩いて戻るか。

 歩き出したジョンの前に、ひとりの影が立ちはだかった。

 

「てめぇ……何でこんなところに?」

 

 それは昼間の青年だった。

 イーブイに暴力を振るっていた男だ。おそらくバトルに負けたのだろう、人目のつかない路地裏でボロボロのイーブイを踏みつけているところを見て、久々に頭が熱くなってしまった。おかげで昼間の事件を起こしてしまった訳だが、どうしてここに。

 いや違う、偶然じゃなかった。

 

「やられた……シモンズめ」

「警察に捕まったんじゃねえのかよ!」

 

 驚いてはいたが、すぐに青年は悪い考えが浮かんできた。ここなら騒ぎを起こしても警察は来ない。誰も通報しない。他所者を叩き出しているのだから。

 

「まあいいや。てめぇにはキッチリと借りを返してやらなきゃ気が済まねえ。出てこい、ドサイドン!」

 

 宙に放ったボールから、人間よりも二回り大きくて屈強なポケモンが現れる。岩石の鎧をまとうそれは、到底人の力でどうにかなる存在ではなかった。

 

「へへ、凄いだろ。こいつが俺の相棒よ。泣いて謝るなら今のうちだぜ」

 

 鼻息を荒くして、ドサイドンも拳を固める。こいつは人間を殺せるポケモンだ。若くしてこんなポケモンを従える青年がどんな人間か、これで分かった。

 ジョンは静かに燃えていた。力のないイーブイが、どんな環境に置かれて暴力に晒されてきたか。想像するだけでおぞましい。

 ひとりでに呟きが漏れていた。

 

「どうせおまけの人生か」

「やれ、ドサイドン! そいつを二度と立てなくなるまで痛めつけろ!」

 

 怯えろ。泣き喚け。青年の歪んだ願望を、凶悪なドサイドンが巨躯に背負う。

 地響きを起こすほどの激しい咆哮。固めた拳は隕石のごとくエネルギーを秘めて。『アームハンマー』という技の通り、破壊の鉄槌がジョンに襲いかかった。

 一瞬、赤い閃光が走った。

 ジョンは物怖じすることなく、モンスターボールの開閉ボタンを押した。と同時に、黒い『辻斬り』が決まっていた。ドサイドンの頑強な腹を掻っ捌いて、血飛沫が派手に華開いた。

 

「は?」

 

 青年とドサイドンは、まったく同じ顔をして凍りついていた。それも束の間、ドサイドンには腹を裂かれた激痛が這い上ってきた。

 

「……ど、どさああー!!」

 

 一閃を放った主は、優雅に着地を決めた。雪のような白銀の毛並み。華奢な四肢の足で身体を支え、三日月のごとく曲がったツノから鮮血が滴る。赤い瞳で獲物を射抜くその目は、まさに死神。

 不吉を呼ぶアブソルが、静かにドサイドンを見つめていた。

 

「ま、負けんじゃねえぞドサイドン! 地震攻撃だ!」

 

 息を荒げて、ドサイドンは大きく足を上げた。まるで相撲取りの四股だ。振り下ろされた道路が爆心地となって砕け、凄まじい衝撃が広がった。直撃だ。

 しかし寸前、死神の鎌が死を描いた。

 ドサイドンの視界が、半分真っ暗になった。『カマイタチ』の斬撃が右目を無惨に切り裂いたのだ。

 

「どぉー!! どさぁぁ!」

 

 いかに岩の鎧をまとうと言えど、眼球まで固いポケモンはいないだろう。この時点で決着がついていた。ドサイドンは血の溢れる右目を押さえて、すっかり戦意を失い、巨体を震わせて哀れに怯えていた。

 愕然とする青年。しかし、呆然とする目にはアブソルが写っていた。死神は血反吐を吐いて立ち上がり、ゆらりゆらりとドサイドンに近づいていく。

 

「やめろよ……死んじまうよ……」

 

 死神にはドサイドンの命しか見えていない。その命を刈り取ることに使命感すら負っているようだった。青年のすがりつく声も届くことなく、鎌は無慈悲に振り上げられて……。

 

「もうその辺にしておけ」

 

 ジョンのひと声で、死が止まった。

 恐ろしかった。死を与えることにこれほど何の躊躇もなく、ましてや快楽すら感じないポケモンに。それを無闇に解放してしまった自分にも。

 待機を命じられたアブソルは、涼しく喉を鳴らして次の命令を待っていた。まるで従順なポケモンだった。

 こんな騒ぎを起こしたのだ、今にも近隣のマフィアが乗り込んでくるだろう。その前にやり残したことを片付けるために、ジョンは青年に手を差し伸べた。

 

「イーブイのボールを置いていけ。それは俺が貰う」

「い、いいよ、分かったって、こんな奴もう好きにしてくれ」

 

 あっけなく渡されたボールを見て、ジョンは目を細めた。あの青年にも、相棒を思いやる気持ちがあったというのに、どうしてそれをイーブイにも向けてやることができなかったのか。

 結末に満足したのだろう、停まっていたバンが走り去ると、夕暮れの空を見上げてジョンはぽつりと零した。

 

「何がおまけの人生だ」

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